夏休み

第65話

 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 ボーナスシナリオ『夏休み』 開始です。


 推奨技能はありません。

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 「夏休みの時期」なんて言葉は、魔術学院の関係者くらいしか使わない。王都ではその期間のことを「建国祭の時期」と言うし、王都外では特に呼び名を付けるまでも無い一年の真ん中あたり、何かがある訳でもない時期だ。

 フィリップはどの呼び名も聞いたことがあるが、そのどれも使い慣れるほど使ったことが無い。今のフィリップの状況に最も即したものは──そのどれでも無く、「繁忙期」だった。


 「部屋の準備、終わりました!」

 「お疲れ! 次、買い出しよろしく!」

 「あ、はい! ……あっ」

 

 さも当然の流れ作業のように、流れるように言われ、流されてしまう。部屋の準備が終わったら昼休憩のはずだったのだが。

 元気よく了解を返してしまった手前、今から「やっぱりご飯食べてきます」とは言い辛い。空腹だったら話は別だが、まだまだ全然耐えられることだし。 


 厨房に必要なもののメモを貰いに行くと、やはり「え? 買い出し? 昼休みじゃないの?」と半笑いで──フィリップがスケジュールを失念していると思ったのだろうが──訊かれた。買い出しの後にすると言うと「まだお腹減ってないのか」と勝手に納得された。正解だが。

 

 タベールナは衛士団と提携していることもあり、普段から宿泊・食堂共に稼働率がかなり高い。そこに建国祭で訪れた王都外からの観光客や、祭りに合わせて休暇を取った三等地の民が「いつもよりちょっといい暮らし」を求めてやってくると、施設稼働率は100%、従業員稼働率は驚異の120%──つまり、勤務時間中に暇なタイミングが無く、さらには休憩時間が2割削れる──を叩き出す。

 普通にしんどかった。


 晴れて丁稚を卒業し、臨時手伝い扱いで1割増しの給料を貰うようになったフィリップだが、忙しさは1割増しどころではない。数週間の我慢と分かっていなければ、待遇改善を求めて直談判でもしていただろう。


 そんな益体の無いことを考えつつ、メモに書かれた品物を一つ一つ買い揃え、手持ち袋に入れていく。荷車は要らないだろうと高を括って出てきたが、重さはともかく嵩張るものが多い。ちょっと面倒だった。

 純粋な重さではなく重心の不安定さでふらふらしつつ、帰路に就く。


 「戻りました! 疲れたぁ……」


 厨房に入り、荷物を置いて座り込む。

 思った以上のスタミナを消費したが、今から昼休憩だと思えば何のことは無い。


 「あ、そっちにご飯置いてるよ」

 「ありがとうございます!」 


 料理人見習いから料理人補佐に昇進したという青年が指した先のテーブルに、従業員用の昼食がずらりと並んでいた。


 鼻歌交じりに少し小ぶりなフィリップ用の皿──大人一人前を完食できるほど健啖ではない──を取り、適当に厨房の空きスペースで食べていると、モニカがふらふらと厨房に入ってきた。


 「お疲れ、モニカ。今からお昼?」

 「お疲れ、フィリップ。そうよ、やっとご飯……」 


 寝坊の代償に朝食を普段の半分くらいしか食べられなかったらしく、モニカはすっかり疲弊していた。まだ半日残っているのだが、大丈夫だろうか。


 「お水ちょうだい……」

 「ん、はい」


 ピッチャーを渡すと、モニカが怪訝そうにそれを揺する。


 「氷しか入ってなくない? ……ほら」


 コップに向けて傾けるが、モニカの言う通り水は数滴しか出てこない。

 まぁ王都外と違って、井戸水を汲みに行く必要は無い。水道の蛇口を捻れば綺麗な水が出るし、煮沸すれば普通に飲める。それに、今のフィリップにはその一手間すら必要ない。


 「お水入れて……」

 「ん、いいよ。《ウォーター・ランス》」


 フィリップの詠唱に応じ、空中に水の槍が生成される。

 表面は水の張力によって滑らかになるはずなのだが、何故かぷるぷると波打っている。先端は鋭く尖るはずなのだが、これも今にも崩れそうに震えている。


 というか──


 ばしゃり、と。水の槍は音を立てて崩れ、その下にあったピッチャーに収まった。からん、と氷が揺れる音が妙に虚しい。


 「ありがとう」

 「どういたしまして」


 何が起こったのかを端的に言い表すのなら、「フィリップの魔術は失敗した」の一言で終わる。


 本来は水の槍を生成し射出する攻撃魔術のはずだが、水の槍を生成する時点で失敗、投射前に崩壊している。魔力と魔力制御能力と魔術式の演算能力が足りてないわね、と、ルキアが見ていたらそう言うであろう結果だ。ちなみに、それらは一般に魔術を行使する際に必要と言われる全要素である。


