第132話

 魔術学院・軍学校交流戦、最終日。

 硬いパンと美味くも不味くもない料理に慣れてきたフィリップは、この談話室で摂る最後の食事を楽しんでいた。


 今日は午前中にグループ戦があって、終わり次第、王都へ帰還する。

 つまり、今日であの硬くてちょっと臭いベッドとはお別れだ。今夜には愛しの学院寮のベッドで眠ることができる。柔らかく、それでいて適度な弾力があり、臭くも無ければ黒ずんでもいない、快適なベッドで。


 この一週間で最も、そして唯一フィリップを煩わせたのは、睡眠の質だ。

 定期的に談話室のソファで仮眠を摂っていなければ、フィリップの未成熟な体力ではダウンしていた可能性もある。野外訓練やダンジョン攻略のように「そういうもの」と覚悟していれば耐えられるが、流石に不意討ち気味の今回はキツかった。


 食事を終えると、フィリップはいつものようにソファに向かう。

 今日で終わりとはいえ、まだ模擬戦は残っている。集団戦でフィリップが役立つことは全くないので、完全に場内観戦みたいな立ち位置が予想されるが、それはそれ。馬車移動もあるし、体調は万全にしておきたい。

 

 「じゃあ、今日もちょっと寝ますね。時間になったら起こしてください」

 「えぇ、おやすみ」


 二人に生温かい目を向けられながら横になったフィリップは、数分ほどで浅い寝息を立て始める。

 フィリップが完全に寝入ってから、ステラは机上に頬杖をついてグラスを傾けた。あまり褒められた作法ではないから、子供の前ではやらなかったのだろう。美しくない所作にルキアも眉を顰めるが、それは慣れたもの。無視してワインを呷る。


 「今日で終わり、か。正直、今日からが本当に、心の底から面倒くさい部分なんだが」


 ぐったりとテーブルに突っ伏しかけて、ルキアが柳眉を逆立てたのを見て止める。流石にこれ以上は口か手が出そうだ。


 「……騎士団の再編でもするの?」

 「そう、正解だよルキフェリア。お前は天才だな」


 あぁ面倒だと顔を覆って嘆きながら揶揄うステラ。

 軽口を叩く余裕はあるようだが、予想される作業内容は冗談も言えないほど過酷なものだった。


 現状、王国騎士団は腐敗の温床だ。関係組織である軍学校の状態から分かるように、血統主義が横行し、規則通りに能力・適性・実績に応じた人員配置がされていない。

 貴族であるというだけで自動的に昇進し、逆に平民であるという理由だけでその機会を奪われる。その組織形態は平民出身者への迫害や、職務不履行・怠慢などの呼び水になっていた。

 

 このままでは不味いと、先々代王の頃には既に言われていたらしいが、組織再編にかかるコストを厭い、先送りにされてきた。

 ステラとしても、現状維持のデメリットが改革のコストを下回る限り、見逃してやるつもりだった。


 実態を把握してから改革か維持かを決定しようと、組織各部に親衛隊員を諜報員として潜り込ませた。そしてこの交流戦で、自分の目でも確認して──脳である彼女は、手足である親衛隊と同じ結論を下した。


 改革すべきだ。

 このままでは、ステラの世代かその次の世代で致命傷を負うことになる。


 「頭の痛い話だよ、全く」

 「意外ね。国家に思い入れがあるなんて」


 その気になれば国どころか国土を焼き払うだけの力が、自分と同等の力があって、未だに人間の集合体でしかない「国」に愛着を持てるのかと、ルキアは興味と共に訊ねる。

 

 ステラは初め意図を測りかねたような視線を向け、数瞬の後に軽く笑った。

 

 「はは。感性の違いだろうな。私にとっても、国家や社会は残酷なまでに脆く、儚いものだが──それでも、王国は我が手足、血肉にも等しい。同じく価値が無いとしても、腐り落ちるのは我慢ならないものだろう?」

 「…………」


 ルキアは理解しかねたのか、表情だけで「そう」と流す。

 ステラも言葉通り、端から理解されるとは思っておらず、肩を竦めるだけだ。これは王家に生まれ、生まれて以来ずっと国家の頂点に立つべき者として育てられた人間にしか分からない感覚だろう。国家──文化、国土、国民、王国に属する全てが、自分を構成する要素のように思えるというのは。


