第95話

 ドアを開けた瞬間に『ハスターの毛先』を撃ち込む。言葉にすると簡単そうだが、これが意外と難しい。

 いや、ステラやルキアなら、もっと低級でもきちんとした魔術師なら、そう難しいことではない。ただフィリップにとっては別だ。伸ばした片腕か指先を照準補助に使い、長々とした詠唱を要するフィリップにとっては。


 しかも耳を塞いで目を閉じる必要のある同行者ではなく、フィリップ自身が扉を開ける必要がある。

 魔術の規模を考えるに、先程のように扉を薄く開けて撃ち込む、なんて小技は通用しないだろう。荒れ狂う暴風が盛大に扉を閉じた上で、扉の防護に魔術が破壊されて終わりだ。


 ステラにドアを開けて貰えば、フィリップは魔術行使に専念できる。しかし、その場合は魔術と詠唱がステラの精神を蝕むことになるだろう。

 彼女は初めから対爆防御姿勢を取り、フィリップが多少無理な姿勢で詠唱し、発射寸前でドアを開けるというのが安牌か。


 「……と、いう感じでどうでしょうか」

 「いいんじゃないか? 攻撃寸前まで鍵を閉めておけば、感付かれても対処できるだろうしな」


 なるほど、と適当な相槌を打ち、言われた通り鍵を差し込んだ状態で詠唱姿勢を取る。

 ステラが頷き、背を向けて耳を塞いだのを確認して、詠唱を開始する。


 「いあ いあ はすたあ はす──」


 ズドン! と。砲弾でも当たったような勢いで扉が叩かれ、握っている鍵が折れそうなほどの衝撃が伝わる。


 「うわっ!?」


 驚愕の声を漏らして飛び退いたフィリップの動きを察知し、ステラも何事かとナイフを構えた。

 なんとか鍵穴から引き抜いた赤銅色の鍵は、まだ消滅していない。驚きのあまり鍵を開けてしまった、ということはないようで一安心だ。


 どん、どん、と。扉が内側から断続的に叩かれている。

 覚えのある音、覚えのある状況に、ステラの安否を確認する。彼女もナイフを構えて警戒しながら、いつでも耳を塞げるようにと身構えている。


 どんどん、と。扉を叩く存在の数が増えたように、音の間隔が不規則になる。

 そして──


 「排斥せよ」

 「擯斥せよ」

 「排除せよ」

 「駆逐せよ」


 と、邪悪言語による大合唱が始まった。


 ステラが両耳を押さえ、「カーター!」と叫ぶ。

 フィリップも扉を叩く音と罵声に負けないように「分かっています!」と叫び返し、一先ず、ステラを書斎へと誘導する。


 その最中に、「いあ いあ くとぅるふ ふたぐん──」と、覚えのある名前を含む賛美が聞こえた。




 ◇





 「奇襲は失敗──いや、不可能らしいな。私と同じく、壁越しに魔力を感知できる相手だ」

 「……そうみたいですね」


 書斎の安楽椅子で身体を休めながら、ステラが語る。

 ステラの考察に頷きを返しながら、フィリップは心中では否定していた。


 おそらく、彼らが反応したのは魔力ではなく詠唱そのものだ。あのタイミングと、最後に聞こえた賛美を合わせて考えるに、中にいるのはハスターと敵対するクトゥルフの信奉者。

 余人には「音」としてしか聞き取れず、しかしフィリップが明瞭に聞き取れる程度の発声による邪悪言語を用いる存在。さらに準備運動として配置されていた「招かれたもの」という要素もある。


 これだけの情報があれば、この空間のコンセプト、そして配置されている神話生物にも大方の見当は付く。


 「応接間」の中にいるのは、十中八九、神話生物「深きものども」だ。

 さらに最悪の想定をするなら、ステラが「何もない」と言った鉄扉の向こうには、「何もないように見えるもの」がいる。──たとえば、ほぼ死んだような状態で深い眠りについている、死せるクトゥルフとか。


 ……いや、それでは「招かれたもの」が言っていた「新たなる神」という言葉と微妙に矛盾する。彼らはクトゥルフに従属するダゴンとハイドラを宗祖とするカルトだ。クトゥルフこそ神であるという認識のはずの彼らが、今更クトゥルフを指して「新たなる神」と表現するだろうか。「真なる神」ならまだしも。


 「……解決策は思い付きそうか?」

 「あ、いえ、えっと……」


 全然違うこと考えてました、とは言えず言葉を濁す。

 ステラの苦笑を見れば無意味な誤魔化しだと分かるが、幸い、彼女はそれを追求することは無かった。


 「思うに、この試験に於いて一方的な攻撃は認められていない。お前に要求されているのは、私やルキアのような問題そのものを消し去る火力ではなく、問題を解く技能だ」

 「それは……はい」


 それはナイ神父も言っていたことだ。

 フィリップが示すべきは、『ハスターの招来』が未完成でも問題ないということ。現状与えられた『萎縮』『深淵の息』そして『クトゥグアの招来』の三つの手札に加え、未完成品の『ハスターの毛先』だけでこの試験をクリアすることで、それは果たされる。


