第112話
フィリップが悪魔諸共に焼き払った何十棟かの建物の中に、ウォードの実家もあったらしい。
誰も死んでいないし、焼失した家財等は国が補填してくれるという話を聞いていなければ、フィリップでも多少の罪悪感を覚える告白だった。
つまり、フィリップはウォードに対して何ら罪悪感を覚えることなく、ただ「怒られるかもしれないな」という懸念と、「怒られるのは嫌だな」という自己中心的な思考だけを持っていた。
彼が自分の家にどれだけの愛着を持っていたのかは知らないし興味も無い。
ただ「なんで家を巻き込んだんだ」とか、「誰か死んだらどうするつもりだったんだ」とか、その手の詰問は避けられないだろう。
どう答えようか。
フィリップの心中をそのまま吐露すると、「ヤマンソが勝手にやりました。僕とヨグ=ソトースは星を守ろうとしました」だ。召喚物への責任転嫁や無能を言い訳にするのは、あまり褒められた行いではないし、何より信じて貰えるはずがない。
証明は、まぁ、できなくもないけれど。
「あー……っと」
張り詰めた空気を生んだ自覚はあるのか、マリーが晴らす言葉を探る。しかし何も思い浮かばなかったのか、彼女の声は尻すぼみに消えた。
「どうなんだ、カーター君」
「……えぇ、その通りです。僕の召喚物が二等地の一部を悪魔諸共に焼き払いました」
誇るでもなく、悪びれもせず、ただ事実だけを報告するような調子でフィリップは告げる。
あなたの家を焼いたことにも、あなたの家族を殺していたかもしれないことにも、何の罪悪感も抱いていませんよ、と。そう思っていることが丸わかりの淡々とした口調で、普段と変わらない表情では、謝られても全く信憑性は無かっただろう。そう考えると、このくらいの態度が正解なのかもしれない。
ウォードはどう反応するだろうか。
全く怒らないのは有り得ないとして、掴みかかってくるくらいか? それとも殴る? フィリップとヨグ=ソトースが許容できるのは、きっとそのくらいまでだ。彼が剣を振り上げたら、せめて僕の手で殺してあげよう。
フィリップの心中に芽生えた的外れな善意と決意、敵意も悪意も無い無垢な殺意に気付くことなく、ウォードはフィリップの両肩を掴む。
そして、一言。
「すごいな!」
と、叫んだ。
「あの衛士団と一緒に戦ったのか!? ど、どんな感じだった!? やっぱり、すごく強かったのか!?」
フィリップは詰め寄ったウォードを抑えるように、その実『萎縮』の照準補助に使うため、彼の胸に押し当てていた手を降ろす。
ウォードの背後では、彼の肩を掴んで制止していたマリーが「えっ?」と声を上げて手を放した。
もし彼が二人の警戒を解く演技をしているのだとしたら、騎士ではなく俳優に向いている。或いは暗殺者に。
そう思えるほど、ウォードの瞳に宿る興奮の炎は熱く燃え盛っていた。
「高位悪魔って聞いてたけど、どんな感じだったんだ? どんな感じっていうのはつまり、衛士はどういう風に戦ってたのかって意味で、と、とりあえず、今日の晩、いや食事時にでも詳しく聞かせてくれないかな。もちろん今すぐでもいいんだけど、流石に対価も無しにっていうのはアレだから、今からちゃんと剣を教えるよ。エーザー先輩にも協力して貰って、二人でね。いいですよね、エーザー先輩?」
「……ごめん、アタシの名前しか聞き取れなかった。なんて?」
引いた様子のマリーの問いには答えず、或いは聞き流して、ウォードは早口にまくしたてる。
フィリップにも何を言っているのか分からない数分の羅列を止めたのは、嚥下仕損じたらしい彼自身の唾液だった。
「げほっ!? かはっ、げほっ……」
息切れするほど喋ったところに咳き込むのは辛そうだったけれど、フィリップとマリーはようやく止まったかと胸を撫で下ろす。正直、何を言っているのかまるで分らなかった。邪悪言語ですら理解できるフィリップが、だ。
「あの、ウィレットさん……」
「なんだい、フィリップくん」
さりげなく距離を詰めてきた。
「いや、フィリップさん」
と、思ったら離れた。反復横跳びか。
「衛士団、お好きなんですか?」
「そうなんだよ!」
即答だった。
