第64話

 背後から小さなものが群れて這い回るような不快な音が追ってくる。

 振り返らずとも、それが小指大の白い蜘蛛のような生物──アイホートの雛であると理解できた。尤も、蜘蛛との共通項は多眼である点と、多脚である点、あとは気色悪いという点くらいだが。


 「見ない方がいいですよ」

 「……ありがとう。そうするわ」


 背後に魔術を撃ち込もうとしていたルキアが、その照準を天井に変える。

 走りながら撃つと、ちょうどフィリップたちを追ってくる雛の群れに向かって崩落してくれる。


 一部を瓦礫で押し潰したところで全滅には程遠い。何度も何度も繰り返しながら息を切らせて攻略ルートを逆走するが、あまりにも効率が悪い。瓦礫で全滅など望むべくもなく、フィリップたちがダンジョンを出るのが先か、追い付かれるのが先かだ。


 追い付かれたらどうなるか、はっきりとは分からない。食われるのか、第二の巣として利用されるのか、はたまた彼らの雛──アイホートから見た孫世代が植え付けられるのか。どれもあり得そうな仮説だし、どれも普通に嫌だった。


 じりじりと群れとの距離が詰まり始めた頃、通路の先に光が見える。

 外は既に夕暮れ時なのか、暖かくも眼に痛い色の光が差し込んできている。それを背負って、迷宮へ入ってくる複数の人影が見えた。


 聞き覚えのある、ガチャガチャと金属のこすれ合う音が耳に入る。

 あれは、鎧の音だ。


 かなりの田舎に位置してはいるが、ここはれっきとしたダンジョンだ。冒険者が来ることに不思議はない。ないが、今は不味い。


 「来ちゃ駄目だ! 逃げて!」


 フィリップが叫ぶ前に、向こうもすごい勢いで走ってくる二人組と白煙──二人を追う雛の群れに気付いたようで、慌てて背を向けて出口へと向かった。


 「ダンジョンごと消し飛ばすわ! いいわね!?」


 ルキアが叫ぶが、さっきの警告ですっかり息切れだ。返事をする余裕も無い。


 何とかダンジョンを飛び出し、硬質な床から急に砂地になったことで足を取られてすっ転ぶ。振り返ろうと変な態勢になっていたのが悪かったが、顔からではなく尻もちをつくような姿勢でこけられたのは運が良かった。


