第70話

 アリアが「一時間以内に終わらせる」という公爵の伝言を持ち帰ったことで、フィリップはルキアに連れられ、公爵家別邸を案内されていた。

 魔術学院の学生寮と比較しても見劣りしない敷地面積だ。案内、という言葉は過剰ではない。


 豪奢な食堂、整然とした厨房、広い浴室などを順番に回っていると、時間などすぐに経過する。

 フィリップも仕事によって時間感覚はそこそこ優れていると自負しているが、すぐそばに時計のある環境に慣れた本職には劣る。フィリップが「そろそろかな?」と思った頃には既にアリアはおらず、数分して「もう少しかかる」という伝言を持ち帰ってきた。


 二度の延長でルキアがピリピリし始めた頃、一行は応接間で軽食を摂ることにした。

 応接間一つがタベールナの食堂くらい広いのには笑ったが、出てきた料理はタベールナの副料理長──料理長兼主人であるセルジオは料理より酒の目利きに秀でているので、実質的には彼が最も腕利きだ──のものと遜色ない味だった。


 サンドイッチ程度では料理の腕や素材の格がそこまで反映されないのか、或いはタベールナの副料理長が貴族お抱えの料理人レベルの腕前なのか。どちらも普通にありそうだ。


 昼食から少し時間が空いていたこともあって、ぺろりと平らげたフィリップが紅茶を傾けつつルキアと駄弁っていると、応接間の扉がノックされる。

 ついうっかり立ち上がったフィリップだったが、その時には既にメグが扉の前にいた。ほんの数舜前まで、フィリップの背後に控えていたはずなのだが。流石は本職というべきか。


 すぐに招き入れるのではなく、相手と用件を確認して、一度扉を閉めて戻ってくる。

 ルキアに耳打ちするものと思われたが、彼女が口を寄せたのはフィリップの耳元だった。


 耳元で囁くと言うと微妙にいかがわしさを感じるが、メグのそれには吐息や声色の変化が一切含まれておらず、興奮できる要素は皆無だった。


 「ライウス伯爵がお見えです。カーター様にお会いしたいと」

 「……ライウス伯爵?」


 対人認知能力に問題のあるフィリップだが、記憶能力に問題があるわけではない。「記憶するまでもない相手」と認識される範囲が広すぎるだけだ。


 「カリスト・フォン・ライウス様の御父君ですよね?」


 メグとは違い声量を絞らなかったフィリップの疑問は、正面に座ったルキアにも聞こえていた。

 眉根を寄せるだけで何も言わないのは、あくまで彼女ではなくフィリップを訪ねて来た客だからか。ならばフィリップが対応を決めるしかないのだろうが、貴族と会話するだけの礼儀作法を持ち合わせないのはさっき痛感したばかりだ。


 「えっと……ここにお通ししても大丈夫ですか?」

 「えぇ、勿論」


 ルキアの許可を得て、フィリップが頷く。

 テーブルを挟んで並ぶ二人掛けの──肘掛を挟んで座面が二つあるというだけで、一面に二人は座れそうなサイズだが──ソファを、ルキアがぽんぽんと叩く。「横に座れ」という意味なのだろうが、ルキアが座っているのは上座側。迎え入れる相手が伯爵となると、ルキアはともかくフィリップがそちらに座るのは良くないと思われるが。


 とはいえ、フィリップの知識は薄い。ルキアが言うのなら間違いないだろうと、その隣に座る。

 「平民が私より上座に座るなど」と苛立つようなら、自分の判断に口を挟む無礼を口実に追い出そうとしているだけなのだが。


 「失礼いたします」


 一礼して入ってきたのは、白髪交じりの金髪を七三に分けた生真面目そうな男性だった。


 「ご歓談中のところ、申し訳ありません、聖下。しかし、カーター氏にはどうしても直接の謝罪を申し上げたく、お伺いさせていただきました」


 立ち上がろうとしたフィリップの袖を引いて止め、ルキアが座ったまま対面のソファを示す。

 また頭を下げてそれに従った伯爵に内心の読めない一瞥をくれ、ルキアはそっと身体を傾けた。


 「気負わなくていいわ。何があっても、私がなんとかするから」


 何も無くても伯爵を殺しそうな雰囲気すら漂わせているルキアに苦笑しつつ、フィリップは素直に頷いた。


 「ありがとうございます。……それで、えっと、何についての謝罪でしょうか、伯爵」

 「無論、不肖の息子──カリストの粗相についてです。先日の決闘騒動では、カーター氏だけでなく聖下にまでご迷惑をお掛けして、挙句敗北したというのに生きさらばえる無様をお見せしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」


