第116話
ステラとフィリップが去ったあと、マルクは歯を食い縛って震えていた。
それは自分の諫言を聞き入れなかったステラと、貴族である自分以上に王女と親密な様子のフィリップに対する二つの怒り、衆人環視の下で蔑ろにされた恥辱と、マルク自身も自覚できていない恐怖によるものだ。
「なんなんだ、あのチビは!」
怒鳴り声の宛先はフィリップのペアであるウォードだったが、彼は危険を察知して遁走した後だった。
それを悟ったマルクは苛立ちを紛らわせるように、持っていた模擬剣を地面に叩き付ける。
癇癪を起した子供のような振る舞いに、取り巻きの二人、アンドレとノーマンがおろおろと宥める。その甲斐もなく、周囲にはひそひそと囁く声が伝播し始めた。
「あれって騎士団長の次男坊でしょ?」
「えぇ? 粗暴すぎでしょ。礼節も全然なってなかったし」
「所詮は成り上がり者の血よね……」
ぎちり、と音が鳴るほどに奥歯を噛み締め、歯を剥き出しにして怒りを抑えるマルク。
その有様も周囲の生徒が嘲る要素の一つになり、三人はそそくさと宿舎へ戻る。
男子・貴族用宿舎の廊下に敷かれた柔らかなカーペットを踏み締めるように歩きながら、ぶつぶつと文句や恨み言を垂れ流す。その後ろをついて歩きながら、アンドレとノーマンは慰める言葉を懸命に探していた。
フィリップをこき下ろしてみたり、マルクを褒めてみたり、ステラを心配してみたり、方向性を変えてみるも虚しい。
「そ、そういえば、あの平民はなんで懐中時計なんて持ってたんだろうな!」
ノーマンの試みた話題の転換は、アンドレには失策のように思えた。
わざわざフィリップの話題にする必要なんてないし、もっと適当な昼飯のメニューや狭い部屋への愚痴で良かっただろうに。
「あんなの、平民が持ってて良いモノじゃないだろ! なぁ?」
もういい黙れ、とアンドレが口を塞ぐ前に、マルクが足を止める。
すわ撃発かと身構えた二人の予想に反して、彼は一転して歩調を緩め、ゆっくりと歩き出した。
「……確かに、あれは平民の手には余る代物だな」
「なっ!? う、奪い取ろうとか言い出さないよな……?」
ぼそりと呟いたマルクに、アンドレが恐る恐る問いかける。
マルクとノーマンは顔を見合わせて笑い、その心配が杞憂だと示す。「そんな貴族らしからぬことはしない」というマルクの反論に、説得力はあまりなかった。
「ここは貴族らしく、決闘で正式に所有権を賭ければいいじゃないか。何だったら、俺がやるしさ!」
マルクが笑顔を見せたことで気が大きくなったのか、ノーマンがそんなことを言い出す。
その案が実に貴族的なものだと思えたマルクは、機嫌良さそうに頷いた。決闘が王国法で認められた正当な権利であるということを知っているアンドレも、その言葉を否定することは無かった。むしろ、正当性があるなら大丈夫だと思考を停止してさえいる。
「いいじゃないか。お前が勝ったら、懐中時計はお前のモノだぞ」
「ほ、本当か!? よし、昼飯が終わったら早速挑みに行くよ! 二人は部屋で、俺が持ち帰る戦利品を楽しみにしててくれ!」
ノーマンの剣術はそこそこだ。
軍学校の中では平均から少し上くらいであり、当然ながら昨日今日初めて剣を持った子供相手に負けるはずはない。
だが三人は忘れている。
そもそもフィリップは剣士ではなく、どちらかと言えば魔術師であることを。
そして誰も正式な決闘の経験など無く──フィリップが経験者であることを知らない。
フィリップにとっての決闘が、ルキアやカリストといった正しく貴族であった者に教導された、真に己の全てを賭けて戦う殺し合いであるなどとは、想像もできていなかった。
◇
中央塔、食堂、将官用談話室。
ルキアとステラ、そしてフィリップの専用席となったそこで、三人は昼食を摂っていた。
魔術学院の食堂より数段質の落ちたメニューではあるけれど、別に不味くはないし、栄養も取れる。美食家ではないフィリップはすぐに慣れた。
今日の昼食はソースのかかったローストビーフとサラダ、パン、あとはボトルクーラーに入ったワインだ。
