第115話

 交流戦三日目。


 今日も今日とて散々地面に転がされたあと、フィリップはふと疑問を抱いた。

 模擬剣を支えにして立ち上がり、構え直してからそれを出力する。


 「基本の型とか、そういうのって無いんですか? まずはこれ! みたいなの」

 「……と、言うと、面打ちとか胴薙ぎとか、そういう型?」


 剣術の知識がここ数日分の経験しかないフィリップは面打ちも胴薙ぎも知らないので、逆に首を傾げる。

 しかしウォードの言葉は質問ではなく相槌だったのか、フィリップからの回答を必要としなかった。その代わり彼は違う質問を投げかける。


 「じゃあ聞くけど、ここ何日かの訓練で、「この型が使えたら僕に勝てた」っていう場面はいくつあった?」

 「えっと……練習中の受け身と剣の振りと止めの精度が足りないなっていうのは何度も思いましたけど……」

 「振りと止めも、素振りみたいな練習通りにいく場面なんて無かったでしょ? こういうのは極論、相手を殺せて自分を守れるならどれだけ無様な剣筋でもいいんだよ」


 ウォードは軽く手招きして「かかってこい」と示す。


 フィリップは頷きを返して突撃し、首を狙って突きを繰り出した。

 決まれば模擬剣でも相手を殺せるかもしれない、急所狙いに全力の攻撃。それをウォードは苦笑交じりに受け流し、フィリップの鳩尾に膝を当てた。


 膝蹴りをしたわけでもなく、めり込ませたわけでもない。慎重に手加減して、フィリップの突進の勢いすら考慮して、本当に当てるだけに留めている。それだけでフィリップは敗北を理解できるからだ。


 「今の、どうやったら再現できると思う? 受け流しの練習と、体術の練習? それって模擬戦でもできるよね?」

 「……確かに、そうですね。こうやって模擬戦をするのが一番早い、ってことですか」


 フィリップが今やっているのは実戦未満の何かだけれど──繰り返していけば、徐々に動きが最適化されていくということだろうか。いつかウォードに本気を出させるくらいに。


 「基礎筋力や基礎体力は必要になるし、「型」は剣術以外では使わないような筋肉を鍛えるのに有用なんだけど……それも極論、模擬戦で身に付くよね?」

 「なるほど……」

 

 理解を示して頷くフィリップに満足感を覚えつつ、ウォードは内心で苦笑した。


 実戦的な剣技を身に付けるのに実戦せずにどうする、とは、かつてウォードの師匠が言っていたことだ。

 当時のウォードは「この変態クソ脳筋はそうかもしれないが、一般人は違うだろ」とか、色々と反対意見を持っていたけれど──結局、ウォード自身も型の稽古なんて殆ど無しで育ってきた。


 今は強くなった実感があるから同意できているだけで、鍛錬を始めたばかりのフィリップが意を同じくできるはずがない。口では理解を示していても、脳内では「型の練習は一人でやろう」とか考えているはずだ。

 やればいい。身に付けた型が役に立たないわけではないし、それが悪癖になるようなら実戦で矯正すればいいだけのことだ。


 「じゃあ、もう一回ね」


 フィリップは頷き、模擬剣を構える。

 しかしフィリップが動き出す前に、二人の間にぞろぞろと数人が割り込んできた。ただ歩いているといった風情で駄弁りながらではあるが、剣を構えた二人の間を気付かず通るような間抜けはいまい。


 彼らは嘲るような笑みを浮かべ、明確にフィリップの──否、ウォードの邪魔をしていた。


 「──おっと、ウィレット。もしかして剣を振ってたのか? 悪い、中庭でままごとをしてる馬鹿がいるのかと思ったよ」


 よく見てみると、彼らは初日にウォードに絡んでいた貴族三人組だった。彼らのペアである魔術学院生が三人いるはずだが、周囲にそれらしい生徒はいない。同校の仲間内でつるむな、という言葉を聞いていなかったのだろうか。


