第74話
「本当に?」botと「神官です」botの争いは、僅か3回のラリーで終了した。
いい加減にしろと止めようとしたルキアに先んじるように、執務室の扉がノックされたからだ。
よく考えたら「正体? ちょっと何言ってるか分かりませんね」という反応の方が良かったかもしれない。いや、かもしれないというか、絶対にそっちの方が良かった。
正体を教えてくれ、なんて不自然極まる質問に、ドストレートに○○ですなんて自然な答えを返すのは、あまりにも不自然だ。
「どういう意味ですか」と訊き返すとか、「本当に?」と訊き返されたら「違うんですか?」と返すとか、もっといい返事はいくらでも思い付く。後からなら。
フィリップがそんな後悔には満たない反省をしているところに、メグが開けた扉から一人の女性が入ってくる。
サークリス公爵より十歳ほど年下と思しき女性を、公爵はさっと立ち上がって迎える。
「おかえり、早かったね」
「早めたのよ。ルキアが友達を連れてくるなんて、初めてだもの…… あぁ、貴方がそうかしら?」
ガブリエラによく似た風貌とその言葉から、彼女がルキアの母親なのだろうと推測は立つ。
フィリップが挨拶しようと立ち上がるのとほぼ同時に、公爵はフィリップに対して女性を示しながら笑いかける。
「妻のオリヴィアだ。ルキアは彼女似だと思うんだけど、どうかな」
「よろしくね、フィリップくん」
「フィリップ・カーターです。よろしくお願いします」
握手を交わし終えると、彼女はフィリップが今まで座っていたソファを示し、自分は公爵の隣に座った。
どさくさに紛れて退出すればよかった、と思ったのは、フィリップとルキアの両方だ。フィリップにとっては失言直後だし、ルキアにとってはそもそも公爵がフィリップを詰問するような──そんな素振りは見せていないが、和気藹々とした雑談という訳でもない以上、ルキアにとっては不愉快な詰問と大差無い──この対談に不満がある。
「何の話をしてたの?」
「うん? ルキアや私たちと同じ価値観を持つカーター君を買っているということと、例の神父と大修道女については、話し終えたよ」
よかった、あれで一応は納得してくれた……いや、信じてはいないだろうが、納得したということでこの場を収めてくれるらしい。
流石に娘の客人にいつまでも尋問じみたことはできないと、そう理性的に判断してくれたのか、或いはどうでもいいのか。フィリップとしては後者であってくれと、そしてできれば二度と彼らに関わらないでくれと願うところだ。
あとでちゃんと釘を刺しておこう。ナイ神父とマザーに。
「……ふぅん?」
フィリップが心のメモ帳に重要事項を書き込んでいると、オリヴィアがつまらなさそうにそんな相槌を打つ。
彼女は公爵の穏やかな微笑の仮面をじっくりと眺め、一言。
「何を考えてるの?」
と尋ねた。
当然ながら何も考えていないわけは無く、むしろ貴族として、国家のほぼ最高位として、相応しい対応ですらあったと自信を持っていい話題ではあったけれど。
けれど、だ。けれど公爵は、さっと顔を蒼褪めさせる。まるで約束したことを忘れていた時のように。
「ねぇ、アレク? 言ったわよね? 普段は「サークリス公爵」としての姿を見せてるんだから、お友達を連れて来た時くらいは「アレクサンドル」として、父親として振る舞ったら? って。貴方は確か「そうするよ」って返した」
「いや、えっと、その……うん」
心なしか一回りほど縮んで見える公爵が、10歳年下の女性に責められているという光景だ。
あっけにとられるフィリップと恥ずかしそうに縮こまるルキアの前で、夫婦の言い争い──否、一方的な詰問は加速する。
「それに貴方、お茶も出してないじゃない?」
「奥様、それは──」
「アリアは具申した。けれどアレクが断った。どうせ「すぐに済むから」とでも言ったんでしょうけど。違って?」
正解だった。
「差し出口でした。お許しください」と頭を下げるアリアも、どこか気まずそうにしている。
「娘の初めてのお友達に、お茶も出さず、挙句話す内容は彼と、彼の保護者に対する疑念? 父親としてどころか、貴族の歓待としても零点じゃない。相手は平民の子供なのよ?」
「うっ、た、確かに。でもオリヴィア、彼はすごくしっかりしているよ。彼の個性を鑑みず、ただの10歳の子供に対して接するような態度は、逆に失礼なんじゃないかな?」
「そうね。じゃあ訊くけれど、貴方の選択した話題は礼儀に適っていて? 彼に詰問するような真似はせず、ルキアの友人として饗応したの?」
ぐぅ、と。公爵はおどけるように言って両手を挙げ、降参だと示す。
「悪かったよ、カーター君。客人に対して些か以上に礼を失していた。ルキアも、君の友人との時間を奪って悪かったね」
「いえ、大丈夫です」
「……えぇ、構わないわ」
ルキアは物言いたげだったが、フィリップが軽く返したのを見てそれに倣った。
ここで変に言い募って親子喧嘩をするよりは、さっさとこの場を立ち去りたいという判断だろう。
