第138話

 翌日の昼休み。

 フィリップは普段、午後の授業が始まるまで、ルキアとステラと一緒に中庭の芝生に座って駄弁るか、ルキアの膝を借りて昼寝をするかという贅沢な昼休みを過ごす。


 しかし、今日は特別だった。

 フィリップは早々に昼食を終えると、用事があると言って教室棟へ戻り、二年生の教室へ向かう。


 道中で幾人もの上級生とすれ違うが、そもそも特例入学──と言うと聞こえが良すぎるか。実態は拘留措置なのだし──であり、規定年齢を4年も満たしていないフィリップは同級生でさえ年上だ。今更畏縮することはない。

 むしろ、フィリップのを知る生徒たちの方が萎縮して、道を空けるほどだ。


 「すみません、レオンハルト先輩! ちょっといいですか!」


 喧騒に満ちた2-Fの教室の入り口で声を張り上げると、友人と談笑していたフレデリカがこちらに気付く。

 友達に一言断る様子も、こちらに歩いてくる姿も、舞台演劇のように洗練されていた。彼女の周りにキラキラした花の幻まで見える。


 「こんにちは、カーター君。訪ねて来てくれて嬉しいよ。授業まであと二十分くらいはあるし、座って話すかい?」

 「あー……いえ、昨日のことを聞きに来ただけなので。司書先生にお爺さんのことを聞いたんですよね?」


 フレデリカは半身を切って教室の中を示すが、中からは「何だアイツ」と言いたげな視線が飛んできている。視線の主には近くの生徒が耳打ちして、すぐに「あれが例の!」と言わんばかりに瞠目するので、あまり入りたい空間では無かった。


 苦笑と共に断ったフィリップに「そうかい?」と首を傾げ、しかしそれ以上言葉を重ねることはなく、フレデリカも廊下に出る。


 「放課後に会いに行こうと思っていたから、ちょうど良かったよ。祖父は先月、学院生時代に師事していた学院長を頼り、図書館の利用許可を得ていたらしい。それから司書先生だけど、今日の放課後までに記録を探しておいてくれるそうだよ」

 「良かった。進展しそうですね」

 「あぁ、そうだね。放課後に、一緒に聞きに行こうか」


 うん、本当に良かった。「教えられないことになってるんです」とか言われなくて。

 “神を冒涜する書物”が真実、人類圏外産の魔導書であるという確証は、まだない。その状態で司書の眉間に魔術照準を向け、「いいから見せろ」と脅すような真似はしたくなかった。

 

 「はい。……あ、あと、一つ目の暗号に使われた本のタイトルって分かりますか? これも何かのヒントになってるかもしれません」

 「あぁ、一応メモは取ってあるけれど……はい、これだよ」


 フレデリカが見せてくれたメモを自分の手帳に書き写し、じっくりと眺める。

一冊目は精神病理学の本、タイトルは「歩様と姿勢による興奮の操作」。二冊目は錬金術の本、タイトルは「薔薇医学会とエリクサー」。三冊目は児童書、タイトルは「異形の竜と放浪騎士」。四冊目は医学の本、タイトルは「死体の反応」。


 ……何の共通点も見当たらない。考え過ぎだろうか。


 「……ありがとうございました。放課後まで、ちょっと考えてみます」

 「おや、もう行ってしまうのかい? それは、放課後が待ち遠しくなるね」


 壁に肩を預けながら、いたずらっぽく笑うフレデリカ。

 女臭さを感じさせないというか、むしろそこいらの男が平伏するほど仕草に、廊下のそこかしこから男女の呻き声が上がった。ちなみに、フィリップもその中の一人である。


 なんだろう、新感覚だ。

 正直、顔立ちだけならルキアやステラの方が綺麗だし、彼女たちですらマザーには負ける。フィリップの中で最も美しい女性はマザーだったし、彼女を知る者は全員が異口同音にそう言うだろう。


