第75話

 祭りと言われてフィリップの脳裏に浮かぶのは、地元で行われていた収穫祭と──悍ましき宮殿で見た、眠りこける魔王の周りで踊り狂う蕃神たちの宴である。

 前者よりは遥かに大規模で、後者よりは遥かに小規模且つ健全な建国祭は、フィリップにとって大いに楽しめるものだった。


 出店も催し物も貴族向けの小洒落たものばかりではあったが、物珍しさにふらりと立ち寄って冷やかすことは許される。祭りとはそういう場所だ。


 休暇を取った貴族の使用人や、一等地に出店しているような高級商店の従業員などが主となる人混みは、多種多様な人の集まる二等地のそれと比べて少し疎らだ。フィリップの矮躯でもギリギリ押し通れる。

 手刀など切りつつ人混みを縫い、待ち合わせ場所の王城を目指す。ルキアは今頃王宮で式典に出ているのだろうが、フィリップは自由行動だ。


 限定開園しているというサーカステントに行ってもいいし、出店でおやつを買い食いしてもいい。錬金術製の手持ち花火を買って遊ぶと言うのもアリだ。自前の魔力で色とりどりの火花を作り出せる魔術師にとっては子供騙しのような遊具だが、フィリップは魔術師もどきで、子供だ。


 わいわいがやがや、和気藹々と、フィリップとメグは祭りを満喫する。より正確には、タイムキーパー役のメグを、物珍しさで自制心を失ったフィリップが連れ回していた。


 「メグ、あれ! あれは何ですか!? 羽翼と触手のある巨獣! 魔物ですか!?」

 「あれは象ですね」

 「像? じゃあ、あれがガーゴイルっていう奴ですか! 初めて見ました!」


 サーカス団のテント前で見世物をしていた象に向かって、でけぇすげぇと目を輝かせるフィリップ。メグは苦笑交じりに「いえ……あの……」と否定しようとするが、興奮状態のフィリップには届いていない。

 うるさいなぁこいつ、貴族の子供か、じゃあまぁ仕方ないか…… と。周囲から向けられるそんな視線にも、まるで気が付いていないようだ。


 「岩のような肌! 建物のような巨躯! 本の通り……あれ? でも翼は背中から生えてるって話だったような…… というか、触手が生えてるなんて描写あったかな」


 記憶違いか、或いは本の描写が間違っていたのかと大真面目に首を捻るフィリップに、メグは苦笑を失笑に変えた。

 くすくすと押さえた笑いを溢すメグには気付かず、フィリップは「神話生物より原生生物とか魔物の方が遭遇率高いんだから、そっちの知識が欲しかったよなぁ」などとぼやく。


 「ふふ……カーター様、あれは象という名前の生物です。魔物ではありません」

 「……あ、そうなんですか」


 言われてみれば確かに、魔物からは感じた魔力を一切感じない。尤も、それを根拠に魔物かどうかを判別できるほど、フィリップの魔力感知能力は高くないのだが。


 「羽翼に見えるのは耳で、触手に見えるのは鼻なんです」

 「えっ……」


 まぁタコやゲイザーにも触手はあるし、蝙蝠や翼竜なんかにも羽翼はあるしなぁ、と。納得しかけていたフィリップにとって、それは信じ難い事実だった。

 愕然と、鼻を器用に使ってお手玉をする象を見遣る。


 そんな様子も可笑しかったのか、メグはまたくすくすと笑った。


 「なんでも、半年ほど前に暗黒領で見つかった新種だそうですよ」

 「へぇ…… 開拓者が連れ帰ったんですか」


 暗黒領は大陸南部に広がる未開拓地域で、どの程度の広さがあって、何があって、何がいるのか、殆ど分かっていない人類未到領域だ。

 一応、最南端(と仮定されている)魔王城と、そこまでの最短(であると思われるほぼ直線のはずの)ルートは地図に載っているが、精度も信頼性もゼロに近い。


 開拓者が不定期に送られてはいるが、成果は芳しくない。こうして原生生物を連れ帰ってくることも稀だ。

 珍しいものを見られた。あとでルキアと一緒に戻ってこよう、と決めた時だった。


 「おい、見ろよ! 町中に魔物がいるぞ! すげぇな王都!」


 と、男の叫び声が耳に障る。


 祭りで人がごった返しているとはいえ、ここは一等地だ。参加者の大半は貴族の使用人か高級商店の従業員であり、酒が入った程度で立ち居振る舞いが崩れるような甘い教育は受けていないはず。

 そんな中で耳に障るほどの大声を上げた男は、異物感を伴って目立っていた。


 その言葉と、フィリップが田舎に居た時に寝間着にしていたような草臥れたシャツ、鞄一杯に詰め込まれた王都ガイドのパンフレット。どこをどう見ても、田舎から来た観光客──しかも、かなりマナーの悪いタイプの観光客だった。


 ツッコミどころは色々あるが、とりあえずパンフレットは一人一枚までだ。王都外では高級品の紙を無料配布しているからと、大量に持ち帰って売り捌こうとでもしているのだろうが。


 「羽目を外すのはいいが、迷惑にならないようになー!」


 先ほどの声を聞いたらしい衛士が声をかける。鞄の中身までは見えない距離だが、見つかったらしこたま怒られるだろう。

 