マリーが気味悪がってどこかへ行くほどの──「あ、呼ばれたから行くねー」と、フィリップには聞こえなかった声を聞くほどの、即答だった。
「彼らは王国最強の軍隊でありながら、普段は王都の治安維持活動をしてるんだ。自警団とかと一緒にね。王城でふんぞり返ってる騎士団とは大違いだよ! 強さや地位を笠に着たりしないし、貴族と平民を区別なく扱うんだ。彼らが賄賂や恐喝に屈したことは一度も無いし、戦争ではいつだって最前線に出る。彼らこそ王国で最も誉れある人間だよ!」
「そうですよね!」
ウォードの言葉が言い終わるかどうかというタイミングでの、食い気味の肯定。
この場、中庭の隅ではフィリップとウォード以外にも幾つかのペアが素振りをしている。だからその言葉が他の誰かのものである可能性は、無きにしも非ずといった程度には有意だった。
では誰の言葉なのかと言われると、当然ながらフィリップのものだけれど。
周りで素振りをしていた、今はヒートアップしているウォードに不審そうな目を向ける幾つかのペアが、急に大声を上げたフィリップにも同質の視線を向ける。特に、年相応以上に落ち着いた振る舞いしか知らない魔術学院の生徒などは、目をむいて驚いていた。
「分かりますよ。彼らの人間性は素晴らしいの一言に尽きます!」
「や、やっぱりそうか! 一緒に戦ったことがある人は流石だよ!」
あれだけ語っていた割に肯定されるとは思わなかったのか、或いはそれだけ嬉しかったのか、ウォードが言葉を詰まらせる。
そうだよなぁ、ルキアは嫌いみたいだったけど、衛士が好きな人は勿論いるよなぁ、と。思わぬ理解者の登場に、フィリップもうんうんと頷く。
しかし、ウォードの言葉には一か所だけ、素直に頷けない部分があった。
「でも、王国で最も輝かしい人間性を持つのが彼らかと言われると、それはちょっと微妙ですね」
「……へぇ?」
フィリップの脳裏に浮かんでいるのは、今もなお心に刻まれているルキアの雄姿と、ライウス伯爵の決意だ。彼らを抜きにして、美しい人間性について語ることはできない。
彼ら無しに今のフィリップはない。人間性などという不確かで価値の無いものに拘泥する甘い性格を残し、人間という脆弱な存在を尊重していられるのは、彼らの魅せた輝きがあってこそだ。
「ルキアやライウス伯爵を知らずに「王国いち」と断定するのは、視野が狭いとしか言えません」
「伯爵? 貴族なんかが、衛士よりすごいって言うのかい?」
ウォードの言葉に一片の侮蔑でも感じ取っていれば、彼はこの砂埃の舞う砦の中庭で溺死するか、脱水し萎縮した炭となって砂塵に混じるところだった。
幸いにして、彼が抱いていたのは疑問と好奇心だけ──フィリップの気分を害するどころか、フィリップが好む感情だけだった。
「こと人間性に関してなら、優劣を決められませんね。彼らは一様に素晴らしいです」
「うーん……まぁ、貴族の中にもいい人はいるだろうけど、でも、衛士団は強いじゃないか。世襲制で国の重要な役職に就いてるだけの貴族なんかとは、ワケが違うよ。彼らは」
強さを基準に物事を語ることを嫌う──そうなると外神の独壇場になるから──フィリップは顔を顰めつつ、「強さならルキアの勝ちでしょう」と反駁する。
まさかこんな軽い調子でファーストネームを呼ぶ相手が、天下の聖痕者、最強の魔術師であるルキア・フォン・サークリスを指しているとは思わなかったのか、ウォードは「知らない人のことを言われても困るよ」と、本当に困った顔をする。
「……じゃあ、こうしましょう。夕食のとき、ルキアに紹介します。ついでにライウス伯爵についても語ります。それが終わったら、衛士団について語り合いましょう」
「それはいい! 是非そうしよう!」
今度はウォードが食い気味に肯定する。
衛士団の素晴らしさについての認識をある程度共有できているフィリップが、衛士団に匹敵するとまでいう相手に、それだけ強い興味を持っているのだろう。
気付けば君子危うきに近寄らずとばかり、周囲からは人の気配が遠ざかっていた。
◇
