第66話

 夏休みに遊びに行く。その約束をした当時、フィリップもルキアも疲労困憊だった。


 期末実技試験としてダンジョンを攻略することになり、色々あって班員は全滅。ダンジョンは跡形もなく消滅した。

 当然ながら学校側から色々と訊かれたし、冒険者組合からも呼び出しがあり、当該地域を統治していた貴族からも呼び出された。ご丁寧に、フィリップとルキアの両方を別々に。


 「なんでこんなことしたの? テロ? 狙いは何? どこの所属?」


 フィリップが訊かれたことを要約すれば、そんな感じだ。

 外神の尖兵で、地球侵略の下見に来た──と、思い込んでいた蒙昧な愚物の干渉から逃げ回っただけなのだが。


 期末試験から帰ってきたのが、夏休み開始10日前。それから終業式前日までずっとあちこちへ呼び出されて事情聴取を受けていたので、気分転換によさそうなルキアの誘いは素直に嬉しかった。


 家の準備や建国祭の準備などで忙しいらしく、一週間くらいはかかると言っていた通り、迎えを寄越すという手紙が来たのは最近だ。

 なんとなく使用人が借馬車で来るようなイメージを持っていたのだが、それは全くの見当違いだった。


 あぁ、いや、確かに使用人は来たし、馬車もある。

 だが本人同乗のうえ、公爵家の家紋入り馬車で来るとは思わなかった。


 これでタベールナは公爵家の方がお出ましになるほどの宿だと伝わり、建国祭終了後も現在の稼働率が続くことだろう。大繁盛だ。従業員が過労死する前に増員してあげてくれ。


 アリアの手を借りて馬車に乗り込むと、言葉通り、ルキアが御者側の席に座って待っていた。


 「久しぶり、フィリップ。迎えに来たわよ」

 「お久しぶりです、サークリス様。まさかご自分で来られるとは」


 学院の制服に慣れつつあったところに、黒いゴシック調のカジュアルドレスは突き刺さる。私服なのだろうが、もっと別のものにしてほしいところだ。似合ってはいるが、その服自体にいいイメージが無い。

 無言で対面の座席を示され、会釈などしつつ素直に座る。ルキアの前を横切らないよう反対側の扉から乗り込んだアリアがルキアの隣に座り、数秒して馬車が動き出した。


 なんとなく車内を見回す。

 フィリップが伸びをしても届かない天井にまで精緻な装飾が施されており、対面に座ったルキアと足がぶつかることの無い広さがある。さらに、路面の状況が分からないほど揺れが少ない。魔術学院に行くときに乗った馬車より、さらに上のグレードのものだと、そういったことに疎いフィリップでもはっきりと分かるほどだ。


 「すごい馬車ですね」

 「そう? 気に入ってくれたのなら良かったわ」


 学院が用意したただの輓馬とは違い、このサイズの馬車を牽ける訓練された軍馬種の馬であれば、もしかしたらフィリップでも乗れたりするのだろうか。

 あとでちょっとお願いしてみよう。


 いいよね、乗馬。冒険譚では、誰にも乗りこなせない暴れ馬を手懐けるというのが傑物にありがちな逸話だ。

 少し前に魔術剣という少年心を擽る代物を目にしたからか、ここのところ神話より冒険譚を読む機会の方が多かった。おかげで妙に昂る。


 まぁフィリップの場合、恐怖が原因で暴れるタイプの馬はより一層怯えて使い物にならなくなり、反骨心が原因で暴れるタイプの馬はその闘争心すら萎えて使い物にならなくなるので、特に軍馬には近寄らせてはいけないのだが。


