第108話

 週末をすべて魔術の訓練に充て、月曜日を迎えた。

 結論から言って、フィリップはなんと初級魔術を二つ、習得することができた。


 一つは『魔法の水差しマジック・ピッチャー』こと『ウォーター・ランス』。

 一つは『魔法の火種マジック・ティンダー』こと『ファイアー・ボール』。


 今までであれば魔術は失敗し、モニカの名付けた別称通りの効果しか齎さなかった。コップを満たし、蝋燭を灯す程度の効果しか。

 しかし、今は違う。フィリップは見事、コップ一杯分程度の水と、指先程度の炎を、射出できるようになったのだ!


 ステラは言う。「射程限界が10メートルそこら、射出速度は秒速5メートル程度、威力はパンチ以下。……あれだな、実戦時には石でも拾って投げた方がいい」と。

 ルキアは言う。「敵を殺すなら『深淵の息』と『萎縮』で十分なんだから、あんまり気にしないで」と。


 そして二人は口を揃える。「撃つだけ無駄だから、戦闘時には魔力を温存すべきだ」と。

 

 ──まぁ、確かに。シュブ=ニグラスとまでは行かずとも、クトゥグアやハスターといった切り札を使うのにも、魔力は必要だ。召喚魔術に必要な魔力量は、ハスターがクトゥグアの約1.5倍。これは強さではなく、魔術の洗練具合による差異だ。

 そしてコップ一杯分の水を10メートル飛ばすのに必要な魔力量は、ハスター召喚のおよそ倍である。


 「結局、模擬戦の対策はできませんでしたね……」

 

 かたかたと馬車に揺られながら、左隣に座ったルキアと、正面に座ったステラに話しかける。


 フィリップたちが乗っているのは6人乗りの小さなキャラバン型馬車で、他にもAクラスの生徒が3人いる。魔術学院は立場や血筋ではなく魔術の才のみで自らを誇れという校訓があるからか、こういったイベントでは高位貴族も平民も一様に安い馬車に押し込められる。ダンジョン試験の時もそうだった。

 安いと言っても、造りも輓馬も立派なものだ。フィリップが王都に来るときに使った乗合馬車なんかとは比べ物にならない。とはいえ、それでも尻は痛くなるが。


 「まぁ、模擬戦はつまり、実戦の為の訓練だ。その実戦で十分に戦えるなら、模擬戦は必要ないからな」

 「「敵を殺せる」だけですよ。敵「も」殺せると言い換えたっていい」


 ルキアは以前に話した王都の一角を焼き払うに至る召喚物の暴走事件を、ステラは自分の目で見てしまった召喚物を思い浮かべ、二人は苦笑と共に納得する。


 「まさか、模擬戦の相手が決まってたなんて……」

 「あぁ……ナイ教授は、たぶんわざと黙っていたな」


 フィリップの嘆息に、ステラが同調する。


 今回の交流戦、主催は魔術学院ではなく軍学校の方らしい。

 大枠だけでなく細部まできちんと詰めたプランを用意しているのは、教師陣としては高評価なのかもしれないけれど──「いつも通り、ルキアかステラと組んで適当にやり過ごそう」と考えていた不真面目な生徒にとっては迷惑な話だ。


 二人もそのつもりだったのか、先週の訓練ではとにかく「他人の目があるところで魔術を撃てるようにする」というのが最優先課題だった。尤も、彼女たちがフィリップを戦地に赴かせる気概で鍛えたとしても、フィリップの魔術は未だに実戦使用域に無いままだったろう。才能の壁はそれだけ高い。


 「まぁ、負けたところでペナルティがあるわけでもないので……対戦相手とペアの人には悪いですけど、さっさと降参すればいいですよね」


 そうだな、と軽く同意したステラとは違い、その案が美意識に適わなかったルキアは曖昧に笑うに留めた。

 とはいえ、それ以外に選択肢がないのも事実だ。まさか模擬戦で演習場全体を焼き払うわけにもいかないし、参加者全員を発狂させるわけにもいかない。決闘とは違う模擬戦だ、相手を殺すことも許されない。


 「最悪の場合はよくある訓練中の事故として処理するから、好きにしていいぞ」


 三人の会話を聞かないように、しかし三人の会話を妨げないように、必死に声量を調整して会話を続けていた他のクラスメイトたちの「ひゅっ」と息を呑む音が聞こえた。




 ◇




 しばらく雑談をしながら馬車に揺られていると、遠くの方から元気の良い声が聞こえる。

 それは一度ではなく、また一人でもない。複数人が連続して声を張り上げているようだ。注意深く聞くと、どうやら「おはようございます」と叫んでいるらしい。


 幌の付いた荷台から見えるのは後ろにいる馬車を牽く馬の──なんだか嫌そうに見える──顔と、御者席越しの前方だけ。前にいるのもAクラスが乗る同型の馬車で、二年生-一年生-三年生という並びの中央やや前あたりだ。その後部できょろきょろしているクラスメイトが見えるばかりだ。