 「衝撃に備えてッ!!」


 ルキアは走ってきた勢いのままに、土埃を蹴立てて反転する。

 夕暮れの光が周囲から消え失せ、深夜もかくやという闇に包まれる。唯一の光源はルキアの掲げた手に灯る光球のみ。


 その大きさは人間の頭部ほどもある。親指の爪ほどで黒山羊と森を穿ち抜く威力だ。あの大きさならば──


 「《明けの明星》ッ!!」


 光が音も余波も無く静かに撃ち出される。予想に違わず、ダンジョンも、雛の群れも、内部に置かれたままの8つの死体も、全て纏めて呑み込むだけの破壊が齎された。


 「……なんだよ、これ」


 かつてダンジョンだった場所にぽっかりと空いた大穴に、一人の冒険者がぽつりと呟いた。




 ◇




 何処かの迷宮の最奥部。前人未踏領域であるそこには、一柱の神が棲み付いている。

 彼或いは彼女は世界中の迷宮と己の居城を繋ぐ力を持っており、見込んだ人間と自らの下僕に雛を植え付け、力を与える。


 神の名はアイホート。


 唯一神とは違い、信仰に依って存在の強度を左右されない、「神」と呼ぶべき強大な生物である。


 無数の赤い瞳が蠢く、白く膨れた水死体のような体躯。それを支えるにはあまりに頼りない小さく短い多脚。悍ましい外見とは裏腹に、彼の神は非常に温厚であった。


 『あーあ、時間切れか。子供たちもみんな焼かれちゃったし、強いね、あの子──ルキフェリアちゃん、だっけ?』


 自らの雛を植え付けた下僕が死に、解き放たれた雛たちも悉くが滅されてなお、激昂もせず淡々と、自らの居城に断りもなく入り込んだ侵入者に語り掛けるほどに。


 「強い? えぇ、まぁ、ヒトの尺度に照らせば、そうかもしれませんね」


 漆黒のカソックに痩躯を包み、胸元で金の十字架を揺らす侵入者が笑う。

 言外に「お前の尺度は人間並みか」という嘲笑が込められていることに、アイホートはしっかりと気が付いていた。

 ただの人間であればアイホートの怒りを買い、押し潰されてもおかしくない暴挙だ。だが、アイホートの多眼は節穴ではない。


 『君のお願いどおり、カリストくん以外には手を出さなかったよ。もういいかな? まだ300年くらいしか寝てなくて、すごく眠いんだ』

 「おや、それは不健康ですね。だからそんな気色の悪い外見なんですか?」

 『外見について、君にだけはどうこう言われたくないよ。貌無しナイアーラトテップ


 ははは、と、明朗に笑う神父。その頭部には顔が無く、星空が広がっていた。


 『それにしても、君がヒト一個体をするなんて。本当に珍しいね。カリストくんは一体、何をしたの?』

 「────」


 神父は答えない。ぽっかりと空いた宇宙の顔から表情を読み感情を汲むのは難しいが、答えるのも嫌なほどの「何か」があったらしい。


 『……ま、いいけどね。ところで──』

 「ところで」


 神父の気配が一変する。今までの嘲笑のみで構成された軽薄で慇懃な態度は消え失せ、万物を冷笑する超越者のそれに切り替わった。


 「私は彼に雛を植え付けろとは言いましたが、フィリップくんに嗾けろとは一言も言っていません。そうですね?」


 暴力的な存在感が襲い掛かる。それは人間であれば蒸発してしまうほどのものだったが、アイホート──旧支配者にしてみれば、慣れはせずとも懐かしいものだ。


 『あぁ、あれは私の独断だよ? 私がただ君の言いなりになるなんて、そんな甘い幻想を抱いていたのならお笑い種だ。私が外神の手先にどういう反応を示すか、まさか分からなかったのかい?』


 アイホートがナイアーラトテップを嘲笑う。

 普段自分が向けているものをそのまま返され、神父はありもしない顔に笑顔を貼り付けた。


 「えぇ、分かりませんでした。まさか──そこまで馬鹿だったとは」


 ストレートな暴言にアイホートが無数の目を細めるが、神父はそれに構わず続ける。


 「まぁ、いいでしょう。おかげで、こちらも進捗の確認ができました。そのお礼を二つ、用意しています」


 一つ目、と、神父が一本指を立てると、その足元に一人の女性が現れた。

 足元と言っても跪いたりしているわけではなく、両手両足を縛られ、猿轡を噛まされて転がっている。視界を制限する拘束は無く、荘厳な地下聖堂、見るからに異形のアイホート、そしてヒトガタでありながら絶対に人間では無いと分かる神父を順繰りに見て、涙を流しながら固く目を閉じる。


 『なに、これ?』

 「貴方にぴったりの苗床ですよ。寿命を奪い、狂気を奪い、死を奪ってあります。何度でも雛を育てられる、再生可能な宿主です」


 アイホートは少しばかり興味を惹かれたのか、多眼の幾つかが女性へと向く。アイホートとしても、自分の下僕にした人間が時間経過で確実に死ぬという現状を儚んではいたのか。尤も、たかが人間が死ぬ程度では、雛の性質を変えるほどの情動は起こらないようだが。

 少しの観察を経て、視線はすぐに興味を失ったように神父へと戻された。


 『いらない。若くも美しくもないし、何より魔力が貧弱だもの。子供たちの食事にしては劣悪すぎるかな』


 確かに、と、神父は端的に頷く。

 年頃は中年、外見もそうだが信念も無く、平民なので当たり前だが体内環境も貴族のそれよりは数段劣る。魔力もそうだ。餌として最高級だったカリストとは比べ物にならない。


 もちろん、アイホート好みの女性も用意しようと思えば用意できたし、当初はそれを予定していた。だが急遽、彼女でなければならない理由が出来たのだ。アイホートに罰を下す理由も、つい先ほどアイホート自身が作ってしまった。


