第109話

 他の生徒が軍学校生に案内されるなか、フィリップ一行は馬車を降りた位置で放置されていた。

 いや、他の生徒について行こうとすると「申し訳ありません、ここでお待ちください」と止められるので、放置とは少し違うか。無為な退屈に慣れていない子供や、最高級のもてなしを受けて然るべき立場の聖人でなくとも、それなりに気分を害する扱いだ。


 少年心を擽る厳めしい砦の内装や、遠くに見える模擬剣置き場、弓矢の練習場などを見て回りたいのだけれど──流石に、招かれた場所でふらふらするのは子供っぽすぎる。


 しばらくきょろきょろしていると、塔の一つから幾人かの生徒が姿を見せ、慌てた様子でこちらへ走ってくる。

 彼らは少し手前で歩調を緩め、制服の襟を正すと、二人の前で深々と頭を下げた。


 「ご無沙汰しております、ステラ・フォルティス・ソル=アブソルティア聖下。お初にお目にかかります、ルキア・フォン・サークリス聖下。この度は私の後輩が粗相をしてしまい、申し訳ございません。両聖下のお乗りになる馬車が見え次第、私どもを呼ぶよう申し付けていたのですが」


 代表して謝罪したのは、後から来た一人の少年だ。

 王国人としては一般的な金髪碧眼で、よく鍛えられた体つきをしている。軍学校の制服をきっちりと着ており、短めの髪は几帳面そうな七三分けに固められていた。


 彼は謝罪を終えると、流れるような所作で跪く。

 それから数秒遅れで、他の生徒たちも彼に倣った。


 「私、軍学校にて首席を戴いております、アルバート・フォン・マクスウェルと申します。この度は両聖下にお目見えする栄誉に与り、光栄に存じます」


 胸に手を当てた最敬礼に、フィリップは妙に見覚えがあった。

 しかし、いま触れられているのは「聖下」の二人のみ。フィリップは無関係でいられている。


 「覚えのある名だな。レオナルドの長子か」


 ステラの挙げた名前に、何故かフィリップも覚えがあった。

 聞き覚え──ではない。誰かの声と共に記憶されているのではなく、何かで読んだような気がする。


 フィリップが本格的な記憶の検索に入る前に、アルバートが答え合わせをしてくれた。


 「はっ。ご賢察の通り、王国近衛騎士団長レオナルド・フォン・マクスウェルは私の父にございます」


 それだ! と内心で指を弾くフィリップ。

 読んだのは衛士団の拘置所、フィリップの釈放と拘留代替措置の執行にまつわる書類の、作成者署名で見た名前だった。衛士団長にボコ……脅……言いくるめられた人だ。


 「ふむ。……それで、私たちはどうすればいいんだ?」

 「両聖下は女子用宿舎へ、お連れの方は男子用宿舎へ、荷物を置いて頂けますでしょうか。その後は、この中庭に再集合となります」


 アルバートは背後を見遣り、二人の女子生徒を指名する。


 「彼女たちに案内させます。お連れの方は私がご案内しましょう」

 「そうか。……後でな、カーター」

 「また後でね、フィリップ」


 恐縮した様子で先導する女子生徒と、未だ頭を上げない他の生徒たちが周りにいると、去っていく二人に手を振り返すフィリップは異様に目立っていた。

 二人が十分に離れたころ、軸のブレがない機械のような動きでアルバートが立ち上がり、他の生徒もその気配を感じて立ち上がる。


 「では、我々も参りましょう。……失礼、お名前をお聞きしておりませんでした」

 「フィリップ・カーターです」


 その名乗りに、アルバートを除く幾人かの生徒が表情を動かす。

 疑問、侮蔑、嫉妬、猜疑、嘲笑、憤怒。好意的なものは一つも無かった。


 「では、カーターさん。参りましょう」


 アルバートの先導に従って歩き始める。少し歩いて生徒たちの群れから離れた頃、彼は徐に「失礼ですが」と問いを投げた。


 「失礼ですが、御幾つですか? その……学院入学の規定年齢である14歳には、どうしても見えないもので」

 「今年11歳になりました。ちょっとトラブルがありまして」


 詳しく聞いてくれるなという言外の圧には気付いてくれたのか、アルバートは「そうでしたか」と相槌を打つに留めた。


 「交流戦と言うと模擬戦がメインのように感じられますが、主目的は物理前衛・魔術後衛ペア、および小隊規模での戦闘訓練です。体格・体力が劣る──失礼、他の生徒より未発達な年頃では、過酷なものになるでしょう。特別な配慮などはできませんが、限界だと感じたら早めに医務室へ行かれることをお勧めします」

 「あ、はい。ありがとうございます」


 宿舎──と言っても、砦外壁を構成する円形塔の一つだが──に入ると、既に中にいた生徒たちがぎょっとしたように姿勢を正し、アルバートに敬礼する。

 それにきっちりとした所作の返礼をしてから、彼は壁に貼られた一枚の紙を示した。


 「こちらが部屋割を書いた表になります。男子・平民用宿舎は原則二人部屋、カーターさんの部屋は……203号室、ペアはウォード・ウィレットですね」

 「男女だけじゃなくて、貴族と平民でも分かれてるんですね」

 「はい。自分の部屋がある宿舎以外に立ち入った場合は罰則が課せられますので、ご注意ください」


 罰則規定があるあたり、過去に試みた人間がいるのだろう。

 魔術学院でも年に一度は何も知らない新入生が先輩に焚き付けられ、思い人の部屋へ突撃する事案があるらしい。学生寮の入口や窓には学院長の設置型魔術が敷設されており、ルキアやステラのような同格でもない限り突破不可能なので、医務室に搬送されるらしいが。


