第123話
砦外部の人気が少ないところで、フィリップとウォードはルキア・マリーのペアと、ステラ・ソフィーのペアと合流した。
事前に話を通していたからか、ウォードは萎縮しつつも文句は言わず、フィリップの指導を開始する。
意外にも、ソフィーとマリー、そしてルキアとステラも、ウォードの実践至上主義的な指導方法に文句を言わなかった。
むしろ彼女たちが首を傾げたのは、ウォードの過剰すぎる加減についてだ。
勿論、いくら模擬剣に刃が付いていないとはいえ、本質的には鉄の塊だ。思いっきりぶん殴れば人間の頭蓋骨を破砕することくらいできる。
だから全く加減しないということは無いにしても、肌の表面を撫でるだけのような斬撃、触れるだけのような打撃、寝かせるだけのような投げ技では、とても実戦とは言い難い。そんなゲロ甘だから、ちょっと本気で攻撃したら気絶しちゃうんだよ、とはマリーの言葉だ。
どのくらい加減するのがいいのか、完璧に把握していたのはソフィーだけだった。
つまり、ウォードの甘さを指摘していたマリーもかなり加減が下手だった。彼女は少し力を籠めすぎて、フィリップの肋骨二本に罅を入れた。フィリップはちょっと泣いた。
ヒビまでなら治療魔術でどうにかなるから、ギリギリセーフ。これは治療してくれたステファンの言葉である。彼女がいなければ王都へ搬送されているところだった。
ウォードの一件を経てもなお変わらなかったフィリップはしかし、マリーの一件で攻撃だけでなく防御にも気を遣い始めた。より正確には、防御の重要性を再確認した。
死なないからいいや、ではないのだ。むしろ非致死的な攻撃こそ最優先して防ぐべき。ただ痛いだけの攻撃こそ、フィリップにとって最大の脅威である。
戦闘に於いて重要な要素である死への恐怖──とまでは行かずとも、痛みへの忌避感を覚えたフィリップは、少しだけ立ち回りが上手くなった。
「敵を殺す」という目的一辺倒だった動きに、「敵の攻撃を回避するか防御する」という警戒が加わったのだ。動きの直線性が薄れ、相手にとって読みづらい──比較的、だが──動きになる。
攻撃しかしてこない相手より、こちらの攻撃に対して警戒しながら立ち回る相手の方が厄介と言うのは、剣術初心者のフィリップにも分かる理屈だ。
もしかして、それを教えるために、わざと怪我をさせたのだろうか。
……そうだとしても、いつかやり返そうと模擬剣を握る手の力は抜けなかったが。めちゃくちゃ痛かったし。
「力み過ぎよ、もっと脱力して」
「あ、はい……」
いまソフィーに教わっているのは、リチャードが使っていた、地面を這う蛇のようにも、低空を飛ぶ燕のように見える奇妙な歩法だ。
初めてソフィーと模擬戦をしたとき、彼女がちょっとしたお茶目で披露した──フィリップは面白いほど一瞬で彼女を見失った──攪乱の歩法『拍奪』である。
「それで、こう走るの」
「こう……無理では?」
いまフィリップの顔があるのは、普段はフィリップの腰がある高さだ。こんな姿勢で走れるわけがない──のだが、なんでリチャードやソフィーは出来るのだろうか。
「お、出来た」
少し離れたところで、達成感の欠片も無い感嘆符が呟かれる。
声の主は天才その1こと、我らが王国の第一王女殿下、ステラである。
「エーギル、ちょっと見ててくれ。カーターも。……こうだろ?」
「え、そ、そうですわ……」
「なんで出来るんですか……?」
「天才じゃん……」
「えぇ……?」
「天才だものね……」
横軸・縦軸をずらしながら数メートルほど走って見せるステラ。相対位置感覚を狂わせるその歩法は、紛れもなくソフィーやリチャードと同じものだった。
指南役のソフィーも、盛大にずっこけ続けているフィリップも、別流派だからという理由で指南を断ったマリーも、以前に試して諦めたウォードも、この場の誰より付き合いが長いルキアも、全員が驚愕していた。というか、むしろドン引きしていた。
「交流戦が終わったら私がカーターに教えるんだから、このくらいはな」
全員の疑問とは少しずれた答えを返すステラ。
いや、確かに頼もしいのだけれど、彼女の習得速度と比べられそうでちょっと嫌だった。フィリップが出来ないことに対して「私は5秒で出来たぞ」とか言われたら、流石のフィリップでもちょっと落ち込む。
「しかし、かなり感覚的な技術だな。コツを教えてやりたいところだが、言葉にするのは難しい」
