第136話

 国立魔術学院大図書館といえば、この世に存在するあらゆる書物を写本し蔵書していると言われるほど、蔵書数の多いことで有名だ。

 一般文芸から歴史書、兵法書に錬金術のレシピ本、歌劇の台本から魔術書まで、公的に出版されたあらゆる書物が納められている。


 その数は500万冊を超えると言われ、司書や学院長ですら、もはや何が何処にあるのかを正確に把握することは不可能だ。


 そんな本棚の森のなか、テーブルとベンチの置かれた読書・学習スペースに、ルキアとステラ、そしてフィリップがいた。


 意外にも、日常的に図書館を使っているのは、この三人のなかではフィリップ1人だけだった。

 面白い物語を求めて本棚の森を彷徨う彼の姿は、図書館通いが日課の生徒たちに、よく目撃されている。何なら、その中の何人かはフィリップの嗜好も知っているのではないだろうか。


 彼らの前には召喚術関連の書籍や参考書が広がっており、彼らの目的が読書ではなく勉強だと示していた。


 「意外だな。お前の召喚術の知識は、どうやら学院のテストくらいなら簡単にパスできるものだ」

 「意外は言い過ぎ……でも、ないかもね」


 ステラとルキアが出す問題に完璧に答えて見せたフィリップは、どんなもんだと胸を張る。一応、召喚術についてはナイ神父からレクチャーされているのだ。ナイ神父が教えた「人間に使えるレベルの召喚魔術」は、当然ながら人間レベルの能力を元にした理論に基づいている。

 つまり細部は違えども、基礎の部分はだいたい同じで理解しやすい。


 「まぁ、一応は召喚魔術師ってことになってるので!」

 「“一応”な」

 「“一応”ね」


 自慢げなフィリップに、クトゥグアとハスターを知るステラ、黒山羊の一件を覚えているルキアが苦い笑いを溢す。


 まぁ、フィリップが実際に何を召喚して使役するかなんて、期末試験では関係の無いことだ。

 重要なのは、その理論をある程度は理解していること。現代魔術と比較して論述できることだ。この分なら問題なく、8割以上は取れるだろう。


 「じゃあ、次は錬金術についてだが……お前たち、どの程度は知っている? 卑金属から貴金属を作り出す、なんて学問じゃないことは分かっているよな?」

 「そのくらいはね」

 「え? 違うんですか?」


 当然だと答えたルキアのすぐ後に、フィリップが小さな驚愕を見せる。

 ステラは「確認してよかった」と笑い、基礎的なレクチャーから始めることにした。


 「錬金術の基本的な考えに、四大元素説、というものがある。これは現代魔術にも見られる考えだが、カーター、分かるか?」

 「火、水、土、風の四つですよね」


 実技が駄目なので理論分野で単位を取ってきたフィリップだ。この辺りの現代魔術の基礎は、流石に覚えている。


 「そう。錬金術に於いて、これらの区分は物質のカテゴライズではなく、本質的同一視、或いは根源同一視になっている。……つまり、この世界には、本質的にはその四つの物質しかない、という説だな」

 「な、なるほど?」


 フィリップが頭上に浮かべたクエスチョン・マークに気付いて補足してくれたのはいいが、それでもまだ分からない。

 いやだって、いまこの空間にだって、本の革表紙、紙、羊皮紙、ペン、インク、木製のテーブルとベンチ、エトセトラ。四つなんかでは収まらない数の物がある。


 「紙は土と風の元素から成り、インクは水と土、この金属のペンは土、人体は四元素全てを持つ。つまり元素とは、物を形作るモノなんだ」

 「あー……なんとなくは分かりました。人間を腕とか内臓とか血液とかに分解していくと、最終的には四つの元素になるってことですか?」

 「う、ん……概ねその通り、か? 喩えがちょっとアレだが、要は物質を作る最小単位にして、最も根源的な単位が四大元素だな」

 

