第107話

 王国では「軍隊」という言葉の含意が広い。


 まず真っ先に思い浮かぶのは、王城および各地の王家直轄地に配備される王国騎士団だろう。特に王城や宮殿などに詰め、王家の人間を護衛する役割を持つ近衛騎士団もここに含まれる。


 王都の住民には、騎士団より衛士団の方が身近な存在かもしれない。彼らは平時は王都内の治安維持を、戦時では王都防衛の最前線を任される、王国最強の武装組織だ。


 王都外では、その土地を管轄する領主が率いる領主軍が、魔物や他国の斥候などを警戒している。万が一他国と戦争になった場合は、まずは彼らが戦線を維持する役割を担う。その後、複数の領主軍を束ねた「王国軍」が派遣される。


 王都が擁する軍学校は、主に騎士団を志す人間が所属する教育組織だ。

 魔術の才に恵まれた人間は半強制的に魔術学院へ入学し、宮廷魔術師を筆頭とした魔術関連の職に就くのが殆どだ。逆に、魔術の才に恵まれず、しかし王都で暮らしたい人間や国の為に働きたいという志を持った人間は、軍学校の門を叩く。


 「……と、言ったところか。魔術学院同様、教育水準は極めて高い。主に教えるのが魔術か武術かと、あとは男女比が違うくらいか」


 クラスメイトたちがナイ教授の説明になっていない言葉に困惑していた傍ら。

 交流戦が何なのかを知らない以前に、まず軍学校とは何ぞやという段階のフィリップは、ステラからそんな教えを受けていた。


 フィリップに前提となる知識がインプットされたのを見計らい、ナイ教授が説明を加える。


 「来週一週間、王都近郊の演習場で合宿をすると考えてください。軍学校の生徒さんとペアを組んでの訓練、ペア同士での模擬戦、6人ずつグループを組んでの訓練、グループ同士での模擬戦が予定されています」


 フィリップは「へぇ」と興味をそそられた様子だが、ルキアは面倒そうにしていた。内容を知っていたらしいステラは、そんなルキアに呆れ笑いを向けている。


 「お前も従軍経験はあるんだから、交流戦の意義は分かるだろ?」

 「意義は分かるけれど、私や貴女が参加する意味は分からないわね」


 ステラは冷たく言い放ったルキアに苦笑を向け、その二人の間で困惑しているフィリップに気付く。

 「意義……?」「意味……?」「仲良くなるイベントではない……?」と、声に出さずとも顔に書いてあった。


 「カーター、魔術師の一番の強みは何だ?」

 「手札の多さですね!」

 「……射程の長さよ」


 即答したフィリップに苦笑しつつ、ルキアが正答する。

 確かに魔術師は一人で何通りもの攻撃法を持ち、戦闘のみならず日常生活や野営時などでも高い汎用性を持つ。それは騎士には無い強みの一つだが、問題は「一番の強み」だ。


 長射程攻撃こそ魔術の神髄だ。

 たとえば射程1の攻撃手段を100種類持っている魔術師と、射程2の攻撃手段を10種持つ魔術師。決闘のような特異な状況を除き、戦えば高確率で後者が勝つ。


 そんな魔術師が戦争に於いてどのような役割を持つかといえば、後方に配置され敵軍を遠距離から砲撃する以外にない。

 剣も槍も弓も可動大砲も届かない場所から、火球や岩塊や氷槍を降らせる魔術師は、戦況を左右する大きな要因だ。彼ら無しに戦争を始める国家はないし、場合によっては魔術師の質と数だけを見て降伏した歴史もある。


 「では弱みは? ……あぁ、私やルキアを基準に考えるなよ」

 「あ、はい。えっと……打たれ弱いこと、ですか?」


 今度はルキアが口を挟むことは無く、ステラも満足そうに頷く。


 「そうだ。基本的に、魔術師は剣術や槍術より魔術に重点を置いて鍛える。純粋に武術のみを鍛えた騎士と正面から戦って勝てる道理はない。身に付けられるのも精々がスケイル・アーマーまでだ」


 騎士が身に付けるフルプレート・アーマーは全重量が30キロにも及ぶ。訓練された兵士でもかなり体力を消耗する代物だ。当然ながら、基礎体力を付ける程度の授業しかない魔術学院生、延いては魔術師が身に付けて動けるものではない。

