第117話

 この砦唯一の出入り口である正門に向かうルートを、フィリップは無心で歩いていた。

 いや、無心で、という表現は正確ではないか。フィリップは殊更に意識するまでもなく人を殺せる。敵も味方も関係なく。だから、ただ決闘に際して抱くべき緊張や恐怖とは無縁というだけだ。


 フィリップの心中に何も浮かんでいないのは、ただ眠いからだ。

 午後の陽気、満腹感、心底つまらないノーマンの長話と、柄でもない法についての思考。立ったまま寝落ちしてしまいそうだった。


 「安心しろ、殺しはしない」

 「……はあ」


 何とかひねり出した返事が呼び水になり、零れそうになる欠伸を噛み殺す。

 決闘を挑んでおいて殺す気が無いなんてあり得ないし、盤外戦術、油断を誘う精神攻撃の類だろう。相手に殺す気があろうと無かろうと、フィリップには関係の無い話だった。


 ふらふらと正門を潜り──がし、と。首根っこを掴まれる。


 「こっちよ、フィリップ」

 「遅いぞ、カーター。自分で言いだしておいて」

 「……あぁ、ルキア、殿下。ちょっと待っててくださいね……」


 正門の外では、剣を作り出すという魔術を見せてくれ、と頼んでいたルキアとステラが待っていた。


 ぼーっとした顔のフィリップを猫のように捕まえたのは、呆れ顔をしたステラだ。


 「お、王女殿下、サークリス聖下!」


 慌てて跪いたノーマンに、二人は一切の意識を向けていなかった。

 フィリップは眠気にとろんと溶けた目で、まさか昼寝でもしていたのかと胡乱な目をするステラを見返す。


 「いまからちょっと、このひとをころしてくるので……」

 「はぁ? おい、寝言にしては不穏過ぎるぞ」


 フィリップの頬をむにむにと弄びながら、ステラが呆れ声で突っ込む。ルキアは何も言わないが、顔には色濃い苦笑が浮かんでいた。

 普段ならやめてくださいよと振り払うフィリップが、もにょもにょと意味の無い音を漏らしながらされるがままになっている辺り、たぶん本当に眠いのだろう。


 「遅刻の言い訳ぐらいしたらどうだー?」


 ステラが魔術を行使し、指先からスポイト一本分程度の水を噴出させる。その照準はフィリップの耳に合わせられていた。


 唐突に訪れた冷感に、フィリップの意識は急覚醒する。

 そして慌てて周囲の様子を確認し、くすくすと笑っているルキアと、少し怒った様子のステラに気付く。


 そういえばと思い返すまでもなく、フィリップが魔術を見せてくれと頼んだのは半時間ほど前の話だ。談話室から一緒に行こうというルキアの提案を、ウォードに一言断らないとと言って蹴ったそのフィリップが、こうして遅刻していては道理が通らない。


 ルキアは怒っていないようだけれど、それは彼女が寛大に過ぎるだけだ。

 普通はステラのように、「お前何してんの?」と突っ込みの一つもしたくなる状況だろう。


 「……すみません、言い訳してもよろしいでしょうか」


 首根っこを掴まれたまま、授業中のように手を挙げて発言を乞うフィリップ。

 「認めよう」と端的に頷いたステラに礼を言ってから、フィリップは全て正直に話すことにした。


 「この人に決闘を挑まれたので、終わってから合流しようと思っていました」

 

 トイレに寄ってから行くつもりでした、とでも言うような軽い調子で、人一人殺す算段を語る。

 しかし残念ながら、フィリップの殺人能力はともかく、移動能力はそこまで優れていない。二キロ先で戦って二キロ戻ってくるとなると、普通に歩いて一時間かかる道程だ。眠気に侵された頭で、5分もあれば終わるかな、なんて考えていたフィリップは気付いていないが。


 そして、突っ込みどころはそこではない。


 「決闘?」

 「……そいつとか?」

 

 ルキアとステラの目から、寝惚けて遅刻した友人に対する揶揄の色が抜け落ちる。

 残っているのは敵に向けられる冷酷な殺意だ。


 「何故もっと早く言わなかった? ここに来た当日には挑まれていたはずだが?」

 「え? いやいや、さっき言われたんですよ」


 そこで、と中庭の方を指すフィリップの言葉に嘘を感じなかったのか、ステラはフィリップを解放し、意味が分からんと首を振る。


 決闘に際して、貴族は必ず貴族院決闘管理局に届け出を出さなくてはならない。

 決闘が正しく行われているか、正当性のある決闘か、相続権の移行手続きは完了しているかなど、彼らが諸々の事項を精査するのに三日はかかる。それらの手続きが終了したあと、戦闘経験のある騎士か魔術師を立会人として手配するので、総じて一週間くらいはかかるはずだ。


