第67話

 小綺麗な建物が整然と並ぶ二等地に、フィリップたちが乗ってきた馬車は華美過ぎて浮いていた。だが一等地では、この馬車も小道具に過ぎない。

 華美な邸宅。見目麗しき使用人たち。そして一等地の主役である貴族。あらゆる要素が二等地のアップグレード版と言える。


 一等地は王都内で最も物品・人材の質が高い場所だ。あらゆる先進技術が導入され、単なる邸宅の外壁が地方領主の砦レベルの頑健さを持つとか、持たないとか。単なる噂で、破城槌をぶち込んで検証したことは無いらしいが。


 中でも、一時間ほどかけて到着した公爵家別邸は、魔術学院の学生寮に負けず劣らずの──つまり、500人規模の収容力を持つ豪邸だった。

 派手と言うよりは、精緻な装飾を散りばめた「細かな豪華さ」を感じられる外観だが、その大きさと絢爛さは二等地の邸宅とは比べ物にならない。一等地の中でも特に素晴らしい建造物のはずだ。


 「お疲れ様でした、お嬢様、カーター様」


 先んじてアリアが降り、馬車を回り込んでフィリップたちの側の扉を開ける。

 ルキアだけでなくフィリップがタラップを降りる時も手を貸そうとしてくれたが、最終的にフィリップを補助したのはルキアだった。


 「ありがとうございます」

 「どういたしまして。そして、ようこそ。サークリス公爵家へ」


 ルキアは別邸だけど、と笑うが、王都の建築技術は王都外とは比較にならないほど高度なものだ。フィリップが焼き払った二等地の一画も、既に9割以上が再建しているらしい。10や20では足りない数の建物を焼き払ったはずだが、残骸すら残さず柱や基礎ごと焼却したのが良かったのだろうか。


 それはさておき、王都に存在する貴族の別邸は、各所領に存在する貴族の本邸よりも良質だ。土地面積はともかく、建築技術や基礎インフラが違う。

 一度王都暮らしを体験した貴族がその快適さに溺れ、二度と所領に帰ることは無かった──なんてケースもあるらしい。代官は涙目だっただろう。責任者不在の領地管理など、いくら金を積まれてもやりたくない。


 サークリス公爵はきちんと所領に身を置き、毎年夏休みと冬休みの時期──貴族的には、建国祭と新年挨拶の時期──に王都の別邸を訪れる、模範的な貴族らしい。

 以前にルキアからそんなことを聞いた記憶がある。


 ルキアに手を引かれ、アリアが音も立てずに開いた重厚そうな玄関の扉を通る。


 広い玄関ホールに、吹き抜けの高い天井。吊られたシャンデリアは燦然と輝き、足元の赤いカーペットの艶やかな毛足を際立たせている。

 フィリップが微かに期待していた、左右に整然と並んだ使用人による出迎えなどは無い。宿屋勤めとして、創作に出てくるアレが余程の人的・時間的余裕がないとできない──つまり、無駄な雇用をしているか、仕事を後回しにさせている──ということを理解していたからこそ、「貴族ならもしかしたら」という期待があったのだが。


 その代わりでは勿論無いだろうが、ホールには燕尾服姿の執事が一人、目立たないように立っていた。

 目立たないように、だ。いくら館の内装が豪華絢爛で、目を引く調度品などがあるとは言え、人間の目と脳は真っ先に人間を認識するように設計されている。それは石器時代から脈々と受け継がれてきた遺伝子によるもので、ヒトとして生まれたモノは訓練も無しに備えている、いわば本能だ。


 まして、彼は黒の燕尾服を──白を基調とした汚れ一つない壁紙に対しても、金糸の装飾が施された艶のある赤いカーペットに対しても浮き上がる、黒色を纏っている。

 

 その上で、彼はフィリップが「使用人はいないか」と探すまで気付かないほど、意識しなければ分からないほどの気配の薄さで、ずっとそこにいた。

 探すまで気付かない──探せばすぐに見つかるというのが、実は最も重要だ。


 客が何か申しつけようと探し求めた時にはすぐに気付けるが、逆に内装や装飾を観たい時には影のように目立たない。

 なんと──なんと素晴らしい技術か。実家もタベールナも、そこそこ名の知れた高品質な宿だ。だが、このレベルの人材は、ベテラン従業員が語り目指す理想形として──つまり、話の中でしか存在しなかった。