そりゃあそうだと、ソフィーは胸を撫で下ろす。
これでも一応、流派の中で最奥にある技なのだ。習得者はおそらく、王国全体で100人かそこら。師匠が本拠地としている帝国を合わせても1000人に満たないはず。そうホイホイ習得され伝授されては、ソフィーの立つ瀬がないというものだ。
「ステラ、貴女、支配魔術が使えたわよね?」
「ルキフェリア……お前に“天才だ”と言われたのが、本当に嬉しいよ」
ちょいちょいと手招きするステラに、フィリップは思わず顔を引き攣らせた。
彼女たちが何を言いたいのかは、まぁ、概ね分かった。
魔術に疎いソフィーたちは分かっていないのか首を傾げているけれど、これは、あれだ。「身体で覚える」という奴だ。
フィリップに初級魔術を教えるとき、彼女たちがよく使う手法がある。
初めはルキアが使っていて、ステラが「人間砲台は違法だぞ」と笑いながら真似し始めた──教育上は有用だと判断したらしい──他の術者が魔術発動に必要な演算を行い、魔力と発動だけを本人が受け持つという技術だ。フィリップに魔術行使の感覚を掴ませるのにもってこいらしい。
あれの有用性は、魔術適性が一般人並みのフィリップが、初級魔術を使えるようになったことから見て間違いない。そして、身体で覚えることの重要性も。
だが、ちょっと、ちょっと待って欲しい。
支配魔術を受けたことはあるけれど、まだ二回だけだし、その両方ともクソみたいな体験だった。流石にちょっと気が引けるというか、できれば避けたいというか。
「あの、それはちょっと無しにしませんか?」
「おいおいカーター、これが最も合理的な解だぞ? 私やエーギルが実演して教えるより、ずっと身に付く。ダイレクトにな」
そう言われると、まぁ、確かにそれはそうかもしれないけれど。
「…………オーケー。やります」
フィリップが諸手を挙げて降参し、少ししょんぼりした様子でステラの下に向かうのを、軍学校生の三人は興味深そうに見ていた。
「あの、支配魔術って違法なんじゃ……」
「まぁ、一般人ならそうだな」
聖痕者は違う、とでも言いたいのだろうか。
聖痕者だろうが王族だろうが、平民だろうが奴隷だろうが何ら変わりないということを、彼女は知っているはずなのだが……それは本質的な話か。今は法律上の話だし、関係ないのか?
現実逃避にそんな思考をしていても、ステラの決定は覆らない。それが最適であるとフィリップにも分かるほど明快な解なのだから。
フィリップは溜息を吐き、覚悟を決めて目を閉じた。
「それじゃ、行くぞ? 《ドミネイト》」
カルトの時より、黒山羊の時より、幾らかマシではあったけれど──鎖が絡みつくような不快感がある。
それを我慢して、不随意に動く身体の感覚に全神経を研ぎ澄ます。ステラが思い描いた通りに、フィリップの肉体はリチャードやソフィーにも並ぶ洗練された動きを見せる。
一連の動作を終えたあとも残る違和感は、経験からすると昼食くらいまで続くはずだ。
「身体で覚えることの有用性は、そりゃあ、ルキアに魔術を教わった身ですからね? 分かってますけど」
足やら腰やらの関節を回したり、腕や背中を動かしたりして違和感を払おうと試みながら、フィリップはぶつくさと文句を垂れる。
普段なら誰かの教えに対して注文をつけることはしないけれど、流石に支配魔術は別だ。これには全く、一つも、これっぽちもいい思い出が無い。
「もしこれで出来なかったら──」
「出来るまで繰り返してやるから安心しろ。魔力は回復した」
フィリップの言葉を遮って、「いいからやってみろ」と手で示すステラ。
そうじゃないんだよなぁ、とか。回復速度が異常すぎるだろ、とか。いろいろ言いたいことはあるけれど──教えて貰っている身だ。文句を付けるのは出来ないことが確定してからにしよう。
「…………あ、出来た」
◇
これは凄い、革命だ。
これさえあれば痛い思いをする練習など要らず、剣術をマスターできる。……と、思っていたのはフィリップだけだった。
軍学校生は「なんだこのクソチート」とは思っていたかもしれないが、その無意味さも同時に理解していた。
これが効果を発揮するのは、歩法などの「取り敢えず身に付けるだけで雑に強い」技術だけ。特定の動きに沿えるだけでは、とても「戦える」とは言えない。それに、無理矢理に身に付けた筈の『拍奪』も、成功率はかなり低い。まともに走れたのは被術直後だけで、反復練習して身体に染みつかせる必要があった。