 「問題の内容を把握する前に問題用紙を焼き払う、単純にして最速の解は封じられている。あの部屋に入り、敵を確認し、最適な攻撃手段を選択するというプロセスは必須と考えていいだろう」

 「……そうですね」


 フィリップは一度無言で頷き、ステラが目を閉じていることに気付いて肯定を言葉にする。


 「すまないが、私は力になれそうにない。耳栓でもあるなら話は別なんだが……どうする? 耳を塞いだ私を、対魔術用の盾として使うか?」

 「それも一案ではありますね……」


 何も考えていないような口調で、水を飲みながら答えたフィリップに、ステラは思わず笑いを溢す。

 

 「正気か? 大概の魔術を弾く自信はあるが、物理攻撃には対処できないぞ?」

 「まぁ、そうですね。というか、試験のクリアに殿下の力を借りること自体、想定されていない可能性の方が高いので……」


 第一、彼女がここにいる理由すら明瞭ではないのだ。

 ナイアーラトテップが用意した枷だろうという当たりは付くが、彼女であることも想定済みなのか。或いはフィリップの推測通り、誰でもよかったのか。仮に最有力候補にルキアを置いていたのなら、彼女と同等の魔術師であるステラが巻き込まれてくれて助かったと言うべきだろうか。他の、彼女たちより弱い人間なら詰むという可能性もある。

 ただ巻き込まれただけという線は無い。ナイアーラトテップの防諜能力が人間に劣るわけがないのだから。


 「僕一人でもどうにかなる可能性が高い、はずなんですけど……」


 魔力障壁さえ展開できないフィリップは、一対多戦闘に向いていない。そもそも、魔術師という存在自体が直接戦闘に向いていないのだ。

 魔力障壁の強度は当然ながら、術者本人の魔力に依存する。ルキアのように黒山羊の攻撃を防ぎつつ攻撃しようと思うなら、当然、彼女と同等の性能を要求される。仮にフィリップが魔力障壁を展開できたところで、モニカの平手打ちを2,3発防ぐのが限界と言ったところだろう。


 「さっきの奴らと違って、意思疎通できるような相手でもなさそうだしな……どうした?」


 それだ! と言わんばかりに目を輝かせ、言葉も無くぱちりと弾いた指を向ける。


 「指を……いや、それより、アレは無理だろう? 魔物の鳴き声とかなら、法則性から意思を汲むという研究もされているが……あれはどう考え、て、も……」


 ステラの言葉が途切れ、黙考の姿勢になる。

 フィリップがそれに嫌な予感を覚えた頃には、彼女は信じられないものを見るような目でフィリップを見つめていた。


 「お前、あれが言葉に聞こえるのか?」

 「……はい」


 ステラが本当に正気を疑うような、警戒の籠った視線を向ける。

 安楽椅子に預けていた背中を起こし、いつでも立ち上がれるような前傾姿勢になった。


 「……カーター、169引く77は?」

 「へ? なん……えっと……92ですか?」


 なんで急にそんなことを、と訊く前に、いいから答えろと睨み付けられて慌てて答える。

 ステラは頷き、「次だ」と真剣な表情のまま続ける。


 「お前がルキアと出会ったのはいつ、どこでだ?」

 「えっと……ヴィーラムの町の近くにある森で、4カ月ほど前に」


 ステラはルキアに聞いていた情報と齟齬が無いことを確認し、頷く。


 「最後だ。人類には行使不能な“不可能魔術”とされる『転移魔術』が不可能である理由を述べろ」

 「うっ……それは……」


 フィリップが苦々しく表情を歪める。

 ステラが口にしたのは、二週間ほど前に行われた後期中間試験理論分野にて、フィリップを含む一年生の大半を苦しめた悪問だった。「難しすぎる」という意味で。


 「えー……っと……転移元、転移先、転移対象、それらの状態という六要素の情報は、人類の演算能力では処理しきれない量だから……と、書いたような記憶があります」

 「正答だったか?」

 「……いいえ」


 目を逸らしながら答えたフィリップに、ステラは呆れたように溜息を吐いた。


 「……まぁ、お前がお前であるということは分かった。それはそれとして、きちんと復習はしておけよ」

 「はい……。あの、今のは?」

 「精神分析の真似事だ。お前が正気である証明にはならないが、少なくとも私はお前を信じられる」


 フィリップはなるほどと頷くが、その表情は色濃い苦笑だった。現状、正気を疑われるべきはステラの方だ。尤も、この世で最も狂気に近く、そのくせ絶対に狂気に触れることが無いフィリップと比べるのはナンセンスだが。


 「じゃあ、試すだけ試してきます。ドア越しにも言葉は通じるみたいなので」

 「あぁ。結果如何に関わらず、一度報告してくれよ」


 ステラはまだ具合が悪いのか、ぐったりと安楽椅子に背中を預け直す。

 何かあったら大声で呼んでくださいね、と厳しいことを言って、フィリップは応接間へ向かった。



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