第127話
ロングソードを右手一本で把握し、その切っ先を相手に向ける。
左手は軽く握って腰の後ろに置く。
左足を下げて右足を出し、半身を切る。
突き攻撃が主体だと素人目にも看破できる特徴的な構えは、フィリップやウォードといった平民層には親しみが無く、逆に貴族層には見覚えのあるものだ。
宴会や祝祭などで見られる、特別な装飾の施された飾剣を用いた剣舞。儀礼剣術とも呼ばれるそれでは、ああいった構えが一般的だ。
儀礼剣は見映えを重視したものであり、派手な衣装と舞踏に最適化した重さの剣が使われる。それは勇壮でありながら華やかで、その動きは演劇──特に、英雄譚などに取り入れられた。
パーティーや観劇などに触れる機会の多い貴族の何人かは、マルクの珍しい構えの正体に気付いただろう。失笑とまでは行かず、しかし明確に苦笑して首を傾げている。
ウォードはその構えを前にして、あまりの隙の多さに罠を疑う。
フィリップはその構えを前にして、片手縛りのウォードに散々あしらわれたことを思い出した。
「本当に50パーセントは勝てるんですよね?」と聞きたいところだけれど、まさかそういうわけにもいかない。
四辺20メートルのロープに囲まれた簡素なものだが、ここは戦場だ。相手がルキアなら、こんな甘い考えを抱いた瞬間に見透かされて、次の瞬間には眼前を雷の槍が通り過ぎる。相手がステラだったとしても、雷の槍が炎の槍に変わるだけだろう。ソフィーやマリーが相手でも、そこそこ痛い教訓を得ることになるはずだ。
思考を切り替え、マルクに相対する。彼我の距離は10メートル強といったところ。足元は相変わらず砂が薄くて岩盤が近い、蹴りやすい地面だ。距離を詰めようと思えば、一瞬で詰められる。
「お前が前衛なのか、チビ」
嘲笑を浮かべたマルクが話しかけてくるが、フィリップは一言も答えない。
戦闘中に会話をしていいのは隙を作るときだけだとソフィーが言っていたし、マリーの会話に釣られてボコボコにされたこともある。あの時はちょうどぐらぐらしていた奥歯が抜けて、これで全部の歯が永久歯に生え変わったぞと……いや、そんなことはどうでもよくて。
「その妙ちくりんな構えが何のつもりかは知らないが、怪我をする前に引っ込め。俺はウィレットとやりたいんだ」
彼は構えを解き、左手でぴっと中指を立てた。
「退いてろよ、劣等」
その態度に何人かの軍学校生が「口、悪すぎだろ」と笑う。対して魔術学院生と軍学校生の大半は「こいつ正気か」と言いたげに、幾人かは「止めとけって」と制止していた。
ウォードが顔を顰め──フィリップは一歩、踏み込んだ。
会話の内容はどうでもいいし、もともと隙を作るための意味が無い音の羅列だ。いま重要なのは言葉の内容ではなく、マルクが剣を降ろして隙だらけだということ。
『拍奪』を使って相対位置を後ろに誤魔化しながら、全速力で動く。いつもなら頭から肩を狙った振り下ろしをするところだが、今日は頭部狙いは禁止のルールがある。
こういうとき、ウォードなら鳩尾を狙った突きを選ぶ。マリーはもっと厭らしく、大腿部や腋を狙うこともあるかもしれない。いちばん基本に忠実で、それでいて最も戦い方の変則的なソフィーは、いまのフィリップ以上の速度で背後を取ってから襲い掛かるだろう。
ウォードのように的確な攻撃を選択するだけの経験がなく、マリーやソフィーのような技量もないフィリップでは、どれを再現しても中途半端に終わってしまう。それは悲観的予測ではなく、歴然とした実力差だ。あの三人なら、初撃で戦闘を終わらせられる。
結局、フィリップは胴を横薙ぎにする牽制を選択した。
致命打にも、致命打に繋がる布石にもならない攻撃は、マルクの見せる大きな隙がフィリップを釣り出す餌であることを警戒してのものだ。
警戒。そう、警戒だ。
この一週間の訓練で、フィリップは他者の攻撃を警戒するという技能を身に付けていた。或いは、その生得的であるはずの機能を取り戻していた、というべきだろうか。
