第122話

 朝食を摂りに将官用談話室へ向かう道中で、ルキアとステラに遭遇した。中央塔と男子用宿舎の塔をつなぐ回廊で、だ。

 フィリップが思わず「何やってるんですか?」と訊ねてしまったのも無理はない場所だ。周囲には男子生徒しかいない。


 その男子生徒を壁際に追いやって跪かせ、廊下のど真ん中を堂々と歩いてこられると、フィリップもその有象無象に混じるべきなのか真剣に悩む。


 二人はフィリップに気付くと、それぞれ異なる反応を見せた。

 ステラはいつも通りに「おはよう、カーター」と笑い、ルキアは無言のままゆっくりとこちらに歩いてくる。


 「ルキア? ──っ」


 彼女はぎゅっと、フィリップを抱き締めた。

 柔らかな胸の感触と、馴染みのある石鹸と紅茶と、その奥にある形容しがたい甘く蕩けるような香りを感じる。どうしたのだろう、と疑問を覚えたのと同時に、彼女の身体が微かに震えていることに気が付いた。


 フィリップはルキアらしからぬ行動に驚きつつ、震えの原因を探る。


 「どうしたんですか、ルキア? ……ナイ教授に、何かされたんですか?」


 身長的に、マザーがしてくれるようにルキアの頭を撫でるのは難しかった。代わりに背中を撫でると、フィリップの背中に回された腕の力が強くなった。

 豊かな胸に顔が押し付けられて、そのうえ強く抱きしめられるのは息苦しかったけれど、振り払ったり押しのけたりしてはいけない気がした。


 「ルキア?」


 名前を呼ぶも、ルキアは無言で抱擁を続ける。


 「昨日、お前の見舞いに行ったんだが、ちょうど脱走した後でな。ボード先生が「いま頭を打ったりしたら致命的だ」と脅すわ、お前は中庭のど真ん中でぶっ倒れてるわ、低体温症を発症してるわで、泣く寸前だったからな」


 ステラがしてくれた揶揄い半分の説明に、フィリップは一抹の罪悪感を覚える。

 しかしフィリップが身に覚えのないことについて軽い謝罪をする前に、ルキアの肩がぴくりと震えた。


 彼女はフィリップの髪に伏せていた顔を上げ、ステラに胡乱な目を向ける。

 そしてフィリップの背後に回り込むと、抱き締めたまま耳打ちした。ご丁寧に、ステラにもちゃんと聞こえるように。


 「妙に余裕ぶっているけれど、ステラも貴方の処置をしているとき、ずっと叫んでたのよ。「頼む! 頼む!」って」


 それは普段の彼女を知る者であれば、誰であれ瞠目するような情報だった。


 ステラはいつだって合理的だ。

 他人の体温を操る魔術──しかも低体温症の患者のそれを健常状態まで引き上げ、症状が落ち着くまで維持しなくてはならない──など、フィリップでは想像もできないほどの絶技だろう。当然ながらそれに見合った集中力を要求される場面で、起動詞でもない言葉を叫ぶ意味なんてない。


 あのステラがそんな無意味なことをしたなんて、口にしたのがルキアでなければ、無意味な嘘か下手な冗談だと切り捨てられてしまうだろう。


 「え? あの殿下がですか」

 「えぇ、あのステラが」


 驚愕に満ちた目をするフィリップと、揶揄い半分の生温かい目を向けるルキア。

 ステラは主にルキアの反応に対して、こめかみをひくつかせた。

 

 「それ以上揶揄うなら、私も“毅然とした対応”をするぞ。ルキフェリア?」


 ルキアは「あら怖い」と笑って、フィリップを放す。

 そしてフィリップの正面に移動すると、軽く身を屈めて視線を合わせた。左右で意匠の違う聖痕を宿した、赤い瞳に見透かされる。


 「……魔力に異常はないわね。身体は大丈夫? どこもおかしくない?」

 「はい。もう完璧です。……あ、殿下が治療してくれて、ルキアが僕を見つけてくれたって聞きました。ありがとうございます」


 ルキアとステラ一人ずつに頭を下げると、二人は異口同音に「気にするな」と言ってくれた。


 「何ともないなら、朝食にしよう」


 ステラが伸ばした手を取ると、もう片方の手をルキアに取られる。

 フィリップにしてみれば、そしてきっと二人としても、これは年少者に対する妥当な扱いなのだろうが──そう思われない可能性もある。


 今まで然して意識していなかった周囲の反応は、というと、「なにあいつ」という疑念や嫉妬が半数、残る半分は「ああまたか」という慣れたものだった。ちょうど軍学校生と魔術学院生で半々といったところか。


 交流戦も4日目に入った。

 この時点で軍学校生にフィリップの素性──「平民のフリをしている枢機卿の親族」という誤った素性が周知されていないということは、フィリップにとっては嬉しいことだった。


 しかし、それは裏を返せば、ペアの生徒に「なにあいつ」と訊ねられた魔術学院生が徹底的に「彼はただの平民です」と答えているということ。フィリップの素性を秘匿すべきであるという、「枢機卿の親族」に対する徹底した配慮がそこにあるということだった。


 このくらいなら、まぁいいか、と。

 フィリップは特に何も考えず、もはや魔術学院生の誤解は解けないほど深いという悲しい事実にも気付かず、安穏としたまま談話室へと向かった。


 現場を見ていた軍学校生たちに、魔術学院生が必死の誤魔化しと緘口令を試みる場面を、フィリップは見ることが出来なかった。




 ◇




 他の生徒より数段豪勢な割に味はたいして変わらない悲しい朝食を食べていると、魔術学院に居た頃より二人の様子が目に入る。あまり食事に没頭できないから、注意が散漫になっているのだろう。


