第124話

 昼食を終えた四日目の午後。

 先ほどと同じ砦外部の人気が少ないところで再集合した一行は、揃ってルキアの魔術をひたすら避けるという練習をしていた。フィリップだけでなく、ソフィーも、マリーも、ウォードもだ。


 この訓練の有効性は、フィリップの回避精度が目に見えて上がったことで証明された。

 もともと攻撃に対する怯えが無く、攻撃を注視することで生じる視野狭窄も無かったフィリップだ。攻撃を見切る目だけでなく、その精度まで鍛えられたのは大きい。『拍奪』も合わせると、もう立派な回避盾だ。


 肉体の脆弱性は変わっていないので、一撃喰らったら終わりだが。


 ともかく、これはいいぞと軍学校生が「自分もやりたい」と言い始めたのが発端だ。

 ルキアの魔術は徐々に速度を上げていき、時折、ステラが火球を撃ってくることもある。温度を抑えているとは言っていたが、紫電一色の視界にいきなり赤い炎が混じると、それだけで集中力が途切れてしまうフィリップには良い障害だった。


 しばらく高速で飛翔する魔術に目を慣らしたあと、模擬戦に移る。わざわざ中庭まで戻るのは非効率的ということで、場所は変わらない。


 ウォードはしばらく練習したいとのことだったので、相手はマリーだ。

 彼女は金属製の鞭を束ねたような剣、ウルミと呼ばれる武器を持っていた。あれもちゃんと模擬剣なのだろうか。


 「それ、ちゃんと当たっても痛いで済みますか?」

 「ん? やだなぁ、ちゃんと刃は殺してあるよ」


 マリーは安心させるように笑顔を浮かべて言うが、鉄の鞭なんて表面をちょっと粗く削るだけで刃みたいなものだ。当たれば皮膚を削り肉を削ぐだろう。


 「うーん……まぁ、そのぐらいならステファン先生が治してくれるか……」


 篤い信頼を見せ、ショートソードを構える。

 フィリップの見立て通りなら、この頼りない鉄の棒では、あのウルミの攻撃を防ぐことはできない。絡め捕られるか、防御した場所を基点に曲がって襲ってくる。


 つまり、回避の練習専用というわけだ。有難いが、もう少し痛く無さそうな武器にしてほしかった。


 マリーがそれを片手でくるくると回すと、ひゅんひゅんと鋭く空気を裂く音がする。時折、鉄の鞭同士が擦れ合って火花が散っていた。

 あれは痛い。絶対に痛い。


 「始めるよー?」

 「……はい」

 

 フィリップの戦績は現在、常勝不敗──ならぬ、常敗不勝である。フィリップの剣がウォードやソフィー、マリーに触れたことは一度もない。


 「──ッ!」


 どうせ負けるなら、せめて体術で負かされたい。あんなので殴られたら普通に泣く。

 そう思ったフィリップは、即座に距離を詰めることを選択する。マリーは鞭を縦回転させているから、一撃目は振り下ろしが来る。つまり、ずらすべきは横軸。


 「良い判断じゃん?」


 マリーはそう言って笑い、ウルミを持った右手を左肩の後ろまで振りかぶる。右の肩甲骨あたりがフィリップにも見えるほどの大振りを可能にしているのは、彼女の身体の柔らかさと、鞭のような特殊な武器を使う前提で鍛えられた無駄のない筋肉だ。

 身体が柔らかいと、こういう──直前で攻撃の方向を変える、なんてこともできる。


 「でも横だよー、っと!」


 ご丁寧に──フィリップに避けさせるのが目的だからだろう──マリーはそう言い終えてから腕を振り始めた。


 腰が回り、肩甲骨が動き、肩が動き、腕が振られ、手首がしなる。

 腰から先が全て鞭の一部になったような、滑らかで隙の無い挙動。長ければ長いほど先端部分の速度が増す鞭という武器を、武器自体を伸ばすのではなく身体を鞭に見立てることで実質的に延長して強化するような振り方だ。


