第137話

 神を冒涜する書物。

 善良な一般市民にとっても、そしてその範疇には微妙に収まらないフィリップにとっても、それなり以上に不穏な単語だった。


 普通の人間であれば、神を冒涜するなんて畏れ多い、罰当たりだ、教会にバレたら破門される。そんな恐怖から、フレデリカとは距離を置こうとするだろう。或いは、手近な教会に密告するかもしれない。


 だがフィリップは逆だ。神を冒涜する書物──人類圏外産の魔導書にしか思えないそれを探すために、探して焼くために、フレデリカに近付かなくてはならない。


 「まぁ、これも何かの暗号なのだろうけれどね。昔は宝石と称した新しい髪飾りや、虹の刃と称したガラスのペーパーナイフなんかが“宝物”だったよ」 

 「……なんか面白そうですね! 僕も一緒にやっていいですか?」


 なるべく馬鹿っぽく、何も考えず面白そうなアトラクションに飛びつく子供の言葉に聞こえるように、フィリップは言う。

 フレデリカの言葉通りなら、それでいい。だがもしも違ったら、その時は。

 

 「おや、“冒涜”が怖くないのかい? 言葉の意味が意味が分からない、というわけでは無いだろう?」

 「神官様に怒られるのはイヤですけど……バレなきゃ大丈夫ですよ!」


 揶揄うフレデリカに対して、フィリップは楽観的に笑う。今度は本心から言っていたし、何ならバレた所でナイ神父かマザーか、或いはルキアやステラに助けを求めればいいだけの話。まあ最悪の場合は、ハスターかクトゥグアに頼ることになるが。


 「あはは、私と同じ考えだね。うーん……まぁ、こういうのは頭の数が大事だし、お願いしようかな」

 「あ、じゃあ……いや、なんでもないです」


 じゃあルキアとステラも誘っていいですか、と。自分の何倍も頭のいい相手を頼ろうとして、止める。

 

 確かに暗号解読に於いて、というか、頭の回転ならあの二人は校内トップクラスどころか世界屈指だろうけれど、暗号の解読はただの過程だ。それ自体が目的ではない。

 いまの目的は、「神を冒涜する書物」。推定、人類圏外産の魔導書である。


 ルキアにも、ステラにも、見せたいものではない。二人にはもうこれ以上、何も知らずに生きていて欲しいから。


 「できればもうあと二、三人、信用できる協力者が欲しいところだけれど……口の数は、少ない方がいいか。「冒涜」は流石に不穏だ」

 「そ、そうですね! 二人で頑張りましょう!」

 

 危うい方向に流れかけたが、なんとかなった。

 となると、次は。


 「じゃあ早速だけど、この「2-13-4-3」、或いは「21,343」という数字だけど、どう思う?」

 「……安直に考えるなら、その2万……幾つでしたっけ。ちょっとメモしていいですか。……どうも。その2万1343冊目の本、とかじゃないですか?」


 自分で言っておいてなんだが、仮にそうだとしたらほぼ詰んでいる。

 この魔術学院大図書館は、王宮図書館に次いで古く、また蔵書数が多い。その数は500万冊を超えるというが、中には1000年以上前の本、博物館に静置されておくべきような本まであるのだ。2万冊目となると、相応に古い。


 一年で一万冊を納入すると考えて、およそ490年前の本か?


 「最近納入された本はリストになって掲示されますけど、昔の本は……」

 「学院は記録を残しているだろうけれど、見せてくれるかな? 一応、訊いてみるかい?」


 それも一つの手ではあるが、そもそも、彼女のお爺さんだって400歳超えってことは無いだろう。60歳から70歳が精々か。彼も魔術学院生だったのだとしても、それも数十年前程度の話。どの本が何冊目に納入されたかなんて覚えているのか?

