第77話
初日にちょっとしたイベントこそあったものの、一週間に亘る王宮祭は──王宮祭そのものが一大イベントなのだが──何事も無く、フィリップとルキアの子供心を大変に満たして最終日を迎えた。
祭りの最終日と言えば、これで幕引きかという寂しさを紛らわせるように、ひときわ騒ぐものだ。この王宮祭もその例に漏れず、最終日に最大のイベントが予定されている。
いや、王都全域を挙げてのお祭り騒ぎは、そのイベントのための前座に過ぎない。歴史書を紐解くまでも無く、王宮祭の開催を告げる掲示には「建国祭は当初、一日の御前試合のみであった。それを最大限盛り上げるため、時折日取りの調整が為され、今ではこうして一週間もの大規模催事になっている」と記されている。
魔術や剣術に興味を持つ者にとって、御前試合は国内最高峰の技術を持った者たちが集まる、見逃せない催しだ。興味の無い者にとっては退屈だろうが、それでも上位5名による演舞は美しく見ごたえのあるものとして人気を博しているらしい。
この一週間、ルキアはずっとフィリップと遊んでいた。御前試合に向けた訓練は不要だと言い切り──実際、彼女に必要なのは台本を読み暗記することくらいだった──フィリップも含めた家族全員がそれを信じた結果だ。
信じないという選択肢は、彼女の実力を知っていれば存在しないのだが。
今年の王宮祭も例年通りの展開を経て、5位が騎士団長、4位が衛士団長、3位にヘレナと決まっていく。
そして、決勝戦。
控室にフィリップを呼び出したルキアは、開口一番、
「演技を辞めようと思うのだけれど、どうかしら?」
──と。
サークリス一家と共に応援に来たフィリップが、返答どころか咄嗟には理解できない相談を持ち掛けた。
「あー…… えっと、演技ですか?」
「えぇ。これから私たちが演じる御前試合の決勝戦、あれに台本があるって、前に話したわよね? それを放棄しようと思うの」
その話なら、フィリップもちゃんと覚えている。
御前試合における例年の上位三名、ヘレナ、ルキア、そして火属性の聖痕者であるアヴェロワーニュ王国第一王女。彼女たちの魔術戦は、当然ながら上級魔術の撃ち合いどころでは済まない。以前の決闘でカリストが使おうとしたような一撃必殺級の大魔術が牽制打に使われ、『粛清の光』や『明けの明星』といった神域魔術ですら決定打とはなり得ず、それを正面から撃ち合うような決戦だ。
会場となる王立闘技場の防護は万全だという話だが、防護魔術をかけた宮廷魔術師も建材を用意した宮廷錬金術師も、口を揃えて「聖痕者の魔術はちょっと無理です」と上奏する。
故に、彼女たちの試合では、予め見映えを意識した台本が用意され、その通りに演じるよう求められる。御前試合という大層な名前ではあるが、要は演舞だ。
確実に誰も死なず、確実に周囲に被害が出ず、そして魔術の強弱ではなく華美さを追求した、殺し合いとはかけ離れた安心感のある見世物。
そこから台本を、安全な筋書きを放棄するということは、演舞は試合に、見世物は殺し合いに逆戻りするということ。
「……王女殿下を暗殺するおつもりですか?」
この場の全員が絶句するような質問を投げたのは、フィリップですら冗談かと思うような言葉を真顔のまま吐けるアリアだった。
止めるつもりか、それとも協力するつもりか。どちらともつかない無表情で、淡々と尋ねる。
「まさか。ステラにはきちんと説明するし、見映えを意識したまま殺せるほど弱い相手ではないわ」
苦笑交じりの言葉に嘘は感じられない。公爵と夫人が胸を撫で下ろすのを横目に、フィリップは「では、何故?」と重ねて問う。
ルキアはすぐには答えず、控室の机に置かれていた──放り出されていたわけではなく、机と冊子の四辺が平行になるよう丁寧に静置されている──台本を取り上げ、フィリップに手渡した。
