第111話

 大前提として、フィリップの魔術適性は一般人並みだ。

 彼が攻撃魔術をバンバン撃って火力に貢献する戦闘魔術師や、味方の武器や防具に強化魔術を使って支援する付与術師、回復魔術で前線を支える回復術師などの所謂『魔術師』として活躍することはないだろう。それは世界最強の魔術師二人からのお墨付きである。


 フィリップが持つ手札、ナイアーラトテップが自己防衛のために持っておくべきと判断した手札は、極端なまでの攻勢防御だ。

 敵を殺す。味方も殺す。周囲一帯から自分以外が居なくなれば即ち安全である。そんな頭の悪い魔術が数種だけ。


 そして今後も、フィリップが中級以上の魔術を身に付けることはないだろう。ルキアは「死ぬまで死ぬほど努力すれば不可能ではない」と言っていたけれど、フィリップは何が何でも魔術を使いたいわけではない。

 現代魔術でも領域外魔術でも、とにかく手加減の利く攻撃手段が欲しいだけなのだ。


 たとえば──剣術とか。


 「……と、いう訳で、僕に剣術を教えて欲しいんです」


 スケイルメイルを着た木製の標的人形をグズグズに萎縮させてから言うと、どうにも脅しのように聞こえるな、と。フィリップは自分の言葉に苦笑する。

 ウォードはその防御不可にして残虐無比な魔術に顔を引き攣らせつつ、「いいよ」と頷いた。


 「握り方は……そう。で、こう構えて……振ってみて」

 「──っ!」


 ぶん、と、無様な音が鳴る。

 フィリップが浮かべた苦笑に、ウォードは不思議そうに首を傾げた。


 「どうかした?」

 「いえ……弱そうな音だな、と」


 ソフィーが鳴らしていたような鋭い風切り音とは比較にもならない、鈍い音だ。

 彼女は三年生で、少なくともフィリップの三倍以上の鍛錬を積んでいる。比較する方が失礼というものではあるけれど、あの綺麗な音が耳に残っていた。


 「まぁ、確かにね。振りも遅いし、制動も甘い。これからさ」


 ウォードと並んで素振りをしていると、フィリップを知らない軍学校生が奇異の目を、フィリップを知る魔術学院生が不審そうな目を向けてくる。

 剣術を修める必要のない魔術師が、或いはやんごとなき身分である枢機卿の親族が剣を振っていたら、確かに不審だ。中には「馬鹿にしてるのか」という険のこもった視線を向けてくる生徒もいたが、フィリップの年齢に気付くと途端に生温い視線に変わった。


 「……うん、型はそんな感じ。それで100回、素振りしてみよう」

 「はい!」


 フィリップは素振り100回という「それっぽい」メニューに興奮した返事をする。


 模擬剣は刃の付いていない剣、つまり鉄の棒だ。

 高価な錬金術製の武器ではなく、当然ながら魔物の素材を使った逸品でもない。見習い鍛冶が練習に打った純然たる金属の塊であり、握って振るだけでも体力を使う。


 剣をただ上から下に振り下ろすのではなく、真っ直ぐに振り下ろして止める。その動きがきちんと整った「素振り」として成立するのは、初めの20回くらいだろう。そこから段々と崩れていく。

 これはフィリップの体格や筋力がどうこうではなく、初めて剣を持ったら大概の人間はそうなるという話だ。ウォードもそうだった。


 経験から来る予想通り、フィリップの動きにブレが出始める。初めは他人しか分からない程度で、徐々に大きくなると自分で気付いて修正する。これも初心者にありがちな動きだ。


