第140話

 「先輩、すごい人だったんですね」

 「……ありがとう。褒めてくれるのは嬉しいけれど、唐突だね?」


 ステラから聞いた話を思い出したフィリップは、図書館でフレデリカに合流すると、そんな称賛を口にした。

 それはステラに「試験勉強が優先だ」と言われてから、約3時間後のことだ。戦闘訓練を終えたあと、「明日にしようと言ってくる」と言って二人と別れ、フレデリカを探し出して今に至る。


 フィリップはこれでも約束は守る方だ。約束そのものではなく、約束を守るべきだと感じる社会性や人間性を守りたいからという、些か異質な理由ではあるけれど。


 さておき、たとえ今日中に暗号を解読できたとしても、フィリップはきちんと「探すのは明日にしてくれ」と頭を下げるつもりでいる。

 フレデリカ一人で「神を冒涜する書物」を手に入れたとして、それが本当に人類圏外産の魔導書だったら困るからだ。


 「さっき、殿下に教えて貰ったんです。錬金術と医学でドクトルの称号をお持ちだとか」

 「博識なお友達だね。魔術の才能が無い代わりに、その二つには向いていたというだけの話さ。9割の才能、1割の努力だよ」


 なんでもないことのように言って肩を竦めるフレデリカ。

 フィリップも別に彼女を褒めること自体が目的ではないので、「そんなことないですよ」と言葉を重ねたりはしない。


 「それで先輩、例の暗号のことなんですけど」

 「あぁ、うん。キミと一緒に知りたいと思って、まだ聞いていないんだ。今から行こうか」


 フレデリカにエスコートされ、本棚の間を歩く。


 「はい。殿下に聞いてみたんですけど、グリッド座標じゃないかって言われました。……あ、勿論、細部は伏せましたよ?」

 「うん? あぁ、いや、確かに「神への冒涜」なんて聞こえの悪いことを吹聴したくはないけれど、何かの比喩か暗号だろうし、そんなに気にしなくても構わないよ? 何なら、そのお友達も一緒にどうだい?」


 フレデリカの気軽な誘いに、フィリップは首を振って否定する。


 フレデリカはたぶん「ちょっとお高い土産物」くらいの宝物を想定しているのだろうが、フィリップの中にある最悪の想定は「読めば発狂する魔導書」だ。

 ルキアもステラも「宝探しごっこ」には左程の興味を持たなかったようで、フィリップとしては大いに安心しているのだ。わざわざ誘って危険に引き入れる必要は無い。


 「いえ、二人ともお忙しいらしくて」

 「おや、そうなのか。なら、二人で探そう。……そのグリッド座標? というのは?」

 「簡単に言うと、昔の地図ですね。ここに資料があるらしいので、もしお爺さんがそれを借りてたら──」


 フィリップは言葉を切り、代わりに指を弾く。


 「なるほど。仮説を立て、検証する。セオリー通りの動きだね」

 「先輩、物語とか読むんですね」


 聞き覚えのあるワードに、フィリップが反応する。


 仮説と検証。

 フィリップが以前に地元近くの森で実践した思考法は、前に読んだ本に載っていた定石だ。もしかして同じ本を読んだのだろうかと、ちょっとした親近感を覚えたフィリップに、フレデリカは首を傾げる。


 「いや、そうでもないけれど……どうしてだい?」

 「え、でも今の台詞って」


 不思議そうに首を傾げるフレデリカと、鏡写しになるフィリップ。

 少し考えて、フレデリカは「もしかして」と正解に辿り着いた。


 「もしかして、「仮説と検証」に引っ掛かったのかな? これは昔の研究者が残した、有名な言葉だよ」

 「あ、そうなんですね」


 と、そんな話をしていると、司書の先生が書き物をしている受付に到着した。


 「こんにちは、司書先生」

 「あぁ、レオンハルトさん。これ、お爺さんが借りた本のリストよ」

 「ありがとうございます」


 予め話が通っていたからか、やり取りは非常にスムーズだった。


 リストには管理番号と書棚番号しか書いていないが、並んでいる五つの本のうち、四つには見覚えがある。……ちゃんと覚えているのはフレデリカだけで、フィリップは「これだっけ」と首を傾げていたが。