 「そう仰らずに」


 神父が笑い、アイホートの拒絶を耳にして安堵の表情を浮かべていた女性の顔が曇る。

 怒りと恐怖と絶望と、本来であればとっくに狂気に堕ちているレベルの負の感情が垣間見えた。


 「貴方にはもう一つ、お礼があると言ったでしょう?」


 再度、一本指を立てる。

 今度は何かが現れるといった顕著な変化は無く、しかし、アイホートの反応は顕著だった。


 全身がびくりと震え、無数の瞳が独立して、ぎょろぎょろと忙しなく同じ一点を見ることなく動き続ける。その異様に怯えた女性が思わずと言った風情で神父の側へと這いずる。


 神父はそれを蹴り飛ばそうと足を振るが、ぴかぴかに磨き上げられた黒い革靴を惜しんだのか、靴底を使って押しのけるに留めた。

 すると、女性を踏みつけていた右足に重い衝撃が加わる。「足をどけろ」という意図の感じられる攻撃は、当然ながら女性のものではなく、アイホートによるものだ。


 『──何を、した』

 

 全ての赤い目を苦し気に細め、アイホートが問いかける。

 神父は存在しない顔に笑顔を浮かべ、質問を返す。


 「どうかされましたか?」

 『ふざけるな。こんな状態、今までに一度だって……いや、どう考えても異常だろう。この、私が──』


 無数の赤い瞳の動きが一致する。半分は神父を、半分はその足元に転がる女性を、全く異なる感情を宿して注視していた。


 『ヒトを相手に、“愛おしい”と感じるなんて!!』


 女性が悲鳴を上げ、ナイアーラトテップの哄笑が最高潮に達する。

 アイホートは人間に自らの雛を植え付けるが、そこに性欲や愛情と言ったものは存在しない。落とし仔に最適な餌と住処を用意しているだけなので、当然といえば当然だが。


 ずるり、と。神父の干渉も無く、女性の身体がひとりでにアイホートの下へと引き摺られていく。


 『出て行ってくれないか、ナイアーラトテップ。私はこれから、彼女と愛を育むんだ』


 ぶち、と、女性を縛っていた全ての拘束が解かれる。

 見るからに異形で、しかも平常でない雰囲気のアイホートよりも、顔以外は人間に見える神父の方がマシだと判断したのか、その足元に縋り付く。


 「いや、嫌ッ! 助けて、助けてください! お願いします!」


 神父はゆっくりと足を持ち上げ──その速度で、ゆっくり、ゆっくりと、その音を聞かせ染み込ませるような緩慢な動作で、女性の頭部を踏み潰した。


 『ちょっと!?』

 「言ったでしょう。死は奪いました」


 神父が足を退けると、ぐちゃぐちゃに潰れていた頭部はひとりでに再生した。しかし痛みや音の記憶はあるのか、ぐったりとしたままだ。


 『わぁ、いいね。何度でも雛を育てられる』

 「次にフィリップくんに手を出したら、彼女に死を返します。いいですね?」

 『分かったよ。と言っても──今の私には外神の尖兵なんかより、彼女の方が大事かな』


 神父は「外神の尖兵」というワードに不快感を覚えたようだったが、何も言わずにその場を立ち去った。


 どうせ、アイホートが飽きる頃には──




 ◇




 ある地方領主からの苦情が一件。

 冒険者組合からの問い合わせが一件。

 学院生の実家(貴族)からの問い合わせが多数。

 学院生の実家(平民)から連名での問い合わせが一部。

 

 このぐらいはまぁ、いい。


 サークリス公爵家からの問い合わせが一件。

 王宮からの問い合わせが一件。

 教皇庁からの問い合わせが一件。


 こっちは不味い。


 「まぁいい方」の対応は教員や事務員に任せられるとしても、「不味い方」の対応は魔術学院長であるヘレナが直々に対応せざるを得ない格がある。


 が。


 「やってられるかぁぁぁっ!!」


 学院長室に響き渡るヘレナの怒号。


 サークリス公爵家は「何があったの?」「うちの娘は大丈夫だったんだよね?」「でも何かあったらどうするつもりだったの?」「あとこのフィリップ何某は何者?」と訊いて来たが、ヘレナはそもそも現場にいたわけでもないし、万物を見通す目の持ち主でもない。第一、現場にはお宅の娘さんがいらっしゃったんですよね? その娘さんに直接お聞きしたらどうです? あと最強の聖人が死ぬような状況だったらヘレナが現場監督だったとしても死者が一人増えただけです。あとフィリップくんが何者かはヘレナが一番知りたい。


