第68話
用意されていた服は貴族の装いとしては比較的カジュアルな、フリル付きシャツとジャケット、裾の緩い長ズボンだった。
どう考えても着替えに30分もかからない服装だ。そして、平民の子供が公爵閣下に会うには不足な恰好でもある。
着替える間は部屋の外に出ていてもらったメグを呼び、おかしなところは無いか見てもらう。
彼女は「ふむ」「これは」「なるほど」など呟きつつ、フィリップを何周かして。
「色が合いませんね」
「……ですよね」
白無地のシャツはともかく、黄土色のジャケットとズボンは微妙だった。
いちおう王宮のドレス・コードに従い、平民階級であることを示す色にしたのだろうが、言葉を飾らずに言えばダサい。ちょっと笑えるくらい、ダサい。
以前に大人が着ているのを見たことがあるが、その時は別にどうとも思わなかった。「着飾ってるけど、どこに行くんだろう」と、きちんと「着飾っている」と認識できていたくらいだ。
だが今、自分がそれと似たような服を着てみて、あまりの似合わなさに半笑いだった。
馬子にも衣裳とは言うが、運送業者が着飾っていたら普通に変だ。
そんな感じの、不自然さが大部分を占める似合わなさだ。
フィリップが首を捻っていると、メグが別の服を差し出してくれる。
「こちらでは如何でしょうか」
「黒、ですか。確かに……」
黄土色よりは扱いやすかろう。
ちなみに、平民階級であるフィリップが王宮内やそれに準ずるフォーマルな場で身に着けられる色は4種。
ベースカラーである白と黒。身分階級に応じた色である黄土色。そしてワンポイントでプラス一色。ただし、最高位である王族の身分色である紫色だけは例外だ。
紫色、特に特定の宝石や希少な貝、竜種の鱗などを原料とする錬金術製の染料を用いた特別な紫色は、王族と最高位貴族数人しか着用を許されないらしい。
贋作──と言うと耳触りが悪いが、模造色とは一線を画す発色で、目の肥えたルキアですら美しいと思うレベルだとか。
着れない色のことはさておき、黒のズボンとベストはそれなりに見られるモノだった。堅苦しさや大人っぽさのあるジャケットではなく、宿の作業衣と同じベストというのが良いのかもしれない。
「すみません、僕が着替え始めてからどのくらい経ちましたか?」
「およそ20分ほどかと」
すっと、メグが壁を示す。
「おぉ……」
まさかあるとは思わなかったので探しもしなかったのだが、そこには機械式時計が掛かっていた。
「時計があったんですね。気付きませんでした」
「はい。館内全ての時計は午後9時以降を除き、午前6時より3時間ごとに時報が鳴る仕組みとなっております。勿論、お部屋の時計は時報を切ることも可能ですが」
地元で時報と言えば日の入りを示す鐘だったのだが、ここでは正確な時間に基づいて機械が鳴らしてくれるらしい。
学院のチャイムを彷彿とさせるが、流石に館内に響き渡るような大音量では無いだろう。
「いえ、そのままで大丈夫です。それより、ちょっとトイレに行きたいんですけど」
「お手洗いはそちらです。共用のものもございますが、使用人が使わせていただくこともありますので、基本的には個室のものをお使いになるのがよろしいかと」
なんと、個室にトイレが付いているのか。
となると、やはり。
用を足し、メインルームに戻る前に、トイレの正面にあった扉を開けてみる。
木籠と、扉。木ではなく石の床。その足元に敷かれたマット──脱衣所。ということは。
「やっぱり、お風呂までついてる……」
まるで魔術学院の寮、と言うべきか。或いは魔術学院の寮が貴族の屋敷みたいだと表現すべきなのか。
恐らく後者なのだろうが、フィリップが体験した順番として、「学院の寮みたいだ」と感動するのは仕方のないことだった。
これはすごいと感心していると、不意に背後の扉がノックされる。
「カーター様。ルキアお嬢様がお見えですが」
「あ、すぐ行きます」
まさか風呂に入っていると思われたわけではないだろうが、すぐに通すのではなくフィリップの許可を取りに来たらしい。
この部屋の借り主として、そのくらいの権利は認められるということだろうか。ただルキアがフィリップを尊重してくれているだけの可能性も大いにあるが。
慌てて、しかし無作法にならないように脱衣所を出ると、メグはそこで待っていた。
