第133話

 最前線から10メートルほど手前で佇むルキアの下に駆け寄る途中で、フィリップは軽やかに動かしていた足を急停止させた。

 それはフィリップ自身の変調や、ルキアの動きによるものではない。動きがあったのは10メートル先、軍学校生たちが剣と盾をぶつけ合っている前線だ。


 軽やかに3メートルほど飛び上がった人影が、銀色の煌めきを纏って前線を抜ける。

 着地したのはこちら側であり、手にした特徴的な武器からすぐに人物を特定できた。


 「ありがとうございます、聖下! 行くよ、フィリップくん!」

 「えっ、は!?」


 気付けば眼前に立っていたはずのルキアの姿が掻き消え、マリーが右腕と、右手に持ったウルミを尾に引いた彗星のように突っ込んで来る。


 「なるほど、幻影か」

 「なる──ッ!」


 口笛など吹いて感心を示したステラに、フィリップは何と言おうとしたのか。たぶん「なるほどとか言ってる場合じゃないですよ!」とか、その辺りだろうが、フィリップは文句を垂れている場合ではないと即座に理解した。


 マリーの目が完全に据わっているというか、キマっていた。

 あれは手加減とか考えていない、本気でフィリップの肌を削ぎ肉を抉り取ろうとしている者の目だ。


 フィリップは一先ず後衛の方に駆け戻ろうとして、眼前に展開された魔力障壁に激突した。


 「痛っ!? ちょ、殿下!?」

 「師匠は最終テストをご所望のようだ。遊んで来い」

 「は!? ──ッ!!」


 ステラはどこか楽しそうにひらひらと手を振っていたが、対『拍奪』武器と言ってもいいようなウルミを相手にしたくはなかった。


 振り向いた時には、既にマリーが右腕を振り始めていた。

 抗議している余裕はないぞと飛び退いたフィリップの目に銀色の閃きが届き、一瞬だけ遅れて大気を裂く音と小さな破裂音が続く。鞭に特有の超音速攻撃だった。


 「うわぁっ!?」


 フィリップが避けた攻撃は地面に当たり、甲高い音と共に砂塵を巻き上げる。

 一息つく間も無く、反動で浮き上がったウルミは、地面すれすれを蛇のような動きで這いながらフィリップの足首を狙う。


 いや、「狙う」という表現は不適切か。

 マリーはただ走りながらウルミを引き戻しただけで、横波を打つ動きになったのは狙ってのことではない。その先端がそこそこの勢いでフィリップの足首を打ったことも、彼女にとっては意図せぬ結果だった。


 ばちん! と、金属の鞭が肉を打つ音が響き、コンマ5秒後にフィリップが声にならない悲鳴を上げる。


 「え、ご、ごめん! 当てるつもりは無かったんだけど!」


 足首を押さえて悶絶するフィリップの下へ、あわあわと慌てながら駆け寄るマリー。


 一度フィリップの肋骨にヒビを入れ半泣きに追い込んだことのある彼女としては、踝が折れていないか気になるところだろう。フィリップがキレるとかルキアがキレるとかいう問題ではなく、彼女は意図せず怪我させてしまうことに抵抗感がある、一般的で善良な人間だ。


 「だ、大丈夫です……」


 ぴょこぴょこと片足を庇いながら立ち上がったフィリップの足首を検分して、マリーは「折れてる感じはしないね」と安堵の息を漏らす。


 「ごめんね? ホントに当てる気は無かったんだよ?」

 「じゃあ何しに来たんですか……?」


 フィリップが問いかけると、マリーは我が意を得たりと笑って、持っていたウルミを差し出した。


 「これ、使ってみない? たぶんいい感じに合うと思うんだけど」

 「似合い……ますか?」

 「いや、似合うとは言ってないよ? 戦闘スタイルに“合う”って言ったの。アタシの動きは見ててくれた? あんな感じで動けばいいから」

 

 さも簡単なことのように軽く言ったマリーに、フィリップは胡乱な目を向ける。

 見るも何も、こちらの前衛役が壁になっていてほとんど見えなかったし、そもそも見ただけで技術を模倣するような才能はフィリップには無い。しかも鞭、それも金属製かつ複数本を束ねた特殊極まる武器操作なんて、流石のステラでも一度や二度見たぐらいでは無理だろう。