 水平に薙いでくるか、斜めに振り下ろしてくるのか。

 どちらにせよ、横方向に位置を誤魔化している意味は無くなった。


 慌てて歩法を切り替え、ずらす方向を縦軸に変える。

 流石に振りかぶった状態から攻撃方向を変えては来ないだろう、というフィリップの予想は正しかった。しかし、それは「避けられる」ということではない。


 「──っ!」


 マリーが腕を振り終えるより早く、視界の端で銀色が煌めく。

 ウルミの先端部分が柄に先んじて動き、フィリップの頬を張る寸前だった。


 ぐい、と剣を持った右腕が引かれる。

 それは間一髪、掲げたショートソードがウルミを防ぎ、鉄の鞭に絡め捕られたことを示していた。


 咄嗟に剣を手放し、拳を握り込む。

 フィリップの筋力、体重、体勢、どれを取っても貧弱な、何の意味も無いパンチになることが確定していた。


 「超至近距離は向いてないんだよねー」


 鞭という武器を熟知しているわけではないフィリップにも、それは何となく分かる。

 だからこうして愚直に距離を詰めたのだ。


 さぁ、ほら。さっさと投げ飛ばしてくれ。


 「けど」


 たん、とマリーの靴が鳴る。

 彼女は全身の運動だけで、その場で二回転していた。


 一回転目は、言うなれば助走。先ほど鞭を振り回していた動作の代わりだ。


 そして、二回転目は──攻撃。


 回転に追従していたウルミが唐突に、おそらくマリーの手の動きによって広がり、フィリップの右側から湾曲した壁のようになって襲い掛かる。

 ショートソードはさっき防御に使って絡め捕られ、少し後ろに転がっている。他に盾に使えるものは──何もない。


 致し方ない。顔に当たるより幾らかマシだ。

 そう覚悟を決めて、頭を抱えて身体を強張らせた。


 「え!? ちょっ!?」


 フィリップの回避を大前提に動いていたマリーは、そのフィリップが早々に回避を諦めたことで慌てふためく。

 しかし振り終えた鞭は柄の動きを止めたとしても、加速が乗った鞭部までは止まらない。


 やばい、また怪我をさせてしまう。

 マリーが抱いたそんな懸念はソフィーとウォードにも伝播し、二人が息を呑む。回避を放棄したフィリップの動きのみならず、ほんの数瞬の硬直が命取りになるような攻撃まで、二人にはしっかりと見えていた。


 ぎゃり、と。フィリップに当たる少し手前で火花が散る。

 それはルキアの展開した魔力障壁による防御であり、戦闘中止の合図だった。


 「……まぁ、50点ってところだな」


 たぶん100点満点で、ステラがそう採点しながら歩いてくる。

 基本的に戦闘に関しては辛口な彼女にしては、これはそこそこの高得点だ。


 「判断の早さは発達途上だが、悪くない。最後も攻撃を見て、防御を選択することは出来ていたしな。……無意味な防御だったが、盾や魔力障壁があれば防げただろう」


 うんうんとフィリップだけでなく、観戦していた全員が頷く。

 確かにフィリップには鉄の鞭が見えていたし、防御姿勢も間に合っていた。攻撃が鞭であれ剣であれ意味の無い防御ではあったけれど、だ。


 しかし、盾を持った状態で『拍奪』の歩法を使えるかどうかは未知数だし、フィリップの魔力量や魔術適性では魔力障壁など望むべくもない。


 「回避が前提ということを忘れるな。もう一度だ」

 「はい。……すみません、その前にトイレ行ってきます」

 「模擬剣、預かろうか?」


 お礼を言って模擬剣をウォードに渡し、足早に砦に戻る。

 正門を入って右に曲がり、しばらく進んで平民用宿舎に入り、廊下をちょっと歩いた先が最寄りのトイレである。普通に遠いし不便だった。


 用を足して戻ろうとすると、中庭をうろうろしていたアンドレと目が合った。

 特に何か用があるわけでもなかったので、そのまま進行方向に視線を戻す。しかし、彼はどたどたとこちらに駆け寄ってくると、フィリップの前に立ちはだかった。


 「お、おい、待て、フィリップ・カーター。」

 「……何でしょう」


 うわ、呼び止められちゃったよ、という内心の辟易が透ける返答に、アンドレは不快そうに顔を引き攣らせる。

 しかし特段何か文句を付けることも無く、用件だけを端的に告げた。


 「ノーマンを見なかったか。ノーマン・フォン・ワトソンだ」

 「昨日のお昼過ぎに話して……それ以来は見てないですね」


 フィリップとしても長話をしたい相手では無いので、そう端的に答える。

 尋ねてきたのがアルバートなら、以前の恩返しを申し出たところだけれど、アンドレ相手にそこまでの親切心を抱くことは無かった。


 「じゃあ、僕はこれで」

 「あいつはお前と! ──お前と、決闘をしたはずだ」


 背中に叫ばれ、振り返る。

 彼の目には深い猜疑と正義感が宿り、フィリップを糾弾せんとしていた。


 「お前があいつを殺したんじゃないのか!?」


 その言葉を聞いて、フィリップはいま自分がどんな顔をしているのか、自分でも分からなくなった。

 確かに決闘は挑まれたし、殺すつもりだったけれど、実行する前にルキアとステラに捕まったのだ。捕まえられたのは待ち合わせに遅刻したフィリップだったが。


 フィリップは誰も殺していないし、そもそも殺そうとしてきたのは向こうの方だ。もしフィリップが彼を殺していたとしても、こんな風に責める視線を向けられる謂われは無い。


 第一──人間なんて、殺そうとするまでもなく死ぬ脆い生き物だ。その生死に然したる意味はないだろうに。


 「いえ、違います」

 「し、信じられるか!」


 フィリップの返答に、アンドレは間髪を容れずに叫ぶ。

 いや、まぁ、確かに。フィリップが決闘の相手を殺さないなんて奇跡のようなことかもしれないけれど、これでも一応、決闘相手の生還率は100パーセントなのだ。母数1という何の判定にも使えない根拠だが。