合宿中の食事は三食全て、厨房のある中央塔で摂ることになっている。中央塔と言っても正方形の砦の中心、中庭のど真ん中に聳え立っているわけではなく、正門の対角線上にあるひときわ大きな塔がそれだ。
流石は軍事施設というべきか、食堂は魔術学院生1000人弱を同時に収容できる規模だった。それと同等規模の食堂を備えている魔術学院は何なのかという疑問は、もしかしてフィリップくらいしか抱いていないのだろうか。
ウォードと二人で人気のないところを探して歩く。
生徒たちの喧騒を避けてというわけではなく、そういう場所に陣取っているはずのルキアと、きっと一緒にいるであろうステラを探しての彷徨だ。
柱の影や部屋の角などが怪しいと踏んでうろうろしていると、「将官用談話室」というプレートの貼られた扉を見つけた。フィリップたちの部屋の扉とは全く違う、硬く重そうな高級木材が使われている。
あやしい。
食堂内をぐるりと回ってどこにもいなかった
「こんばんは、エーギル様」
「あら、カーター君。さっきぶりね」
ソフィーはフィリップの後ろで居心地悪そうにしているウォードに目を留めると、浮かべていた穏やかな微笑を困り顔に変えた。
「しおりは読んでる? 原則、魔術学院生と軍学校生の食事時間は別にされているのだけれど」
「先輩方にも何人か友達と一緒に食べてる人がいたので、「原則」なんだな、と思いまして。……駄目でしたか?」
フィリップはこれでもルールにはこだわる方だ。
ルールそのものや、ルールに従うことを重んじているわけではない。ただ単に「そうしないと爪弾きにされるかも」という懸念と、ルールを守らないという動物性が非人間的なもののように思えるからだ。そして、そんな捉え方をしているフィリップに、ルールの穴を突くことに対する罪悪感は一片も無い。
「原則」と書いてあるんだから、「絶対」ではない。そんな考えで、ウォードを半ば無理矢理、魔術学院生の食事時間に連れ込んでいた。
「駄目ではないわ。両校の生徒同士の交流を目的としたプログラムだから、仲良くなってくれる分には構わないのだけど……流石に、全生徒を収容できる規模ではないから」
じゃあ俺も、じゃあ私も、とみんなが一緒に食事を摂ろうとするとパンクする。
しかし一部の生徒だけが、となると、「ずるい」とか言い出す生徒もいるのだ。だから「原則禁止」になっている。
「すみません。明日からはちゃんと別にします。……ところで、ここって何の部屋ですか?」
「ふふ、そんな探るような聞き方をしなくてもいいのよ」
フィリップはソフィーが笑った理由を図りかね、困惑の表情を浮かべる。
彼女はその察しの悪さにくすりと笑ってから、答え合わせをしてくれた。
「両聖下から言われているの。カーター君が来たら入れて、って」
「流石……!」
フィリップが二人を探して回ると予想していたのだろうか。
そう考えると、なんだか甘えたがる子供のように思われている気がして妙に恥ずかしくなるけれど。おかげで「二人に確認を取ってくれ」なんて面倒なことを言わずに済んだと考えれば、照れもすぐに収まる。
「じゃ、行きましょうか」
扉を開けると、中は想定の倍以上は豪華な内装だった。
まず第一に、広い。
フィリップたちが泊まる平民用の部屋の4倍はありそうだ。
内壁には磨き上げられた高級木材がふんだんに使われ、右手の壁は一面が絵画になっている。突き当りの壁には大きな窓があり、厚みのあるカーテンが掛かっていた。
天井には小ぶりながらシャンデリアも吊られており、壁掛けの燭台と、夜の冷たい空気を遠ざける炎を灯す暖炉と共に、暖かい色の光を投げかけている。
窓際に1セット、暖炉の近くに1セット、絵画の前に1セットのソファとローテーブルがあり、それらは統一された装飾からこの部屋に備え付けのものだと分かる。
部屋の中央には4人掛けのダイニングテーブルが置かれ、セットの椅子と同様、部屋のアンティークより一段新しいモノに見える。これだけは後から搬入されたのだろう。
それに掛けている二人──ルキアとステラのためだけに。
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