「部屋の外でお待ちです。こちらをどうぞ」
言って、メグが差し出したのは緑色の石が嵌ったループタイだった。石の種類に詳しくないフィリップにはエメラルドもペリドットも似たような石なので、聞くだけ無駄だと黙って受け取る。
それを首元に着けながら、足早に扉へ向かう。
「すみません、お待たせしました」
扉を開けると、ルキアも先ほどとは違う装いになっていた。
黒ゴスは相変わらずだが、カジュアルドレスから楽そうなワンピースに変わっている。普段着、ということだろうか。
似合ってはいるが、やはり刺さるものがある。やめて欲しいとまでは思わないが。
「あら、ベストにしたのね。似合ってるわよ」
ループタイの長さを合わせながら、ルキアはどこか満足げに言う。
黒同士でお揃いだからだろうか。……違うか、流石に。
「じゃあ、お父様の部屋に行きましょうか。こっちよ」
ルキアの先導で歩き出すと、背後に二人のメイドが──ルキアの側付きであるアリアと、フィリップの側付きであるメグが付いてくる。
タベールナの規模では一人の客に専属の従業員など用意できなかったが、一等地の高級宿なら珍しくはあるが、そういう宿もあるらしい。客付き……いや、部屋付きだったか? どっちでもいいが。
そんな宿で働けるだけの技能は無いし、そんな宿に行くだけの稼ぎを得るのはちょっと現実的ではない。そしておそらく、そのレベルの宿も魔術学院の寮と大差なく、もはや感動できないのだろう。高級慣れとは怖いものである。
「その子、元は剣士だったのよ」
「え? どっちですか?」
フィリップの視線の先を辿り、ルキアが揶揄うように言う。
特にどちらか一方に意識を集中させていなかったフィリップは、意外な暴露に視線を二人の間で彷徨わせ、結局どちらのことか判別できなかった。
二人とも華奢な体形だし、剣を振るどころか戦う姿も想像できない。外見と戦闘能力に何の関係も無いのは魔術師だけで、戦士はやはり筋力のある者や手足の長い者が強いはず。
アリアもメグも腕や足はすらりと長いが、筋肉があるようには見えない。リチャードは指が太く、掌にはタコがあり、まさに剣士の手といった感じだったのだが──生憎、二人とも手袋をしていて、そういった特徴は確認できない。
「アリアよ。『シュヴェールト』なんて、かっこいい二つ名も持ってるんだから」
「……恐縮です」
淡々と。恐縮どころか照れもせず、アリアは頭を下げる。
「……それは、すごいですね」
剣士。それも二つ名持ち。しかも『
「いいですね、二つ名。サークリス様だって、『明けの明星』とか『粛清の魔女』とか、かっこいい二つ名持ってますし……」
「そう? ありがとう」
しみじみと言ったフィリップの少年心には同調しかねたのか、ルキアの礼には苦笑が含まれていた。
「マルグリットも、普段はアリアと一緒に私の護衛をしているの。その子は──」
「──あ、ルキアちゃん!」
びくり、と。反射的に背筋を伸ばしたのは、呼ばれたわけでもないフィリップの方だった。
普段からルキアのことを「サークリス様」と、姓プラス敬称で呼んでいるのは、何も彼女にそう言われたからではない。
彼女の生き様や在り方に魅せられたから、というのが自然な理由。もう一つ、義務的に、そう呼ばれるのが正しいから──何なら、ルキフェリア・フォン・サークリス聖下と呼ばれるべき血筋と立場を持っているからというのがある。
では、そんな相手を「ルキアちゃん」呼ばわりする者がいないのか、と言われれば。
いる。しかも、フィリップがよく知る相手だ。
表面的にはいち神官でありながら、ルキアをちゃん付けで呼びリチャードを驚愕させた──マザーだ。
だが、まぁ。人の呼び方などそう数の多いものではない。
他人であれば姓プラス敬称。気安い仲なら姓呼び捨て。仲のいい友人なら名前。名前にちゃん付けとなると、声に籠っているのが親しみであれば、年下の相手に呼び掛けているのだと何となく分かるだろう。
フィリップが背筋を正す程度で──露骨な警戒や深いため息などを避けられたのは、その声に込められた感情がそれだったからだ。
マザーであれば、ルキアに対して親愛の情が他人にも分かるほど込められた声など向けはしない。それはフィリップにもナイ神父にも、ヨグ=ソトースに対してもそうだ。