 「いや、前だって……。そういえば、ペアの人はどうしたんですか? 一緒に居るところを見てませんけど」


 もしクラスメイトなら、フィリップが決闘相手を殺さなかった──正確には殺す前に決着が宣言されたのだけれど──ことを証言して貰おうと考えて、ふと疑問を抱いた。


 魔術学院生の大部分は学年やクラスの垣根なく、フィリップのことを「教会関係者」として認識している。

 この交流戦のシステム的に、彼らにも魔術学院生のペアが居るはずであり、彼らがフィリップに難癖をつけた時点で血相を変えて止めそうなものだが。


 「ふ、ふん。クジ運が無くてな。我々のペアもお前と同じ平民だったから、顔合わせの瞬間に別行動を言い渡してやった」


 それは確かに運の悪いことだと頷く。ただし魔術学院生の方が、だ。

 交流戦は毎年あるイベントではないらしいし、貴重な機会を無駄にしてしまうことになって残念だろう。


 「名前は分かりますか?」

 「……何故そんなことを知りたがる? 一々覚えていないが、確か二年生の男子だった」


 上級生か。

 あの決闘を見ていたのはクラスメイトと、名も知らぬ公式立会人のおじさんだけだ。部外者がフィリップの決闘について耳にするとしたら、たぶん「フィリップが未知の魔術を使って相手を半殺しにした」とか、そんな感じだろう。あまり吹聴されたい情報では無かった。


 「僕が誰かを殺すような人間では無いと、僕のクラスメイトは証言してくれるでしょう。ルキアや殿下も、たぶん……」


 いや、どうだろう。自分で言っておきながら、それはちょっと怪しい。

 クラスメイト達はカリストが地上で溺水し窒息の苦しみを味わったことを知っているし、ルキアやステラはフィリップのことをより深く知っている。特にステラは、フィリップが人間を殺すことに忌避感を覚えないどころか、人の生死に何ら意味を感じないことを知っている。


 「フィリップ・カーターは殺人を犯すような人間か?」と聞かれたら、実際にどう答えるかはさておき、内心では「はい」と即答するはずだ。


 そりゃあフィリップだって、何の理由も無く他人を害するような非人間的なことはしたくないけれど、「したくない」だけだ。できないわけではないし、その後の法的追及やら捕縛執行やら何やらも全て無視できるというか、人類諸共に焼却できる。


 「し、調べれば分かることだぞ! お前が昨日、どこにいたのか。これだけの人がいるんだからな!」

 「昨日は……だいたいずっと、ルキア達かウォードと一緒でしたね。あと……あっ」


 そういえば、昨日はフィリップ自身すら自分の潔白を証明できない空白の時間がある。

 みんなが言うには中庭で昏倒していたらしいけれど、それがノーマンを殺したあとのことではないと、フィリップには断言できない。


 内心の疑念がそのまま表情と言葉に出てしまい、アンドレが眦を吊り上げる。


 「な、なんだ!? やはりお前が殺したのか!?」

 「いえ、それは無いと思うんですけど……。部屋とか、見に行きましたか?」

 「当たり前だ! 部屋にも中庭にも食堂にも医務室にも、この砦中、どこを探してもいないから、お前に聞いているんだ!」


 フィリップが何をしていたのか、ナイ神父は知っている様な口ぶりだったけれど……待て、ナイ神父だと?

 昨夜、ナイ神父はここで何をしていたのだろう。脱走していたフィリップを煽りに来たようにも思える。しかしそれなら、煽るための化身であるナイ教授でいいはずだ。彼女は1-A担任として同行しているから、他人に見られても問題ないのだし。


 部屋に死体が無く、また現時点で誰かが死体を見つけたと騒ぎになっていない時点で、フィリップの手にかかったとは考えにくい。

 フィリップの殺人能力はそれなりに高いけれど、死体を残さず殺すのなら召喚魔術を使うことになる。誰にも気付かれずに実行するのは不可能だ。


 しかし、ナイアーラトテップなら話は別だ。フィリップも知らないような完全殺人の方法を幾千通りも持っているに違いない。


 ……なんて、邪推が過ぎるか。

 ナイアーラトテップは何の意味もなく、ただ気紛れに種族を一つ滅ぼし星を砕くようなゴミクズだけれど、アザトースには忠実だ。フィリップの守護をしているうちは、意味もなくフィリップの周囲を引っ掻き回すことはしない……と、思う。たぶん。


 フィリップがナイ教授にそれなり以上の悪感情を抱いていることは分かっているだろうし、昨夜は病み上がりのフィリップに配慮してくれたのだろう。

 

 「いえ、申し訳ありませんけど、本当に知りませんね。……一応、ルキアや殿下にも聞いてみましょうか?」

 「いや、それは……。待て、お前いま、サークリス聖下を呼び捨てにしたか?」


 先ほどとは全く別の理由で、アンドレの視線が鋭くなる。

 なんでこいつはこう面倒くさいんだ、と。フィリップは思わず頭を抱えた。


 それからしばらくアンドレの質問責めは続き、フィリップはこの場を逃れるのに「ルキアとステラを待たせているから」と、虎の威を借りる羽目になった。

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