 こそこそと鞄を隠すように持ち、衛士から離れるようにこちらへ歩いてくる男。どう見ても不審なその態度を見逃すほど、王都衛士団は甘い組織ではない。

 確実に目を留めた衛士が、不審そうに怪訝そうに一歩、こちらへ近寄り──


 「ええい、黙って聞いておれば! 先ほどからの暴言全て、撤回して謝罪して貰おうか!」

 「何を! 貴様こそ、我が主人への中傷全て、撤回して頂こう!」


 無謀にも、或いは怒りで周囲の状況が全く見えていないのか、男が二人取っ組み合いを始めてしまった。衛士のほぼ真後ろで、だ。


 「……はい、落ち着こうねお二人さん」

 「部外者は引っ込んでいて貰おうか!」

 「左様! これは主の名誉に関わる問題だ!」


 基本的に温厚で我慢強い者の多い地域のはずだが、忠誠心に篤いのも特徴だ。酒が入った状態では、普段は聞き流せるような些細な失言も気になるのだろうか。何を言われたのかは知らないが。


 がやがやと、取っ組み合いに割って入った衛士も含めた三人の乱闘の周りに野次馬が集まる。

 衛士団の不定期検問などであまりいいイメージを持っていない者は使用人側を応援し、逆に衛士に助けられた経験や恩のある者は衛士を応援する、ストリートファイトっぽい見世物になりつつあった。ちなみに、フィリップは衛士を応援している。


 「……衛士団のファンなんですか?」

 「え? すみません、もう一度お願いします」


 自分の応援と周りの野次で聞き取れなかったが、メグが何か言ったことだけは判別できたフィリップがそう聞き返す。

 メグが苦笑しつつ繰り返そうと口を開くが、言葉を紡ぐ前に背後から声が掛けられる。


 「おぉ、すげぇ! 本物のメイドだ! なぁ、ちょっと──」


 ぐい、と。無造作に肩を掴まれたメグが、咄嗟にその手を払いのける。


 「……なんですか、貴方」


 メグが眉根を寄せたのは、男の不躾な態度だけが原因ではないだろう。

 先ほど騒いでいた観光客らしき男と同一人物のようだが、かなり酒臭い。少し距離のあるフィリップがえずきそうになるほどだ。


 「あぁ? なんだってなんだ、お前。メイドのくせに、口の利き方がなってねぇんじゃねぇのか?」


 その言葉で、うるさいなぁこいつら、と傍観していた周囲の人間の約半数が、ぴりぴりとした敵意を纏う。

 メイドは身分に劣る──というのは、よくある誤解だ。貴族に仕える従者の中で平民階級が占める割合は、実のところ半分ほどしかない。残りは貴族の次男次女といった家督相続権の低い者であり、そのどちらも高い教養と優れた技術を身に付けている。


 命の価値を能力によって定義するとしたら、高度なスキルを持つ高位貴族の従者は、そこいらの木っ端貴族などよりよほど高価である。

 そう自負するだけの研鑽を積み重ねてきた者だけが、あらゆる物品・あらゆる人材が最高級である一等地で働くことができる。


 その従者たちのど真ん中で、その従者たちを侮辱するような言葉を吐いた男は、翌日には身ぐるみを剥がされて路地裏に捨てられていてもおかしくないのだが──フィリップの予感した大乱闘は起こらず、むしろ野次馬たちは興味を失ったように、或いは気の毒そうに、衛士対従者二名のアンフェアマッチへと移りつつある乱闘へ視線を戻した。


 「ちょっと来い。ゴシュジンサマの代わりに教育してやるよ」

 

 メグの肢体に下卑た目を向け、にやにやと笑う男。

 フィリップとしては、彼女を連れていかれると非常に困るのだが──生憎、フィリップの対人攻撃能力は高すぎる。適当にボコってさようなら、なんて器用な真似は出来そうにないが、まぁ、


 「《深淵の──」


 衆人環視の中で使っても問題なさそうな──問題の度合いが小さい方の魔術を選択し、詠唱を始めたフィリップを遮るように、メグがすっと手を翳す。


 「いいですね。どうぞ、こちらへ。カーター様、こちらでお待ちくださいね」

 「お、なんだよ、案外乗り気じゃねぇか」


 率先して路地裏へ誘導していくメグに愕然としつつ、その後を追おうとするフィリップ。動くなとは言われたが、ルキアの従者を放っておくわけにもいかない。人目に付かないところに行ってくれるのなら、どちらの魔術を使ってもいいし──いまメグを連れていかれるのは非常に困る、と。そんなことを考えながら一歩踏み出し。


 視界の端に漆黒と月光を捉え、止まる。


 「……っ」


 叶うなら殺してでも会いたくない相手の気配──いや、違う。邪神の気配、魔力感知能力に疎いフィリップでも分かる、たった一度とはいえ宮殿に集う彼らの本性を見たフィリップにだから分かる、覆い隠された存在感のようなものが、まるで感じられない。

 だが視界の端に、確かにカソックと銀髪が見えた。ならば一体、と焦点を合わせ、安堵と肩透かしの溜息を漏らす。どこまで有名になっているのか、彼らは。


 仮装して祭りを楽しんでいる参加者から視線を外し、フィリップは路地裏へ入っていったメグを追って駆け出した。


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