 二人は何故かそわそわして落ち着きがなく、時折アイコンタクトを交わしていた。

 フィリップが二人の挙動不審に気付いたことを悟ると、ステラが覚悟を決めるように大きく息を吐いた。

 

 「提案があるんだ」


 重々しい口調に、フィリップは思わず姿勢を正す。

 怒られるか、そうでなくとも苦言に類する何かが飛んできそうな雰囲気があった。


 無言で先を促したフィリップに、ステラは言い辛そうに続ける。


 「剣術を練習するのは止めにしないか?」 

 「……怪我をするから、ですか?」


 ステラの提案にYESともNOとも答えず、フィリップは逆に問いかける。

 彼女はフィリップと目を合わせようとせず、言葉少なに「そうだ」と首肯した。


 昨夜の一件──フィリップ自身には覚えのない徘徊、或いは脱走で、脳震盪の危険性、延いては剣術の危険性に気付いたのだろうか。

 仮にみんなの言うことが全て本当で、フィリップが脳震盪プラス低体温症で死にかけていたとして──本当なのだが──もし本当に死んでいたとしたら、それは確かに、フィリップの望むところではない。


 フィリップが死んだあとどうなるのかは全く不明だけれど、どうせ外神として産み直されるか、時間が巻き戻るか。大穴で、フィリップの意識が地獄や天国に移動するだけということもあり得るか。……とにかく、フィリップの死に大した意味はない。

 しかし、外神になってしまう可能性がある以上、死ぬことは避けたかった。


 でも、だからこそ、戦う技術は必要なのだ。


 現状、フィリップに許された攻撃は「敵を殺す」「敵と味方を殺す」の二種類だけ。これでは生け捕りや手加減など望むべくもない。

 敵を全員殺せば万事解決、という問題ばかりではない以上、手札が多いに越したことは無いのだ。敵を殺せるのと、敵を殺すことも出来るのとでは、汎用性に大きな差がある。


 そんな感じの内容をフィリップが滾々と説明する──もちろん外神云々は省いて──と、ステラは一度顔を伏せた。

 「仕方ないな」と言いたげに大きく嘆息した後、顔を上げ、フィリップの目を真正面から見据える。


 「なら、せめて私たちと一緒にやろう。お前のペアが何者かは知らんが、エーギルは名の知れた猛者だし、指導経験もある。この三日でエーザーの腕も把握した」

 「え? それは構いませんけど……ウォードにも聞いてみないと」


 船頭多くして船山に上るというし、先生役が増えるのはよろしくない気もする。

 特に、ウォードは実戦至上主義というか、模擬戦に拠る戦闘経験の積み重ねで筋力や技術を培うという考え方だ。少し話しただけの印象だが、ソフィーは基本を重視するタイプに思える。マリーは、まぁ、置いておいて──あまり相性がいいとは思えない。


 「道理だな。だから今頃、エーギルがお前のペアを説得しているだろう」

 「あ、そうなんです……ん?」


 いま打診されたのに? と首を傾げたフィリップは、自力で状況を把握することに成功した。


 これは所謂、予定調和という奴だ。

 フィリップの説得は大前提で、二人ともフィリップが頑なにNOと言い続けるとは思っていなかった。思えば初めに「止めよう」とハードなことを言って、後から「せめて一緒にやろう」とソフトなことを言うのは、典型的な交渉術だ。


 魔術の腕前ばかり見ていると忘れそうになる──そもそも身分制度に関心が無いのも一因だろう──が、片や王族、片や高位貴族だ。

 王侯貴族は本来、戦闘のプロではない。むしろ政治、外交において腕を揮う交渉のプロだ。何も考えていない子供一人を説得するくらい、造作も無いだろう。


 「……そんなに一緒にやりたかったんですか?」

 「当たり前だろう?」

 「当然よ」

 「……あ、そ、そうなんですか?」


 即答され、フィリップの方が言葉に詰まる。


 フィリップとしては、最終的に領域外魔術以外の有用な攻撃手段になるのなら、誰に教わってもいい。元々、この交流戦期間が終わったらステラに教えてもらうつもりだったのだから。

 そのステラが「止めよう」なんて言い出した時点で、何か裏があると疑うことも出来たのか。今更気付いても遅いけれど。


 と、いうか。気付いていたところで、フィリップに断るという選択肢は無かっただろう。

 軍学校で二番目に強いというソフィー、三番目に強いというマリーの二人が指導してくれるというのだから。


 だからフィリップの言葉は非難ではなく、ただの揶揄、冗談だったのだが。


 「別に、四六時中お前と一緒にいたいってワケじゃないぞ? ただ、昨日みたいに見ていないところで怪我をされるのは怖いし、交流戦が終わったら私が教えるんだから、今からどんなものか見ておきたいというだけだ」

 「私は、フィリップと一緒にいたいからだけど……対魔術師戦の基本くらいなら、教えてあげられると思うわ」


 いや、ルキア相手に剣で挑むとなると、基本どころか極意の域だろう。

 黒山羊の一撃を弾くような魔力障壁を人間が振る剣で切り裂けるわけがないし、フィリップがどうこうできるはずもない。


 「お、お手柔らかにお願いします……」


 ルキアはともかく、ウォード、ソフィー、マリーと系統の違う先生役が揃っている中から、ステラが誰を最も合理的と判断して支持するのかは、そこそこ興味を惹かれる命題だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る