 「フィリップ、その……着く前に、一つ、言っておかなければならないことがあるのだけど」

 「あ、はい」


 なんとなく歯切れの悪い様子のルキアに、思わず背筋が伸びる。

 告白でもされそうな雰囲気、というよりは、懺悔──告解でもされそうな雰囲気だった。


 「お父様が、貴方に会いたいそうなの」


 沈黙。

 2秒、3秒と経過し、続く言葉が無いと確信できるまで、フィリップは一言も喋らなかった。


 「……えっと、僕もご挨拶くらいはするつもりだったので、問題ありませんけど」


 フィリップは軽く言うが、そんな程度ならルキアがこうまで重苦しい空気を纏うことは無いだろう。

 ルキアはフィリップの勘違いに気付き、首を横に振る。


 「お父様はサークリス公爵としての対面を求めているわ。「友達を連れて来た娘の父親」ではなく、ね」 


 ──なるほど、つまり。


 「貴方は平民だから、貴族の礼儀作法を求められたりはしないわ。でも、質問に対して虚偽を述べたりすることは許されない。それを利用して、貴方に聞きたいことがあると言っていたわ」


 つまりフィリップは、泊めてくれる友人の父親にではなく、アヴェロワーニュ王国最高位貴族にして現宰相閣下に挨拶する必要があるということか。

 しかも、ちょっと挨拶して終わり、という甘い未来予想図を描ける状況ではないらしい。


 「……何についてです?」


 心当たりは山ほどあるが、果たしてどれだろうか。

 変に藪を突きたくないという内心の透けて見える質問に、ルキアは苦笑もせずに答える。


 「全部ね」

 「……と、言うと?」

 「あの森で何があったのか。どうして私と仲が良いのか。それも決闘の介添人になるほど…… あと、あのダンジョンで何があったのか。貴方は何者で、何が目的なのか…… 私も色々と訊かれたわ」


 心当たり全部だった。

 不味いなぁ、と、思わず頭を抱える。一番不味いのは公爵に「敵」と判断され、王国から放逐されることだ。最上位貴族である彼にとって、国民一人を国から追放することなど造作もない。そうなってしまえば、快適な生活どころではない。

 次点は公爵が直接敵対し、フィリップを殺そうとした場合か。まさかルキアの眼前で殺そうとはしないだろうから、フィリップは彼女に実父の惨たらしい死を伝えることになる。これも普通に嫌だ。


 「どう答えたんです? あ、いえ……」

 「大丈夫。アリアは味方よ」


 口裏合わせじみたことを他人の前で口走った迂闊さに苦笑するが、ルキアは安心させるように微笑した。アリアは何も答えないが、表情一つ変えないあたり、本当なのだろう。

 それは安心できるが、ルキアの口から「味方」という言葉が出たことが怖い。それはつまり、公爵は「敵」だということか?


 「私に分かることは一通り。なるべく推測を省いて具体的な事実を伝えておいたけど…… 正直、私にも何が何だか分からないことの方が多いから」

 「あ、えっと、それは……」


 確かに、ルキアが何も聞いてこないのをいいことに、フィリップは何も説明していない。

 それは彼女が襲われた黒山羊についてもそうだし、習熟訓練に付き合って貰った領域外魔術についてもそうだし、あれだけの惨状を引き起こし後始末までして貰ったアイホートについてもそうだ。


 彼女には知る権利があると、フィリップだって思う。

 だが、知れば発狂してしまうかもしれない。本来は名前を知るだけで精神を蝕むような存在たちだ。彼女が既に知るシュブ=ニグラスとは比較にならないとしても。


 彼女には狂わずいて欲しい。何も知らず、自分が無知であることにすら気付かず、幸せに死んでほしい。

 だが、きっと。フィリップは彼女が狂い、狂気に溺れて死んだとしても、「あぁそう」程度の言葉しか出ない。彼女に抱いているこの敬意も憧れも拘泥も、何の感傷もなく全て失ってしまうのだろう。


 だからせめて、彼女が無事でいるうちは、それを守りたい。


 「すみません、話せません」


 言葉の上では端的に、しかし心底申し訳なさそうに言うフィリップに、ルキアは慌てて言葉を重ねた。


 「恨み言のつもりじゃないの。貴方が話せないと言うのなら聞かないし、探ったりもしないわ」

 「……そうしてくれると助かります」


 そうしてくれれば、フィリップは精神的に救われるし、ルキアはもっと直接的に生命と精神の危機から救われる。これまで何も聞いてこなかったということは、ルキアの言葉に嘘は無いだろう。彼女が自分から首を突っ込まないのなら、あとはフィリップがどれだけ気を配れるかだ。


