第126話

 今年の春、フィリップがまだ地元に居た頃の話だ。

 魔術学院と軍学校では入学式を終え、多くの新入生が学校生活に胸を躍らせていた。


 近衛騎士団団長の次男であり、また軍学校首席の弟でもあるマルクは、早くも学年首席の最有力候補として注目されていた。

 その剣の腕や軍略の才を見たいという声がクラス内外を問わず上がっていて、戦術盤やチェス、模擬戦による対戦や剣術指導などを乞われることも少なくなかった。


 そして──三週間もすれば、学年のほぼ全員が、抱いていた期待や羨望を捨てる羽目になった。

 端的に言って、マルクに才能が無かったのだ。


 初めのうちこそ「対戦しよう」とチェス盤を持ってくる者や、「力を見せてくれ」と模擬戦を持ち掛けてくる者に辟易とし、面倒くさがっていたマルクも、その全員が「や、やっぱり強いな」と声を震わせて、二度と挑みかかってこないと気分が良くなる。家柄と学校首席である兄に配慮してのお世辞や八百長だとは疑いすらしていなかった。


 そうして、マルクは「自分は強い」と思い込んでしまった。

 気紛れに格下の貴族に指導を持ち掛けたり、平民に模擬戦を挑んで甚振ってみたり、その行動は段々とエスカレートしていく。


 そしてある日、同じクラスでまだ戦ったことの無い生徒がいることに気が付いた。

 その生徒は授業で習うような基本の型ですら、教員から「妙な癖があるね」と言われるザマの、いつも一人でいるパッとしない奴だった。


 別に、そいつの孤独を解いてやろうとか、慰めてやろうと思ったワケではない。ただそこにいて、目に入ったから対戦相手に選んだだけだ。適当にボコって終わりにするつもりだった。

 その方針を転換したのは、そいつが「ごめん、名前を聞いてもいいかな? 僕はウォード・ウィレット。よろしくね」とか言い放ったからだ。


 マルクにとって、その肥大した自尊心にとって、自分を知らないなど許せないことだった。

 だから、完膚なきまでにボコボコにして、自分の存在をその身体に痛みと傷で以て教え込んでやろうとして──手も足も出ずに負けた。それはもう、見ている側が驚くほどの、マルクの弱さを知っていてもなお「早すぎる」と思わせるほどの圧倒的な技量差だった。


 筋力はほぼ互角。体格はマルクが勝る。しかし技量が隔絶していて、ウォードは驚愕を通り越して困惑した。どうして実力の隔絶した自分に模擬戦なんて挑んできたのかと、真剣に考え込みさえした。


 彼我の実力差を見極められない相手が誰彼構わず模擬戦を挑んでいる、という正解には、残念ながら辿り着けず、誤解を導き出す。

 そして、ウォードはその誤解を突き付けてしまった。


 「あ、指導して欲しいとかそういう話? 見映えの悪い実戦剣術でよければ教えてあげるけど」


 そこで他のクラスメイト達が慌ててウォードを連れ出し、相手が何者かを説明した。

 ウォードは顔を蒼白にして慌てて謝罪したものの、マルクがそれを受け容れることはなく、以来、ずっと絡まれている。




 そんな昔話をウォードから聞いて、フィリップはとりあえず。


 「ウォードより弱いからといって、僕より弱いとは限らないわけですけど、僕でも勝てると思いますか?」


 と、剣で戦うにあたって最も重要な質問をした。


 ウォードは少し考えてから、「いい勝負かな」と曖昧に答えた。


 「正直に言うと、僕にも分からない。ただ、君が20回に1回くらいできる、エーギル様が褒めるレベルの『拍奪』を完璧に使いこなせたら余裕だろうね」

 「……難しいですね」

 「うん。だから、勝率は五分五分だね」


 なるほど、とフィリップは頷く。

 現状、フィリップの直接戦闘能力はその大部分を攪乱の歩法に依存している。いまの体格や体力では軍学校生相手に打ち合えず、防御することも、防御を崩すことも叶わないから、徹底的に相手に隙を作って戦う必要があるのだ。


 逆に言えば、マルクはそんな雑魚といい勝負をしてしまうレベルということである。ウォードや他の生徒にしてみれば、弱く、戦う意味の無い相手かもしれないが──フィリップにとってはいい対戦相手になるだろう。

 

 「僕の目から見ても、君の動きは脅威だ。でも、使いどころや使い方の精度はエーギル先輩に大きく劣るし、そもそも攻撃や防御が軽い。歩法は攻撃や防御の基盤ではあるけれど、君にはその基盤しかないんだ。監督者や保護者のいないところで戦っちゃだめだよ」

 「それは大丈夫です」


 即答し、ぴっと親指を立ててみせるフィリップ。その姿にその場しのぎの韜晦や嘘の気配を感じなかったウォードは、安心したように頷いた。

 フィリップはまだまだ危なっかしい剣術初心者といった力量だが、それをしっかりと自覚している。どこかの誰かのように、無暗に模擬戦を挑んだり、自分の力量を過信して死ぬような最悪の事態は避けられるだろう。


 そう安堵したウォードには悪いが、フィリップにとってその条件は気にする必要のないことだ。

 この世界のどこにいても、この世界の外側にいる彼らの目は届く。保護者が──監視者が居ない状態なんて、まず有り得ないのだから。


 「っと、一回戦が終わったね。そろそろウォーミングアップをしようか」

 「はい!」


 元気よく返事をして準備運動を始めたフィリップと、それを注意深く見守りながら自分も身体を動かすウォード。

 せかせかと動き回る二人を、マルクは心底蔑んだように見つめていた。


 「何をヘラヘラと。……しかし、まぁ、10分後には吠え面をかいている連中か。今くらいは楽しませてやらないとな」


 自信たっぷりに自分の勝利を語るマルクに、周囲の生徒は同調の笑みを浮かべて侮蔑を覆い隠した。


 一年生はともかく、しっかりと訓練を積んできた上級生は「何言ってるんだこいつ」と言いたげな目を向ける。彼らの目には、ウォードとマルクの間にある隔絶した実力差が見えていた。