 「平民が平民のチビ相手に剣を教えて気持ち良くなってるのか? 滑稽だな」

 「……何か御用ですか、マクスウェル様。仰る通り、今は彼に剣を教えているところなのですが」


 聞き覚えのある名前に、フィリップは退屈そうに空を見ていた視線を戻す。

 マクスウェルといえば、初日にフィリップを宿舎の入り口まで案内してくれた軍学校首席、近衛騎士団長の長子だというアルバートと同じ姓だ。


 ウォードに絡んでいる少年の顔をよく見てみると、確かに面影があるような気もする。


 「お前なんかが他人に教えられるのか? まあ、平民のチビには似合いの先生かもしれないが」


 彼の言葉に追従するように、他の二人がけらけらと笑う。

 なんでもいいけど早く終わってくれないかな、と。フィリップが模擬剣を弄び始めた時だった。


 「おいチビ、名前は? ……おい、お前だよ」

 「っと、なんですか?」


 模擬剣の柄を縦にして掌に乗せ、立てた状態でバランスを取るという遊びをしていたフィリップは、剣を掴み直してからそう応じる。

 話しかけてきたのはマクスウェル何某ではなく、その取り巻きのような少年だ。それなりに身長が高いうえに肥満体形で、目の前に立つだけでかなりの圧迫感がある。


 片手間のようなフィリップの返答に、彼は不快そうに眉根を寄せた。


 「お前、名前は?」

 「フィリップ・カーターです」

 「やっぱり平民か。俺はアンドレ・フォン・ローム。ローム子爵家の長子だ」


 親指で自分を指すアンドレに、フィリップは剣を置いて頭を下げた。


 「失礼いたしました。貴族様とは知らず、ご無礼をお許しください」


 貴族相手ではギリギリ失礼になるくらいの礼儀作法で謝罪したフィリップに、アンドレだけでなく他の二人も興味を持ったように視線を向ける。


 なんだどうしたとこちらを威嚇しながら歩いてくる彼らは、貴族というよりはチンピラに見えた。


 フィリップがくすりと漏らした笑いに反応して、マクスウェルがその双眸に明確な怒りを滲ませる。

 ぐい、とフィリップの襟首を掴み──胸に押し当てられた手に、不思議そうな目を向けた。マクスウェルを押しのけるほどの力は、体格的に無いにしても──あまりにも力が籠っていない。何がしたいのか、と。


 「殺しちゃだめだ!」


 『萎縮』を知っているウォードが叫ぶ。

 彼はフィリップが伸ばした片手を照準補助に使うことと、人間を炭の塊に変える恐ろしい魔術を使うことを知っている。まさかフィリップが人を殺しても何とも思わない人でなしだとは思うまいが、フィリップが実戦経験者であり、躊躇なく人間を攻撃できることも理解しているだろう。


 故に、ウォードは制止した。


 「はぁ? 殺しはしないさ。いま誰を笑ったのか教えるだけだよ」

 

 嘲るように答える。

 しかし、それで「今のは僕に言われたんじゃないな」と魔術を詠唱するほど、フィリップの空気を読む能力は低くない。自分を殴ろうとしている相手の前で無防備になるほど愚かでもないので、照準は外さないが。


 「俺はマルクだ。マルク・フォン・マクスウェル。知ってるか? マクスウェル家」

 「軍学校首席のマクスウェル様と同じ……近衛騎士団長のご親類ですか?」


 上から睨み付けてくるマルクの視線に、フィリップは物怖じすることなく、しかし睨み返すことも無く淡々と答える。殴られそうになったら殺そうかな、と、どう考えても自己防衛の域を出る過剰な報復をしようと考えながら。


