第93話

 別に、彼らが何であれ、フィリップの知ったことではないと思っていた。

 敵として配置されている何か。フィリップの戦闘能力を測る指標。そしておそらく、準備運動程度の労力を想定されているもの。


 彼らが魔術師だろうと、魔物だろうと、神話生物だろうと。元は人間であった何かであろうと、さっさと殺して先へ進む。

 その、つもりだった。


 「……カルトか」

 「……カーター?」


 心底からの憎悪を宿した呟きに、ステラが背中を押されたように一歩、前に出る。流石に敵を前にして振り返りはしないけれど、それは自制の結果だった。思わずフィリップを確認してしまいたくなるほど──本人かどうか訝しむほど、普段の彼とはかけ離れた声色だった。


 普段のフィリップは良く言えば物腰の丁寧な、悪く言えば慇懃無礼な子供といった風情だ。

 しかし、今のフィリップにそんな気配は無かった。取り繕った尊重や模倣した敬意は消え失せ、時折覗かせる冷笑と嘲笑が表出している。今まで表層にあった全てを押し流したのは、眼前の存在に対する悍ましいほどの嫌悪感と憎しみだった。


 とはいえ、フィリップは見てくれも戦闘力も子供だ。

 普段の彼を知るステラも驚きはしたものの、恐怖を感じたりはしない。フィリップの情報をその外見程度しか持ち合わせない、残る二体の「招かれたもの」も同様だ。


 「カルトだと? フン、領域外魔術を使う以上、多少の智慧はあるかと思ったが……買い被りだったか」


 嘲りも露わに、「招かれたもの」の片割れがそう吐き捨てる。


 フィリップはその感情と言葉を丸ごと無視して、ステラの肩を叩いた。


 「殿下、対爆防御を」


 乱戦の中、相手に隙が出来た瞬間に使うはずだった合図を、安穏と伝える。

 現状は敵と味方が同数で、相手は対魔術防御を展開中、そして正面から睨み合った拮抗状態だ。当然ながら、目と耳を塞いでいい状況ではない。


 「無理だろう!? 相手に隙が無い状態で」


 どんな判断だと、ステラが驚愕交じりに再考を促す。

 普段のフィリップなら、それもそうかと大人しく別な攻撃を選択するところだけれど──生憎と今のフィリップは、或いは本来のフィリップは、そんなにお利口ではない。


 「──そうですか。じゃあ別にいいですけど」


 フィリップの基本性質にはいろいろと問題がある。


 たとえば対人認知能力。

 親しい人。輝かしい人間性を持った人。有象無象。憎むべきカルト。この程度の認識、分類しかない。


 そしてプラスの印象であるはずの「親しい人」「輝かしい人間性を持った人」も、ニュートラルな「有象無象」も、マイナスの印象を持つ「カルト」も、自分自身すら、一様に無価値と断じる価値観がある。


 だから──まぁ、別にいいか、と。

 ステラが発狂しようと、ルキアがそれを悲しもうと、その咎をフィリップが背負うことになろうと──別に、どうでもいいじゃないか。そう、外神の視座から囁く自分がいる。


 眼前のステラに構わず、胸の奥で燃え上がる憎悪に任せて魔術を照準する。

 ステラが息を呑むのを無感動に一瞥して、興味はそれきりで尽きる。


 なのに──詠唱できない。息が詰まる。


 どす黒い憎悪と殺意に塗れた心の中、ほんの片隅に残った理性が制止している。

 それは獣性だ。人間的な理性とはかけ離れた拙劣なものだ。それに身を任せたくない。人間らしく在りたいと叫んでいる。何より──は絶対にそんなことをしない、と。その確信が、ステラを害する可能性のある邪悪な言葉を喉元に押し留めている。


 「……どうする?」

 「……すみません。先に隙を作りましょう」


 撃つのか、撃たないのか。敵を睨んだままそう問いかけたステラに、フィリップは一転して消沈した声で答える。

 魔術防御を貫通しうる魔術の気配に身を強張らせていた「招かれたもの」が、どうやら撃ってこないらしいと安堵していた。


 「は、ははは…… どうした、撃たないのか? そうだろうな。ここが何処かを知ったのなら、あのような魔術は最早──ッ!?」

 「──あぁ、やっぱりこれ越しじゃ駄目みたいです」


 方針が決まった以上話すことは無いと、無造作に撃ち込んだ『萎縮』が水のヴェールをどす黒く濁らせる。

 体感的に、もうあと2、3発も撃ち込めば無力化できそうだ。


 前触れも無く、まるで自分たちの言葉が通じていないかのような無感動さで魔術を撃たれ、「招かれたもの」が息を呑む。


 「損耗率は三割強といったところか。相手も魔術を使えないようだし、壊れる瞬間に気を付けろ」

 「了解です。──《萎縮》」


 じゃあもう一発は雑に撃っていいな、と。フィリップがほとんど何も考えずに撃ち込んだ魔術が水のヴェールを濁らせる。

 あと一発。どのタイミングで撃つべきかと思考した瞬間に、「招かれたもの」二体が同時に詠唱する。


 「《ヨグ=ソトースのこぶし》!!」


 次の瞬間には水がガラスのように砕け散り、「招かれたもの」の放った不可視の殴打が飛来する。


 そりゃあ、まぁ。あれは双方向の干渉を遮断する防御壁であり、フィリップたちと、「招かれたもの」たちの安全を保証してくれるものだった。

 それを壊そうとした以上、彼らも棒立ちでそれを見てはいないだろう。迎撃、反撃は予想しておくべきで──耐久値が残り一発になった時点で彼らの片方がそれを破壊し、残った方がフィリップより先に攻撃する。そんな連携を取ってくることも、勿論想定しておくべきだった。