 うんうんと頷くフィリップ。

 三人の中では明確に知識の少ないフィリップが理解したのなら問題ないだろうと、ステラは話を次に進めようとする。しかし、それにルキアが待ったをかけた。


 「待って? その、私は錬金術には詳しくないから、的外れかもしれないのだけれど……」


 ここに研究者がいたら思わず息を呑みそうな前置きをして、ルキアが問いかける。


 「世界は第五元素──現代魔術で言う、光属性と闇属性から出来たはずよね? なら、四大元素は第五元素から出来ているのではないの?」

 「あぁ、それな。私も前に気になったんだが、宮廷錬金術師の先生が言うには……どうした?」


 ぼけーっとステラの説明を聞いていたフィリップは、いきなり尋ねられて面食らう。

 「何がですか?」と訊き返すと、ステラはちょんちょんと口元を示した。何かついているだろうかと手を這わせて漸く、フィリップは自分が笑っていたことを知った。


 何のことは無い。

 この世界の起源や在り方について考える、ということが可笑しかったのだ。


 その研究をしている全ての学者にとっては、それこそ命を懸けるようなテーマかもしれないけれど──フィリップにとって、智慧持つ者にとっては考えるまでもないことだ。


 この世界に起源はない。

 全ては始まりも終わりも、時間の流れすらも無い「外側」でアザトースが見る夢。そしてこの世界の起源、現在、終末はすべてヨグ=ソトースそのもの。


 その「正解」は、人間の論理では理解できないものだ。考えるだけ無駄とも言える。


 しかし、だ。

 人類が発生してから数万年、哲学者や科学者は、ずっとそれについて考えてきたはずだ。天文学者は宙を見上げ、地質学者は大地を見つめてきたはずだ。


 それが今まで、旧神や旧支配者、外神の存在に気付かなかったのか?

 たかだかカルト、劣等種たる人類の中でも正道を外れた殊更な劣等、智慧も浅ければ人間性も劣悪なゴミクズが、その存在に気付くというのに?


 「……カーター? 大丈夫か?」

 「フィリップ? 体調が悪いの?」


 嘲りの混じる笑みを浮かべていたかと思えば、今度は愕然と、不安感すら滲ませる表情になったフィリップ。

 そんな百面相を見せられたら、ルキアで無くとも「どうしたの」と聞きたくもなるだろう。


 「いえ……そういえば錬金術って、ナイ教授の専門分野だったな、と」

 「そういえば、そうだったな……。またえげつない難問が出てきそうだ」


 ナイ教授が後学期中間試験で出した最終問題、所謂「挑戦問題」というヤツは、正答率13パーセント。

 つまり全15人のAクラスで、ルキアとステラの二人しか正解しなかったほどの難題だった。その後からだろうか、「ナイ教授は俺たちにこんなに期待してくれているんだ!」と、クラスメイト達が勉強に熱を上げ始めたのは。


 そんな記憶があったから、二人は苦い笑いを溢して誤魔化されてくれた。


 「ですよね。僕、ちょっと錬金術の本とか探してみます」

 「いいんじゃないか。まぁ、明日からだが」


 ステラの言葉に応じるように、夕食時を示す鐘の音が響いた。




 ◇




 翌日、王宮に用があるというルキアとステラとは別行動で、フィリップは一人図書館に来ていた。

 それ自体は珍しくもないことだが、いまフィリップがいるのは冒険譚の区画ではなく、学術書の棚だった。背表紙のタイトルを見るだけで頭がくらくらするような、難解な本に囲まれている。


