第94話

 散らばっていた本が引き裂かれて生まれた紙片と、部屋そのものとは違って破壊耐性の無かった陶器の浴槽の破片。ピンク色の人肉と魚肉の合い挽きにそれらを混ぜ込んだ、全体的にピンク色の光沢を帯びた肉の塊。

 つい数秒前には熱烈なまでの憎悪を向けていたカルトの成れの果てに、フィリップは「気持ち悪いなぁ」という内心の透ける一瞥をくれ、すぐに興味を失って視線を逸らした。


 ブチ殺して、死体を蹴りつけ、踏みにじり、唾棄してやろう──と、殺す寸前までは考えていたのだけれど。そんな気分でも無くなる程度には、気分を害する死体だった。

 もっと綺麗に、かつ苦しんで死んでくれればよかったのに。


 ……いや、そんなことを考えている場合ではない。

 次の部屋、応接間の鍵はこの部屋のどこかにあるはずなのだ。カルトの誰かが持っていたというのが、一番ありそうな仮説であり、一番あってほしくない仮説だ。

 焼く前の混ぜ込みハンバーグみたいな肉塊と、それを作る余波でぼろぼろに崩れてしまった炭の塊。あれを検分するのは勘弁してほしい。


 「……殿下、終わりました」


 ぽんぽんと肩を叩いて戦闘終了を知らせると、ステラは軽く「あぁ」と応えて立ち上がった。

 少し注意して手足の震えや瞳孔などを観察してみたが、狂気や恐怖といった悪影響は見られない。詠唱も魔術も隠しおおせたようだ。


 「……派手にやったな」


 ステラは苦い笑いを浮かべ、直視に堪えない死に様を晒す残骸を示す。

 ルキアなら口元を押さえて不快感を露わにしているところだが、彼女よりスプラッタに耐性があるのだろうか。


 「もっとスマートに……いえ、クリーンにやるつもりだったんですけどね。鍵を探すのが億劫になりました」

 「ははは。まぁ、片方は私が──ッ!? おい、死体は!?」


 ステラの言葉に慌てて振り返るが、彼女の驚愕の通り、死体が三つとも跡形も無く消えている。彼らが自称の通り人外──魔物だったのなら、死体が消滅するのは摂理に従うことだ。だがステラの見立て通り人間なら、その死体が一瞬のうちに消えるのは異常事態だ。

 あのグロテスクな肉塊が魔術による幻影で、実はカルトは死んだふりをしているだけ、という線はない。幻影の類なら、ステラの目に留まるはずだ。死体が消えたのはこの空間の特異性によるもの、と考えるべきだろう。


 これで部屋が少しは綺麗になった──などと喜んでいる場合ではない。

 奴らが鍵を持っていて、それも同時に消えたとしたらどうしようもない。この時点で詰みだ。


 「火力過剰は失格……? いや、まさかね」


 過剰火力しか持っていないような現状で、そもそも対神格を想定して組まれたフィリップ強化計画で、そんな失格条件は無いだろう。

 ナイアーラトテップの要求水準程度に強くなった場合、対人攻撃なんて小規模なカードは握れないと考えてもいい。最低、神殺し。最高火力は──なんだろう。ちょっと想像が付かない。それこそ「ヨグ=ソトースのこぶし」とかだろうか。


 とにかく、火力過多はフィリップとナイアーラトテップにとっては共通認識であり、大前提だ。今更「もっとスマートに殺しましょうね」とか言われたら、「お前をスマートに殺すぞ」という意味を込めて中指を立てるしかない。


 「ダンジョンなら詰みの場面だが、ここは用意された空間なんだろう? 何処かに……埋もれてるんじゃないか?」

 「そうですね。この……本と紙片と陶器の破片に埋もれた部屋の、どこかに」


 死体が無くなった分、生理的な「汚さ」は軽減されたけれど。部屋の乱雑さという意味での「汚さ」は、むしろ悪化している。


 溜息を交わし、部屋を漁ること十数分。

 フィリップが薄々思っていた「もの探しに手間取らせるなんて嫌がらせ、ナイアーラトテップがするかなぁ?」という疑問は、本に埋もれていた鈍い金属光沢を放つ金庫を発見することで解消された。


 フィリップが両手で抱えられるくらいの大きさのそれは、タベールナの帳簿やらが入っているものに少し似ていた。

 財産を溜め込み守るためではなく、重要書類などを火事や水害などから守るためのものだ。


 「殿下、ナイフを貸してくれませんか?」

 「こじ開ける気か? 難しいと思うぞ」


 そう言いながら、ステラは一応ナイフを渡してくれる。残念ながら蓋はきっちりと閉まっており、刃をねじ込めるような隙間すらなかった。

 『萎縮』は金属には効かないし、ダイヤル式なら試しにフィリップの誕生日でも入れてみるところだが、鍵穴がある。


 「確かに、無理そうですね」


 こじ開けるのは諦め、中身は何だろうと振ってみると、紙束のようなものが擦れるばさばさという音がする。からからと小さく硬質なものが転がる音も聞こえ、中に鍵が入っているのではないかと推察できた。

 紙束はおそらく、この空間の攻略情報、ヒントのような何かだろう。最奥部に何がいるのかは現状不明だ。ナイアーラトテップは「試験は旧支配者と一対一で戦うような形式ではない」とは明言したけれど、「最終的に旧支配者を倒すような試験ではない」とは言っていない。