 「閉架図書──普通に並んでいる本より一ランク上の管理がされている本がある。his-155、c-45。先生、これは?」

 「ん、ちょっと待ってて」


 司書の先生は番号をメモすると、受付を出てどこかに行く。

 「待ってて」と言われた二人が期待と緊張から雑談もそこそこに待つこと数分。彼女は書類の束を持って戻ってきた。


 「はい、c-45のhis-155。ラベルは、えーっと……『第6版試作王都グリッド地図』」


 司書の示したラベルを見て、顔を見合わせるフィリップとフレデリカ。

 フィリップは「ほらね?」と言わんばかりの自慢げな表情で、フレデリカはまさかといった表情だ。二人の表情の差は、仮説への信頼性の差だろう。


 「持ち出しは可能だけど、期限は一週間だから注意してね。他にご用は?」

 「いえ、ありません。ありがとうございました」


 二人は一先ず地図を見ようと、浮かれた歩調で閲覧スペースに向かう。

 机に広々と地図を広げ、フィリップは取り敢えず自分の知っている場所を探してみる。


 「お、投石教会だ。ということはここがタベールナで、衛士団の詰所がここ。意外と立地は変わってないんですね」

 「王都内の区画は一定以上変わらないよう、法規制が敷かれているからね。グリッドは縦と横の数字一組、始めの“2”は二等地を指すとして、13-4は……聖果教会? という場所らしいね」

 

 やはり、学院の外か。

 そうなると、今日はこれ以上の捜索続行は不可能だ。


 ステラに言われたこともあるが、そもそも平日は校外へ出られない規則になっている。外出届を出せばその限りではないが、今はもう17時前だ。今日の受付時間を過ぎている。フィリップが言うまでもなく、探索は明日に持ち越しだ。


 「行くのは明日にしようか。キミはどうかな?」

 「あ、はい。そうしましょう。朝の……10時くらいに、正門でいいですか?」

 「あぁ。それじゃ、また明日ね」


 

 ◇




 王都、一等地、魔術学院近辺。

 正門が見える位置の一軒家、その二階から、出入りする人間をじっと見つめる人影があった。


 窓から差し込む夕日を吸うような真っ黒なローブ──どこかカソックにも似たデザインの衣装に身を包んだ彼は、フードの奥から鋭く眇められた双眸を覗かせる。


 「どうですか、シメオン。彼女は」

 「出てきませんね、テネウ。あの程度の暗号に、そう何日もかからないでしょうし、やはり一段階しか無かったのでは?」


 部屋にいるのは、窓辺に居る男と、もう一人。テネウと呼ばれた女性だ。彼女も同じく、カソックに似たローブを着ている。


 「いいえ。私はジョン・フォン・レオンハルトという男を知っています。彼は自ら知恵の守護者を名乗り、これまでに幾つもの検閲対象論文──神を貶めるような内容の発表をしてきました。私たちの目を、手を、掻い潜って」


 どこか気だるげなシメオンに、テネウの言葉は冷たい。

 いや、ただ冷たいというよりは、自分の言葉に自信があり過ぎて、断定の色が強いのだ。それこそ、他人の言葉を跳ね除けるほどに。


 「……では、魔術学院内で完結するという線は? レオンハルトが魔術学院に在籍していたのは何十年も前のことですが、改築されていない場所なら──」

 「それも有り得ません。彼は背信者ですが、馬鹿ではない。常に最先端の設備に更新し続ける学院が、数年もすれば全く様変わりすることなど、当然のように予測していたでしょう」


 シメオンの知らない相手のことだ。そう言われると、そうなのかと納得する他にない。

 彼は「では」と、彼女の言葉に合わせて思考し直す。


 「つまり、彼女は校外に出てくると?」

 「そうです。そうでなければ、この任務は失敗ですね」


 断定口調で言うテネウに、シメオンも今度ばかりは頷く。


 魔術学院には聖人が──彼ら、教会に属する者としては、信仰の対象にすらなる存在がいる。それも、三人。

 侵入を試みる場合に最も気にしなくてはならないのは、風属性聖痕者にして魔術学院学院長、ヘレナ・フォン・マルケルだ。彼女の展開した結界魔術を欺くこと、或いは破壊することなど、信仰篤き彼らには出来なかった。