 「……終わりました!」

 「うん、じゃあ次の100回ね」

 「はい!」


 ウォードは自分も素振りをしながら、時折フィリップのフォームを直す。

 初めは子供のわがままを見る親のような目をしていたウォードや他の生徒も、素振りの回数が200、300と増えていくにつれ、自分の予想が外れていたことに気付いた。


 腕は震え、型はボロボロだが、音を上げていない。

 少なくとも伊達や酔狂ではなく、目的を持って剣を振っているのだと。


 魔術学院生は「奇特な人だ」と言わんばかりだったが、軍学校生の中には愉快そうに近寄ってくる者もいた。


 「ホントにやってんじゃん! あ、でもショートソードだ」

 「エーザー様……?」


 楽しげに手を振りながらやってきたのは、先刻模擬剣置き場で会った茶髪の少女、マリーだった。


 「マリーでいいよー、フィリップくん。アタシのミゼリコルデーは?」

 「あ、すみません。持ったままでした!」


 ベルトに挟んだままだった鉄杭──もとい、慈悲の一撃を下す剣、ミゼリコルデーを返そうとすると、マリーは「要らないの……?」と悲しそうな表情を浮かべる。

 それは小動物的な庇護欲を催させる仕草だったが、フィリップ相手には何の意味も無かった。


 「はい。たぶん使わないので」

 「そっかー……じゃあショーテルとかどう? 相手のガードをすり抜ける剣だよ!」


 いつから持っていたのか、マリーは鎌のように歪曲した剣を見せる。

 すり抜けるというより掻い潜ると言った方が正確だという感想は、今はどうでもいい。


 「いや、そういう変則的なのはちょっと……まずは基本からやろうと思ってるので」

 「えー、つまんなくない? ふつーの剣でふつーに素振りとかさー」


 口を尖らせ、不満ですと表情でも語るマリー。

 彼女の青い目がすっと据わったことに気付いたのはウォード一人だけだった。


 「やっぱこういうのは……実践あるのみっしょ!」


 言うが早いか、マリーは半円を描いて湾曲した奇妙な剣、ショーテルを振りかぶる。

 いや、正確に言うならフィリップには振りかぶった動作は見えなかった。気付いた時には既に攻撃は始まっていて、振りかぶるどころか振り下ろす段階にあったのだけれど、それはつまりコンマ数秒前には振りかぶる動作があったということだ。


 半円に歪曲した刃が迫る。

 陽光がきらりと反射するほど砥上げられた剣を、それを握る鍛えられた腕を、獰猛な笑顔と共に繰り出される攻撃を、フィリップは驚きと共に眺めていた。


 かつてはゴエティア、七十二柱の悪魔──魔王の親衛隊に属する高位悪魔の攻撃にすら、一片の怯えも見せなかったフィリップだ。今更人間の攻撃に恐れを抱いたりはしない。

 けれど人間の、人体の機能として、顔に向けて何かが勢いよく向かってくると驚く。


 恐れによるものではなく、驚きによって硬直したフィリップは動けない。

 剣が当たる。そう理解してもなお、恐れはない。剣など当たったところで、ヨグ=ソトースの守りを貫けはしない。だからあるのは焦りだけだ。これが当たると確定した瞬間に、彼女は発狂して死ぬ。


 周囲を巻き添えにしませんように、という宛てのない祈りは、幸いにして無駄になる。


 「──やり過ぎです、エーザー先輩」

 「へぇ……動けるね、アンタ」


 フィリップの首から数センチのところで剣を止めたのは、間に割って入ったウォードの模擬剣だった。

 ショーテルの柄に近い、歪曲していない場所を正確に捉えた防御。力任せに振り下ろし切れない位置だ。


 ウォードが向ける鋭い視線に、マリーは獰猛で好戦的な笑顔を浮かべる。


 「当てるつもりは無かったでしょうけど、彼は子供ですよ? あまり脅かすような真似は──」

 「あ、それは違うよ」


 マリーは剣を降ろし、ウォードの抗議を切り捨てる。一刀ならぬ、一言の下に。


 「私もフィリップくんは子供だから、こういう危ないオモチャに興味を持つのかなーって思ったの。それはアンタと一緒。でも、だからって適当に飽きるまで素振りさせときゃいっか、ってのは間違い。それで飽きなかったら? 飽きたとして、アンタの目の届かないところで誰かに模擬戦を挑んだり、真剣を持ったりしたら? それこそ危ないでしょ」


 彼女は怒るでなく、むしろ淡々とそう説明する。

 ウォードがうっと言葉を詰まらせたのは、フィリップを適当に飽きさせようとしていた、と本人の前で暴露されたからではないだろう。彼女の指摘には真実味がある。


 現に、ウォードが持っていた「100回そこらで萎えるだろうな」という予想は外れていた。


 「だから、「本物」を見せてあげるんだよ。剣はかっこいいけど所詮は殺傷道具、自分に振り下ろされるとこんなに怖い──ってさ。それも失敗したけどね」


 言葉の続きを、ウォードは首を傾げつつ、フィリップは特に何も考えずに待つ。

 マリーは照れ臭そうに笑いながら、少なくともフィリップにとっては笑い事ではない言葉を続ける。


 「いやー、びっくりした。見える速度にしてあげたとはいえ、あんな無感動に剣筋を見られると、こっちが怖くなっちゃうよ」

 「……もしかして、その歳で実戦経験があるのかい?」

 「だろうねー。それも多分、課外授業で遭遇するような甘い魔物じゃないっしょ? サークリス聖下がダンジョンごと消滅させたっていうヤバいのとか、王都に現れたっていう高位悪魔とか、そういう格が違う奴だろうね」

 

 正確無比というか、実はフィリップのことを知っているのではないかと聞きたくなるような考察だった。

 ウォードは信じられないものを見るような目で、マリーは楽しくて仕方ないといった興味に溢れた目で、フィリップを見つめる。


 フィリップが見せた落ち着きは、そういった特殊な相手と戦った果てに得られる悟りの一種に近いということだろうか。落ち着いているというか、ヨグ=ソトースをある程度は信頼しているというべきだけれど。


 「……どっちも、ですね」


 どうせ調べればわかることだと、フィリップは端的に答える。

 しかし、フィリップは考えておくべきだったのだ。フィリップが吹き飛ばしたのは二等地の中でも民家や商店の密集した居住区画であり、人死にが出なかったとはいえ、そこには住んでいた人々がいたことを。


 「君が──」


 困惑に染まった表情で、ウォードがゆっくりと、声の震えを懸命に抑えながら問いを投げる。


 「君が、衛士と一緒に戦ったっていう魔術師なのか? 二等地を……僕の家を吹き飛ばした?」


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