 「話を戻すわね。お父様は特に一番最後──貴方が何者なのかを気にしているわ。素性、目的、貴方についてあらゆることを調べてる」

 

 それは素晴らしい。なら、秘密のひの字もない、田舎町から丁稚奉公に来たただの子供であることは分かっただろう。もう帰っていいだろうか。

 外神絡みのあれこれに手を伸ばしたのなら、こうしてフィリップを呼び出したりしないはずだ。自分の周囲を飛び回る羽虫に対して、ナイアーラトテップやシュブ=ニグラスが穏当な対応をするわけがない。調査員は全滅か、「関わるな」というメッセージ付きで返送されているだろう。


 「貴方のご実家が教皇庁とは何の関係もないことも、貴方がカルトに拉致されたことも、それがきっかけで教会の二人と親しくなったことも、全て知っているわ」

 「ん……?」


 それだけの情報があるのなら、フィリップにまつわる謎など皆無だろう。むしろ、何の変哲もない奉公に出てきた田舎者を、王都の堅牢な建物群を吹き飛ばす召喚術士に育て上げた、教会の二人の方がよっぽど怪しい。

 その二人に手を出して手痛いしっぺ返しを食らい、仕方なく関係者であるフィリップに矛先を向けた──というのは、少し考えにくい。ナイ神父やマザーが、フィリップに迷惑の掛かるような中途半端な対処をするとは思えないのだ。


 良くてメッセージ付きで返送。最悪──外神が用意する「最悪」など想像もつかないので、あくまでフィリップの考える「最悪」だが──ルキアを含めた関係者全員が発狂して死んでいた。


 「えっと、じゃあ何を聞くためです? 僕が魔術の素人で、枢機卿関係者でもないと分かっているのなら──」

 「そうなのよね…… お父様も、私の説明と家の者を使った調査で、納得していたはずなのだけど……」


 首を捻るルキアに、フィリップも思わず「えぇ……?」と困惑を漏らす。

 二人で首を傾げていると、ルキアの隣で「よろしいでしょうか」とアリアが手を挙げた。


 ルキアの出した許可に謝意を示して、彼女はルキアに目を向けた。


 「お嬢様、閣下はお嬢様に『例のカーター君を連れてきなさい。ルキアと交際するに相応しい人物かどうか、一度見ておきたい』と仰られていたかと思いますが」


 おそらく一字一句違わぬ再生なのだろうが、ルキアはそれを当然のように聞き、「それで?」と端的に聞き返した。


 「いえ、ですから、公爵閣下は、カーター様のお人柄をご覧になりたいのではないでしょうか。お食事の際など、いつもお嬢様がお話になるので、ご興味を抱かれたのかと」


 もしそうなら何とも微笑ましい──まるで娘に初めて彼氏ができた父親のような、どう接すべきか計りかねるような不器用さがある。

 だが、サークリス公爵といえば王国最高位の貴族だ。そんな甘っちょろい相手では無いだろう。呼びつける相手やルキアを萎縮させないよう、方便として適当に言ったのだろうと推察できる。


 「そんな、まさか──」

 「──いえ、有り得るわ」

 

 少し重くなってしまった車内の空気を晴らそうという心遣い、要はアリアの冗談だろうと笑顔を浮かべたフィリップだったが、続くルキアの言葉で愕然とする。

 何を馬鹿な、と一笑に付したいところだが、ルキアとサークリス公爵は家族だ。その人となりをよく知っている。少なくとも公爵の顔も知らないフィリップよりは、その内心を正確に推し量れるはずだ。


 となると、何だ。フィリップがこれから会って話すのは、フィリップを敵と見定めている──フィリップが殺しても仕方ない相手ではなく。

 カリストのように譲れない主義主張を持った相手でもなく。


 ただ娘を思う、一人の善良な父親だということか。



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