 ヘルムは視界を遮り魔術照準の妨げになるし、熱がこもると脳の働きに影響が出る。熱中症にでもなれば、魔術戦どころか自力での撤退も難しい。


 「だから魔術師が自分の射程から一方的に攻撃できるように、前衛が要る。戦争でその役割を担うのが騎士団だ」

 「学生の内から連携訓練をしておこう、ってことですか。……なるほど、じゃあ確かに、ルキアが行く意味はあんまりないですね。殿下もですけど」


 ルキアは最高位貴族、ステラに至っては次期女王だ。戦地に行くことなど無いだろう。

 そう考え、ふと引っ掛かりを覚える。


 「ん? でも、ルキアは従軍経験があるんでしたっけ?」

 「えぇ、あるわよ。と言っても、それこそ後方から何発か魔術を撃った程度だけれど」


 まぁそうだよねと納得したフィリップの耳元に口を寄せ、ステラがひそひそと囁く。


 「こんなことを言ってるが、こいつはその後方から『粛清の光』を一発、『明けの明星』を一発撃って、1万近い兵士を殺した『粛清の魔女』だぞ」

 「おー……」

 「別に誇るような戦果でも無いでしょう。一撃で敵軍中央、私と同数の敵を焼き払った『恒星』、『撃滅王女』に褒められるのは光栄だけれど」


 自慢するでなく、卑下するでもなく。ただ淡々と事実のみを述べる──一万もの人間を殺したと、何の感情も抱かずに言う二人。

 人が聞けば、大量殺人者に対する恐怖や忌避感、或いはそれだけの力に対する羨望や畏怖を持つことだろう。そんな一般の感性を、フィリップが持ち合わせるはずもないのだが。


 「こ、『恒星』に『撃滅王女』ですか。それはまた……」


 少年心を擽られたフィリップが、目をきらきらと輝かせてステラを見る。

 冒険譚を読みこんで育った少年の感性には共感しかねたのか、流石のステラも困惑の表情を浮かべていた。


 「あー……二つ名が気に入ったのか?」

 「はい! かっこいいですよね、二つ名って! 『明けの明星』とか『シュヴェールト』とか!」

 「ふむ……『椿姫』、『聖十字卿』辺りも好きそうだな」

 「かっ……かっこいい……!」


 フィリップの好む傾向を即座に割り出したあたり、ステラの観察力は一級品だった。そこ止まりで、共感は出来そうになかったが。


 「フィリップくーん? 私語は慎んでくださいねー?」

 「あ、はい……すみません」

 

 興奮しかけていたフィリップに冷や水を浴びせ、ついでにルキアとステラを委縮させきって、ナイ教授は満足そうに頷く。

 あれは多分、フィリップが楽しくなり始めた瞬間を見計らっていた。

 

 「……ごめんなさい、怒られちゃいました。あとで詳しく教えてください」

 

 ごにょごにょと二人に耳打ちして、ナイ教授に視線を戻す。

 彼女はそんなフィリップに多少不満そうな表情を向け、しかし何も言わずに説明を再開した。


 「軍学校の生徒さんたちは耐魔力、魔術耐性が低いですから、模擬戦では攻撃力の低い魔術を使ってくださいね。Aクラスの皆さんなら、初級魔術でも十分だと思います!」


 まぁ当然だよねと無言のうちに納得しかけたフィリップだが、すぐに自分はその範疇ではないと思い至る。

 フィリップが現状使えるのは初級魔術が数種類──使えるというか、「失敗なりに使い道がある」というだけだけれど。あとは対人用の領域外魔術が二種類と、召喚魔術が二種類。

 

 仮に軍学校生の振るう模擬剣が殺傷力5くらいだとして、失敗する初級魔術──日常魔術は0。対人攻撃魔術は50。召喚魔術は……1000ぐらいか? 

 

 カリストの一件もあり、フィリップはクラス内で「特殊な系統の魔術に特化した教育を受けた教会関係者」として認知されている。

 魔術実技の授業は教員だけでなくルキアとステラも補助に付き、模擬戦の授業ではルキアとステラが魔術戦についてレクチャーするという、もはや一人だけ別カリキュラムのような有様だ。そもそも召喚物の制御を身に付けるために入学したので、特別カリキュラムであることに違和感はないが。


 さておき、フィリップは現在に至るまで、まともに模擬戦をしたことがない。

 ダンジョンの魔物や道中で遭遇した奴隷商と戦ったことはあるけれど、あれは半ば虐殺というか、一方的な殺戮に近かった。最近では「ゾス星系よりのもの」、半年ほど前には悪魔が敵対してきたものの、戦闘以前に召喚物が勝手に殺した。そう考えると、戦闘経験すらほぼゼロだ。


 「ナイ教授、僕も参加なんでしょうか」

 「勿論ですよー」

 

 くだらない質問だと言いたげに、にこにこと笑いながら答えるナイ教授。

 これがナイ教授或いはナイ神父の立案したものなら「何人か殺してこいということか」と困惑するところだが、学院の決めたイベントで、ステラが言うには明確な意義のある課外授業だ。


 「というか、君は実技方面の単位が危ないので、出ておくに越したことはありませんよー。参加するだけで二単位が出るそうなのでー」

 「……ちょっと魅力的ですね」


 現在、後期の中間試験を終え期末試験の見え始める時期──進級を気にし始める頃合いだった。

 別に赤点を取ろうと留年しようと誰が死ぬわけでも無し、知ったことかと思う気持ちもある。しかし、今や魔術学院にはナイ教授という高ストレス源が現れ、フィリップにとっての聖域では無くなったのだ。ちゃんと三年で卒業し、せめてナイ神父にしか会わない環境にしておきたい。


 それに、万が一退学なんてことになれば、フィリップに貼られた『爆弾』のラベルが剥がれない。良くて今後一生、あの魔力吸収用のごつい腕輪と一緒に暮らすことになる。最悪、地下牢へ逆戻りだ。そんな非人間的な暮らしに嫌気が差した時点で、王都は壊滅するが。


 「体調不良になるご予定があれば、腕利きの神官さまをお呼びしますよー」

 「は? 体調を崩すかどうかなんて、人間には予想できないでしょう。予定を組むなんて尚更」


 クラスメイトの大半が理解した「ずる休みはさせないぞ」というジョーク──フィリップに対しては「マザーかもしれないぞ?」という二重の牽制になるはずだった──はしかし、仮病を使おうと考えない程度には真面目なフィリップの性格によって効果を発揮しなかった。


 「フィリップくんは来週までに何か一つでも、初級魔術を使えるようになりましょうねっ!」

 「……頑張ります」


 ルキアだけでなくステラまでもが──人類最高の魔術師二人が教導してくれているのだ。

 そろそろフィリップの隠れた才能が開花するとか、ここまで積み上げた努力が実を結ぶとか、そんな感じの何かしらで中級魔術くらい使えるようにならないだろうか。「ならない」と、その二人の人類最強は知っているわけだけれど。


 ともかく、そんな甘い希望を胸に、一週間頑張るぞと気合を入れる。どうにもならなかったら、模擬戦相手にはナイ教授を指名しよう。

 「先生と組みましょう」という奴だ。


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