 「お帰りなさいませ、ルキアお嬢様」


 腰を折る敬礼。相手への尊重を感じさせつつも、自分の表情を隠さない絶妙な所作だ。

 フィリップも本気でやろうと思えばできるだろうが、その動作をすること自体に意識を奪われる。そういう意識の焦点は、微かな筋肉の強張りや表情の硬さ、ほんのわずかな視線の動きなどの、意識してどうこうできるものではない箇所から、意外と相手に気付かれるものだ。


 彼にそういった「ずれ」は無い。全く自然に、身体に染みついた癖のような動きで、完璧な礼を見せてくれた。

 フィリップが屋敷の威容に目を惹かれず、もう少しリラックスしていれば、称賛の口笛でも飛ばしていたかもしれない。


 「公爵家へようこそ、カーター様。お待ちしておりました」

 「あ、ありがとうございます。えっと、ハウス・スチュワードの方ですか……?」


 あれだけの立ち居振る舞いだ。彼が公爵家の家令──最上級使用人、全使用人統括者であると言われても信じられる。

 だが、フィリップは何となくこれが間違いであるような気もしていた。


 数いる使用人の中でも、家令は別格だ。

 主人の仕事を手伝ったり、財産の管理を任されたり、時には代官のように所領統治を任されることもあるという。常に主人の傍に控えているわけではない。


 だからこそ、客人の出迎えに使えるほど暇な人材ではないだろう。

 こうして玄関でルキアとフィリップの到着を待たせるくらいなら、傍に置いて仕事を手伝わせる方が余程賢い使い方だ。


 それに、彼はまだ20歳くらいに見える。最上級使用人になるには才覚ばかりでなく経験も必要だろうし、些か若すぎるように思える。


 果たして、彼は首を横に振った。


 「いえ。お言葉は大変嬉しく思いますが、私は単なる執事でございます」

 「なるほど。……なるほど」


 やっぱりか。というか、やっぱり「これ以上」がいるのか。

 とんでもないところに来てしまった。


 分かりやすい驚愕と感動を表情に出したフィリップに、ルキアは嬉しそうな笑顔を向けた。


 「気に入ってくれたかしら? 側付きにはメイドを用意してあるけど、もう一人くらいなら付けても支障は出ないわよ?」

 「え? いえ、あの……いえ、大丈夫です」


 「側付きとか要りません」と言いたいところだが、貴族の屋敷でのルールなどフィリップが知っているはずもない。


 この屋敷に比べれば数段以上格の落ちるタベールナでさえ、客の善意が従業員の邪魔になる場面がある。それは使用済みのシーツを畳んでおいたり、食べ終わった食器を積み重ねておくような、ほんの小さなことだ。使用済みかどうか確認したり、積み方を最適化したりする手間はほんの小さなものだが、数十人分にもなると大きなロスになる。


 フィリップが「こうしておくと楽かな?」と考えて行動したことも、全く考えずに行動したことも、一般常識のようなことですら、彼ら貴族の常識に照らせば非常識で、邪魔になるようなことかもしれない。


 客の善意に文句を付けるわけにもいかないし、彼らもフィリップたち同様「いや、気持ちはありがたいんだけどさ……」と、微妙な気持ちになるかもしれない。あの絶妙な気まずさを知っている身としては、知識のある人に付いて貰うのを固辞してまで、彼らのプロフェッショナルを邪魔したくはない。


 ついでに礼儀作法を見て盗もうという邪念もあるが。


 「そう? じゃあ、まずは部屋に案内するわね。一通りの物は揃えてあるけど、足りない物があったら遠慮なく言って頂戴」


 荷物は不要だと予め言われていたから予想はしていたものの、下着も含め衣服まで準備してくれているらしい。学院の制服以外できちんとした服を着たことの無い身としては、これもテンションが上がる。

 ルキアの先導に従い、5階建ての5階まで上る。現代の建築技術では地上5階が限界だと言われており、その言説に照らせば、この屋敷は最高の技術を用いて作られていることになる。