 「そう、マクスウェル侯爵家が次男だ。そっちの細長いのがワトソン男爵家次男、ノーマン。何が可笑しかったのか知らないが、内に秘めとくべき相手だよ」


 マルクは凄むが、フィリップの表情は変わらない。

 それが気に障ったのか、マルクの手に力が籠る。それでもフィリップの態度は相変わらずの無感動で、そしていつでもマルクを殺せる状態だった。


 「マクスウェル様、相手は子供ですよ? 流石にやり過ぎです」


 ウォードが間に割って入り、マルクの手がフィリップの襟首から、フィリップの手がマルクの胸から離れる。


 「フィリップくんも、ちょっと掴まれたくらいで殺そうとするのはやり過ぎだ」


 離れてもなお魔術の照準を続けていたフィリップの前に立ち、ウォードは掲げた手をゆっくりと降ろさせる。


 フィリップはさっと思考し、ウォードの言葉の正当性を認めた。

 殴られる寸前ならともかく、今なら掴みかかってきても走って逃げられる。殺す必要は無くなった。まぁ殴られそうだからと言って全身を炭化させて殺すのも、どう考えてもやり過ぎなのだけれど……痛いのは嫌だし。


 「殺す? そのチビが、俺を? お前、冗談が──ッ!?」


 マルクが硬直し、慌てて跪く。

 他の二人だけでなくウォードも、気付けば周囲に居た全ての生徒が同じ方向を見て跪き、首を垂れていた。


 何事かと彼らの意識を辿ったフィリップの視線と、こちらに歩いてくるステラの視線がかち合い、フィリップの疑問は晴れる。


 「カーター、探したぞ」

 「あ、そろそろお昼ですか」


 懐中時計を取り出して確認すると、正午を過ぎ、もう間もなく昼食の時間だった。

 一等地の邸宅が家具付きで買えるという逸話を持つ高級品である懐中時計を目にして、何人かの生徒がごくりと生唾を飲んだ。同サイズの宝石でさえ、殺して奪いたくなるような値段が付くというのに、懐中時計の価値はそれを上回るのだ。


 幸いにして、懐中時計には市場が存在しない。

 基本的にオーダーメイドであるそれは、横流しや転売がまず不可能になっている。市場に出回った瞬間に出品者を辿られ、盗品や略奪品の場合は即座にバレるからだ。


 殺して奪いたいほどの価値があるのに、殺して奪ったとしても捌けない。懐中時計はそういう類の芸術品だった。


 「じゃあ、行きましょう。……そういえば、ルキアはどうしたんですか?」

 「エーザー……ペアと話してたが、そろそろ来るんじゃないか?」

 「あ、マリーとペアなんですね」


 覚えのある名前に反応したフィリップに、ステラは意外そうな表情を浮かべる。


 「知人か? まぁ、あれでもエーギルに次ぐ軍学校第三位の実力者だし──どうした?」


 前に「象は魔物ではない」と言われた時と同じ表情で、いやいやまさかそんなことがあるわけないよと首を振るフィリップ。

 軍学校生では極めて珍しい長髪のソフィーや、騎士団長の長子という如何にもな素性のアルバートは、「強いよ」と言われても納得できる。しかし、マリーは何と言うか──


 「変なお姉さん、って感じでしたけど」


 強い人、と言うよりは、変な武器を勧めてくる変な人、という感じだった。

 

