第72話

 サークリス公爵の執務室は、公爵が一日で最も長い時間を過ごす部屋でありながら、装飾の度合いはフィリップが泊まる客間と同程度だった。

 華美でありながら過多ではない装飾に、まさかほっと安堵の息を吐く日が来るとは思わなかった。話し合いの空間に神経を逆撫でされては、冷静な対応どころではない。


 執務机は空席だったが、応接用の高級そうなソファには既に誰かが座っていた。


 艶のある金髪をオールバックに撫で付け、赤いベルベットのスーツに身を包んだ男性だ。

 誰か──など、推し量る必要も無いだろう。


 彼は持っていたカップとソーサーをテーブルに置き、立ち上がってフィリップたちに近付いてくる。


 「やぁ、待っていたよ、フィリップ・カーター君──と、そう出迎えていれば、格好もついたのだけどね。待たせてすまない、頑固な客と、面倒な客が来ていてね。アレクサンドル・フォン・サークリスだ。会えて嬉しいよ」

 「こちらこそ、お会いできて光栄です」


 優男然とした雰囲気に似合いの、落ち着いた声だ。冗談交じりの言葉につられるように、フィリップの苛立ちも僅かに解れる。


 握手を交わし、公爵の誘導に従ってソファに腰を下ろす。

 対面に公爵が、隣にはルキアが、背後には二人の従者が控え、なんだか包囲されたような気分になる。


 「気が立っているみたいだけど、何か粗相があったかな? そういえば、呼んでから来るまでに少し長い間があったけど」


 口調はにこやかなままに、しかしアリアとメグに向ける視線は険しく鋭い。


 「ルメール伯爵夫人に絡まれていたのよ」

 「……あぁ、なるほど」


 アリアやメグが何か言うより先に、ルキアが不愉快そうに言う。

 言外に「どうしてあんなのを招いたのか」と添えられていそうな、批判の色濃い視線付きだ。


 「ルメール伯爵夫人も、ライウス伯爵も、私が招いたのではなく向こうが勝手に訊ねてきたのだけれど……まぁ、それはいい。本題に入ろう」


 言い訳するようなことでも無いと判断したのか、公爵は咳払いを一つ挟み、空気を切り替えた。

 と言っても、露骨に覇気を纏ったり、視線がすっと据わったりと言った、目に見える変化は無い。あくまで「これから真面目な話をしますよ」というポーズだった。


 「お茶をお持ちしましょうか」

 

 既に空になっていた公爵のカップと、テーブル上のフィリップとルキアの前に何も置かれていない空間を見て、アリアがそう訊ねる。

 公爵は「いや」と軽く否定した。


 「いや、そんなに時間は取らせないよ」


 何の話か、まぁ恐らくフィリップ絡みの何かしらで問題があるのだろうな、と。身構えるフィリップとルキアを余所に、公爵は「ルキアは、昔から魔術の才能があってね。3歳で魔術を使ったかと思えば、5歳の終わりには聖痕を発現させてしまった──」と語り始めた。

 

 「……待って、何の話?」


 フィリップと全く同じ疑問を抱いたルキアが、思わずそれを出力する。

 公爵はその質問には「まぁ、黙って聞いてくれ」と宥めるような言葉を返し、続ける。


 「ルキアが初めて人を殺したのは6歳になったばかりの頃だ。神域魔術『粛清の光』で、大人の男を──しかも、荒事を専門とする闇ギルドの連中を、5人も塩の柱に変えた。6歳の──友人と遊び、師に学び、人格を形成する重要な時期のルキアにとって、人間は最早、腕の一振りで殺せるモノになってしまったんだ」

 「ちょっと、お父様、何を──」


 ルキアの言葉を片手で制し、公爵は冷静に続ける。


 「そんなルキアと、『気が合う』君は、一体何者なのだろう──と。私はとても気になった……という話さ」




 ◇


 


 サークリス公爵家の長であるアレクサンドルにとって、ルキアは「甘やかしても良い」子供だった。


 長女であり、将来的にサークリス公爵家を継ぎ、王宮で重要な役職に就くことになる──その才覚が十分にあるガブリエラに対しては、常に先達としての姿を見せなければならない。