ひとまず和解した──元より気分を害してすらいなかったフィリップと、文句を後回しにしただけのルキアを含む集団に対して、和解という言葉が適切なのかはさておき──三人をぐるりと見回し、オリヴィアは満足そうに頷いた。
そして、一言。
「うん。じゃあ……ご飯にしましょうか!」
くるっぽー、と。荘厳な屋敷の中枢である公爵の執務室には不似合いな、気の抜ける鳩時計の時報が響いた。
◇
特に何事もなく一夜を明かし、翌日。
朝六時の時報で目を覚ました──一応言っておくと、機械時計の鐘の音だ。鳩時計が置いてあるのは公爵の執務室だけらしい──フィリップは、寝惚け眼を擦りながらベッドを出る。
「おはようございます、カーター様」
「おはようございます……」
半ば眠ったままふらふらと洗面所へ向かい、顔を洗う。
寝癖を適当に撫でつけて部屋に戻ると、微笑を浮かべたメグが服一式を持って待っていた。
「本日は午前10時より、建国祭が開幕いたします。公爵閣下、奥様、ガブリエラお嬢様、ルキアお嬢様は、午前8時よりお出かけになられます」
「あ、そうなんですね……え? じゃあ僕はどうすれば?」
服を受け取ったフィリップが困惑を露わに問いかけると、メグは表情も変えずに答えてくれる。
「午前11時ごろにお連れするよう申し付かっております。カーター様が開会式を見たいと仰られるようなら、早く来る分には構わないとも」
「あー……貴族向けの式典とかがあるんですか?」
「はい。上位貴族の方々と両陛下の謁見が執り行われます。式典、というほど大掛かりなものではありませんが」
へぇ、と適当に相槌を打ち、そこで会話が終わる。
「それではお着替えが済みましたら、食堂へお越しください」
「あ、はい。分かりました」
昨日と似たような配色ではあるが、少し動きやすい生地の服に着替え、言われた通りに部屋を出る。
食堂には既にサークリス公爵、公爵夫人、ガブリエラ、ルキアが揃っており、それぞれの椅子の後ろには側付きと思しき執事・侍女が控えていた。
ただの朝食の席のはずだが、妙に威圧感のある部屋だ。昨日の夕食時にはいなかったガブリエラがいるから、単純に人数が増えている。和気藹々とした食事の雰囲気ではないが、昨日の夕食は意外と会話が弾んだ。……いや、別に意外でも無いか。フィリップとルキアは毎日それなりに会話しながら食事しているし、家族ともなればフィリップより付き合いも長く、深い。
「おはようございます」
ルキアが真っ先に、他の面々も続いて挨拶を返してくれる。
既に控えていたメグの引いた椅子に座り、料理が運ばれてくるのを待つ。
「フィリップ。マルグリットから聞いていると思うけど、今日の午前中は別行動になるわ」
「あ、はい。確か、式典みたいなものがあるって」
首肯すると、ルキアも頷きを返す。
「えぇ。だから、終わったら合流しましょう。その間は屋敷で待っていてもいいし、一人で建国祭を回っていてもいいわ」
一人でと言ってもメグは付くわよ、と、公爵夫人が口を挟む。
建国祭は一等地から三等地までどころか、王宮の一部すら開放される大イベントだ。とはいえ、一等地の住民、つまり貴族が二等地や三等地に降りて行ったり、逆に二等地や三等地に住む平民が一等地に行ったりするのはかなり珍しい。どちらの場合でも、トラブルが発生するのは目に見えているからだ。
ごく稀に王都外から来た観光客が一等地まで足を延ばし、トラブルを起こして衛士沙汰になることもあるが。
さておき、平民であるフィリップが一等地をふらふらするのなら、誰かの付き添いは欲しい。トラブルを避ける方法をよく知る人物の案内は、トラブルに対する最も賢い対処法である「遭遇しない」を容易にしてくれる。
二等地まで戻ればフィリップ一人で行動することもできるが、その場合、合流時間までに戻ってくることは非常に難しい。祭りの最中は人でごった返すため、馬車の進行速度より人混みを掻き分けて歩いた方が早いレベルだ。
「……じゃあ、二人で回っておきます。えっと、合流場所は?」
「王宮の正門前でどうかしら? 一番迷いにくい場所だと思うのだけど」
それはそうだけど、と、フィリップは苦笑しつつ頷いた。
ガブリエラをはじめ、他の面々も同質の苦笑を浮かべている。
確かに王宮の正門といえば一か所しかなく、そのうえ余人は接近しただけで近衛騎士に誰何され、立ち去るよう勧告される。混み合うようなことも、迷うようなことも無い、待ち合わせ場所としては中々良い要素の揃った場所だ。
普段はルキアの側付きだというメグの顔が、近衛騎士にどれだけ認知されているかが重要になってくるが。
「絶対にメグとはぐれちゃ駄目よ? その子は君の身分証も兼ねてるからね」
公爵夫人の言葉に「気を付けます」と頷いたフィリップに合わせて、メグが「お任せください」と頭を下げる。
ルキアを除くほぼ全員がフィリップではなくメグの反応を見て、安心したように頷いた。
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