第110話

 模擬剣置き場は中庭の端に立てられた小さな木製の小屋で、中には本当に模擬剣しか置かれていない。ランタンなどの光源も無く、小さな窓と入り口から差し込む陽光だけが頼りの、薄暗い空間だった。


 置かれているのはスタンダードな片手用のショートソードと、両手持ちにも対応したロングソードのようだ。ソードラックに静置されているのではなく、大きな箱に山ほど詰め込まれている。あとは槍状のものが数本、ラックに懸かっているくらいか。

 ショートソードを持ってみて、これぐらいなら行けそうだぞとロングソードに手を伸ばす。


 「いや、キツいっしょ? 持つのと構えるの、構えるのと振るの、振ると戦うのじゃ全然違うからさ」


 ロングソードを持ち上げたところで、横からひょいと取り上げられた。


 「まずは軽めの剣にしときな? コレ、貸してあげる」


 そう言って小ぶりな剣の柄を差し出すのは、快活な笑顔を浮かべた茶髪の少女だった。人好きのする笑顔には屈託がなく、フィリップを馬鹿にしているような感じはしない。しないが──差し出された剣は、小ぶりという言葉ですら過大になるような、ナイフに近い代物だった。


 「あ、ありがとうございます……?」


 よく見てみると、それはナイフですらない。

 柄から伸びるのは四角錐状の針、或いは杭だった。先端こそ鋭利に尖っているが、刃部というものが存在しない。斬り付けるためではなく、刺し貫くための武器なのだろう。


 「ミゼリコルデーっていうんだよ。重装歩兵の脇下とか首元とかを狙う武器でね──」

 「マリー、またマイナーな武器を勧めているの?」

 

 呆れ笑いを滲ませる声に振り返ると、また別な女子生徒がこちらへ歩み寄ってきていた。

 背中まで伸びる金髪が特徴的な、翠色の目をした少女だ。金髪自体はそう珍しいわけではないが、日常的に激しい運動をする軍学校の生徒は大多数が短髪にしている。


 「ごめんなさい、この子のことは気にしないで。ソードブレイカーとかショーテルとか、珍しい武器を使いたがる子なの」

 「いやエーギル先輩、アタシはちゃんと使いこなしてるから」


 にっこりと笑顔を浮かべて抗議を無視し、エーギル先輩と呼ばれた金髪の少女はショートソードの模擬剣を取り上げる。軽く振って調子を確かめ、柄を向けて差し出してくれた。


 「まずは基本の武器で、基本の型を。貴方、魔術学院生……よね?」

 「はい。少しトラブルがあって、編入したんです。11歳です」


 誰かと話すたびにこの件を繰り返すのかと辟易としながら、自分より低い位置にあるフィリップの顔を見る、困惑したような視線に答える。

 彼女は納得したように頷き、「そうなんだ」と相槌を打った。


 「わたくしはソフィー。ソフィー・フォン・エーギル。軍学校の3年生よ、よろしくね」

 「……貴族様でしたか。そうとは知らず、ご無礼をお許しください」


 一瞬のラグを挟み、フィリップは身体に染みついた動きで頭を下げる。

 そして内心で喝采する。「危なかった。よく反応できたな、僕。偉すぎる」と。


 ここ最近は魔術学院にいて、誰かに話しかけられることは無かった。

 まぁ誰も好き好んで聖痕者にして最高位貴族であるルキアと、聖痕者にして王族であるステラに挟まれている、教会関係者どころか枢機卿の親族という疑いのある年下の編入生──死ぬほど怪しい子供に絡みたくはないだろう。

 

 おかげでルキアとステラに接するような気安い調子で「フィリップ・カーターです」なんて名乗り返すところだった。相手の家格次第ではそれでも許されるが、逆に言えば、相手の家格次第では失礼にあたる。


 フィリップの見せた貴族相手ではギリギリ及第点程度の礼に、ソフィーは優雅な返礼を見せた。


 「アタシはマリー・フォン・エーザー。軍学校の二年生だよ、よろしくね!」


 茶髪の少女、マリーがぴょんと跳ねるように一歩近寄り、自己紹介をしてくれる。

 フィリップは可能な限り丁寧に礼を返してから「フィリップ・カーターです」と名乗った。


 「フィリップくんは小柄……いや、まだ身体が出来てないから、こういう軽い武器の方がいいよ?」

 「本当に気にしないでいいからね、カーター君。この子は使い手が自分しかいないような武器を、「寂しいから」なんて理由で勧めてるだけだから」


 ソフィーは溜息交じりに言って、模擬剣置き場からショートソードを取り上げる。

 フィリップがぼーっと握りしめているだけのものと同型のそれを彼女が一回、二回と振るうと、ひゅん、ひゅんと小気味の良い大気を裂く音がする。


 「まずはこういう基本的な武器に習熟すべきだと思うわ。……まぁ、魔術師には必要のないことかもしれないけれど」

 「いえ……できれば、ちゃんと実戦的な剣術を身に付けたいので」


 フィリップが模擬剣置き場に──魔術師であれば全く興味を持たないか、或いは鼻で笑うような場所に興味を持ったのは、少年心を擽られたからという理由ばかりではない。

 交流戦という絶好の機会に、剣術でも槍術でも弓術でも、とにかくまともな攻撃手段を身に付けておきたかったのだ。


 相手を惨たらしく殺すでもなく、味方の精神を殺すでもなく、敵をふんわり優しく綺麗に殺す技術が欲しかった。


 フィリップが欠陥魔術師どころかほぼ一般人とは知らない二人は、好事家や酔狂人を見る目を向ける。魔術師が剣術を身に付けたってほとんど意味がないし、そんな時間があるなら魔術の研鑽をするほうが有意義というのは、非魔術師にも分かる理屈のようだ。