相手の攻撃、相手そのものに価値を見出さない破綻した視座はそのままだが、「攻撃は避けなくてはいけない」という当たり前のことを思い出した。それは痛みへの忌避感もそうだが、「攻撃を避ける練習」を何度も繰り返したことが大きい。反復による定着の重要性が証明されたわけだ。
相手の動きを警戒するのも、回避行動の一環だ。それこそが回避の第一段階とも言える。
相手の視線、足の動き、身体の向き、手の位置。それら全てを観察し──多くの師に鍛えられたフィリップの目は、一つの結論を導き出す。
──余裕で当たる。
いや、それはあまりにも余裕過ぎる。隙が大きいとか脇が甘いとかそんな次元ではなく、どこに打ち込んでも当たるビジョンが見えた。
ソフィー、マリー、ウォード。近接戦闘に長けた彼らが隙を見せるときは、一つか二つだ。そこに誘導してカウンターを差し込むために、敢えて隙を作っている。
ルキアとステラは、そもそもカウンターを狙う必要も無いので隙なんてない。どこに打ち込んだって魔力障壁で弾かれる。
どう打ち込んだところで結局は防がれる相手とばかり練習していたフィリップにとって、どこに打ち込んでも当たりそうな相手は怪しさ満点だった。罠にしか見えない。
このまま攻撃するか。それとも、一度退くべきか。
今から攻撃部位を変えるような時間も技量も無く、与えられた選択肢はその二つだけだ。
フィリップが選択したのは、攻撃。
当初の狙い通り、模擬剣をマルクの脇腹目掛けて一閃し──ぎゃり、と。肉を打つ音ではなく、金属同士の擦れる音が響き渡った。
「っ!? ウォード!?」
いつもの癖で距離を取りながら、思わず叫ぶ。
フィリップの攻撃を止めたのは、フィリップ以上の速度で二人の間に移動したウォードだった。
ウォードがマルクを庇い、フィリップの攻撃を防いだように見える構図だが、どういうつもりなのだろうか。
これが実際の戦場なら、まあ、そういうこともあるだろう。買収されたとか脅されているとかで、仲間が裏切るような物語を何冊か読んだことがある。あるいは、初めから仲間では無かったとか。
だが、これはあくまで模擬戦だ。裏切りを持ち掛けるような理由、勝利した場合に莫大なメリットがあるわけではない。
「ど、どういうつもりだ、ウィレット!?」
フィリップが距離を取り終えた頃、漸く現状を理解したらしいマルクが叫ぶ。ということはつまり、裏切りはマルクの差し金ではないのだろう。
慌てて距離を取ろうとして足をもつれさせながら、ロングソードを振り回して牽制するマルク。その姿は誰が見ても無様なものだったが、誰一人として笑わなかった。
笑うと悪いからとか、彼の家に遠慮してとか、そういう理由ではない。
フィリップたちの周囲で観戦していた生徒は、フィリップとウォードの動きに目を瞠って、驚愕するのに忙しかったのだ。
「おい、なんだ今の動き」
「エーギル先輩の技か?」
「ウィレットの動き、見えたか?」
「いや、全く。気付いたらそこで、ガードしてた……」
ひそひそと囁き合う生徒の声を受け、しかし全く耳に入っていないように、ウォードは遠くに見える地平線に向けて嘆息した。長く、重いそれは、心底からの後悔を宿しているように思われた。
「……ウォード?」
フィリップが声を掛けると、ウォードは片手で頭を押さえた。
ゆっくりとフィリップに向けた双眸には、深い悔いが見える。
「フィリップくん、ごめん」
裏切るメリットなんて、この模擬戦にはないはずだ。勝とうが負けようが、参加するだけで二単位が出る、交流戦というカリキュラムの締めくくりでしかない。
フィリップは取り敢えずウォードを暫定的に敵だと判じ、ショートソードをだらりと下げる。そして、魔術の照準補助に使う左手を挙げるか、それとも両手を挙げて降参するかを一瞬だけ検討した。今のフィリップの実力では逆立ちしたって敵わない相手だ。剣で戦うなんて甘いことは言っていられない。