 周囲の向ける侮蔑や疑問が見えていないかのように、マルクはいま最も重要な人物を探していた。

 マルクのペアに割り振られた不運な魔術学院生。少し離れたところで頭を抱えている男子生徒だ。何がそんなに怖いのか知らないが、顔を蒼白にして俯いている。


 「おい、お前……名前は何だった? まぁどうでもいいが、お前は手を出すなよ」

 「言われなくても、カーターさんに盾突いたりしませんよ。……貴方が近衛騎士団長の次男だってのは聞きましたけど、次男で良かったです」


 彼が言葉の裏から滲ませる「お前が跡取りだったら王国は終わりだ」という意図を汲んだのは、マルク以外の人間だけだった。誰も眉尻を吊り上げることはなく、むしろ同調というか、共感から浮かんだ笑みを必死に覆い隠していた。中にはぷるぷると震えるほど懸命に失笑を堪えている者もいる。


 マルクが周囲の反応や皮肉に気付かなかったのは、彼が態度の端々から覗かせる、フィリップ・カーターへの恐怖が原因だ。マルクはそれに気付き、彼にしては珍しく疑問を覚えた。


 「あの平民にだと? 奴は何者なんだ?」

 「はっ。彼はただの平民ですよ。彼がそう言っている以上、ね」


 彼は嘲弄と諦観を滲ませる落ち込んだ口調で答えて、これ以上何も話すことは無いと顔を伏せた。

 幾人かの軍学校生が自分のペアに顔を向けたり、その生徒に質問を重ねたりしてみたものの、魔術学院生は示し合わせたように口を噤んで語らない。


 マルクは不愉快そうに鼻を鳴らし、「奴が何者であれ、俺の敵ではない」と聞こえよがしに言う。

 しかし、その言葉に同調する者は誰もおらず、軍学校生たちは顔を寄せてひそひそと意見を交換していた。「なにかおかしいぞ」「そういえばあのチビ、第一王女殿下とサークリス聖下と一緒に居た奴じゃないのか」と、徐々にフィリップの望まない「答え」へと近づいていく。


 「……なぁ、もしかして──」

 「彼は、ただの、平民です。彼は自分のことをそう言っていました。……これ以上、俺から言うことはありません」


 「可能性」に思い至った生徒がひそひそと問いかけるが、マルクのペアを含め、魔術学院生の誰に尋ねてもそんな韜晦を返されるばかりだ。

 しかし、それは答えを隠すための本気の韜晦ではなく、あくまで「自分は何も言っていない」というポーズでしかなかった。


 その超消極的かつ迂遠な肯定を受けて、軍学校生の大半は胸中に芽生えた疑いに対して半信半疑ではあったものの、少なくともフィリップが魔術学院で一定の尊重を受ける存在らしいとは気付いたようだ。残念ながら、その「大半」にマルクは含まれていなかったが。


 何人かの軍学校生がフィリップに直接聞こうと動いて、ペアの魔術学院生に止められる。

 中には平民が貴族を止めるようなペアもあったが、それが逆に考察を裏付けることになった。無礼だと叱責され、貴族の機嫌を損なうかもしれないというのに、誰もそれを恐れて口を噤まなかった。


 つまり、少なくとも木っ端貴族の機嫌より、フィリップの機嫌を損なうほうが不味いということだ。


 魔術学院生の判断理由を推察し、フィリップに蔑んだ目を向けていた軍学校生の顔色が目に見えて悪くなる。

 フィリップの素性。王族ということは無いにしても、高位貴族の隠し子とかは十分にあり得る可能性だし、他国の貴族という線もある。直接の嘲弄をしていない生徒が大半だが、マルクは明確に喧嘩を売った。ここでマルクの同類だと思われるのは避けなくては。


 「二回戦が終わったか。では、行ってくる」


 肩を聳やかして立ち上がったマルクに、応援の声は一つも飛ばなかった。

 それを「自分の勝ちに確証があるから」だと無邪気に信じて、マルクは上機嫌に試合エリアに張られたロープを跨いだ。


 マルクの対面、ちょうど20メートル向こうで、フィリップとウォードも試合エリアに入る。

 いま気付いたが、これでは二対一の構図だ。薄汚れた血の劣等が何人いようと、関係のない話ではあるが。向こうに数的有利があれば、大敗に際して無様な言い訳はしないだろう。


 「以前の敗北は──あれは、お前の剣筋があまりに無様で驚いただけだ。初見殺しとしては有用かもしれんが、二度目は無いぞ、ウィレット」


 マルクは奇妙な構えを取るフィリップと、表情だけは一人前に、油断なくこちらを見据えるウォードを睨み付ける。

 過去の敗北は理由付け、正当化による現実逃避こそできたものの、敗北という事実そのものは消えていない。それを拭い去る雪辱こそ、マルクが待ち望んでいたものだった。


 「貴様如き劣等が、俺の前に立つんじゃない!」


 右手に持ったロングソードの模擬剣を突き付け、左手は腰の後ろに置く。

 それは典型的な儀式剣術の構えであり──もっと見栄えを追求した、演武や劇などで見られる構えだった。


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