 最悪、最奥部には本当に「ヨグ=ソトースのこぶし」が待っていて、ステラは何も知らないまま死んだほうがまだマシ、ということだって有り得る。

 それを確認するためにも、この金庫は是非開けておきたい。というか、鍵が封入されているのなら、開けないと先に進めない。


 では鍵探し再開だが──鍵穴のサイズから考えて、部屋の鍵より二回りは小さいものだろう。難易度が上がっていた。


 「よいしょ、っと」


 中身が紙束とは言え、それ自体は鉄の箱だ。それなりの重量がある。

 緩慢な動作で床に置くと、からん、と硬質なものが床に転がった音がする。


 「っ!?」


 すわどこか壊したかと慌てるフィリップだが、どこも歪んでいたり、割れている感じはしない。

 何だったのかともう一度持ち上げると、金庫の下に見覚えのある鍵が落ちていた。


 「……あぁ、そういう?」


 取り上げてみると、やはり「応接室」と彫られている。金庫の裏に貼り付けられていたようだ。

 もの探しに手間取らせたりはしないと思っていたので、金庫と一緒に見つかるようになっていたのは予想通りだ。妙に見つけにくいところに貼っていたのは……やっぱり嫌がらせだろうか。試験の本旨を損なわないところでなら何をしてもいい、とか思っていそうだ。


 「殿下、ありました。応接室の鍵です」

 「よくやった。正直、部屋の半分も探していないが……かなり疲れた」


 確かにと笑い、フィリップも背中や腰を伸ばしながら立ち上がる。

 そのまま流れ作業のように次の部屋へ向かおうとして、その手をステラに掴まれた。


 「待て。さっきの「音」の出所がこの部屋では無かった以上、次の部屋ではほぼ確実に私が変調を来す。次も多人数相手なら、ドアを開けた瞬間に決めろ」

 「……なるほど」


 フィリップが出口らしき鉄扉を壊そうとしたとき、怒声は浴場と応接間の両方から聞こえていた。それが邪悪言語であることは、ステラの反応から間違いないと判断できる。

 だが実際に扉を開けてみれば、中に居たのは人間もどきが三体だけ。しかも彼らは人語、大陸共通語を話していた。と、なると──実際に邪悪言語を使っていたのは応接間の中にいる存在で、浴場からは普通に人語が聞こえていたのだろうか。


 「じゃあ、殿下は書斎で待っててくれませんか? 正直、他人を庇いながら戦えるほど強くないので」


 正確には悪影響が強すぎて、というべきだが、それは今はどうでもいい。

 ステラは少し考え、やはり首を横に振る。


 「いや。奇襲に失敗した場合でも、お前一人でどうとでも対処できるならそれでもいいが──」

 「……無理です」


 だろうな、と、フィリップの戦いぶりを見ていたステラは軽く頷く。

 殆ど棒立ち、魔術耐性に欠けるくせに魔力障壁の展開準備も無し。読み合いにも弱い。攻撃能力は高いのかもしれないが、総合的な戦闘力はかなり低いといえる。


 「最悪、私は嘔吐しながらでも魔術を防げる。だが意識が無くなれば魔力操作も何もあったものじゃない。私がゲロを吐いているうちに、失神する前にカタを付けてくれよ」

 「了解です。と言っても、僕には例の「音」がどれほどのものか分からないので、その「音」が聞こえたら教えてください」


 必要事項の確認を終え、二人は次の部屋へ向かった。

 「応接間」の扉も「浴場」のそれと同じく高級そうな木製で、金属のドアノブの下に鍵穴がある。


 「……人型の魔物だな。三体いる」


 当然のように「目」を向けてそう言ったステラに、フィリップが愕然とした目を向けた。 


 「なんだ? さっきも見ただろう? 魔力の質で対象を、その分布で形状と位置を把握できる」

 「いえ、それは知ってるんですけど……何ともないんですか?」


 ステラは「あぁ」と不思議そうに頷く。

 それは良かった。まぁ、フィリップの予想が正しければ、中にいるのは人の発声器官に似たものを持つ神話生物だ。肺-声帯-口という一連の構造が同じなら、少なくとも見るだけで正気を失うほどの異形ではないだろう。ステラが発狂しなかったことで、その予想は概ね裏付けられたと言っていい。


 とはいえ、迂闊だった。彼女の積極性なら、自分にできる最善を尽くそうと動くことは予想できた。これで中に一見して即発狂するような異形が配置されていたら目も当てられなかった。

 きちんと事前に警告しておくべきだったが、最奥、出口らしき鉄扉に挑む前に気付けて良かった。そのレベルの異形が配置されるとしたら、そこだ。クリア直前の最終局面で、フィリップの全火力をぶつけるような相手がいる可能性だってある。


 「殿下、その「目」は僕が言ったときだけ使うようにしてくれませんか? いえ最悪、あの鉄扉の向こうだけは覗かないでくれたらそれでいいんですけど」

 「出口か? さっき見たが、何も無かったぞ?」

 

 ……オーケー。さっきまでの推論も後悔も安堵も全部ナシだ。

 この空間に異形はいない。証明終了。


 「そ、そうですか。じゃあ何でもないです……」


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