 「まぁ、なんとなくは。ちょっと貸してください」

 「うん、行くよ?」

 「は?」


 投げ渡されたウルミを掴んだ時には、マリーはバックステップを踏んで距離を取っていた。

 腰の後ろに佩いた鞘から抜き放たれたロングソードは黒一色で、聞き覚えのある金属音の後にだらりと垂れ下がる。──蛇腹剣だ。


 ……あれは確か、真剣だったような。


 「ちょ、ちょっと待ってください? 戦うんですか?」

 「いつも通り──ね!」


 ちゃり、と、微かに鎖の擦れ合う音を立て、蛇腹剣が動き出す。

 マリーの全身を使った動きは、彼女の身長をそのまま鞭の長さにプラスして威力や速度を増す。刃無しのウルミや普通の鞭でも、骨くらい折れるのではないだろうか。


 よく研がれた刃を持つ剣節部でも、表面が鑢のように削られているチェーンを編んだ関節部分でも、当たれば痛いでは済まない。


 「──ッ!」


 待ってください、とか、その手の制止には聞く耳を持たないだろう。

 いや、もしかしたら普通に聞き入れてくれるのかもしれないし、もしそうならとても失礼な話ではあるけれど、少なくとも対峙したフィリップにはそう思えた。


 取り敢えず全力で距離を取ったフィリップは、次はどうしようと必死で頭を回転させる。


 ウルミの射程は約2メートル。蛇腹剣の射程は約3メートルだ。

 戦闘は間合い、射程の長さだという通説に従えば、ただでさえ技量で負けているフィリップは、さらに1メートル分の不利を背負っていることになる。


 一方的に切り刻まれるのが嫌なら距離を詰めるしかないが、彼女の周囲を蜷局を巻く蛇のように旋回している蛇腹剣を掻い潜るのは不可能だ。


 「……オーケー、行きます!」


 一か八か、ショートソードを左手に持ち替えてマリーの真似をしてみると、これが意外と違和感が無い。

 元々はショートソードを持った右腕は完全に攻撃用で、疾走中のバランスを取るのは空の左腕に依存していた。しかしウルミを持った右腕を背後に流すと、動物の尾のようにバランスを取ることが出来る。スタビライザーが一つから二つになったようなもので、安定感が増したような気がする。


 「えっ!?」

 「いいね!」

 

 自分でやっておいて愕然とするフィリップと、心底楽しそうに笑うマリー。

 既に決着の兆しが見え始めて来た前線ではソフィーが「まぁ妥当ですね」と言いたげに頷き、敵後衛にルキアが姿を見せたことで攻撃を開始していたステラも「そうだろうな」と片眉を上げる程度の反応だった。


 『拍奪』は技量や個人の癖にもよるが、極端な低姿勢で地面すれすれを蛇のように走る。重心がかなり前傾するその状態でバランスを取るのは難しいが、背後に尾のようなバランサーが付けば多少はマシになるということだ。二人はそれを良く理解していた。


 理論的にはともかく、諦め半分にやってみて、出来てしまったフィリップは思考を停止して距離を詰める。


 「んー……まぁ、今は正解かな。ホントは退かなきゃダメだよ?」


 こちらは模擬剣、向こうは真剣。こちらは似非魔術師、向こうは本物の剣士。

 どう考えても距離を詰めてはいけない状況だが、これは訓練だ。マリーの言葉を胸に刻んで、しかし頷いたり笑ったり余計な反応はせずに攻撃に移る。


 マリーの動きに合わせて周囲を旋回する蛇腹剣だが、隙は多い。

 『拍奪』の低姿勢から狙いやすいのは足元だが──跳躍で躱されるか? いや、跳躍状態では動きに大きな制限がかかる。カウンターが来るとしても、その場で二回転して横薙ぎが二回、身体操作でベクトルを変えて縦振り一回が限界だろう。


 いける。ビジョンが見えた。

 足元狙い、マリー跳躍、カウンター(横薙ぎ)、下がって回避、追撃(縦振り)、『拍奪』の横ずらしで回避しつつ距離を詰める。あとは着地の瞬間を狩って、一本だ。


 「いけるッ!」


 フィリップは脳裏に閃いた未来予想図に従い、キルレンジに入った瞬間に攻撃を振る。フィリップが振り抜いたウルミはマリーのものより遅く、ブレていて、破裂音を伴わない。

 マリーは一瞬だけ「踏み止めてもいいかな」と考えて、しかし「真似されて怪我されても困るな」と考え直す。最終的に、彼女はフィリップの想定通りに跳躍して回避した。


 ただ──フィリップの予想とは違い、彼女は跳躍時に体の軸を90度捻っていた。

 空中で横たわり、縦に3回転。蛇腹剣を振り回していたから予備動作ゼロではないにしても、助走無しと考えると十分に異常だ。しかも、かなり高い。1.5メートルくらい跳んでいるのではなかろうか。