 いつもと違う行動を取ったことが切っ掛けなのか、フィリップは珍しい相手と遭遇することになった。


 「おや、昨日ぶりだね、カーター君。足は大丈夫かい?」

 「レオンハルト先輩? はい、お陰様で」


 よく通る声を、場所に合わせた小声に絞って話しかけてきたのは、昨日フィリップの手当てをしてくれたフレデリカだ。

 相変わらずのパンツスタイルで貴公子然とした立ち振る舞いで、本当に、とんでもない美少年と間違えそうになる。


 「精神病理学に興味があるのかい? 年に見合わず、というのは失礼かな」

 「え? いえ、いまは錬金術の本を探しているんですけど」


 テスト対策で、と説明するフィリップの話を相槌を打ちながら聞いて、フレデリカは「あははは」と明朗に笑った。


 「それなら、一つ前の棚までが錬金術関連の本だよ。お偉い先生方の書いた本は、確かにどれも難解なタイトルだ。迷ってしまう気持ちは分かるけれどね」

 「あ、そうなんですか。ありがとうございます」

 「うん。勉強、頑張って」


 ──と、そんな会話をした次の日。

 借りていた冒険譚を返して、また新しい本を借りようと本棚を漁っていたフィリップは、児童文学の書棚を真剣に検分するフレデリカを見つけた。


 長身を屈めた窮屈そうな姿勢で、しかし真剣な眼差しで背表紙に指を這わせ、一冊の本を取り出す。

 彼女が選んだのは、フィリップの愛読書である竜騎士の話だった。


 思わず「あ」と漏れた声に、フレデリカは耳聡く気付いた。


 「ん? おや、カーター君。よく会うね。もしかして、これを読もうとしていたのかい?」

 「いえ、大丈夫ですよ。でも、僕が何回も読んだ、好きな本だったので」


 その日はその本について少し話して、すぐに別れた。


 ──また次の日。

 勉強に使った本を三人で分担して片付けていると、フレデリカに遭遇した。


 彼女はフィリップに気付くといつものように快活に挨拶をして、フィリップの持っていた本に目を留めた。


 「その本、もう読み終わったんだよね? 貸して貰えるかい?」

 「勿論構いませんけど、これ、だいぶ簡単なヤツですよ?」


 知識ゼロのフィリップに対する入門用として、司書の先生が選んでくれた本だ。字が大きく情報も大雑把で、ステラに言わせれば専門性はゼロらしい。

 そんな本でも階段の一段目として有用で、フィリップは基礎的な単語などを覚えられたので、何も文句は無いが。


 「先輩、二年生でしたよね。選択科目は何を?」

 「錬金術だけれど……内容より、その本自体が目的なんだ」


 本を手渡すと、彼女は言葉通り内容に目を通していないような速度でページをめくる。

 より正確には、既に目的のページを定めて、そのページを探しているだけのようだ。


 フレデリカは目的のページを見つけると、ポケットからメモとペンを取り出す。

 本を片手で持ったままでは書き辛そうだったので、フィリップは本を彼女に見えやすいように持ってあげた。


 「ありがとう、助かるよ。……よし、と。これはもう仕舞っていいのかな?」

 「はい、お願いします。……あの、何やってるんですか? 昨日も一昨日も会いましたけど」


 それ以前に、彼女を見かけたことはない。

 ないはず、とぼかすには、彼女の容姿は印象的に過ぎる。流石にルキアやステラほどの、人類最高峰の美貌ではないけれど、一度でも会えば忘れない。


 「あぁ、えっと……ふむ」


 フレデリカは少し考えると、ズボンのポケットから一通の封筒を取り出した。

 ……人のファッションスタイルにケチを付けるわけではないけれど、彼女はスカートを履かないのだろうか。流石にそれなら、男性と間違うこともないのに。


 「先日、祖父から手紙が届いたんだ。内容は──この通り、意味不明だったのだけれどね」

 「……うわ、なんですかこれ」


 手紙には、良く分からない数字が羅列されていた。


 「“102,ps-211,436,1”……? なんですか、これ?」

 「そこまでで一つの区切りだよ。二つ目は“203,alc-1551,243,86”となる。全部で4つだ」


 数字に一応の規則性はあるようだけれど、肝心の意味が分からない。

 フィリップは軽く首を傾げ──周りを囲む数々の本、その背表紙に貼られたラベルに目を留めた。


 魔術学院図書館では、蔵書の背表紙に管理番号のラベルが貼られる。

 そうすることで、貸し出しや整理の時にわざわざタイトルを用いる必要が無くなるからだ。管理番号はカテゴリ名-書籍番号となり、複数の同じ蔵書がある場合は、その後に通し番号が付く。


 いまは錬金術関連の書棚にいるから、周りの本には「alc」のカテゴリ名が振られている。


 「本とページ……ですか? その前の数字は書棚番号? 最後のは……何番目の文字か、ですか?」

 「あぁ、少し……いや、私もそう思って、ここに来てみたのだけれど……正直、外れのような気がしているよ」


 フレデリカが「少し単純だけれど」と言おうとして止めたのは、自分と同じ意見をフィリップも述べたからだろう。


 彼女はフィリップに、先ほど書いていたメモを見せる。

 そこにはまた、数字だけが記されていた。


 “2-13-4-3”


 今度は、少なくとも本の名前とページではなさそうだ。というか、暗号を解いたらまた暗号とは、何とも厳重なことだ。


 「あの……お爺さんって、何者なんですか?」


 フィリップも祖父母とはたまに手紙を交わすけれど、こんな暗号文が届いたことは無い。というか、大概の家庭では無いだろう。

 そもそも暗号を使うということは、誰にも盗み見られてはいけない強い理由があるはずだ。そう、たとえば、彼女の祖父は王家の秘密を知ってしまい、国の雇った暗殺者に追われている……とか。流石に小説の読み過ぎだろうか。


 「考古学者だよ。昔、よくこんな風に宝探しごっこをして遊んだんだ。昔の日記でも見つけて、懐かしくなったんじゃないかな」

 「あはは、なるほど。楽しそうですね」


 宝探しごっこなら、フィリップにも幼少期の記憶がある。

 川で拾ってきた綺麗な石とか、森で見つけた蛇の抜け殻とか、珍しいものを隠して探す遊びだ。……本職の狩人である父の隠匿能力が高すぎて、オーガストと二人がかりでも全然見つけられなかったのだけれど。


 自分の記憶と照らして笑ったフィリップに、フレデリカは「そうでもないんだ」と首を振る。


 「私の探しているものは、古い宝石や金貨というわけではないんだ」


 フレデリカはフィリップを脅すように、いや、事実脅そうとして低く作った声で言う。

 彼女は極めつけに、封筒からもう一枚の手紙を取り出して見せた。


 そこにはたった一言の走り書きがある。



 ──探せ。神を冒涜する書物を。




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