 伯爵がしっかりと頭を下げる。

 その作法からは少なくともフィリップのことを「平民風情」と侮ってはいないように見えるが、そうなると一つ懸念が浮かぶ。


 「……その、伯爵は、僕の身分をご存知でしょうか。僕は──」

 「存じ上げています。いえ、つい先ほど、公爵閣下に教えて頂きました。カーター氏は教会関係者ではなく、いち平民であると」


 何を勝手に、と、ルキアが無言のまま微かに顔を顰める。対面のライウス伯爵にも、隣のフィリップにも気付かれないほど抑え込まれてはいたが、全てを内心に仕舞い込めない程度には苛立っているらしい。

 フィリップは決闘以降ずっとまとわりついていた誤解が解けそうなことに、内心でも表情でもほっとしていた。


 だがそうなると、伯爵の慇懃な態度が不可解だ。本来、伯爵級の貴族はフィリップごときいち平民と同じテーブルを挟んで会話したりしない。いや、平民の側が貴族の邸宅に出向くのが普通で、こうして物のついでとはいえ貴族の側が足を向けることが、既に彼らのルールからは逸脱している。


 「どうしてそこまで? 謝罪は、あの後すぐに頂きましたが」


 決闘騒動の直後に、フィリップだけでなくルキアにも謝罪の手紙は届いていた。

 二人とも命の危険があったのなら、手紙数枚で許そうとは思わなかっただろう。だがルキアはそもそも自分から首を突っ込んだうえ、100発先制のハンデがあっても欠伸混じりに圧勝できる隔絶がある。フィリップに関しては、ヨグ=ソトースという仮想敵相手に奮闘していたので、カリストが何かをしたという認識はさほど無い。むしろ、彼を含めたクラスメイト達を守るのに必死だった。


 「……謝罪すべきだと思った、それは本当です」


 恥じ入るように目を伏せ、伯爵が言う。

 その言葉から、何か別の目的があるのは明白だった。だが少なくとも、謝罪は単なる建前では無かったのだろう。だからこそ、それを口実にするような真似を恥じている。


 報復だろうか。もしそうなら、申し訳ないが、その願いは絶対に叶わない。フィリップの地位に関係なく、フィリップを守護するモノがそれを許さない。

 そんなフィリップの懸念は覆され、より面倒な「目的」が語られる。


 「教えて頂きたいのです。息子の──カリストの死について、詳しく」


 知らない方がいい、と、そう言い捨てて席を立つことは、彼の目を見た後ではできる気がしなかった。




 ◇



 

 フィリップはカリストの死に際を、原因となった「魔物」については一切の詳細が不明だとしたうえで、殆ど全てを正直に語った。

 カリストが寄生され、暴走し、自分の班員とフィリップたちの班を襲い、皆殺しにしたこと。フィリップとルキアが手を下す前に、寄生していた「魔物」によって凄惨な死を遂げたこと。孵化した「魔物」を殺すため、ダンジョンを死体諸共に消滅させたこと。


 全て冒険者組合や学院などで語った内容と同じで、伯爵もとっくに調べているはずだったが、又聞きでは印象も大きく変わるのだろう。フィリップが話終える頃には、ハンカチで目元を拭っていた。


 「……お話、ありがとうございました。本当に……息子が、最期までご迷惑をおかけして……」

 

 嗚咽混じりに、伯爵がもう一度頭を下げる。

 ダンジョンの一件に関しては、フィリップを外神の尖兵だと思い込んだアイホートの愚昧さが原因だ。カリストはいわば巻き込まれただけの立場であり、むしろフィリップが謝るべき立場なのだが。──と、フィリップは思い込んでいるが、あれはナイアーラトテップの憂さ晴らしなので、誰が一番悪いかと言われれば、ナイアーラトテップが悪い。


 「例の魔物に関しては、王宮の魔物研究者や書庫の膨大な資料を以てしても正体が分からない、Aクラス相当の魔物だと聞きました。カリスト様のせいでは無いと思います」


 見当違いの罪悪感に駆り立てられ、フィリップがそんな慰めを口にする。

 カリストの死にも死体にも、一片の哀悼すら捧げなかったフィリップがどの口で、という話ではあるのだが。


 「はは……耳の痛い話です」


 泣き笑いと言うには苦い笑いを浮かべた伯爵に首を傾げ、メグが耳元で「ライウス伯爵は王宮第二書庫の管理人をされています」と囁いてくれる。

 わぁ失言、と思う間もなく、「伯爵夫人は魔物研究局にお勤めです」と続き。


 「わぁ失言」

 