 飲み水の補充と言う目的は果たせた。起こった現象としては失敗かもしれないが、求める結果は出せたのだ。それでいいじゃないか。

 と、今でこそこんな風に「失敗だけど何か?」みたいなことを考えているが、当初は大盛り上がりだった。


 水の槍を生成しようとしてコップ一杯の水を用意し、拳大の火球を飛ばそうとして爪ほどの火種で蝋燭を灯す。強弱をぶっちぎりで超越した日常系魔術師になったのだ。

 こう言うと些か以上にしょうもなく感じるが、ゼロからイチになったのは本当に大きな進歩だ。今までは初級魔術を発動させることすらできなかったのだから。


 調子に乗って魔術を連発。悉く失敗し、魔力欠乏でぶっ倒れたのは最近のことだ。


 「フィリップ、ホントに魔術師になったんだ……」

 「え? うーん……魔術を使えるからって、イコール魔術師じゃないんだけどね」


 何ならもっとボロカスに貶されるべき無様な結果ではあるが、自虐が求められる場面でもないのでそう言うに留める。


 「才能があるだけいいじゃない。私なんて、入学許可さえ下りなかったのに」


 モニカはそう言うが、フィリップに入学許可が下りた──より正確には入学が義務付けられた──のは、現代魔術ではなく領域外魔術が原因だ。こちらは才能どころか寵愛で成立している魔術体系だし、何より火力過多。そう羨まれても困るのだが。


 「僕も落ちこぼれだし、教えてあげたりは出来ないよ?」

 「そうなの? ちゃんと勉強してる?」

 「してるよ!」


 何を失礼な、と声を上げるが、モニカは不思議そうに首を傾げる。


 「勉強してるのに落ちこぼれ? 魔術学院ってそんなに凄いの?」

 「僕を買ってくれるのは嬉しいけど──」

 「神父様に教わったフィリップよりすごいとか、ちょっと信じられない」


 苦笑を浮かべていたフィリップの顔から表情が抜け落ちる。

 恥ずかしい勘違いをしていたと照れる気持ちもあるが、それ以上に今はその人物について語りたくなかった。


 別に、ナイ神父に何をされたわけではない。むしろ最近は何事か忙しくしているようで、フィリップに絡みに来る時もマザー一人の場合が多い。

 だからこそ──話題に出すと影が立つような気がして、言葉の上で触れるのも避けていた。


 二度と絡んでくるんじゃねぇぞ、ぺっ。フィリップの内心を端的に表すのなら、そんな感じだ。


 もしビビり過ぎだとか、考え過ぎだと笑うような者が居れば──フィリップの現状を知って発狂しない精神性を褒め称えた上で──こう言おう。「盲目白痴の魔王に愛されて、無貌の君と千の仔孕みし森の黒山羊に目を付けられてから物を語れ」と。


 「そういえば、今日からだっけ? お友達の家に泊まりに行くのって」

 「うん。そろそろ迎えが来ると思うんだけど……」


 夏休みに入る直前、フィリップはルキアと一緒に王宮祭に行く約束をした。ついでだから一週間くらい泊まらない? というお誘いにも、特に何も考えず──宿がここまで忙しくなると知っていたら、少し躊躇っていたかもしれない──乗っかった。


 「ねぇ、そのお友達って、もしかしてあの人?」

 「……あの人って?」


 いつも通りの愉快そうなニヤケ面で訊いてくるモニカ。その質問の意味を咄嗟に理解できなかったのは、その対象──「あの人」が誰なのか、即座に判別できなかったからだ。

 一瞬「マザーのことだろうか」と思うも、話の流れ的にそれはおかしい。だがモニカと面識のある魔術学院生がいるのだろうかと考え、ようやく思い至る。


 「サークリス様のこと? 迎えに来てくれた」

 「そうそう、その人──え゛!? サークリス様って、あ、あのサークリス公爵家の? もしかして──」

 「あぁ、うん。そうだよ。光属性と闇属性の聖痕者」


 昼食を摂る手は止めず、淡々と語るフィリップ。

 モニカの反応は対照的で、興奮したように立ち上がった。蹴立てられた椅子ががたりと音を立てて倒れ、厨房にいる皆の目を引く。


 「なんで先に言わないのよ!」

 「同席してたわけでもないし、教える機会なんて無かったでしょ!?」


 先に、とは、魔術学院の使いとしてフィリップを迎えに来てくれた時のことだろうか。確かあの日は、モニカが応接室に通して、部屋にいたフィリップを呼びに来てくれたと記憶している。

