第128話

 戦闘態勢になったマルクの全体像を把握し、その動きを観察する。

 構えは突き主体のように思えるものの、持っている模擬剣はロングソード──それなりに重量のある斬撃主体の武器だ。


 レイピアやエストックのような刺突攻撃を主体にした武器は、それを前提とした設計になっている。重心が手元寄りにあって、突き出す動作や引き戻す動作に最適化されているのだ。それらの武器で繰り出される刺突は、ルキアの雷槍で目を慣らしていなければ視認すら難しい高速になる。


 マリーの技量と彼女が自分用に弄った武器あってこそだとは思うが、警戒はしておくべきだろう。刃は無くても、鳩尾に入るとしばらく息が出来なくなる。

 

 あとは……特に、警戒すべき点が見当たらない。

 脇腹、太腿、首、腹、背中、腰。みんなに教わったありとあらゆる急所がガラ空きだ。攻撃の予備動作も無いし、初手で一本取れそうに見える。


 刺突は縦軸点攻撃だ。適当に横軸を誤魔化しながら距離を詰めれば余裕だろう──と、今までのフィリップならそう軽んじて突っ込んでいたところだ。

 しかし、今のフィリップには経験がある。縦回転させていたウルミを、全身を鞭の一部に見立てるような動きで横薙ぎにしてきたマリーと戦った経験が。


 見かけで予測する攻撃方向なんて、全然あてにならない。フィリップはそう理解している。


 「……どうした、怖気づいたか?」


 姿勢を下げることもせず、ショートソードを構えただけのフィリップを、マルクが嘲笑を浮かべて挑発する。


 挑発するということは、フィリップに攻撃してきて欲しいということだろうか。防御が主体の戦い方なのだとしたら、防御能力に問題のあるフィリップとは相性がいい。


 フィリップは数秒ほど、無言のうちに思考する。

 カウンターを狙われているのだと仮定して、どの急所にある隙が餌で、どの急所は本物の隙なのだろうか。或いは、全て餌と言う可能性もあるにはあるけれど、そんな危険な釣りはマリーほどの実力があってもしない。どこを狙ってくるか分からない状態ではカウンターの精度が大きく落ちるからだ。彼女たちは一様に餌となる隙を見せ、相手を誘導してカウンターを差し込んでくる。


 普通に考えるなら、フィリップが一番狙いやすい右の脇腹か腰の後ろ、或いは太腿。この辺りが餌なのだろう。

 立って走るなら簡単に届く位置にある心臓や肺も、極端なほど低姿勢になる『拍奪』の歩法を使っていると、少し伸び上がる必要がある。ウォードはその一瞬のラグを突いてくるし、ソフィーは攻撃を待ったうえで防御を差し込むほど挙動が速い。


 結局、フィリップは素直に太腿を狙うことにした。

 一番狙いやすい位置だし、これが真剣なら最低でも移動阻害、当たり所次第では致命傷になる急所でもあるからだ。


 決定した直後、姿勢を落とす。

 一度『拍奪』を見せている以上、初見殺しとしての性能には期待できないが、それでも攻性防御としては依然有用だし、これ無しのフィリップはただの雑魚だ。使わないという選択肢はない。


 横軸を誤魔化しながら、マルクの足元へ滑り込む。

 よく鍛えられた太腿を目掛けて模擬剣を振り抜き──ぎぃん、と、重い金属音と共に、剣を把握した右手に強烈な衝撃が走る。


 「甘い!」

 

 反作用に抗わず、反動を逃がす。まるでマリーの持っていたタワーシールドを殴り付けた時のような、剣対剣ではそう感じない硬さだった。

 フィリップの模擬剣とマルクの足の間には、ロングソードの模擬剣が差し込まれている。想定以上の防御強度の理由は、ほんの僅かに地面にめり込ませた先端部分だろう。フィリップは地面を殴り付けたようなものだ。


 反動に任せて、風に吹かれる布のような動きで距離を取る。

 『拍奪』とはまた違った技術だが、これもソフィーがオリジナルで、ステラの目コピーと支配魔術による転写の産物だ。


 「気色の悪い動きだな」


 マルクは嘲るように言って、ロングソードを構え直す。

 

 お世辞にも実戦的とは言えない構えではあるものの、咄嗟に逆手に持ち替えて地面に突き立てて防御していたことから、反応速度や機転はそう悪くないように思える。フィリップが餌に掛かっただけかもしれないが。


 フィリップはもう一度踏み込み、今度は側面から腰の後ろを狙う。


 「遅いな!」

 

 勝ち誇ったように叫んだマルクの刺突が、右側に回り込もうとするフィリップの顔面に突き刺さり──まるで幽霊のように透ける。

 マルクは予期した手応えが無いどころか、全く無傷のフィリップが背中側で剣を構えていることに驚いているようだが、再起動もそれなりに早かった。


 ロングソードを引き戻し、左肩の後ろまで振りかぶる。

 ほぼ確実に薙ぎ払いが予想される予備動作だが、流石にそれよりはフィリップの攻撃が早い。


 ショートソードの模擬剣が振り抜かれ──鈍い音を立てて、腰の上あたりにめり込んだ。

 マルクが苦痛に呻きながらめちゃくちゃに剣を振り回し、フィリップを遠ざける。それを先ほどと同じ動きで躱したフィリップは、右手に持った模擬剣を感慨深く見つめた。


 武器で人間を殴ったのは生まれて初めてだけれど──思ったより柔らかく、それでいて奥の方に芯がある。

 それが気持ち悪いとか、逆に快感だったとか、そういう感想は無かった。ただ、自分の振った剣が他人に当たるという、剣を振っていれば当たり前のことを初めて経験したからだ。やっと当てられた、と、半ば感動してさえいた。