適当に繰ってみると、元々書かれていたであろう黒字の上からびっしりと、ルキアの筆跡の赤字が書き加えられている。修正案のように見えるが、一か所につき最低二度は修正が重ねられており、もはや原型は残っていないと一見しただけで分かるほどだ。
「始めは台本を改変する方向で考えていたのだけれど、そもそも台本通りに演じていること自体が、多様性を狭める原因なんじゃないかって思ったの」
「……なるほど?」
そもそもその「多様性を狭める」が全く分からないのだが、彼女は何を厭うているのだろうか。
これまでにも何度か、少なくとも「例年この順位だ」と言われる程度の回数は、その台本に従って演じてきたはずだ。ここにきて我慢が限界を迎えたとかだろうか。
「えっと、どうして台本通りじゃダメなんですか?」
「そ、そうだよ。これまで台本通りに演じて来たじゃないか」
フィリップの質問に、公爵も重ねて問う。
公爵夫人とメグは、何故か答えを聞いてすらいないというのに半笑いだった。苦笑……いや、呆れを含んだ、慈しむような微笑に見える。
フィリップがそれを不思議に思うのとほぼ同時に、ルキアが覚悟を感じさせる口調で答える。
「今年は特別。いつもみたいな見映え一辺倒ではない、強さと美しさを高度に兼ね備えた、最高の魔術を見せたいの」
おお、流石、と。
彼女の『美しさ』への拘り──ゴシックであれという彼女が自らに課した生き様を知るフィリップは、そんな感心の籠った眼差しを向ける。感心というには同族意識や羨望も混じっており、純粋どころかどろりと濁った視線に近いものだったが。
「いいと思います」
「え? いや、ちょっと待ってくれ」
「えぇ、ちょっと落ち着いて?」
肯定したフィリップに対して、公爵と夫人はやや否定的だ。無理もないと、フィリップですら知識の上では共感できる。
聖痕者同士の戦闘は周囲への被害も予想されるが、何より本人が怪我をする──死傷する危険がある。ルキアは生半な相手では歯が立たないどころか、歯牙にもかけない振る舞いが許される絶対的強者。そしてそれは相手も同じだ。どちらが怪我をしても、どちらが死んでもおかしくない、人外領域での魔術戦になる。
……で、誰か死ぬかもしれない程度のこと、気にする必要があるのか?
ルキアが確実に死にますとか、逆にルキアが確実に第一王女を殺して逆賊になりますという話なら、それは勿論止めるけれど──可能性があるというのなら、いまこの瞬間にアザトースが目覚め、世界が泡と消える可能性だってある。いちいち気にしていては何もできない。
それに──
「大丈夫でしょう。ルキアが魔術で失敗するところ、想像できますか?」
あっけらかんと、いっそ楽天的に言い切ったフィリップに、一行はそれぞれ異なる視線を向ける。
公爵と夫人は呆然と、メグは仮面のような微笑、アリアはいつもの無表情だ。そしてルキアは、
「ありがとう、フィリップ。その信頼には絶対に応えるわ」
と、その言葉に似合う、心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「……そろそろ時間ね。行ってくるわ。皆も時間までには客席に戻っていて頂戴」
その笑顔も引っ込めないうちに、彼女はさっさと席を立ち部屋を出て行ってしまった。側付きのアリアが公爵に一礼してそれに続く。
壁に掛かった機械時計によると、確かに開演──いや、開幕の時間まで20分ほどしかない。控室から貴賓席まで数歩というわけではないし、トイレにも行っておきたい。フィリップたちも移動すべきだろう。
「じゃあ、僕たちも行きましょう」
「ちょ、ちょっと待ってくれカーター君。いま、ルキアのことを名前で呼ばなかったかい?」
部屋を出て行こうとしたフィリップの腕を掴み、公爵がそう問いかける。
あくまで疑問と驚きを表出させている公爵の後ろには、モニカがたまに浮かべるものと同質の愉悦と好奇心に満ちた笑顔の公爵夫人とガブリエラが見える。