 「では、失礼します」

 「案内、ありがとうございました」


 互いに頭を下げて、アルバートは外へ、フィリップは自分の部屋へ向かう。

 

 部屋は両サイドにベッドが並び、その真ん中に小さなテーブルがあるだけの簡素なものだ。居住空間としての快適性を追求した学院の寮とは違い、一日の終わりに帰ってきて寝るためだけの場所に思える。

 事実、風呂・トイレは共用だし、食事は食堂で取ることになっている。ここは本当に寝る場所でしかなかった。


 扉を開けて数歩も入ればベッドに当たる小さな部屋でありながら、掃除が行き届いていない。部屋の角には埃が溜まっているし、木製の壁や床にはささくれが目立つ。迂闊に触れば怪我をしてしまいそうだ。

 元宿屋の従業員としては、清掃担当者の怠慢を主人に報告したくなるところだけれど──ここには清掃担当も主人もいない。


 綺麗で快適な学院寮に慣れていたからか、ちょっと我慢ならない。

 幸い、同室のなんたらさんはまだ来ていないようだ。廊下に掃除用具入れがあったし、手早く済ませてしまおう。


 「地下牢より汚いってどういうことなの……うわ!?」


 足元をカサカサと虫が這い回り、咄嗟に踏み潰して殺す。

 虫の出ない学生寮やタベールナではやる機会のなかったことだが、田舎町では綺麗にしていても虫は出る。変に隠れられる前に殺すという癖が染みついていた。


 「ルキアと殿下、大丈夫なのかな……」


 ステラは王族であり、常に最高級の饗応を受ける身だ。そこに聖人という立場まで加わっているのだから、こんな暮らしは初体験だろう。ただ、彼女は常に合理的に動く。不愉快だからという理由だけで力を揮うことは無いだろう。

 問題はルキアだ。フィリップが「ここは人間の住む場所ではない」と感じたように、彼女は当然ながら「美しさの欠片も無い場所だ」と感じることだろう。


 女子・貴族用宿舎が今すぐ吹き飛んだとしても驚かない自信があった。


 部屋を出ると、同じ考えの人が何人か居て、道具入れに並んでいた。

 フィリップも並び、必要な道具を取って戻る。


 その数十秒の間に来ていたようで、部屋には人影があった。

 特に珍しくも無い金髪に碧眼の少年だ。フィリップより背は高いが、15歳だと考えれば平均くらいだろう。それなりに整った顔立ちは部屋の汚さによって困惑の表情に歪められていた。


 彼はこちらに気付くと、穏やかな微笑を浮かべる。

 

 「あ、初めまして。フィリップ・カーター君……だよね?」

 「はい。ウォード・ウィレットさんで間違いありませんか?」


 彼はにっこりと笑って頷き、まず自分の右手を見て、それから左手を差し出した。


 「おっと、ごめん、手が汚れてるんだ。握手はこっちで」

 「あ、はい。一週間よろしくお願いします」


 ウォードが撫でたらしく、テーブルに薄く積もっていた埃に跡が残っている。


 「汚いですよね、ここ。掃除するので、ちょっと出てて貰えますか?」

 「いやいや、手伝うよ」


 言うが早いか、ウォードは道具を幾つか取って掃除を始めた。その手つきに淀みはなく、問題なく任せられそうだ。


 黙々と作業を続けること数分。ウォードは沈黙が嫌いな性質なのか、耐えかねたように口を開く。


 「あの、カーター君。すごく失礼だとは思うんだけど、君、本当に14歳?」

 「いえ、11歳です。ちょっとトラブルがあって、半ば強制的に入学しました」

 「そ、そっか! そうなんだ……はは……」


 ルキアもステラも落ち着きのある性格だが、それ以上にダウナーな部分がある。

 だから何も話さず、何もせず、ただ一緒にいるだけの時間も珍しくはないし、その沈黙も嫌いではなかった。


 だがフィリップにとって、相手が「何か話したいけど何を話していいか分からない」と考えていることが明確な、居た堪れない沈黙は苦痛だった。


 「……あの、ウィレットさんは、何が得意とかってありますか? 剣術とか、槍術とか」

 「! 基本的な武器なら一通り扱えるよ! モーニングスターとかグレートソードとか、特殊過ぎるのは無理だけど」


 「へぇ」と簡単な相槌で済ませようとしたフィリップだが、それでは会話が続かないと言葉を重ねる。


 「……軍学校の人って、みんなそうなんですか?」

 「いや、殆どの人は剣術に傾倒するよ。僕みたいに槍も弓も、ってのは少数派かな。……よし、このくらいにして、中庭へ行こうか」

 

 ウォードの提案にフィリップも頷き、掃除用具を片付ける。

 彼の手際は想像以上に良く、普段から家事をしているのだろうと推察された。


 中庭では既に全生徒の半数ほどが集合しており、仲のいいグループ同士で集まったり、ペアと話したりと中々に賑やかだった。


 「カーター君、仲のいい子とかいたら、そっち行ってていいよ? 多分、整列まで時間あるし」

 「そうですか? じゃあ、ちょっと行ってきます」


 さっきから妙に人の群がる場所は見つけていた。問題は、彼女たちから一定の距離を空けて人の壁が出来ていることだ。普段から厳しい訓練を受けている軍学校の生徒がメインの人混みとなると、フィリップが突破できる可能性は低い。どうせさっきの掃除で汚れているし、近付かれていい気はしないだろう。


 話すのは食事時でいいやとさっぱり諦めたフィリップは、ずっと気になっていた模擬剣置き場に足を向けた。


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