 王国を平和にし、大陸を平和にし、子や孫の世代に残そうという理想はある。だが、現実は見なくてはならない。


 王国内から犯罪者やカルトを根絶することは至難であり、他国の領土欲や魔物の繁殖を完全に制御することなど不可能だ。飢饉や嵐などの災害は、予測不可能なものの代名詞ですらある。

 故に、その不完全な王国を任せられるだけの、任せても潰れないだけの教育を施さなくてはならなかった。


 だがルキアは違う。血統的にはガブリエラのスペアだが、スペア用の一段落とした教育──家督相続で争いが起きないよう、長子が健在の間は末子の教育を比較的薄くする──など、簡単にマスターしてしまった。魔術に至っては、家の誰よりどころか、国の誰より優れた才を有していた。「世界の誰より」であったことに、そう驚きは無かった。


 それだけの才能が有るのなら自由にさせてやりたいと、そう思うのが親の情で──親の情は、貴族としての意識の前に屈服する。

 彼の親も、そのまた親もそうだったように、彼もまた、自らの子に使命を課す。


 貴族たれ。

 生まれながらの貴種として、常に気高く、美しく在れ。


 ガブリエラはそれを受け止めきれず、受け止めるため、「貴族モード」と「お姉ちゃんモード」を使い分け、負担を二分することにした。

 ルキアはそれを受け止め、物心ついて以来ずっと抱き締めて、抱え育てて、自らに「ゴシックであれ」と課して、背負って生きてきた。


 子供の生き方を決めるなど、親のすることではない──そんな自責を抱くような価値観は、彼には無い。

 親が持つべき情も、人として持っているべき道徳も捨て、自分と同等かそれ以上の「貴族」を作り上げる。それが国家運営機構である貴族に課せられた使命であり、貴族が貴族である理由であり、存在意義だ。

 親が情を押し殺し、子に使命を押し付ける。たった二人の我慢が、国民二世代1億弱を導き、生かすのだ。


 だから──親として相応しいか、など。そんな自問を、するべきではない。


 ルキアの価値観が歪んだことを喜んだ。命を数として認識することにストレスを感じない才能を後天的に、しかも6歳という人格形成期に身に付けるなど、まさしく望外だと。

 娘が人道を踏み外したことを悲しんだ。たった6歳の子が人を殺し、それに慣れ、命を数として認識してしまうことを悲しんだ。


 吐き気がするような大義と使命で、悲しみを飲み下した。

 飲み干してしまったから──彼は、アレクサンドル・フォン・サークリスは、父親であることを諦めた。


 甘やかしてはいけない子供にも、甘やかしていい子供にも、父の顔を見せることなど無くなった。

 代わりに、生まれついての貴種として目指すべき、悍ましいほどに理想的な「貴族」を見せつけた。彼の父がそうしたように。彼の祖父が、彼の父にそうしたように。


 見せろ、魅せろ、見せつけろと、自分に言い聞かせ続けた。

 そして見せて、魅せて、見せつけて。


 気付けば、二人の娘は、王国中──否、世界中が憧れる、美しく気高い貴族として成長していた。


 それは彼にとって、この上ない救いだった。

 自分の見せた理想に間違いはなく、自分は使命を全うできたのだと。答え合わせが正解だったどころか、満点の回答だったと褒められたようだった。おまえは正しく「貴族」であった、と。


 だが救いの先には何も無い。

 これまで通り、「サークリス公爵」として振る舞い続け、二人の娘に「貴族たれ」と求めるだけの「貴族」であり続けなければならない。


 飲み下した大義と使命の味にも慣れた頃、長女が魔術学院を首席で卒業し、妻と同じ宮廷魔術師になり。

 次女は魔術学院に入学し──野外訓練に訪れた先の森で、未知の魔物に襲われた。


 班員の全滅、仲間全員の死亡を、6マイナス5の単純な計算結果を伝えるように淡々と、義務的とすら感じるほど無感動に報告するルキア。その姿に満足感を覚えるべきだと判断し、それに準じた笑顔を貼り付け──「気の合う友人ができた」と、嬉しそうに話す娘に、そのマスクを剥ぎ取られた。