 「そうなんだ? ま、頑張ってね! ……っと、そろそろ集合だし、あっち戻ろっか」

 「そうですね。失礼します」


 フィリップは模擬剣を置いてぺこりと頭を下げ、その場を後にする。


 ウォードのところへ戻ると、彼も友人三人と話していた。

 頃合いを見計らって合流しようと、なんとなく耳を傾ける。どうやら宿舎について話しているらしい。


 「……で、ここに来た瞬間に思ったんだよ。「みすぼらしい」ってさ。カーペットの薄さとか、ソファの硬さとか、冗談だろ? って感じだったしさ」

 「あははは! 確かに!」

 「部屋がそもそも小さくないか? シャワールームも狭いし、士官用個室っていう割にはしょうもないよな?」


 けらけらと笑う彼らに、ウォードは曖昧な笑みを浮かべる。

 確かに宿舎の内装はとんでもなく汚かったが、貴族用の棟はどう考えても平民用の棟よりマシだ。こちらにはカーペットなんて敷いていなかったし、ソファも無い。それに、そもそも相部屋だ。


 「で、平民用の宿舎はどうだったんだよ、ウィレット。流石にいくらなんでも一人部屋だろ?」

 「いえ、相部屋です」


 硬い口調で言葉少なに答えたウォードを見て、フィリップはようやく気付く。これ、友達と話してるんじゃなくて、ただ絡まれてるだけだ、と。


 別に、ウォードとはそんなに仲がいいわけではない。

 これから一週間同じ部屋で過ごす間柄ではあるけれど、それだけだ。彼が貴族に絡まれていようと、それが日常的な虐めの一環であったとしても、フィリップが知ったことではない。こちらに累が及ぶと嫌だな、くらいの感想だった。


 彼らはけらけらと笑いながらウォードを揶揄う。

 困惑する生徒、あぁまたかと流す生徒、止めるかと友人と相談している生徒。そんな周囲に構わず、或いは普段より人が多い環境でテンションが上がっているのか、彼らの言葉には徐々に熱が籠り始めていた。


 しかし、彼らが揶揄いの範疇を超えた暴言を吐く前に、軍学校の教員らしき筋骨隆々の男性が「集合、整列!」と怒鳴る。

 訓練によって身体に染みついた癖は彼らにそれ以上一言も発させず、所定の列へと誘導した。


 少しの間を置いてウォードと合流すると、彼はけろりとして「合流できてよかった」と笑った。


 魔術学院生が何となく並ぼうとしていたのを、軍学校の生徒が誘導し、最終的に綺麗な複縦列隊形に並ぶ。軍学校生の左隣に魔術学院生という並びまで統一されている辺り、流石だという感想が浮かぶ。

 生徒たちが見上げる演説台に先程の教員が立ち、また怒鳴るような調子で声を張り上げた。


 「これより軍学校・魔術学院二校による合同訓練、及び交流戦プログラムを開始する! 諸君は既にペアと一緒にいるだろうが、現時点で合流できていない者は手を挙げろ!」


 何人かが手を挙げ、その挙げた手を頼りに合流したのを確認して、また男性教員が声を張り上げる。


 「諸君はこの一週間共に訓練し、そして模擬戦では共に戦う仲間、戦友だ! 互いに何が出来て、何が出来ないのか。何をやるべきで、何を頼るべきか。それを明確に理解し、実行しろ! 以上だ!」


 以上だ、と言われても。

 まだ何をしろとも、何をするなとも言われていない。


 魔術学院生だけでなく軍学校の生徒にも混乱が伝播していく。しかし囁き合いが喧騒に変わるより先に、演説台の上に新たな人物が立った。


 「静粛に願います」


 怒鳴り声どころか、張り上げてもいない落ち着いた声。その一言にはしかし、全生徒が口を噤み、壇上を見上げるほどの「圧」があった。

 フィリップもつられて視線を向けると、壇上に居たのは先ほど案内してくれた金髪七三分けの男子生徒だった。


 「軍学校三年、アルバート・フォン・マクスウェルです。今回の交流戦における訓練カリキュラムは、基本、となっています。皆さんはこの演習場内部、及び外周部半径2キロ範囲において、如何なる行動をしても構いません。ペアで走り込みをするも善し、互いに模擬戦をしてみるも善し、基礎的な魔術や剣術を教え合うも善し。最終日の模擬戦に向け、各自が思う全力を費やしてください。……質問はありますか?」

 「……別ペアと一緒に訓練する、というのもアリなんでしょうか? ペア同士での模擬戦なども?」

 

 誰かがしたその質問に、アルバートは「はい」と肯定を返す。


 「はい。ですが、あくまで魔術師と騎士の交流、および連携習熟が主目的であることを忘れないでください。同校生徒同士でつるむような無為な真似は避けるように」

 「分かりました……ありがとうございます」


 いつも通りルキアかステラに現代魔術を教えて貰う、というのはナシか。

 

 「他に質問は……無いようですね。食事、風呂等は事前に配布されたしおりを参照してください。では、解散」


 アルバートの指示に従い、生徒たちがまばらに動き出す。

 とりあえず自己紹介から始めるペアと移動するペアが主流だが、中には同校の友達と合流する者もいた。


 ウォードに目を遣ると、「どうしようか」と微笑が返ってくる。


 「うーん……取り敢えず、お互いの戦闘能力を確認しましょう。先に言っておくと、僕は模擬戦では役に立ちません」


 卑下するでなく、むしろ自慢するように堂々と言ったフィリップに、ウォードは微笑に困惑を混ぜた。


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