 「サークリス公爵と私と、文官連中が100人単位で駆り出されるだろうな。衛士団には諸侯の牽制も任せることになる。私が即位する前で良かった、と思うことにするよ」

 「ふぅん……。それ、何年くらいかかるの? 戦争になったら不味くない?」

 

 グラスに入ったワインを眺めながら、然して興味も無さそうに言うルキア。

 彼女は戦場のど真ん中に立たされても、次の瞬間には自分以外が塩の柱に変わっているような特級の魔術師だ。戦争という単語に然程の忌避感は無い。


 「不味いな。その場合は衛士団と、私と、お前が対処することになる」

 「私が? ……まぁ、構わないけれど」


 二人にとって、戦争で厭うべきは移動くらいだ。

 戦場まで行けば、指の一弾き、腕の一振りで大抵の相手は片付く。万が一、教皇庁と帝国にいる他の聖痕者が出張ってきた場合でも、ステラ、ルキア、ヘレナの三人を擁する王国が有利だ。数の暴力で磨り潰せる。


 ただ、前線まで馬車でえっちらおっちら向かう道中と、帰りの道程が面倒臭い。戦闘は五分そこら、掃討しようとしても十数分で終わるのに、どうして何日もかけて移動しなくてはならないのか。どうせ死ぬんだから勝手に死ねと、数年前には思った記憶がある。


 「最悪のケースは、カーターの参戦だ。そうなる前に終息させる必要がある。分かるだろ?」

 「……えぇ、勿論」


 思い思いの“冒涜”を想起し、身震いする。

 ルキアはシュブ=ニグラス、ステラはハスターとクトゥグア。存在の格差は大きかったが、人類から見れば、一挙動で絶滅させられるという点で大差は無い。


 フィリップの参戦はイコール、冒涜的存在による虐殺だ。

 それだけならまだいい。虐殺を引き起こすという点では、ルキアやステラも同じだ。本当の最悪は、戦争と言う人類の悪性の煮凝りを前に、フィリップが人類を見限ること。


 遥かな視座から、同族同士の殺し合いはどう映るのだろうか。二人には──いや、きっとフィリップにも分からない。

 人間が蟻の縄張り争いに興味を持たないように、フィリップもまたそうだろうか。或いは、眼下、群れる蟻を戯れに踏みつけるだろうか。


 ただ一つ言えるのは、フィリップと、彼を取り巻く超常的存在をどれか一つでも戦場に投入してしまえば、地表は洪水によって洗い流される。蟻も、その巣も、みな一様に沈む。

 

 「まぁ、そもそも戦争にならないよう、なったとしても問題ないよう、騎士団を作り直すわけなんだがな」

 「そうね。頑張って、ステラ」


 ルキアにしては珍しく、本気でステラを励ましたのだけれど、彼女はワインを呷って嘆息する。


 「お父様以前の王族が頑張っておくべきだったんだよ、本当は」




 ◇




 一時間ほど後。

 中庭には全生徒が集合していた。言うまでもなくグループ戦のためだが、彼らの大半は困惑気味だった。彼らはこの一週間で個人・ペアでの練習しかしてこなかった、一般的な生徒たちだ。


 ごく一部の例外、自分たちでグループを作り、多対多戦の練習をしていた生徒たちは「待ってました」とばかり、そのノウハウを同じグループに共有している。


 また、本当にごく僅かな──二千人近い生徒がいて、たった九人しかいない例外中の例外もいる。

 聖痕者、ルキア・フォン・サークリス、或いはステラ・フォルティス・ソル・アブソルティアと同じグループになった、幸運な生徒たちだ。彼らは罷り間違っても礼を失した行いをしないよう、自身の一挙手一投足に気を払うのに忙しかった。


 そして、仮眠を摂ってすっきりした顔のフィリップが一人。

 フィリップはステラと同じチームであり、今回は魔術師としての参加だ。つまり、一発も魔術を撃ってはならず、また撃つ必要も無い。


 対戦相手はルキアの率いるチームらしいが、だからどうしたという話だ。ルキアはステラが押さえてくれるし、こちらの前衛には我らが師匠ウォードとソフィーがいる。向こうにはマリーがいるが、あの二人を突破してフィリップのところまでは来ないだろう。流石に。来ないよね?


