第113話

 絢爛豪華と言うよりは、落ち着いたアンティーク調の装飾が各所に施された将官用談話室。

 その中央に据えられたダイニングテーブルで、ルキアとステラが向かい合って座っていた。


 「遅かったじゃないか、カーター。待ちくたびれたぞ」

 「待つのが嫌なら、先に食べればよかったじゃない」


 言葉の割には明朗に言うステラと、そんな彼女に呆れと揶揄を向けるルキア。

 彼女たちの前には一般生の食事より数段豪華なメニューが並んでおり、ワインクーラーに入ったボトルまで見える。


 「それだと寂しいじゃないか」

 「私は待つもの。寂しくないわよ」

 「私が、寂しいだろうが」


 ルキアはステラの言葉にくすりと笑って、その笑顔をフィリップの方に向け、隣の椅子を示す。

 フィリップがここに来ると確信していたように、そこには二人と同じメニューが並んでいた。ステラは「待っていた」と言っていたし、本当にフィリップがここに来ると予想していたようだ。


 「二人とも、なんでこんなところにいるんですか? 食堂を一周して探したんですけど」


 恨み言のようにも聞こえる言い訳に、ステラは罪悪感を覚えた様子もなく淡々と答える。


 「私が食事をするのに周りに人が沢山いる、なんて状況が許されると思うか?」

 「……それはまぁ、確かに」


 人払いして収容人数を減らすくらいなら別室で、ということか。

 彼女の立場と合理的な思考を理解していれば、すぐに思い付いたかもしれないけれど──残念ながら、フィリップにとって二人が高貴な立場であるというのは、ただ「そう知っている」だけの実感を伴わない事実でしかなかった。


 言われた通り、ルキアの隣に座ろうとする。

 しかし寸前で、食堂を一周してまで二人を探していた理由を思い出した。その用事があるからわざわざウォードを連れ込んで、夕食のトレーを取る前に二人を探したのに。


 「っと、そうでした。紹介したい人がいるんですけど、いいですか? ルキアに……いえ、ルキアを」


 後ろにいたウォードを示し──振り向くと、そこには閉じられた扉があるばかりだった。

 すぐそこで所在なさげに、しかし期待に胸を膨らませて佇んでいるとばかり思っていたのだけれど、何処に行ったのだろうか。


 「あれ?」

 「いや、あのな? 安全保障上の理由で別室にいるんだから、見知らぬ人間を入れられるわけないだろう?」


 そりゃあそうだと、フィリップは軽く納得する。


 「うーん……じゃあ、後にします。先に食べ始めててください」


 扉を開けると、ウォードは呆然としたまま左右の門番役の先輩と顔を見合わせていた。

 彼はフィリップに気付いてもなお、その表情のままこちらを見るだけで何も喋らない。


 「どうしたんですか? ルキアに紹介する、って言ったと思いますけど」

 「いやいやいやいやいやいや」


 ウォードが壊れた。

 今回に関してはフィリップは何もしていないのに──神格招来どころか、邪悪言語を口にしてすらいない。邪神の名前だって呼ばなかった。もしかしてフィリップの知覚外で神話生物にでも遭遇したのだろうか。


 「いや、今の……え? ルキ……え? だって……えぇ!?」


 人間は何をするまでも無く狂い、死ぬ、脆弱で矮小な生き物だとは知っているけれど。いざ目の前で見ると、「ここまでか」という失望にも似た感動がある。


 ウォードのことは残念だった。後始末はソフィーにでも任せて夕食にしよう。


 「いや、ちょ、ちょっと待って!?」


 踵を返したフィリップの腕を縋るように掴み、きちんと意味のある言葉を紡ぐウォードに、フィリップは発狂判定が早すぎたことを悟る。今のはただの混乱、狂気未満の健全なものだと。


 流石にいくら何でも、美人を見ただけで発狂はしないか。

 ルキアやステラの容姿は極めて整っているけれど、それでも人間の範疇だ。マザーやナイ神父、ナイ教授といった精神に毒になるほどの美ではない。


 少し人間を侮り過ぎたと自省するところだ。


 「今の、ルキア・フォン・サークリス聖下だよね!? 一緒にいたのは第一王女殿下でしょ!? どうなってるの!? というか君は何者なの!?」


 うんうんと頻りに頷く、ソフィーともう一人の門番役。

 確かに平民の子供が一緒にいるのはおかしい相手だけれど、では魔王の寵児が一緒に居て自然な相手かというとそうでもなく。というか「魔王の寵児」という肩書、或いは特性は「何者ですか」と訊かれて答えに使えるほど、普遍的に周知されているものではない。