今日も今日とて、フィリップのグラスには水が注がれている。
「二人とも、全然酔いませんよね」
「体質と慣れだろうな。魔力と内臓機能の相関性を研究中だが……」
「関係ないんじゃない? お姉様はあまり飲めないし」
優雅にワインを傾けながら、二人が応える。
相関性があるならフィリップは全く飲めないということになるけれど、母アイリーンは地元屈指のうわばみでありながら非魔術師だ。たぶん関係ないだろう。尤も、相関性があるからといって万人がそれに当てはまるとは限らないのだが。
「かっこいいですよね、ワインとか、ウイスキーとか。全然美味しくなかったですけど」
「子供舌……いや、田舎の酒は濾過が甘いと聞いたことがある。交易品ではなく自家製のものだったんじゃないか?」
酒に関する知識の薄いフィリップでは、濾過が甘いから美味しくないという理屈がピンとこない。
ステラも別に酒に関する知識を仕込むつもりはないのか、それ以上は何も言わなかった。
ステラの視線が談話室の壁際に設えられたキャビネットを舐め、呆れたように目を細める。
「ここのコレクションは大人向けというか、老人向けだな。苦くてキツいのばかりだ」
「いや、別に飲みたいわけじゃないので……」
王都のものより硬いパンを水で流し込みながら、フィリップはそう苦笑した。
「そういえばフィリップ、剣術の調子は──」
「──そうでした! ルキア、魔術で剣を作れるってホントですか!?」
ルキアの言葉に記憶を刺激され、思い出したことを勢いのままに出力するフィリップ。
彼女は言葉を遮られても嫌な顔一つせず、フィリップの言葉の真意を探る。
「『ライトセイバー』とか『ダークセイバー』みたいな、直接攻撃系魔術の話? それとも、光や重力子を直接操作して剣を作れるか、という話?」
「直接操作は無理だろうな。重力子操作に要求される演算能力は馬鹿にならないし、光もそうだがエネルギー量が大きすぎる。ロングソードを作るまではいいが、成形限界以上のエネルギーが加わった瞬間に周囲が吹っ飛ぶ──つまり、振ったら大爆発するかもしれないし、当てたら確実に爆発する」
フィリップは「欠陥品じゃないですか!」と笑おうとして、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
呼んだ瞬間に周囲を吹き飛ばし、ついでに他人の正気も吹き飛ばすような魔術を使う身としては、その程度の欠陥を笑えなかった。
そんな内心を読み取り、ステラが「お前の召喚魔術よりは幾らか安全だな」と笑う。
「それはそうですね。……それで、ルキア、もしよかったら……その魔術を見せて欲しいんですけど……」
駄目かなあ、と、もじもじしながら上目遣いで見上げるフィリップに、ルキアは呆れたように苦笑した。
「いいわよ。午後の訓練が始まったら、正門前に来て。流石にここでは、ね?」
「あ、そうですよね。分かりました!」
──と、そんな話をしていたのに。
事情を話すためにウォードを探していたら、例の三人組の細長い人、ノーマン・フォン・ロームに絡まれてしまった。
ステラとフィリップでは血筋が釣り合わないとか、彼女に軽々しく話しかけるなとか、そもそも平民が魔術学院に通うこと自体がおかしいとか、懐中時計という高価なだけでなく芸術的価値も高い逸品を持っていていい人間ではないとか、そういうことを今も延々と羅列されている。
昼食後ということもあるし、午後の陽気が心地よいというのもあるが、何より話がつまらない。眠気を堪えるのが大変だ。
「──故の、決闘である!」
「……僕の懐中時計と、殿下と話す権利を賭けて? あの、過去に邪神に会ったりしましたか?」
この場にステラがいたら吹き出すこと請け合いの皮肉、「発狂しているのか」という遠回しな質問はしかし、ノーマンには伝わらなかった。
「何を言っている? 受けない、などという選択肢は無いぞ? 貴族である私が、平民である貴様に突き付けた宣言なのだからな!」