 「あぁ、まぁ、確かにな。私もルキアとは長い付き合いだが、初対面であいつに二刀流を勧めた奴は初めて見たよ」

 「二刀流!?」


 とんでもなくかっこいいワードが出て来たぞと興奮するフィリップに、ステラは苦笑を浮かべる。


 「お前も知ってるかもしれないが、あいつが勧める武器は使い手が少ないものばかりでな。ルキアは確か、スウェプトヒルト・レイピアとマインゴーシュの二本だったか」

 「名前を言われても分かりませんけど、二刀流とかかっこいいじゃないですか!」


 剣を振るまでもなく、腕の一振り、指の一弾きで敵を殺せるルキアにとっては無用の長物かもしれないけれど──想像してみてほしい。

 漆黒のゴシックドレスを身に纏い、艶やかな銀髪を靡かせる二刀流の剣士を。まさに冒険譚の登場人物ではないか。


 ルキアは確か儀礼剣の心得はあるけれど、実戦剣術を身に付けてはいないはずだ。その必要が無いし、泥臭いし。

 だからたぶん、「嫌よ、そんなの」とか言って断ったのだろう。


 「説得しましょう! 今すぐに!」

 「いや、あいつは──」


 苦笑交じりにフィリップの言葉を否定しようとしたステラはしかし、最後まで言い切ることが出来なかった。


 「畏れながら申し上げます、ステラ・フォルティス・ソル・アブソルティア・レックス第一王女殿下!」

 

 跪いた姿勢のまま声を上げたのはマルクだ。


 王位継承者レックスの称号を付けて呼ばれ、ステラが眉をぴくりと動かす。

 それは公的な場、式典などでしか使われない称号だ。逆説的に、その名を呼ぶということは、この場が公的空間であるということを示す。宰相や騎士団長といった、ステラより立場が下の人物が彼女を諫めるときに使う、いわば諫言を上奏する際の定型文だった。


 「──ふぅ……」


 ステラは一度、二度と深呼吸を繰り返す。

 今にも撃発しそうな怒りを鎮めるように。


 事実、ステラは呆れると共に、怒っていた。

 空腹による苛立ちを抜きにしても、眼前の愚者の行いは目に余る。何を言いたいのかは知らないが、ステラの言葉を遮るなど宰相──ルキアの父、サークリス公爵ですら叱責を受ける暴挙だ。


 空気が切り替わったことを悟ったフィリップが、おどおどとステラとマルクを交互に見遣る。


 「殿下はいずれ王国を統べる、この国で最も貴き御方! 斯様な下賤の者と直接お言葉を交わされることなど、あってはなりません!」


 ステラが何も言わないのをいいことに、マルクが言葉を続ける。芝居がかった口調が記憶を刺激して鼻についた。


 彼の口調はともかく、言葉には一定の真実がある。確かに、本来は第一王女にして次期女王、国家の頂点にほど近い彼女とフィリップが対等に口を利けるはずはない。普通は対面すら許されず、正式な書状の提出という形でのみ意思の伝達ができる。最低でも、従者や補佐官などが間に立ち、双方の言葉を仲介するという形をとることだろう。


 しかし、彼女はあらゆる公的権力を超越したところにいる聖人だ。故に「そうすべき」振る舞いを無視できる。

 何より、その手の儀礼が一定の効果を持つ公的な場ならいざ知らず、私的な会話で彼女がそんな面倒くさい──非合理的なことをするはずもない。


 「貴様──」

 

 救いようのない馬鹿を見る目をしたステラに、フィリップは思わず目を瞠る。

 まだ二月ほどの付き合いしかないけれど、そんな顔は初めて見たし、彼女から殺意の気配を感じたのも初めてだ。


 「名は、何という?」

 「はっ。マルク・フォン・マクスウェル、近衛騎士団長レオナルドが次男であります。王女殿下」


 名を訊ねられたことが心底嬉しいというように、マルクは声を弾ませて答える。

 しかし、ステラの目はどうしようもなく冷え切っていた。


 「では、訊くが、マクスウェル。貴様は何の権利があって、私の行いを戒めた? 私人としての私の行いではなく、次期女王としての私の行いを諫める権利を、お前は何を根拠として主張する?」


 思いもよらぬ問いだったのだろう、マルクは言葉に詰まる。


 「私が友人とどう話そうと、お前には関係の無いことだ」

 

 ステラは追撃はせずそう吐き捨て、フィリップの手を引いてその場を立ち去った。

 後には冷え切った空気と、怒りと恥辱で顔を赤く染めたマルクが残される。ウォードは君子危うきに近寄らずとばかり、ステラとほぼ同時に姿を消していた。



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