 マザーに抱き締められると色んな意味でドキドキするし、母神としての性質からか、どこか懐かしさのある温かい安心感を覚える。ついでに言うと、外神シュブ=ニグラスに対する忌避感や嫌悪感も同時に感じるので、あれも中々に名状し難い感覚だが。


 さておき、フィリップは別に美人に慣れていないわけではない。いや、何なら慣れているどころか、その美しさが人間の範疇であるなら無反応ですらある。

 そんなフィリップが心動かされるというのは、中々に珍しく、興味深いことだった。


 「先輩の話し方とか振る舞いとか、舞台はい……女優さんみたいでカッコいいですよね」

 「褒めてくれている、のだよね? ありがとう、嬉しいよ」

 

 快活に笑うフレデリカだが、照れたような気配はない。この程度の賛辞は受け慣れているということだろう。


 「じゃあ、僕はそろそろ教室に戻りますね。また放課後に、図書館で」

 「あぁ、また後でね」


 軽く手を振ってフィリップと別れたフレデリカが教室に戻ると、先ほどまで話していたクラスメイト達がわらわらと寄ってくる。


 「さっきの子、例の教皇庁の? あんなに気安く話して大丈夫なの、フレデリカ?」

 「あぁ、勿論。彼本人は、丁寧ながら気さくでいい人だったよ」

 「へぇ、そうなんだ? 何の話してたの?」

 「うん? そうだね……内緒の話かな」


 質問した女子生徒の耳元に顔を寄せ、囁いて答えるフレデリカ。

 女子生徒はうっと胸を押さえて蹲り、黄色い悲鳴がクラス内のそこかしこから上がった。




 ◇




 1-Aの教室に帰ってきたフィリップは、いつもの席で談笑していたルキアとステラのところに戻る。

 隣同士に座っていた二人はフィリップに気付くと、身体をずらして真ん中を空けてくれた。


 「おかえり、フィリップ。次の授業、魔術理論基礎に変更らしいわよ」

 「さ──そうですか。ありがとうございます」

 

 フィリップが「最悪だ」と言おうとしたことに気付いた二人は、同調混じりの苦い笑いを浮かべる。最近の魔術理論基礎はフィリップにとって難解になりつつあるし、何より担当教諭がナイ教授だ。フィリップの中では神学と歴史──1-A内通称、広域睡眠魔術──の二つに次いで嫌いな科目だった。


 「何処に行ってたんだ? 図書館か?」

 「いえ。ちょっと二年生の先輩と話すことがあって」


 あまり“神を冒涜する書物”については触れたくないフィリップが端的に答えると、ステラは何故か眉根を寄せた。

 不思議な反応の理由に心当たりのないフィリップが質問する前に、逆にステラが質問するという形で答えを教えてくれる。


 「またトラブルか? まだ殺してないだろうな? 何組の、なんていう奴だ? 揉めた理由は?」

 「いや、あの、トラブルは起こしてないです……」


 むしろトラブルを未然に防ごうとしているのだけれど、この言われようは何なのか。

 思い当たる節が山ほどあるので、フィリップとしては何も反論が無い。


 「……そうか。疑って悪かったよ、カーター」


 フィリップの言葉に嘘が無いことは分かったのか、ステラが肩を竦めて軽く詫びる。

 彼女の疑いに一定以上の正当性が認められることは、ルキアの苦笑が証明していた。


 「いえ。……殿下、お詫びだと思って何も聞かずに教えて欲しいんですけど、この本、読んだことありますか?」


 殆どノータイムで罪悪感に付け込むような──ステラの疑いは誰にとっても、勿論ステラ本人にとっても正当なものだったので、そこまでの罪悪感は無いが──ことを言い出したフィリップ。罪悪感を覚えるべきはむしろ彼の方ではなかろうか。