 あるいは、友達の家に泊まりに行くから手伝えない期間がある、と話した時のことか。訊かれもしないことをわざわざ話すのもどうかと思うが。


 「そ、そうだけど! 聖人よ!? ご挨拶とか、こう、あるじゃない!」

 「……そうなの?」


 よく分からないが、聖人と言っても石をパンに変えたりとか、水をワインに変えたりはできない。海を割る……のは、もしかしたら可能かもしれないが、ルキアがやると高確率で海の水位がメートル単位で下がることになる。

 聖痕者は神に認められた最強の魔術師というだけで、つまり、人間の中で最も強いというだけのこと。


 強さに憧れる価値観の持ち主なら是非ともお近づきになりたい相手だろうが、モニカにそんな趣味があったとは。


 「そうよ! 魔術師の中の魔術師、世界で一番神に近いお方なのよ!? しかも、歴代6人目の二属性聖痕持ち!」

 「……なるほど、確かに」


 モニカの熱弁を聞いていると、なんだか「そうかもしれない」と思えてくる。

 ルキア本人が聖痕者であることを前面に押し出さない──フィリップ同様にそれに価値を感じていない──から忘れがちだが、彼女は世界最強の魔術師だ。しかも努力して成長するタイプの天才。今の彼女なら、魔術行使に制限の無い平地であれば、きっと黒山羊の劣等個体くらい単騎で撃破できるはず。


 フィリップや外神たちにしてみれば『だから何?』と一笑に付すようなことだが、ただの人間が挙げた戦果と考えるなら破格だ。


 もうちょっとルキアに対して敬意を持った方がいいのかもしれない──なんて、今更な事を考えていると、食堂担当の従業員がフィリップたちのいるテーブルに駆け足で近付いて来た。

 「厨房を走るんじゃねぇ! 危ねぇだろうが!」と副料理長が怒声を飛ばすが、彼はそれに軽く謝るだけだ。余程急いでいるのだろうと分かるが、何事だろうか。


 「あぁ、カーター君! よかった! お客様が来てるんだけど……」


 お客様なら、ありがたいことにここ数日ずっと来ている。今更何を言っているのか──なんて、浅い勘違いはしない。

 見るからに昼休み中のフィリップをわざわざ呼びに来るということは、宿の客ではなくフィリップ個人の客ということだろう。そしてこのタイミングで来る客といえば、心当たりは一つしかない。


 「分かりました。今はどちらに?」

 「外でお待ちだよ。その、なるべく早く頼むね」


 当たり前と言えば当たり前なことに念を押して業務に戻っていった彼の背中に怪訝そうな一瞥をくれ、言葉通り、足早に正面玄関へ向かう。

 誰が来ているのか、玄関には宿泊客が、正面の通りには通行人が野次馬になっている。


 妙に覚えのある光景だが、まさか。


 いちおう従業員としてここにいる以上「ちょっと失礼」と割り込むことは憚られるが、そんな必要も無く、人だかりが勝手に割れる。

 それはフィリップに対して道を開けたわけではなかったが、フィリップへの道を開ける行為ではあった。


 「フィリップ・カーター様とお見受けしましたが、間違いありませんか?」

 「え、はい…… あの、どちら様で?」


 人が割れ、フィリップの前まで道が出来る光景は見覚えのあるものだ。

 だが、フィリップの前で丁寧に腰を折る、長袖ロングスカートのワンピースに、エプロンとホワイトブリム──モノクロームな、ヴィクトリアスタイルのクラシカルなメイド服を纏った女性に見覚えはない。


 金髪に碧眼という王国人にありきたりな風貌だが、顔の造形はかなり整っている。マザーはともかくとして、ルキアの隣に並んでも見劣りしないほどだ。フィリップの人間に対する興味が薄れてきているとはいえ、一度見たら忘れないであろう美貌と言える。


 年は20歳前後に見えるが、公爵家の使用人であるのなら、年相応以上に整った作法にも納得できる。


 「アリア・シューヴェルトと申します。サークリス公爵家にて、ルキアお嬢様の側付きを拝命しております」


 淡々とそう言って、彼女はすっと道を開けるように横にずれる。

 宿の玄関先には、軍馬のように立派な馬二頭が牽く、絢爛豪華な馬車が停まっていた。


 「お乗りください。ルキアお嬢様がお待ちになられています」



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