 そして縦回転ということは、攻撃は縦振りだ。

 横振りが来る前提で相対位置を前に誤魔化しながら後ろに下がっていては、普通に当てられてしまう。


 ロングソード状に戻した蛇腹剣を持ったマリーが回る。

 一回転目、まだだ。二回転目、まだだ。三回転目──来る。ちゃり、と、聞き慣れてきた金属音と共に、ロングソードが三倍の長さに伸び、しなやかさを得る。

 

 ウルミや蛇腹剣の強みは、その柔らかさだ。

 盾で受けるならともかく、剣で受けるとそこを基軸に曲がって襲ってくる。代償としてウルミ本体も防御性能が皆無なのだが──フィリップの左手には、この一週間ずっと使ってきたショートソードがある。


 蛇腹剣全部がそうなのかは知らないが、マリーの剣は関節部が鎖を編んだ紐で出来ていて、噛み合わせて挙動を変えられる。普通の状態では柔らかく、噛み合わせると固くなる。鞭と剣の性質を使い分けられる優れものだ。


 マリーが剣を固めている方に賭けて、ショートソードで打ち払う。

 果たして、左手に重く硬質な反動があり、フィリップの頭の代わりにすぐ横の地面に深々と剣が突き刺さった。


 「あっぶな……!」


 ちゃり、と、また微かな金属音が鳴る。

 フィリップは咄嗟に関節部を踏みつけてウルミを振るが、フィリップの脚力より、マリーの全身を使った動きの方が強い。足を掬われてよろめき、ウルミは狙いを外した地面を叩くに終わった。


 「今の良かったね! ラスト一本行くよ!」


 気付けば前線での衝突は、ソフィーを押さえていたマリーが抜けたことで決着間近だ。

 前線の崩壊したチームが負けという大前提に基づけば、フィリップたちの勝ちである。これが実戦になると魔術師が抵抗したりして、また色々と変わってくるのだろうが。


 「次は防いじゃダメだよ!」


 何度かの予備動作のあと、剣で言う袈裟斬りの動きで柄が振られる。少し遅れて剣身が動くが、その先端部は柄を振る速さの数倍にもなる。防ぎたくても防げないのが正直なところだ。


 素直に『拍奪』を使いつつ横に避けるも、マリーの視線はズレることなくフィリップを追ってくる。次の瞬間には蛇腹剣も追いかけてくるだろう。

 現代魔術、『ファイアー・ボール』辺りがちゃんと拳大の火球を飛ばしてくれたら、目くらましの効果は期待できたのだけれど……蝋燭大の炎ではちょっと心許ない。


 フィリップは大人しく砂を使うことにして、地面の表面を撫でるようにウルミを振るう。


 「お、流石!」


 なにが「流石」なのかは分からないが、その戦術はマリーのお気に召したようだ。碌なことではないと思うので、深くは聞かない。

 

 振り抜いたウルミを手放し、マリーの顔を目掛けて投擲する。

 当たるだけでもかなり痛いだろうし、絡みつけば最高だ。そして本命の攻撃は、左手から持ち替えたショートソードの一撃。


 回避か、迎撃か。どちらにせよ隙は出来るだろうし、そこに突っ込むしか道は無い。


 手を離れたウルミは柄が重いからか、不規則に回転しながら飛んでいく。

 マリーの周囲を守る蛇腹剣の螺旋をすり抜ける軌道になったのは、フィリップの制球力を考えると偶々だ。


 果たして、マリーは蛇腹剣でウルミを打ち払った。

 武器を手放したフィリップの狙いを悟ったのか、或いは全力で距離を詰めたフィリップの動きに気付いたのか、蛇腹剣をロングソード状に戻す。


 流石に純粋な剣対剣で勝てるわけもないので、さっき投げたウルミが欲しくなる。

 

 「……うん、お疲れ。結構良くなってきたね」

 「……ありがとうございます」

 

 取り上げられたショートソードを首元に突き付けた状態で褒められて、苦い笑いを浮かべるフィリップ。

 しかし自分でも手応えがあったからか、すぐに笑顔に含まれる苦みの成分を薄めた。


 「じゃあコレ、あげるね!」

 

 マリーはフィリップが投擲したウルミを差し出して、心底楽しそうに笑い返す。

 ドマイナー武器使用者が少なくて寂しいから布教するという彼女の目的は、フィリップがそれを受け取ったことで、マリー史上初めて達成された。

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