 これまで超のつく格上ばかり相手にしていて、自分の攻撃が当たったことなんて一度も無かったのだ。まぐれ当たりどころかかすり傷さえ付けられず、一方的にボコボコにされ続けていれば、仕方ないこと……と、擁護できるだろうか。訓練中であれば、ウォードも褒めてくれたかもしれない。だが、いまは模擬戦の途中であり──ちょっと当たった程度の一撃は、一本判定にはならない。


 「この──劣等がッ!!」


 怒りに塗れた叫び声をあげ、マルクが突撃してくる。

 大上段に振りかぶったロングソードの狙いは、頭部でないとしたら肩だろう。激昂したマルクに「ルールを守る」という意識が残っていればの話だが。


 ウォードはそんな懸念を抱くが、動かない。動く必要が無い。

 ウォードを筆頭に、ソフィー、マリー、そして世界最強の魔術師が二人ルキアとステラ。フィリップを鍛えていた全員が、出来得る限りの技術と経験を詰め込んだのだ。全く才能の無い雑魚、それも痛みや怒りで思考と身体操作の精度がガタ落ちしている状態の攻撃など、当たるはずがない。


 否──そんな攻撃に当たるような、甘い鍛え方をしていない。

 徹頭徹尾、模擬戦による実践指導と、初級とはいえ魔術の雨を避け続けるという冗談のような訓練を課してきた。軍学校生どころか、ウォードでさえやったことが無いような訓練方法だ。


 肉体を痛めつけるでなく、精神を鍛えるでもなく、しかし確実に技量を鍛える訓練。

 これだけの人材が揃っていなければできない方法だ。


 「羨ましい限りだよ、本当に」


 ぽつり、ウォードは呟く。

 その視線の先では、フィリップが『拍奪』を使ってマルクの攻撃を透かしていた。


 あれは並の人間では使いこなすどころか、修得すらできない高等技術だ。かつてはウォードも修得しようと試みて、無理だと悟った。ウォードの師匠が言うには、あれの修得には訓練以上に才能が必要らしい。


 フィリップの才能は如何ほどのものかと言われると、まぁ人並みよりちょっと上程度だろう。

 ソフィーのような卓越した剣術の才や、マリーのような武芸百般の才はない。しかし攻撃に対する躊躇いや防御に際しての恐怖──延いては殺人に対する忌避感が無いのは、間違いなく大きな才能だ。


 何より、環境が素晴らしい。

 ルキアは多少過保護なところはあるものの、強さに対してはどこまでもシビアだ。フィリップの肉体的・魔術的な強さに対しても、言葉を選ぶことはあっても嘘は言わない。なるべくフィリップに苦労をさせたくないからだろうが、訓練方法の最適化に余念がないのもいいところだ。


 いや、それで言えばステラの方がその意識が強い。

 彼女は常に練習方法を更新する。より質の良いもの、より効率的なもの、よりフィリップに適したものを採択し更新し続けるその姿は、ウォードの師匠にも通じるところがある。


 変態クソ脳筋と合理性の化身が似通った振る舞いをするのは冗談じみているが、突き詰めた筋肉は最適解を選択し得るとでもいうのだろうか。


 「クソ! ちょこまかと!」


 マルクが怒鳴り、剣を振る。

 だが当たらない。当たるわけがない。


 『拍奪』を使う者に、“狙った攻撃”は絶対に当たらないというのは、剣士の共通認識だ。

 彼らに攻撃を当てたければ、狙いもクソもない広範囲面攻撃か、その移動経路を予測して“置いた”攻撃に当たらせるしかない。がむしゃらに剣を振ったって、狙いすました一撃を放ったって、見えている場所にはいないのだから。


 ──介入の必要は無さそうだ、と。ウォードは困ったように笑った。

 あとは、なるべく早く二人が来てくれることを祈るだけだ。フィリップの戦闘に安定感があるのなら、怖いのは二人が間に合わないこと──二人の機嫌を損ねることだけである。

 

 ロープの外で担当の生徒が持っている砂時計を見ると、既に四分の三ほどの砂が下に落ちていた。

 まずい。非常に不味い。未だに周囲の生徒にどよめきや跪く動きが見えないあたりが、もう本当に不味い。ほぼ確実に間に合わないだろう。


 ウォードは「怒られるに違いない」と内心だけでなく身体が震え始めていた。

 フィリップが彼の思考を読み取れたら、「二人とも理不尽な人じゃないですよ」と、その思考を正してくれたかもしれない。少し離れたところでマルクの剣を躱し、時には攻撃を当て鈍い音を立てている、戦闘に没頭しているフィリップに、そんな期待はできそうにないが。


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