 「どうして決闘を挑まれたの?」

 「あ、なんか懐かしい質問ですね。えーっと……」


 ルキアの質問に、フィリップは眠気に苛まれていた時分のことを懸命に思い出す。


 懐中時計に触れたあたりでルキアの顔から表情が抜け落ち、ステラについて触れたあたりで彼女の顔には呆れ交じりの苦笑が浮かぶ。

 事実だけを淡々と述べるフィリップの報告が終わると、我が意を得たりとばかりノーマンが立ち上がった。


 「左様です、両聖下。これは自らの分を弁えない卑俗な者に対する、我々青き血潮を流す者からの教育なのです!」


 ──沈黙。

 フィリップは「立っていいなら跪く必要は無かったのでは?」と礼節に疎いがゆえの考えを抱き、ステラは眼前の馬鹿とゴブリンのどちらが賢いのだろうかと本気で考え、ルキアは口をぽかんと開けて驚いていた。あのルキアが、だ。


 「……カーター、私を揶揄っているなら、バラすタイミングは今だぞ」

 「そうね。冗談は嫌いではないけれど……たとえ自虐でも、貴方が貶されるのは不快だわ」


 二人は一旦、眼前の馬鹿はとんでもない大根役者で、馬鹿を演じる精度が低い──ここまでの馬鹿がいてたまるかというほど大袈裟に演じてしまっているのだと思うことにしたらしい。

 フィリップが軍学校の生徒と仲良くなって、結託して二人を揶揄っているのだと思った方が、まだ真実味があった。


 しばらく待ってもフィリップが「バレましたか」とばつが悪そうに笑わないことで、二人の機嫌は急降下した。


 「……王国法では、貴族には決闘の権利が認められている。それは名誉回復の手段として、主義を主張する手段として、そして懲罰権の対象とならない統治領外の平民を教育する手段として」


 うんうん、とノーマンだけでなくフィリップも頷く。


 「その権利の行使には事前の申請と、決闘管理局による調査、公的立会人の同席が必須となっている。自慢ではないが、お父様もそれなりに合理的な御方でな、軍事にも医療にも外交にも使えんそんな部署に、有能な人材を回されることはない。申請から執行まで、およそ一週間かかる」


 うん? と二人は揃って首を傾げる。

 だが「知りませんでした」が許されるのは、王国法を学ぶ必要のないフィリップだけだ。


 「へぇ……じゃあ、今回のは正式な決闘じゃないってことですか」

 「より正確に言うのなら、決闘ではなくただの私闘だ。決闘ではないならこいつにお前を殺す権利はないし、お前は不当に身命を脅かされたとしてこいつを訴える権利がある。法的にはな」


 ステラがさらりと付け加えた「法的には」という言葉は、その法に則って訴え出る者より、その場でボコボコにする者が圧倒的に多いがゆえだ。

 これは法的にはグレーだったりするが、殺してしまえば「死人に口なし」というわけで、どうとでもなる。


 「ふ、ふん。そういうことだ。貴様は平民らしく分を弁えて、大人しくしておけ」


 そう吐き捨てたノーマンに、「え?」と、三人の声が重なる。

 彼はステラを含む三人が再起動するより早く、勝ち誇ったように「では両聖下、失礼いたします」と一礼して去っていった。


 ノーマンの脳内では、ステラの言葉は「法的には訴求可能だが、平民の訴えが貴族に届くことは無い」という意味に変換されたのだろう。真実は「ここで殺してもいいぞ」だったので、ほぼ真逆だった。


 「……凄いな。あのルキアが、我々聖痕者の中でも一二を争うほど手が早いと言われたルキアが、驚愕に忙しくて殺意を覚える暇もないほどの……馬鹿だ」

 「……不名誉な紹介ありがとう」




 ◇




 剣を生成する魔術で立ち会う二人を見ていたら、ウォードと合流するのをすっかり忘れていた。

 事前に何も言わずにふらりといなくなったわけだし、せめて一言謝っておくべきだろうとウォードを探す。夕食を終えて部屋に戻れば会えるだろうけれど、こういうのは早めに謝っておいた方が後腐れが無い。

 