 王宮からは「えぇ~? また死人ですかぁ~? なんか不備とかあったんじゃないですかぁ~?」と訊かれたが、生徒を送るダンジョンは予め教員によって探索され厳密に難易度を設定し、クラスや定期考査の結果などを踏まえて確実にクリアできるよう振り分けた。勿論実戦だ。怪我をすることも死ぬこともあるし、それは仕方のないことだ。

 問題はルキアという最上級の魔術師が同伴しておきながら死者を出したという点にある。「ルキアを殺すつもりだったのか」という邪推が混じっているのだろう。


 「そんな! ワケ! ないでしょうがッ!」


 ヘレナは100年前の魔王大戦を生き延びた超ベテランの戦闘魔術師だ。対魔王とまでは言わずとも、対国家や対魔物において聖痕者がどれだけ有用で稀有な存在かを肌身で理解している。そんな経験があるのはヘレナくらいで、その彼女が同じ国の聖人を害するわけがない。


 公爵家からの手紙と王宮からの手紙を、他の手紙と一緒に纏め、魔術を行使して風化させる。残骸は開け放たれた窓から風に乗って流れていく。


 机上に残った手紙は一通。

 あらゆる公権力から隔絶したところにいるヘレナであっても無視できない、教皇庁からのもの。


 聖人であるヘレナに遠慮してか、文面が難解なほど迂遠な言い回しを多用しているのが逆に鬱陶しい。内容を要約すると──


 「サークリス聖下がダンジョンごと葬るしかなかったバケモノとかヤバくない? もしかして魔王が復活して、魔物が変異したとかですか? 最高の研究者であるマルケル聖下のご意見をお聞きしたいです」


 ──と言ったところか。


 ヘレナの返事はこうだ。

 「ヤバいよ」「知らん」「いや知らん」

 

 そもそも魔王が復活したかどうかは、教皇庁が真っ先に特定できるはずなのだ。ヘレナたち魔王征伐隊が100年前に死力を尽くして捕らえた魔王の預言者を、横から指令書一枚と引き換えにかっさらっていったこと、忘れたとは言わせない。魔王が復活したのならアイツが真っ先に「預言」とやらを伝えるはずだ。


 魔王が復活したとなれば世界が恐慌状態に陥ることも懸念されるから、秘匿するのは理に適っている。だがヘレナにまで「復活したか否か」を隠すのはやりすぎだ。


 ヘレナには百数十年積み重ねてきた知識があるが、それも研究対象であるはずのダンジョンが丸ごと消滅したとあれば活かしようがない。


 というか、そもそも。


 「現場にはお宅の秘蔵っ子がいたでしょうに……」


 フィリップ少年が何を目的として送り込まれたのかは分からない。もしかしたらヘレナが警戒すべきスパイかもしれないし、もしかしたらヘレナが守るべき単なる学徒かもしれない。


 もしスパイであるのなら、悪魔に遭遇したとはいえ王都の一角を吹っ飛ばすような目立つ真似はしなかっただろうし、『普通の魔術が使えない』なんてカバーを用意することも無いはずだが。

 むしろ、自分の力の一端を見せてまで王都の住民を守ったあたり、教皇庁関係者ではあるがただの善良な少年である可能性が高い。


 「まるで分からない……」


 魔王は復活したのか? 魔物の変異は起こっているのか? 教皇庁は何を考えている?

 分からない。分からないことは──未知は、詳らかにしてしまいたい。


 とはいえ。知識欲に溺れて良い場面ではない。取り敢えず早急にすべきことは──


 「夏休みの課題の確認かぁ……」


 教員の提出した、生徒たちに課す夏休み期間中の自主課題の草案。それが適切な質と量であるかを確認し、判を押す作業が待っていた。


──────────────────────────────────────

 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 シナリオ4 『ダンジョン攻略試験』 バッドエンド


 技能成長:【現代魔術】+1  【ナビゲート】+1d6

 SAN値回復:なし


 特記:同行者『リチャード』『シルヴィア』『ユリア』 死亡

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