基礎筋力は貧弱、戦闘経験は薄く、剣筋に理は──「殺す」という原始的なものだけはあるが──皆無。
フィリップはただの雑魚から、ちょっと動きの変な雑魚になっただけである。
一応、剣の振り方や止め方もインプットしてみたものの、こちらは身体操作の精度より単純な筋力が要求される技術だ。大して意味は無かった。
支配魔術でどうにかなるのは身体の動かし方、或いは技のコツのような部分だけで、戦闘経験や筋力は一切向上しない。
と、なると、やはり実戦形式での訓練こそが最も効率的であるらしい。
「……結局、ここに帰結しましたね」
「そうだね……受け身も教わったら?」
ウォードに投げ飛ばされてごろごろと転がったあと、フィリップが溢した呟きにウォードが応える。
「受け身も反復して慣れるのが一番らしいです。殿下が言ってました」
「確かに、その通りかも」
ウォードはそこで会話を切り上げ、剣を構えて突進してくる。
体重差は1.5倍以上、速度も考えるとフィリップの全体重を軽々と吹き飛ばす威力だろう。ガードは不可能だ。
敢えて前に出て、『拍奪』を使う。何時間も支配魔術と反復練習を繰り返した甲斐あって、集中していればまともに走れるくらいには習熟していた。
横軸をずらし──ずらし切る前に、ウォードの剣が突き出される。狙いは鳩尾か、肩か、或いは頭部か。
自分から距離を詰めてしまった分、回避は間に合わない。しかし、ウォードの加速も不十分だ。まだ受け流せる威力のはず。
上手く決まればウォードの腕が剣ごとフィリップの剣側に流れ、身体もそれに続くはずだ。そこを勢いのままに切れば、綺麗に一本取れる。
タイミングを合わせて、ショートソードを円を描くように振る。
しかし、二つの剣が金属音を立てるその寸前で、ウォードの剣が手の中でくるりと回転し、逆手持ちに変わった。
打ち払うべき剣身が無くなり、受け流しが透かされる。
そしてそのまま、無防備になった鳩尾に柄頭がめり込んだ。
「──ぶッ」
口から何かが出た。
ゲロではない何かだ。呼気と涎の混合物だろうか。
「……ごめん、大丈夫?」
「大丈夫です……」
散々地面をのたうち回ったあと、ウォードの心配に応じる。
どう見ても大丈夫では無かったが、観戦している四人は誰も何も言わなかった。その代わり、一連の流れを講評する。
「攻性防御としての使い方は、そんな感じよ」
「……でも、動き始めまでが遅いし、判断も甘いね。今のは後退しながら前にずらして、ウィレットくんにスカさせれば良かったんだよ」
ソフィーが褒め、マリーが指摘する。
フィリップはふむふむと頷きながらそれを聞き、吸収していく。とはいえ、「こうすべき」というのが理解できても、実際に出来るかどうかは別問題なのだ。
「そうね。……まずは反射神経を鍛えるのが妥当なところかしら」
ソフィーの言葉は、それは勿論その通りなのだけれど──反射速度も模擬戦で鍛えられる要素なのだ。だから──
「もう一回──」
「よし、カーター。こっちへ来い。ルキア、『サンダー・スピア』だ」
「……それだと私、雷速までしか出せないわよ?」
「雷が雷速を超えてたまるか。いいんだよそれで──待て、初級魔術だぞ? 雷速なんて出るワケないだろ」
だから、模擬戦でいいのだけれど。
ルキアが魔術を撃って、フィリップがそれを避けることで反射速度を高める訓練? 普通に無理だろう。第一、人間の反射速度は雷を避けられるほど早くないはずだ。
普段は光をメインに扱っているから忘れている──雷を「遅い」と思っているのかもしれないけれど、雷は光の3分の1の速さがある。音速よりずっと速い。
「今度見せてあげるわ。今は……このくらいかしら」
電流が槍を形作り、ルキアの指向に従って砦の外壁に向けてフィリップでもギリギリ目で追える程度の速度で飛翔する。
衝突と同時に放電して消え、石の壁にほんのりと焦げ跡を残していた。
「……当たっても死にませんよね?」
「勿論。威力はもっと加減するもの」
それなら、まぁいいか、と軽く納得したフィリップ。完全に二人のスパルタ指導に慣れきっていた。
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