 「まぁ、それはさておき」

 「さておけないよ! 僕は君にどう接するのが正解なの!? 君、本当はめちゃくちゃ良い血筋の人だったりしない!?」

 「めちゃくちゃ良い家柄の人間が、部屋に出た虫を踏み潰したり、自分で掃除したりすると思いますか?」


 自分ではいい返しだと思った説得を、ウォードは「分からないよ!」の一言で切り捨てた。

 そういう思考停止が説得を含む会話の天敵だと、彼は理解しているのだろうか。


 「僕、他人の言葉を聞かない人って嫌いなんですよね。同じ理性を持つ人間じゃない感じがして」

 「え、あ、ごめん……」


 フィリップが本気で抱いた嫌悪感に気付いたのか、ウォードのテンションと勢いが急降下する。

 しかし抱いた疑問は消えていないようだし、唐突な嫌悪の吐露で誤魔化されてもくれなかった。


 「えっと、僕の知り合いの貴族はしないだろうけど、君はいい人みたいだし、するのかも?」

 「いい人と言うならルキアも殿下もそうですけど、多分誰かに命じると思いますよ? それと、僕は貴族ではないです」


 フィリップの言葉のどこがそんなに異常なのか、ウォードは頭を抱えて悶絶する。

 答え合わせをしてくれたのは、一頻り悶えてからだった。


 「それだよ! ファーストネームで呼んでるから、同名の別人というか、君の友人なのかと思ったんだよ!」

 「友人ですけど……。まぁ、言いたいことは分かりました。それで、申し訳ないんですけど」


 フィリップがそれ以上言葉を紡ぐ前に、ウォードが両肩を掴んで止める。


 「いや、いい、分かった。元々ご飯は別々で食べるっていうルールだし、君は友達……と、食べてくれ。紹介もしなくていい。君の言葉を全面的に信じる」


 嘘だろうなあ、と。魔術学院生で似たような反応を経験しているフィリップは、そんな諦め交じりの予想を立てる。ちなみに正解だ。


 「あとでちゃんと話します。寝る前とかに」

 「いや、えっと……うん、お願いするよ」




 すぐに戻ってくるという確信があったからか、フィリップが戻ると、二人は食事を始めていた。

 気を遣わせないように、という気遣いを感じ、「お待たせしました」とだけ言って席に着く。


 卓上には色々なメニューが並んでいたが、どれも魔術学院の食堂で出るものより見栄えも味も劣っていた。

 王都最高級の食材と人材が集まる一等地の学校と、王都外の軍事施設では比べる方が失礼かもしれないけれど──どうにも、食が進まない。


 「なんか、あんまり美味しくない……いえ、学院の食堂の方が美味しいですね」

 「シェフ泣かせの評論だな……ほら」


 ステラはグラスの口元を拭い、フィリップに差し出す。

 中で揺れる紅玉色の液体は聞くまでもなく、ワインクーラーに入ったボトルの中身と同じだろう。アルコールで流し込め、ということか。


 「……うぇ」


 前に宿泊客から貰ったウィスキーでもなく、教会でたまに出てくるビールでもなく、見た目が一番ジュースっぽいワインなら飲めるのではないか。そう思っていたのは、どうやら間違いだったらしい。

 ぶどうジュースみたいな見た目のくせに、なんか妙に苦いというか渋いし、全然おいしくない。


 「無理しなくていいのよ」


 内心をそのまま反映した表情を浮かべたフィリップに苦笑したルキアが、グラスをひょいと取り上げる。

 そのまま口を付けるのを見たステラが「なんでお前がそれを飲むんだ。意味が分からん」と首を振り、卓上に置かれていたルキアのグラスを取って口を付けた。


 暗殺者が酒に毒を盛る理由と、ステラが食事中に人を遠ざける理由が分かったような気がした。


 「そういえば、カーター。今日は何処にいたんだ? 外に居なかったよな?」

 「あ、はい。いま剣を習ってて」


 交流戦の期間中、学生たちが行動できる範囲は砦内部と外部の周囲2キロ圏内だ。

 四方に砦の外壁がある中庭は剣や槍といった近距離武器の練習用、周囲に隔てるもののない外部を弓や魔術といった遠距離戦に割り振り、各ペアは練習したい事柄に合ったエリアへ移動することになっている。弓や魔術より圧倒的に射程の短い投擲の練習も外でやっているし、剣対魔術のクロスレンジの模擬戦は中庭でやっているので、かなりいい加減な区別だが。


 魔術に自信のあるペアは外で、魔術に自信の無いペアは中にいることが多いので、二人が外に居たのは納得できる。


 「剣を? ……あぁ」

 「いいんじゃない? ステラは実戦剣術の心得もあるし、学院に戻ってからも続けたら?」


 そうなんだ、という相槌程度の意味しか含めなかった視線を受けて、ステラは「構わないぞ」と頷いた。


 「じゃあ、戻ったらお願いします。この期間中にやっておくべきことってありますか?」

 「私も専門家じゃないし、すぐには思いつかないな。……基礎体力をつける、とかか?」


 それはちょっと、一朝一夕でどうにかなるものではない。


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