 しかし、少しカーブを曲がると、途端に景色が切り替わる。

 端的に言って、そこにあったのは「壁」だった。王都では滅多に見ない、錬金術製でない純粋な石を建材にして作られた、灰色の城壁だ。上部にはツィンネが据えられ、回廊があることが分かる。


 「演習場って、もしかしてここですか? これ……砦、ですよね?」

 「あぁ。世にも珍しい正四角形の要塞として、それなりに有名だったんだぞ? 街道再編と防衛力の欠如が指摘されたことで廃棄され、今では軍学校の合宿所だが」


 「へぇ」と適当な相槌を打ち、視線を馬車の中に戻す。

 それから数分程度で、フィリップたちを乗せた馬車が砦の正門へ到着した。


 砦は四隅に円形の塔があり、それらを結ぶ四辺が回廊付きの城壁という造りだ。正門の対角線上にもひときわ大きな塔があり、そこが砦の中枢部なのだと分かる。


 正門は金属で補強された木製だが、手入れが行き届いていて、朽ちや錆びは一つも見受けられない。圧迫感のある外観の割に、小綺麗に整えられている。尤も、これで汚かったら刑務所か何かと見間違うこと請け合いだけれど。


 先ほどから聞こえていた声の正体は、扉の内側で車列を挟むように整列していた軍学校の生徒たちだった。

 誰かが馬車から降りるたび、一定数の生徒が「おはようございます!」と叫んでいる。魔術学院生、中でも軍学校と関わりの無い生徒や体育会系のノリについて行けない生徒が、時折びくりと驚いていた。


 「おはようございます!」

 「……おはようございます」

 

 フィリップが馬車を降り、座りっぱなしだったせいで痛む尻を擦っていると、近くに居た生徒が挨拶してくれる。

 大多数の魔術学院生が苦笑と会釈で済ませるなか、その声量につられて視線を合わせてしまったフィリップは挨拶を返すしかなかった。


 「……っと」


 思い出したように、というか事実、思い出して。フィリップは馬車の荷台へ右手を差し伸べる。


 タラップを降りる女性に対するエスコート──の、真似事だ。

 装飾華美なコーチ型馬車ではなくキャラバン型の荷馬車で、タラップも備え付けの出っ張った板でしかない簡素なものでは、以前にルキアがしてくれたような見栄えの良いものにはならなかった。


 先んじてルキアがその手を取り、軽やかに馬車を降りる。

 キャラバン型馬車が白馬の引く絢爛豪華なものに、だだっ広い砦の中庭が王城のエントランスに見えるほど、翻る銀髪がとても絵になっていた。


 「ありがとう」

 「えへへ、ルキアの真似ですけど。どういたしまして」

 

 ルキアは少し横に逸れ、フィリップの左手を握る。

 フィリップが続けてステラに手を伸ばすころ、整列していた軍学校の生徒たちがにわかに騒ぎ始めた。


 「さ、サークリス聖下!? ど、どうしてこのような……!?」

 「あれ、最低等級の馬車じゃないのか……?」

 「そんなことより、先輩たち呼んでこないと……!」


 あわわはわわと慌てふためく生徒たちを無視して、ステラがフィリップの手を取り、ふわりと着地する。


 「騒がしいが、トラブルか?」

 「えーっと……」


 そう思うのなら、彼女は安全が確認されるまで馬車の中で待っているべきだったのではないだろうか。……いや、違うか。幌付きの荷台にいては視界が狭くなる。世界最強の魔術を存分に振るい身の安全を確保するために、わざと姿を晒したのだろう。並大抵の魔術は素の耐性だけで無効化できるし、弓矢どころか破城槌が降ってきても、彼女たちの魔力障壁であれば防御可能だ。


 フィリップと同じ絶望を抱いていても、彼女の合理性に曇りはない。


 さておき、この喧騒に似たものには覚えがある。

 フィリップが丁稚をしていた頃に、買い出しやら伝達やらで外出したり、休日にモニカに連れられて投石教会へ行ったときのことだ。妙に騒がしい空間があると、そこには大体ナイ神父かマザーがいた。


 彼らを遠巻きに見つめる人々が見せる、美しいモノに惹かれ群がる人間の表情。

 いま軍学校の生徒たちが浮かべているのは、まさしくそれだった。


 「美形はいるだけでトラブルみたいなものというか、むしろ二人は慣れっこなのでは?」

 「「美形」とは、面白い言い回しだな」

 「……あはは」


 確かに、ルキアとステラを指して言うなら「美人」でいい。脳裏にナイ神父とマザーが浮かんでいたから、思わず男女問わず使える言葉が出た。


 「逆に、魔術学院の生徒が私たちに慣れていたからな。こういう反応は久し振りだよ」

 「そうね……誰もがフィリップくらい落ち着いていてくれると静かなのだけれど」


 誰もが美人を見たときに「マザーの方が綺麗だな」とか思うようになったら、人類は終わりだ。


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