それに、落ち着いて聞けば声の質が全く違うことにも気付ける。
マザーではない。彼女がこんなところにいるはずがない。
そう納得し安堵してから声の主を見遣る。願望通り、銀髪でも銀眼でもない、金髪に翠色の目をした女性が笑っていた。
「お姉様。何か?」
どこか面倒くさそうに、しかしいつぞや聞いた「何か?」とは違い、端折られたのは「何か御用ですか?」だと分かる声色だった。お姉様──姉君だと言うし、「何か文句でもあるんですか?」だったらフィリップが驚くところだ。
「えぇ。お父様からの伝言よ。「来客が長引きそうだ。悪いがカーター君との対面を少し遅らせる」だって」
鈴の鳴るような声を数段低くし、公爵の声真似などする女性。
金髪翠眼年齢プラス版ルキア、とでも言うべき怜悧な顔立ちだが、ルキアがそうそう浮かべることのない親しげで朗らかな笑みを浮かべている。
そのせいだろう。彼女が何者であるかを聞いたばかりだというのに、どうにも実感が湧かなかった。
「分かったわ。ありがとうお姉様」
「……」
視線を向けられても言葉を発さなかったのは、日頃の癖だ。
普通に友人の家に遊びに来ただけなら、「こんにちは」とか「お邪魔しています」とか、そういった挨拶くらいはする場面。
だが、相手は公爵家の令嬢二人──貴族二人だ。いち平民でしかないフィリップが、二人の会話に水をさすことは許されない。
客同士の会話に従業員が口を挟まないのは当然だが、日頃はその従業員側であるフィリップは、無意識に口を噤んで数歩下がっていた。
「貴方がフィリップくんよね? ルキアちゃんから色々と聞いているわ。ようこそ公爵家へ」
「はい。本日はサークリス様にお招きいただき、格式高き公爵家の敷居を跨ぐ栄誉を賜りました。えっと……賤しき身ゆえ作法が拙く、お目汚しになるかと思われますので──」
声をかけられ、漸く口を開く許可が下りる。
とはいえ、自由な会話を楽しむことはない。そんな間柄でもないし、そんな気安さが許される相手でもない。
下がらせて頂きます、とか。上司を呼んでまいります、とか。そんな言葉が続くはずの定型文を途中まで口にして、失策を悟った。
タベールナは二等地の宿だが、一応は王都に門を構える高級宿だ。一等地に泊まる金のない地方貴族などが利用する可能性も、高くはないがゼロでもない。だから、そういう場合に応じた対策も教えられていた。
教えられては、いた。
だがその定型文は、丁稚風情より経験も知識も豊富な正規の従業員を呼んでくるためのものだ。
つまり。
高位貴族と会話できるレベルの教養は、フィリップにはない。ルキアに招いて頂き云々のアドリブを噛まずに言えただけで、フィリップの実力からすれば褒められるべきとも言える。
「あはは、いいよ。そんなに畏まらなくても。お姉ちゃんモードだからね」
「はぁ……えっと……?」
聞いたことの無い単語──いや、聞いたことのある単語同士の組み合わせではあったが、そんなIQの低そうな語感の言葉が飛んできたことに困惑し、困惑を露わにするフィリップ。
あ、お姉ちゃんモードって言うのはね、と。解説に入ろうとした彼女を、ルキアが片手で制した。
「黙って。自己紹介をする気はある?」
「ふふふ──ない!」
即答の否定。しかもドヤ顔の否定だった。
なんだこいつ、と。
フィリップの素直な表情筋が内心をそのまま表に出したのを見て、ルキアは深々と、自身の姉に向けてため息を吐いた。
「ガブリエラ・フォン・サークリス。私の姉よ。宮廷魔術師で、お父様の後継者──次期公爵」
「よろしくね、フィリップくん」
朗らかに笑う彼女──ガブリエラからは、その肩書に相応しい威厳のようなものは感じられない。
まぁ、尤も。ナイアーラトテップの神威さえ受け流す今のフィリップに、人間の放つ威圧感をはっきりと知覚できるような繊細さは残っていないのだが。
「あ、えっと、よろしくお願いします……?」
どんな態度が正解で、何を言うべき場面なのか。
分からないが、まさか黙るわけにもいかず。苦し紛れに頭を下げると、ガブリエラはくすりと笑って──否、嗤って、言った。
「きみ、もしかして、元は奴隷だったりするのかな?」
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