 ルキアと気が合う人物を、彼は一人だけ知っていた。

 公爵家と比肩するどころか、それを上回る重責を代々背負ってきた、この国の頂点──王家の長子、次期女王、第一王女殿下だ。


 彼女は──あれは、公爵程度では仰ぎ見ることしかできない、本物だ。ルキアと同じ。


 そのレベルの人物が、田舎町に? 何の冗談だと頭を抱えたい気分だったが、そんな無様は見せられない。

 淡々と、まるで娘に共感する親のように、貼り付け直した穏やかな微笑で「それは良かった」と返して──それから、公爵家の総力を挙げての調査が始まった。




 ◇




 ──さて。

 「君は何者だ」と言われても、フィリップが持つ答えは「一般田舎育ち平民です」と「白痴の魔王の寵児です」の二つ。「提示できる答え」に絞れば、前者一つのみだ。


 とはいえ、そんな答えでは納得できないからこそ、彼はフィリップをこうして呼び出し、対面に座らせているのだろう。


 「君のことは調べた。名前、年齢、性別、出身、職業、魔術適性、エトセトラ…… 疑えるものは全て疑い、人と金の力で可能な範囲については全て調べた。君は──」


 すっと、フィリップに指を向ける。

 あくまで穏やかに、弾劾の雰囲気など一片も無く。


 「君は、平凡な人間だった。生まれついての貴種であり、正しく「貴族」であるルキアと気が合う可能性など、万に一つも無いような」


 尤もな話、当然の結論だと、フィリップは頷く。

 あの地下祭祀場で狂うまで──或いは狂えなくなるまで、フィリップとルキアに共通点など無かった。フィリップはただの丁稚、田舎から都会に奉公に出てきた、十把一絡げの子供だった。


 そして。

 今のフィリップと気が合う人間などいない。フィリップの価値観に──表出しているものではなく、深層意識にある本当の価値観に共感できるのは、ナイ神父やマザー──外神だけだ。

 唯一神では浅すぎる。旧支配者では弱すぎる。強すぎる外神が軽視と冷笑を以て寄り添い、漸く共感できる。そんな中途半端な存在が、今のフィリップだ。


 父親の言葉とフィリップの肯定に、ルキアは無言のまま顔を伏せる。


 「だがカルトによって拉致され──君の価値観は驚くべき変容を遂げた。君にもルキアと同じ──我々貴族と同じ、人命を数字として把握する才能が備わってしまった」


 一体何を見て、何をされたのか見当もつかないよ、と。公爵は困ったように笑う。

 想像もしなくていい。知らないのなら、知らないまま死んでいけ。それが幸せだと、知ってしまったフィリップとしては思うところなのだが、全く考えないと言うのも無理な話だろう。


 「だから──僕の価値観が歪んでいるから、サークリス様……ルキア様には近付くな、というお話でしょうか」


 親としては当然の心配、当然の排除だと思う。アイリーンだって、フィリップが友人だと言って殺人鬼を連れてきたら「それは駄目だ」と言うだろう。フィリップの本性を知れば、アガタやセルジオもモニカから遠ざけようとするはずだ。


 だから心底からの疑問ではなく、話題を逸らす目的でそんなことを訊ねたフィリップに、公爵は依然として穏やかな微笑を浮かべたまま、首を横に振る。


 「まさか。我々貴族が、君の価値観について口を出す権利は無いよ。むしろ私は、君のその才能を買っている」

 「はは……光栄な話です」

 

 よく分からない冗談だと、愛想笑いを浮かべる。フィリップの演技力では愛想どころか引き攣った笑いが限界なのだが。

 

 「君について調べた中で、最も興味深かったのはそれだ。君の精神性や価値観は、我々貴族としては非常に好ましい。そして、次点が──君の保護者役についてだ」

 

 公爵はさっきの話が本題だと、この話はあくまで次点で興味を引いただけの蛇足だという態度で──本題を提示した。

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