 夕食までまだ二時間くらいあるし、真面目なウォードのことだ。中庭の隅で素振りでもしているに違いない──と、思っていたのが一時間前の話。

 フィリップは未だ、ウォードに会えていなかった。


 もしかして二人とも互いを探して彷徨っている、一番駄目なパターンなのでは? という懸念すら浮かぶ。


 きょろきょろしながら彷徨っている生徒は、ペアと合流する食事の直後などでは珍しくない。しかし、流石に昼食から2時間も過ぎた時分とあっては目立つ。

 フィリップの容姿もあって「大丈夫?」とか「どうしたの?」と訊ねてくれる生徒は軍学校生の中には何人か居たけれど、「一緒に探そうか」と言い出す前にペアの魔術学院生がどこかへ連れて行ってしまう。群衆の中から人を探す以上、猫の手も借りたいところなのに。

 

 「お困りですか、カーターさん」


 どう見ても迷子な11歳の子供に対するにしては固い、淡々とした、しかし慇懃な口調で背後から声をかけられる。

 その特徴に当てはまる人物を、フィリップはきちんと記憶していた。


 「マクスウェル様」


 軍学校首席、アルバート・フォン・マクスウェル。短めの金髪を七三に分けた、几帳面そうな青年だ。


 「はい。実は、ペアとはぐれてしまいまして」

 「……確か、ウォード・ウィレットでしたね。お手伝いしましょうか」


 正直に言って、その提案は渡りに船だった。

 フィリップは視点が低いから年上の人間が沢山いるだけで探しづらいし、それはウォードがフィリップを探すときにも障害になる。フィリップの矮躯は人の影に埋もれやすいのだ。長身のアルバートはいい目になる。


 それに結局、人探しに役立つのは結局のところ、目の数と捜索範囲だ。人手が増えるのはそれだけでありがたい。


 「申し訳ありません、お願いします」

 「気にしないでください。見回りのついでですから」


 見回りなんてしているのか、という感想を呑み込み、代わりに礼を言って頭を下げる。見回りということは生徒の多い中庭がメインだろうし、フィリップは部屋に戻ってみて、居なかったら……外? それはちょっと勘弁してほしい。外周二キロはちょっと広すぎるし、魔術や矢が飛び交っている。絶対に人探しをしたくない空間だった。


 「……カーターさん。もう少しだけ、お時間を戴いてもよろしいでしょうか?」

 「構いませんけど……」


 苦々しい表情を浮かべたアルバートに呼び止められ、捜索を再開しようとしていたフィリップは足を止める。

 特に何かをやらかした覚えはないけれど、故意ではないとはいえ現在進行形でペアと別行動している身だ。怒られるかもしれないぞと警戒したフィリップに、アルバートは背筋を真っ直ぐに伸ばした形式通りの礼を見せた。腰の角度はぴったり30度なのではないだろうか。


 「私の弟が失礼をしたようで、大変申し訳ありません。家族として、先輩として、きちんと指導しておきますので、ご容赦ください」


 いきなり頭を下げられたフィリップが困惑するより早く、アルバートが意図を伝える。

 予期した説教ではなかったフィリップは安堵すると同時に、謝罪の理由についてさっと思考した。弟というと、午前に絡んできたマルクのことか。わざわざ謝罪しに来るくらいなら、彼がその場にいたら止めた筈だ。野次馬の誰かから聞いたのだろう。

 

 「いえ、貴族様の振る舞いですから」


 気にしていませんよ、と笑ったフィリップに、アルバートは首を横に振る。


 「我がマクスウェル家は、父の働きによって爵位の世襲権を得た新興の家です。奔放な振る舞いは避けるべきですし、何より、他人と接するのに相手を尊重しないのは不道徳でしょう」

 「……そうですね」


 相手を尊重するどころか、天地万物を冷笑する価値観を持つ身としては、非常に耳が痛い話だった。

 返答に要した不自然な間を誤魔化すついでに、フィリップは以前から気になっていた質問を差し込む。


 「だから、マクスウェル様は僕に対しても丁寧に接してくれるんですか」

 「カーターさんは当校の生徒ではありませんからね。後輩のように雑な対応はできませんよ」


 後輩に対してはもっとラフだ、と冗談交じりに言って、アルバートは「さて」と視線を中庭の方へ投げる。


 「そろそろ見回りに戻ります。ウィレットを見つけたら、そうですね……正門に向かうよう伝えておきます」

 「ありがとうございます、助かります」


 フィリップとアルバートは互いに一礼して、反対方向へ歩き出した。



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