 「お、フィリップくん、お疲れ。戦闘中のアタシの動き、よーく見ててねー」

 「あ、はい……」


 ぱたぱたと手を振りながら自陣に向かうマリー。その右手には見覚えのある金属の鞭、ウルミが握られていた。


 「……まさか、突破してくるつもりか? 初級限定とはいえ私の魔術と、エーギルの守りを」

 「ウォードが止めてくれるでしょう。たぶん」


 互いのペアに篤い信頼を見せる二人。

 件の二人はというと、ソフィーは実力に対する正当な評価を当然のものとして受け止め、ウォードはプレッシャーだと苦笑いしていた。


 「A区画、グループ1とグループ2、準備ー! B区画、グループ3、4! C区画──」


 てっきり「グループ戦を開始します!」みたいな音頭があるのかと思っていたけれど、どうやら違うらしい。生徒たちが割り振られた場所にぞろぞろと移動して、監督役らしい生徒の合図で始めるようだ。


 「僕らは最後でしたっけ」

 「あぁ。終わったグループから順番に王都へ帰還するんだし、最初が良かったな」

 「確かに」

 

 けらけらと笑って雑談を続けていると、しばらくしてフィリップたちの番になる。

 案内に従って、昨日の模擬戦用より数倍は広い試合用フィールドに入る。軍学校生が前に、魔術学院生が後ろに並び、自然と二列横隊の陣形になった。


 「フィリップくん、見ててよー?」


 遠くの方で、マリーが大声と共に手を振っている。

 ウルミはフィリップの使う『拍奪』の天敵のような武器だし、その戦闘スタイルを学ばせようという思惑だろうか。本当に意図がそれだけなら頭の上がらない話だが、彼女は「使い手が少ないのは寂しいから」という理由でマイナー武器を他人に勧めることがある。もしかしたら、フィリップにウルミの凄さを見せつけて勧誘するつもりかもしれない。


 まぁ、何にせよ、彼女の動きを見ておくのは後のことを考えても有用だ。有難く見学しよう。


 「それでは、両チーム用意──え? か、開始!」


 係の生徒が戸惑いを見せたことに気付いたのは、戦闘に備えて極限まで集中している生徒以外──つまり、傍観者気分のフィリップだけだった。


 前衛の生徒たちが喊声を上げ、突撃を開始する。その後方では炎の矢や氷の槍が展開されており、数秒もせずにこちらの前衛へ届くだろう。

 対抗するように、こちらの魔術師も攻撃魔術を準備する。防御魔術を準備しているのはステラ一人だが、まぁ、十分だろう。


 「まだ撃つな! 合図を待て!」


 ステラの号令に従い、魔術学院生たちが照準状態を保つ。

 待機を命じたステラはと言うと、訝し気な視線を50メートル向こうの敵後衛へ走らせていた。


 相手の魔術は全て、自軍前衛どころか相手が撃った直後にはステラの防御魔術によって無効化されている。軍学校生へのダメージどころか、プレッシャーすら皆無だろう。

 聖痕者一人の防御で、通常の魔術師五人の攻撃は凌げる。つまり、こちらの攻撃もルキア一人で捌かれてしまうということだ。


 ステラはその防御を崩す策を用意するために、まずはルキアの位置を確認しようとしていた。


 「どうしたんですか?」

 「ルキアが居ない」


 そう言われてフィリップも目を向けるが、確かに、遠目にも特徴的な綺麗な銀髪は見当たらない。だが前衛で土埃を立てる集団の中にいるとは考えにくいし、あとは──


 「光を操作して透明化しているのでは?」

 「それで闇討ちか? あのルキフェリアが?」


 ステラは、いやフィリップも、ルキアの行動原理をよく知っている。

 彼女はそれが勝利への最適解でも、たとえ唯一の勝機や生存への道筋でも、美しくないことは絶対にしない。闇討ち、騙し討ちが彼女の美意識に適うとは思えないが、しかし、二人はルキアが透明化できることを知っている。