そんなルールだっけ? とフィリップはカリストに挑まれた時のことを想起し、首を傾げる。
あの時は確か、フィリップの側に選択権があったはずなのだけれど……記憶違いだろうか、と。
ちなみに、フィリップの疑問は正しい。
王国法貴族章に明記された決闘の権利は、名誉の回復や主義の主張など、命懸けで為すべきことだと当人が判断した場合に認められ──相手には決闘を拒否する権利が、ちゃんとある。尤も、その場合は相手の主張を受け入れることになるので、相手の側も自分の主張を命に代えても通すべきだと判断した場合には、決闘が執行される。
フィリップは思考する。
この決闘を受けるべきか、拒否して相手の主張を認めるべきか。
主張を認めるのなら、誕生日プレゼントの懐中時計は没収され、ステラと話すことはできなくなる。
「物にも人にも、そこまで拘りがある方じゃないんですけど……殿下は僕の理解者ですし、これもルキアに貰った大切なモノですからね」
それは命を懸けるほどのモノか、と言われると、正直首を傾げるところだ。
ステラとの関係性も、ルキアに貰った懐中時計も、フィリップの命にも、同じく価値はない。
だがそれらを奪われるくらいなら、眼前の人間を殺す。
今この場で最も価値が低いのは、フィリップにとってどうでもいいモノであるノーマンだった。
「決闘を受けます。期日はいつですか?」
以前は確か、一週間くらいかかったのだったか。
貴族なら相続権にまつわる手続きなどの身辺整理は必須だろうし、王宮に決闘を執行する旨の申請を提出し、立会人が派遣されてくるまでそれなりに時間がかかる。あれが最速だったのか、余裕をもってのスケジュールだったのかは分からないけれど……こんなことになるなら聞いておけばよかった。
「は? そんなもの、今すぐに決まっているだろう!」
「……ん?」
なんかおかしいぞ、とフィリップは首を傾げる。
王国は蛮族の国ではない。
いくら貴族とはいえ、人を殺せば罪に問われる。決闘はその例外規定ではあるが、それ故に細かいルールが決まっているのだ。
決闘の執行には事前の申請と王宮担当官による情報精査などが必須となっている。その手続きを事前に踏んでいたとなると、これは狂人が絡んできたのではなく、高度に組織化された計画的殺人だ。
フィリップはまさか相手が貴族でありながら貴族法を知らず、「貴族は決闘を挑める」という知識だけで行動している馬鹿だとは思わない。
より正確には、周囲に魔術学院で最高レベルの教育を受けた貴族と、ルキアという高位貴族でも例外に当てはまる天才、あとは幼少期から次期女王としての教育を受けてきたステラしかいなかったから、貴族にも馬鹿はいるという当たり前のことに思い至れない。
加えて、フィリップは王国法に明るいわけではない。
盗みは駄目とか殺しは駄目とか、そういう基本的な善悪観念は一般道徳として身に付いている──外神の視座に押し流されてしまったけれど──し、王国はそれで問題なく生きていける国だ。
貴族に決闘を挑まれるというシチュエーションは普遍的なものではないし、フィリップもカリストの一件が最初で最後だと思っていた。
だから、殊更に貴族法を勉強したりしなかったのだけれど、正直、失策だった。こんなことになるのなら、きちんと勉強しておくべきだった。
立会人無し、拒否権無し、即時執行というどう考えても──論理的には異常なこれが、法的にどうなのか、フィリップでは判断できない。
──けれど、まぁ。
殺せばいいのだろう?
フィリップが最も得意なことというか、特異に過ぎる手札で唯一許されたことだ。任せて欲しい。
フィリップは眠気に侵された頭で単純な解を導き出し、頷いた。
「分かりました。外でやりましょう。二キロ圏の端ギリギリ、誰も来ないようなところで」
魔術師対剣士という圧倒的有利な状況にあって、一撃貰ってヨグ=ソトースが出てくる可能性を考慮している辺り、フィリップの自己評価は正確だった。
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