 日常生活ならいざ知らず、フィリップの中でこれは邪神案件、フィリップの暮らす人類社会に甚大な影響を及ぼす可能性のある問題だ。

 あまり悠長なことは言っていられない。もしも人類圏外産の魔導書がカルトの手に渡ったりしたら、その時は──いや、これは意味の無い仮定か。カルトはカルトであるというだけで焼却する理由になる。魔導書を持っているかどうかなんて関係なかった。


 「この四つか? ……どれも無いな」

 「私にも見せて? ……「異形の竜と放浪騎士」は読んだけれど、他は無いわね。これは何のリストなの?」


 フィリップが机に広げた手帳を左右から覗き込んで、二人が答える。

 「何も訊くな」と言われたのはステラだけだったからか、或いはこのくらいの質問なら問題ないと判断したのか、フィリップの目を見て問いかけるルキア。


 さて、どこまで話したものか。まさか“神を冒涜する書物”を探しています、なんて馬鹿正直に言えるはずもない。──いや、言いたくない。

 二人にはこれ以上、こちら側に──人道の外に、踏み出して欲しくない。百害あって一利なしという言葉ですら不足するような逸脱をするのは、フィリップ一人で十分だ。


 「今ちょっと、宝探しをしてて」

 「宝探し?」


 かくかくしかじかと、フィリップはフレデリカのことも含めて概要を話す。勿論“神を冒涜する書物”のことは伏せて、要約すると概ね「知り合いの先輩がお爺さんと遊んでいるので、それに混ぜて貰っている」といった感じに。


 「なるほど。……それと、この本に何の関係があるんだ?」

 「本の何処かに、隠し場所に繋がる秘密の暗号があるとか?」


 ステラが首を傾げ、ルキアが正解を言い当てる。その差は恐らく、子供向けの冒険譚を読んだことがあるかどうかだ。

 公爵家に連なるとはいえ次女であり、家督相続権の弱いルキアは、次期女王としての教育や公務で忙しいステラに比べて余暇が多い。……はずだ。普通は魔術学院に通って、放課後にはフィリップやルキアと遊んで、休日にはたまにお出掛けしたりしていて、完全に普通の学生のような過ごし方をする余裕なんてないはずなのだが。ちょっと有能過ぎて怖い。


 さておき、嗜好として冒険譚を読むフィリップと、彼に勧められて読んでみたことのあるルキアは、その記憶を頼りにある程度の推測が出来る。逆に、フィリップが「きっと忙しいよね」と児童書を勧めたことの無いステラは、冒険譚における典型例を知らない。


 「はい。ページと文字数の指定があって、この数字が出てくるんですけど、これの意味が分からなくて」

 「数字を抜いてカウントするとか、単語数でカウントするとかは試したの?」


 ルキアの指摘に「なるほど」と指を弾くフィリップ。確かに、この2,13,4,3という意味の分からない数字の羅列よりは、四つの単語で一文を作る方が意味を持たせやすい。

 手帳の隅にメモを取るフィリップと、他の可能性を検討するルキアに、ステラが「手慣れてるな、お前たち……」と苦笑する。


 「暗号、か。……私は暗号解読におけるセオリーを全く知らないんだが──」


 核心を突いてきそうな人が、核心を突いてきそうなことを言い出すと、期待と不安が同時に湧き上がる。その人の能力をよく知っていれば、尚更だ。


 いまタイトルを見たばかりの本で、内容を知らないはずのステラがそんな前置きを口にして、フィリップも思わず「まさか」と固唾を呑んだ。


 「グリッド座標じゃないのか? 本のタイトルの冠詞を抜いた頭文字からの安直な連想だし、グリッド座標にしては一字多いが、前に演劇で見た物語では、宝探しには地図が──どうした?」


 「なるほど」と頷いているルキアではなく、呆然とステラを見つめるフィリップに、彼女の怪訝そうな視線が返される。

 「どうした」と訊きたいのはフィリップの方だが、それよりもまず。


 「グリッド座標って何ですか……?」

 

 その耳慣れない単語についての疑問を解決した方がよさそうだ。



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