 ……いや、一つ目の暗号は管理番号を使ったものだった。驚異的な記憶力があるのは間違いない。


 「そうですね。司書先生に聞いてみましょう」

 「そうだね。行こう」


 フレデリカはフィリップの腰に手を添え、もう片方の手で先を示す。

 フィリップがドレスで着飾った女性なら、そのまま舞台に上がっても客席を沸かせられるだろう。それほどに流麗な所作であり、彼女の貴公子然とした容姿を際立たせていた。

 

 なんだろう、この感覚。

 恋に落ちるとか、そういう感じではない。……と、思う。容姿だけで好きになるなら、とうにルキアとステラに惚れているだろう。それに、マザーの人外の美貌を知った後では、人間の範疇、それもルキアたちのような人類最高には届かない容姿に心揺れることはない。


 恋とか愛とか、そういう感情ではなく。もっと、こう──と言うか。


 ドキドキするし、かっこいいと思うし、憧れもする。

 でもそこ止まりだ。依然としてその存在に価値を感じないままだし、心の奥底には冷笑や嘲笑が渦巻いたままだ。彼女を殺すかルキアを殺すかと言われたら、フレデリカを殺すことに躊躇いは無い。


 早鐘を打つ心臓を怪訝に思いながら、彼女のエスコートに身を任せること十数秒。

 本棚の森が絢爛なダンスホールに見え始める前に、行く手を遮る人影が現れる。


 「フィリップ、何してるの? 早く夕食に行きましょう?」

 「これは、サークリス聖下」


 怪訝そうな表情を浮かべたルキアが、通路でフィリップを待っていた。

 彼女の誰何するような視線を受けて、フレデリカが一歩前に出る。


 「お会いできて光栄です。お美しい貴女を、いつも遠目に拝しておりました」


 右手を胸に当て上体を45度傾ける綺麗な立礼を受け、ルキアが軽くスカートに触れて一礼を返した。あの傍若無人を地で行くような、「フィリップとステラ以外はどうでもいいわ」と全身で語っているルキアが、だ。


 フレデリカは流れるような所作でルキアの足元に跪き、彼女が差し伸べた手に口づけようとして。


 「……ちょっと?」

 「はい? ……あぁ、申し訳ありません。私ではなく彼に御用でしたね」


 その寸前で止められた。

 さっと立ち上がって道を空けるフレデリカに、ルキアはどこか感心したような目を向ける。


 フレデリカが挨拶をしてからのルキアの動きは、完全に癖だった。

 簡易ながら立礼を返し、手の甲へのキスを許す。同格である公爵位から一つ下である侯爵位までの相手への対応として正解だったが、ここは魔術学院。身分階級は効力を失うという建前があるし、そもそも、ルキアはそんな動きをするつもりは無かった。有象無象は無視するのがいつもの彼女だ。


 公爵家次女として教え込まれて染みついた、普段は表に出さない礼儀作法が思わず表出するほどの

 ルキアが一瞬だけでも「ここはダンスホールか、はたまたパーティー会場か」と誤認するレベルの


 フレデリカ・フォン・レオンハルト──凄まじかった。


 ルキアの目がもう少し悪ければ、彼女は少し感心して、それで話は終わっていた。

 だが生憎と、彼女の目もステラと同じく、物理次元だけを見るものではない。


 「……貴女」


 言葉を切ったルキアが何を言おうとしたのか、フィリップには分かる。

 「貴女、女の子なの?」だろう。魔力は単なる視界より、多くの情報を与えてくれる。


 「カーター君、司書先生には私から聞いておくから、また明日話そう。おやすみ」

 「あ、はい。おやすみなさい、レオンハルト先輩」


 フレデリカに促され、ルキアの傍へ駆け寄る。

 これ以上ここにいると、話題は確実に「知り合いなのか」から「何をしていたのか」にシフトする。それはルキアを巻き込みたくないフィリップにとっても、これ以上を増やしたくないフレデリカにとっても、望ましい展開ではなかった。


 ルキアが口先で適当に誤魔化せる相手かどうかは、仲のいいフィリップも、貴族であるフレデリカもよく分かる。

 いや、「フィリップが言うのなら」と誤魔化されてくれる可能性はあるけれど──根が善良なフィリップの、失くしたくない良心が痛む。


 「行きましょう、ルキア。殿下も待ってるでしょうし」


 フレデリカを真似てエスコートしてみるも、ルキアの方が身長が高くて様にならなかった。


 まあ何となく、思い付きでやっただけだし。そんな言い訳を心中で呟くも虚しい。


 いつも通りに手を繋いで歩きながら、頭一つ分は高いところにあるルキアの顔をこっそりと仰ぐ。

 もうあと20、いや30センチほど伸びたら、少しはマシな絵になるはずだ。


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