 だから、待つしかない。

 背信者の孫、わざわざ彼の手紙を渡しまでした、『冒涜の書物』への道しるべ。それに辿り着いたら、それと一緒に焼くことになる彼女を。


 「マルケル聖下以外にも、サークリス聖下と、ステラ聖下がいらっしゃいます。かの方々には絶対に、何があっても、ご迷惑にならないよう留意してください」

 「分かっていますよ。……?」


 二人ははたと動きを止め、全くの同時に自分の首筋に触れる。

 彼らは二人とも、神に仇為す背信者を処断してきた処刑人──歴戦の戦闘員だ。その経験が、首元に添えられた刃が離れたような、死神の去った感覚を伝えていた。


 「……テネウ。拠点を移しましょう。今すぐに」


 長距離魔術の照準か、或いは弓矢による狙撃の気配とアタリを付けたシメオンが、焦りも露わに言う。

 さっとカーテンを閉めて窓際から離れ、素早く動く彼に対して、テネウはソファに座り込み、何か考え込んでいた。


 「テネウ? ここは、いえ、私たちは何者かに捕捉されています! 早く移動しないと!」

 「いいえ──いいえ、シメオン。動いてはいけません」


 何を言っているのかとシメオンが問う前に、テネウはフードを取り、部屋の床に跪いた。両手を胸の前で組み、首を垂れるその姿勢は、紛れもなく祈りを捧げる時のもの。

 焦りと困惑と恐怖が綯い交ぜになった顔のシメオンに、彼女は「真似をしろ」と目線だけで命じた。


 彼女の方が命令系統の上位にいるのか、シメオンは「なんなんだ」と悪態を吐きながらも従う。

 

 「父たる神、子たる聖人、力たる聖霊の御名において誓います。私、教皇庁外務局諜報課“使徒”テネウは、かの方々に敵意、害意を持つ者ではありません。お望みとあらば、その足元に首を垂れ、自らと我が子の胸元に短剣を突き立てましょう」

 「……私、“使徒”シメオンは、かの方々に害意を持ちません。父祖たる唯一神、その子たる聖人、彼らの力たる聖霊に誓います」


 何に、誰に宛てた祈りなのか。いや、この文面は祈りではなく、懺悔や命乞いにも等しい。

 シメオンが心中に抱いたそんな疑問を見透かして、テネウは声を震わせる。自信に満ちた態度だった彼女が、今は礼拝の時のように小さく見えた。


 「私たちは見られて──いえ、見定められています。サークリス聖下の護衛の方に、ね」

 「聖下の?」


 信仰すべき聖人の名を挙げられ、シメオンは既に完璧に近かった礼拝の姿勢をより一層引き締める。


 彼らの真摯な告解、或いは命乞いは、実に二十分にも及んだ。




 “使徒”の二人が監視拠点としていた民家の屋根では、一人のメイドがスカートの膝をはたいていた。膝をついて中の話を聞いていたからだろう、砂埃で汚れている。


 彼女は身嗜みを整えると、にっこりと笑って振り返り、誰も居ない、居るはずもない別の家の屋根に向かって口を開いた。


 「公爵様のご命令は、ルキアお嬢様の敵なら殺せ、ですので、監視はお任せいたしますね?」 


 一秒、二秒、沈黙が続く。

 そしてゆっくりと、どこか諦めたような緩慢な動きで、屋根の向こうから二つの人影が立ち上がった。


 「オーケーだ。後のことは、我々が引き継ぐ」


 二人は軽量化され、関節部などに厚手の布を噛ませて擦過音を消した甲冑と、フルフェイスヘルムで全身を固めていた。

 鎧には共通の意匠があり、共通の組織──王都衛士団に所属していることが分かる。


 腰の後ろに短剣を装備し、明確に武装した彼らに相対して、無手のメイドは身構えず、気負わず、柔らかな微笑さえ浮かべている。


 「では、ごきげんよう」


 彼女はスカートに触れて一礼すると、軽やかに屋根から身を翻し、路地裏に消えた。


 衛士たちは顔を見合わせ、同時に肩を竦める。


 「監視だとさ。なんで俺らの任務内容まで知ってるのやら」

 「推理だろ。“使徒”相手に俺らじゃあ分が悪いしな。ガチの戦闘役ならいざ知らず、俺たちは斥候だ」

 「戦闘担当の隠形は蜂並みだぞ? つまりマイナスだ。一瞬でバレて逃げられるのがオチだろ。お相手が何もしないなら、俺たちも適当に日向ぼっこしてりゃいいんだ。愚痴るなよ」

 

 二人はのそのそと身体を伏せると、国内で諜報活動をしている暫定敵、“使徒”の二人を監視する作業に戻った。


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