 と口にした。


 フィリップの反応やメグの動きから当てこすりではないと分かったのだろう、伯爵が泣き笑いに含まれる苦笑成分を減らす。


 「お気になさらず。私も妻も、子の仇を討つどころか、その正体すら掴めない無能です」


 泣き笑いの湿った声で、自嘲の言葉を口にする。

 しかし、声色には怒りや後悔こそ含まれていたものの、絶望や諦観は一片たりとも感じられなかった。


 「ですが、絶対に、その魔物は見つけます。発見し、特定し、その性質や弱点を詳らかにした上で、この世界から根絶します──絶滅、させます」


 憎悪はあったが、殺意は無かった。

 それは殺意や害意よりもっとさっぱりと、淡々としていた。「この作業を最終工程まで進める」という、揺るぎない決意が、代わりにあった。


 悲壮に満ちていながら、淀みも濁りも無い、澄んだ碧い目と視線が合う。


 「……っ」


 反射的に口元を押さえられたのは、本当に幸運だった。

 強く力を籠め、頬に爪を食い込ませて表情を保つ。力と痛みで制御しなければならないほど、吊り上がる口角と下がる目元を──笑顔を浮かべそうになる表情筋を、押さえるのが難しかった。


 両手に顔を伏せ、顔を完全に覆い隠す。

 ルキアが背中を擦ってくれるが、その気遣いは見当違いだ。


 だって、こんなにも──


 これほどの意志を感じたのは久し振りだ。

 高位悪魔から逃げそびれた少年を救うため、自分と仲間の命を擲ってみせた衛士たち。自ら決めた生き方に従い、ほんの数時間の付き合いしかなかった少年を救うため、自分とは異なる領域の生命体にすら挑みかかったルキア。


 彼ら彼女らにも匹敵する、強靭なる決意。


 あの時、クトゥグアという悪魔どころか星ごと焼き払えるカードを持っていた。あの時、フィリップはシュブ=ニグラスを召喚することができた。

 彼らの行いは、本質的には無意味なものだった。


 彼も、そうだ。


 アイホートを追えば、成果が出る時は発狂する時と同義となる。

 彼は無知ゆえに、その破滅にのみ至る道を走る。狂気と死に向かって全力疾走する。彼が「子の仇」であるアイホートを追い詰め、その雛と本体を根絶する可能性など、万に一つもない。


 そして、きっと。それは、彼がその足を止める理由にはならないのだろう。

 そういう目をしている。


 身に余る智慧どころか、心を蝕む絶望や、死に至るほどの恐怖も無く。ただ息子を奪われた親としての怒りや憎悪が、狂気的な──狂気に匹敵するほどの、根深く、重い決意を産み落とした。


 「……夏休みの学生にする話ではありませんでしたね。申し訳ありません。これ以上空気を壊さぬうちに、失礼させて頂きます」


 立ち上がった伯爵の握手に応え、別れの挨拶を交わしているあいだ、フィリップはずっと心ここにあらずといった状態だった。

 淡々と、染みついた礼儀作法に則り、貴族相手の許容ラインを少し下回るくらいの対応をする。ここにフィリップの内心が少しでも反映されれば、満面の笑みで、羨望と憧憬に溢れた立ち振る舞いになっていただろう。


 退室した伯爵を見送り、フィリップは脱力したようにソファへ崩れた。


 ──よかった、と。そんな呟きは、ルキアたちに聞こえただろうか。


 本当に良かった。あの時、カリストを殺していれば──きっと、彼はここまでの輝きを魅せてくれなかっただろう。或いはフィリップが彼の敵となり、彼の決意が「未知の魔物の根絶」から「いち平民の抹殺」などという小さなものに変わっていたかもしれない。そうなると、フィリップがここまで魅せられることも無く、淡々と副王やナイ神父に処理を任せていただろう。


 あの時、カリストを殺しておかなくて、本当に良かった。



 心を落ち着かせようと、残っていた紅茶に手を伸ばす。もう冷めているだろうと確認もせず傾け──


 「熱っ」


 火傷二歩手前くらいの温度を残していた紅茶を吹き出す寸前で押しとどめ、殆ど反射的に嚥下する。


 ちびちびと二口目を飲もうとした時、扉が開き、アリアが入ってきた。

 つい先ほどまでこの部屋に、ルキアの真後ろ、フィリップの斜め後ろにいたはずのアリアが。フィリップが気付く間もなく部屋を出て、どこかに行って、帰って来ていた。


 「ルキアお嬢様、カーター様」


 紅茶に息を吹きかけて冷ましていたフィリップも、それを微笑ましそうに見ていたルキアも、動きを止めてアリアに視線を注ぐ。


 「公爵閣下のご用意が整いました。執務室へどうぞ」


 

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