 殺意に目が眩んでいたとはいえ、あまりにも迂闊だった──そんな反省をしている余裕も無いほど、フィリップの動揺は大きい。


 「なっ──!?」


 なんだその魔術。なんでその名前を知っている。

 心中に浮かんだ二つの疑問のどちらを口にしようとしたのか、フィリップ自身さえ分からない。声にする前に驚愕で息が詰まったのも大きな理由だが、何より、そんな問いを投げている場合ではないからだ。


 警戒度が跳ね上がる。

 カルト風情と侮るのも、人間風情と嘲るのも、無価値なモノと捉えるのも、全て過小評価だった。


 ヨグ=ソトース──外神の中でも最強に近い存在。その“こぶし”? 

 それは流石にフィリップでも危機感を覚えるというか、脅威だと判断できる。フィリップもハスターの毛先や、クトゥグア本人を召喚できるけれど──そんなものとは訳が違う。格が違う。次元が違う。


 クトゥグア、ヤマンソ、ハスター。フィリップがいま召喚できる邪神が、どれだけ頑張っても盾くらいにしかならない。盾として一発受け止められたら大金星、というレベルだ。


 以前にヨグ=ソトースの気配を感じたのは、ナイ神父の化身を解き血の舌と漆黒の身体を持つ化身となったナイアーラトテップを殴り潰したとき。ヤマンソの焼却からフィリップたちを守ってくれたこともある。三次元世界の崩壊に構わず真体にて顕現しようとしたシュブ=ニグラスを押し留めたときは、流石に肝が冷えた。


 彼──と、便宜上その代名詞を置くが──は顕現することもなく、世界としてそれを実行した。


 ナイアーラトテップを消し潰し、ヤマンソの攻撃を制御し、シュブ=ニグラスを追い返した。

 こぶし、パンチというからには、攻撃なのだろうが──少なくともナイアーラトテップを一撃で葬り去ることができる物理威力がある。フィリップなら余裕で100回死ねるだろう。


 「いあ──」 

 「──っと」


 フィリップが最悪の防御策を講じる寸前で、ステラが羽虫を厭う程度の気軽さで『ヨグ=ソトースのこぶし』を打ち払う。

 不可視の攻撃を寸分の狂いも無く、体内の膨大な魔力がもたらす魔術耐性に任せて、脱力した手の甲で。


 「馬鹿な!?」と、フィリップの内心を「招かれたもの」たちが代弁してくれた。


 「──圧縮空気の手応えではないな。力場の生成と衝突か」


 攻撃を払った右手をひらひらと振りながら、何でもないことのように言う。

 「招かれたもの」は依然として「馬鹿な」「有り得ない」と繰り返していたが、フィリップの疑問は氷解する。


 あの『ヨグ=ソトースのこぶし』なる魔術は、外神の副王ヨグ=ソトースとは何の関係もないものだ。

 いや、そもそも。ヨグ=ソトースを知っているのなら、「真なるダゴン教団」なんて面白い団体に所属したりしないだろう。フィリップの早とちり、彼らの無知を見抜けなかったフィリップのミスだ。


 普段のフィリップなら。カルトを前にして嫌悪感や殺意に支配された状態でさえなければ、気付けたかもしれない。外神であるヨグ=ソトースが召喚されたとしても、フィリップに敵対することは無いと思い出せたかもしれない。


 全く──我が事ながら恥ずかしい。

 これほど愚昧なカルト如きに、こうも振り回されるとは。


 「──っ! 殿下、対爆防御を!」

 「了解!」


 もう、いい。

 これ以上のお前たちの生存を、僕は望まない。


 お前たちカルトは死ね。なるべく惨たらしく、苦しんで。


 ステラが耳を塞いだのを確認し、今度こそはと魔術を照準する。


 「いあ いあ はすたあ はすたあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ──」


 悶え、咳き込み、唸るように詠み唱える。

 ハスターの居城にして牢獄たる黒いハリ湖へと至る経路が繋がり、風属性の最大神格を讃える言葉と魔力を代償に、その存在をこの場へと招来する魔術。副作用である正気の喪失は、シュブ=ニグラスの守護によって踏み倒される。


 「招かれたもの」が慌てたように攻撃準備に入るが、フィリップの詠唱完了の方が早い。

 

 「あい あい はすたあ」


 召喚された暴風、横方向に伸びる竜巻が、かつて人間であった二体の神話生物へと襲い掛かった。


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