思考が一瞬だったのは、すぐに結論を出したからではない。結論が出るより早く、ウォードが不可解な行動の理由を説明してくれたからだ。それは、フィリップを納得させるには十分な理由だった。
「加減してって言うの、忘れてた。今の力加減だと、まず間違いなく肋骨を折ってたよ」
「……あっ、はい。気を付けます。すみませんでした、マクスウェル様」
フィリップは素直にぺこりと頭を下げ、謝罪する。
肋骨は罅が入っただけでもめちゃくちゃ痛かったし、何より、骨折に至るレベルの攻撃は「一定以上」だろう。普通にルール違反だった。
「ほ、骨を折るだと? 馬鹿いうなウィレット。このチビにそんな力が──」
「あるんですよ、マクスウェル様」
半笑いのマルクの言葉を、ウォードが端的に切り捨てる。
この一週間、フィリップは徹底して全力で剣を振ってきた。そうしないと成長しないという意識はあったし、指導役は全員がそれを容易くいなす実力を持っていたからだ。
練習を重ねるうちにフォームは自然と最適化されていくものだが、周りには軍学校でもトップクラスの実力者がいて、ついでに言うとコツを掴ませるだけなら最強の指導法である支配魔術まであったのだ。身体の動かし方だけは、この一週間で半分近く完成されている。
腕や肩の筋肉だけでなく、腹筋や背筋、腰と脚の筋肉、そして体重を使って振り抜く模擬剣は、人間の骨を砕くのに十分な威力を持つ。独特な歩法ながら速度は十分に出せるから、それも威力にプラスされる。
逆に、振り抜けない状況──たとえば鍔競り合いなどには弱いし、防御は相変わらず貧弱なままなので、筋力不足は未だ課題として残っているのだが。
「小さい体に細い腕ではありますが、フィリップくんは身に付けた技術の下、躊躇いなく剣を振れる剣士です。舐めていると怪我をすることになりますよ」
ウォードは淡々と、それでいてしっかりとした口調で警告する。
ともすれば「師匠に認められた」と喜んでしまいそうな言葉だが、フィリップの顔に浮かんだのは歓喜の笑みではなく苦笑いだった。
ウォードにはこの一週間ずっと模擬戦形式の指導を受けて来たが、たった一度も剣を当てられたことがない。有効打を与えたことが無いという意味ではなく、本当に掠りもしていないのだ。
そんな相手に認められるのは、そりゃあ、光栄なのかもしれないけれど、どうにも実感が沸かない。上から目線に感じるというより、我が事ながらその言葉が真実だと思えない。
「今の半分ぐらいの力で行こう。仕切り直しだ」
「了解です」
フィリップが元の位置に戻って構え直すまで、周囲ではひそひそと囁き合う声が続いていた。
内容は概ね、フィリップが見せた年齢や矮躯に見合わない技術と、ウォードの実力に対してだ。
軍学校の中でもアルバートやソフィーは卓越した技術を持つ猛者として知られていたが、ウォードの見せた動きは彼らにも引けを取らない。全く無名の一年生が身に付けているにしては異常とすら言えるほど見事なもの。
そのウォードには劣るものの、フィリップの歩法も軍学校第二位として名高いソフィー・フォン・エーギルの技術であり、かつては軍学校首席のアルバート・フォン・マクスウェルすら習得を断念したほどの絶技。
軍学校生が憧れ、嫉妬し、賞賛するには十分なものだった。
周囲の生徒の関心を買い、感心されているのが自分ではなくフィリップとウォードであることに不満を感じつつ、マルクはロングソードを構え直す。
「言うじゃないか。ならその技術とやら、存分に見せて貰おうか?」
マルクがそう言って、ウォードだけでなくフィリップをも睨み付ける。
どうやら彼の短期記憶からは、フィリップに肋骨を折られる一歩手前だったことはすっぽりと抜け落ちているらしい。或いは「構えていなかったからノーカン」とか考えているのかもしれないが。
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