 この状況では、彼女は「それは避けられない方が弱い悪い」みたいなシビアなことを言って、普通に透明化背後アタックをしてくる可能性が拭いきれない。


 「闇討ちと言うか、僕らの警戒不足だって言われるのでは?」

 「……だな」


 ステラは納得するが早いか、視界を物理次元から魔力次元へと切り替える。

 しかし、フィリップが、そしてステラ本人が予期した成果は上げられなかった。


 「なんだ? ヴェール……いや、ブラインドか」

 

 視界を埋め尽くすのは、周囲にいる魔術師や前衛を張る軍学校生の魔力やその情報ではなく、目を焼くほど輝かしいルキアの魔力ただ一つ。

 いくらルキアの魔力量が膨大とはいえ、ただ立っているだけで空間全域を埋め尽くすほどではない。


 それは意図的に放出、発散されたものであり、明確な魔術師対策だった。魔力視による透明化看破対策と言ってもいい。


 「駄目だ、見えない。警戒しろ」

 「了解です」


 魔力を視る目を持たないフィリップには看破のしようもないが、なんとなく戦場に目を向ける。

 

 2,30メートル向こうでは前衛同士がぶつかり合い、砂埃や火花を散らして拮抗している。

 大抵の生徒がロングソード一本か、円盾とロングソード或いはショートソードを装備している中で、一人だけ鉄の鞭を振り回しているマリーが目立っていた。


 そして──不意に、フィリップたちと前線の真ん中くらいの位置に人影が現れる。

 よく目を凝らして見るまでもなく、その麗しい立ち姿と風になびく綺麗な銀髪から、容易に人物を特定できた。しかし、フィリップとステラは戸惑う。


 その人影が、両手に剣を持っていたからだ。


 「あれ、ルキアですよね? なんか剣持ってません?」

 「……お望みの二刀流だぞ。もっと喜んだらどうだ?」


 あのルキアが剣で武装? 有り得ない。

 そんな野蛮な攻撃は彼女の美意識に適わないだろうし、そもそも彼女に実戦剣術の心得は無いはずだ。無理をして無様を晒すような真似は、彼女が最も嫌うところではなかろうか。


 「……? なんか、呼ばれてますね」

 「呼ばれてるな、カーター」


 十メートルほど向こうで、ルキアが手招きをしている。

 彼女の右手には飾り付きハンドガードのレイピア──スウェプトヒルト・レイピアが、左手には大きめのハンドガードが付いた幅広の短剣──マンゴーシュが握られており、陽光を浴びて微かに煌めいていた。


 普段のステラなら一瞬のラグも無く、姿を確認した時点で魔術をぶっ放しているところだ。

 ルキアがどうこうではなく、単に防衛線を突破してきた敵兵への最適な対処として。


 しかし、彼女の中でルキアとフィリップは例外だ。

 ゲームの盤上に乗ることが無い、彼女が人生ゲームを続ける理由そのもの。意志決定に彼女たちが絡むだけで、戦略的合理性に翳りが生まれる。


 命の懸かった戦場ではないし、ルキアもフィリップと遊びたいのだろう。

 ステラはそんな甘いことを考えて、何もしなかった。


 「……! 行ってきます!」


 剣で戦おう、という意図を汲んだフィリップが駆け出す。

 心底嬉しそうな声色に苦笑しつつ、ステラは脳裏を擽る小さな違和感に思考を戻した。


 おかしい。

 ルキアが修めているのは儀礼剣術、つまりは演武や剣舞のような芸術分野に属する系統の技術だ。勿論、剣を扱うだけあって基本的な歩法や剣の振り方は身に付いているだろうが、それでも実戦に堪え得る技量ではないはずだ。


 その先入観を持っていなければ、今の彼女の振る舞いと記憶にある彼女の仕草の相違を感じていなければ、気付かずスルーしてしまいそうなほど微かな違和感がある。

 それは剣を持って佇むルキアの指や、爪先、髪の動き、足の運びや腕の振りのような僅かなもの。付き合いの長いステラでさえ即座に「ここが違う」と看破できないほど細かいものだった。


 「……出過ぎるなよ、カーター!」

 「オーケーです!」


 向こうを向いているのに満面の笑みだと分かる声で応じて走っていくフィリップに、ステラ以外の魔術学院生も「仕方ないな」と言いたげな苦笑を溢した。

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