 ちなみに王城は例外だ。

 あれは山一つを丸ごと成形したと言われており、現代の技術では再現不可能なオーパーツでもある。


 「ここよ。まずは着替えて……そうね、30分したら呼びに来るわ」

 「あ、はい……」


 もう着替える──いや、当たり前か。

 仕事用の作業衣は客に見られても不快にさせない程度に小綺麗なものだが、公爵と対談するとなれば些か以上に格が劣る。


 着替えには10分もかからないと思うが、フォーマルな服は初めて着る。余分なくらいでちょうどいいだろう。


 厚く硬質な扉をノックする。自分の部屋だと言われているが、他人の家で、初めて入る部屋だ。つい、という奴である。


 フィリップが苦笑を浮かべるのとほぼ同時に、部屋の中から「はい」と返事がある。

 驚いたのは一瞬で、すぐに例の側付きの人だと分かった。


 「フィリップ・カーターです」


 名乗ると、まず扉が少しだけ開き、ゆっくりと大きく開く。

 ノブを掴んでいても身体を引かれて転ばないように、という配慮の見える作法だ。


 顔を見せたのは、フィリップの予想通りメイド服に身を包んだ女性だった。

 アリアと同年代くらい──20歳前後に見えるが、やはり年の近い者を配置してくれたのだろうか。


 「カーター様、お待ちしておりました。どうぞ、お入りください」

 「……ありがとうございます」


 先導され、部屋に入る。

 基本的な構造は魔術学院の学生寮と変わらないようだ。正確にはVIPルームとでも言うべき最上階と、と言うべきだが。


 キングサイズのベッドと、庭の見える大きな窓。毛足の長いカーペットに、錬金術製の照明器具。

 部屋の内装だけで三等地に家が建ちそうだ。


 「……これは、すごい」


 クローゼットはビルトインのようだが、服はあそこだろうか。


 「すみません、服はそこですか?」

 「はい、普段はそちらのクローゼットに仕舞われています。ですが、本日のお召し物はこちらにご用意してあります」


 メイドがそっと静かな所作で、服一式を差し出す。

 少し嵩張るそれをこぼさないように受け取り、とりあえずベッドの上に置く。


 「ありがとうございます。……えっと、すみません、お名前をお聞きしても?」


 フィリップが尋ねると、すっと姿勢を正し、ふわりと腰を折った。

 正式な作法を崩したそれは、教科書通りの動きを100点として採点するのなら80点といったところだ。だが、礼儀作法とは正しさだけが全てではない。時や場面に応じては崩した方が即する場合もあるし、それは人によってもそうだ。


 淡々と機械じみて正確な所作の似合うアリアのような者もいれば、彼女のように柔らかに崩した方が映える者もいる。


 「申し遅れました。私はマルグリット・デュマ。どうぞメグとお呼びください。カーター様がご滞在の間、お仕えさせて頂きます」


 アリアと同様、メグの容姿も特筆すべきものだ。

 金髪と碧眼は王国人であればありふれたものだが、顔の造形や髪の質は人それぞれだ。突然変異的に生まれたであろう銀髪赤眼のルキアは、その髪と目を抜きにしても極まった容姿をしている。マザーやナイ神父ほどではないが、フィリップの目にも美しいと映るほど。


 アリアは殆ど無表情だったからか、どこか無機質と形容できる美しさだった。

 対してメグは、静かで儚げな微笑を湛えており、世の人が「深窓の令嬢」と言われて思い浮かべるような、静かで儚げな美しさを持っている。


 簡単に言えば、人形のような美しさと言われれば顔立ちが何となく想像できるのがアリア。

 メイド服姿の深窓の令嬢と言われれば容姿を想像できるのがメグだ。


 無理矢理に数値化した場合APPだと、アリアが17でメグが16と言ったところか。


 ちなみにルキアを一言で形容するのなら「絶世」。ナイ神父とマザーは……「発狂」? まぁ、それはいい。


 「上流階級の作法などには全く心得が無くて……えっと、色々とご迷惑をおかけします」


 これから約一週間、無様なところを見せるばかりか、その後始末までさせることになるかもしれない相手に、フィリップは深々と頭を下げた。

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