なんかデジャヴだなぁ、と、フィリップとメグは同時にそう思った。
◇
『建国祭の目玉である御前試合も着々と進み、遂に最終戦です! 今年も例年通り、対戦カードは『明けの明星』ルキア・フォン・サークリス公爵令嬢対『恒星』ステラ・フォルティス・ソル=アブソルティア・レックス第一王女殿下! 世界最高、世界最強の魔術師同士の、華々しく美しい試合が期待されます! えー、実況は引き続き私、王立魔術研究会のニーナ・フォン・マルケルが、最終戦の解説はおばあちゃ……いえ、魔術学院学院長、ヘレナ・フォン・マルケル聖下が担当します!』
『……よろしくお願いします』
拡声器越しに、楽しげな声と、うんざりしたような聞き覚えのある声が届く。
フィリップたちのいる貴賓席のちょうど下あたりが実況席だ。少し身を乗り出すと、客席に向かって楽しそうに手を振る20歳くらいの女性と、頬杖をつきながら救いようのない馬鹿を見る視線をその女性に向ける、魔術学院学院長にして風属性聖痕者、ヘレナの姿が見えた。
『あのね、ニーナ。貴女のお祖母さまは私の姉、つまり私は伯祖母だから』
『いまは私のお姉ちゃんでもありますけどね! こんなに面倒な関係性があるの、間違いなく私たちくらいですよ!』
フィリップも含めた観客が困惑するような会話が拡声器越しに垂れ流されている。
打てば響くと言うか、少なくとも深い思索を挟まず脊髄反射で会話しているような二人の掛け合いは、少しの待ち時間を潰すくらいの役割は果たしていた。
『まぁ、転生者がそもそも私くらいでしょうし、ね。あんな複雑極まる魔術、もう一度やれと言われても不可能なくらい……』
『──おっと、そろそろお時間となります! 選手のお二方の入場です! 皆様、拍手と共にお迎えください!』
自慢っぽくなりかけたヘレナの言葉を遮るように、実況のニーナが声を張り上げる。
客席から鳴り響く万雷の拍手を合図に、選手が闘技場へと姿を現した。
貴賓席のフィリップから見て右側の入り口から、まずはルキアが進み出る。
肌を露出しない黒いゴシック調のドレスを纏い、貴賓席に向けて優雅に一礼する姿はとても絵になる。客席を満たしていた拍手が一瞬止まり、息を呑む音や溜息の音が聞こえたほどだ。
麗しき立礼に応えるように、フィリップと公爵家一行が拍手を再開する。それにつられて客席にも拍手の波が戻り始め──また止まる。
今度はルキアの美貌や所作によるものではなく、彼女とは闘技場の中心を挟んで反対側、貴賓席から見て左側の入り口から姿を現したルキアの対戦相手。第一王女によるものだった。
腰まで伸びるウェーブがかった金髪は陽光を反射して煌めき、ルキアにも負けず劣らず整った相貌には獰猛な笑顔が浮かんでいる。
彼女が放つ気配に中てられた観衆は一切の動きを止め、ただ自然と首を垂れる。気配──威圧感というよりは、存在感だ。闘技場の客席を埋め尽くす幾千の観客に、彼女はその意識のほんの一片すら向けていない。威圧や威嚇は勿論、これほどの人間の視線や認識すら気にしていない。
自分がどう見えるか、どう振る舞うべきか。何が、最も『美しい』のか。常にそれを気にしているルキアとは対照的に、彼女は自分一人で完結しているように見える。
閉鎖的、というか──自我を構成する自意識の密度が高い。他人の干渉を跳ね除けるほど、あるいは他人を強烈に惹き付け、首を垂れさせ、傅かせるほど。
「──」
「──」
客席からでは聞こえないが、二人は何事か会話を交わしている。
都合のいいことに、二人が会話を終えるのと、第一王女の覇気に中てられて頭を下げていたニーナが復帰するのは同時だった。
『あぅ……失礼いたしました、もう4年目なのに、慣れないなぁ…… じゃ、なくて! えっと、これより、御前試合決勝戦を開始いたします! 両者、構えて──始めっ!』
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