第62話
目を庇い、咳き込んで口に入った砂塵を追い出しながら、必死に状況を探る。
フィリップの肩を使って呼吸器系を守っているらしいルキアの温もりは感じられるし、身体はどこも痛まない。崩落に巻き込まれることは避けられたらしいが。
土煙が晴れてくると、眼前には瓦礫の積み重なった壁があった。抜け穴どころか、向こう側で激しく鳴り響いているはずの戦闘音すら漏れ聞こえない。厚さもだが、迷宮の天井という材質のせいだろう。
「……くそ」
思わず、幼稚な罵倒が漏れる。
リチャードもシルヴィアも強いが、カリストはアイホートの雛によって強化されている。
二対一の勝敗はフィリップの戦術眼では見通せないが、フィリップが彼らと分断されたことによって、アイホートが介入してくる可能性が生まれてしまった。そうなれば、もはやリチャードとシルヴィアに勝ち目はない。
だが、ルキアの腕の中で後悔に浸るにはまだ早い。
アイホートが介入してくると決まったわけではないし、それより早くフィリップが合流すれば、アイホートも外神の介入を恐れて手出しを控えるはず。
ならば。
「迂回路を探しましょう。一刻も早く」
「……えぇ、分かったわ」
決意の滲む声色に圧されてか、ルキアが半ば呆然としたように呟く。
彼女の懐かしむような、眩しいものを見るように細められた双眸を見ていれば、「呆然と」ではなく「陶然と」と表現すべきなのは瞭然だ。
あの森でルキアに向けた決意の表情を、彼女はしっかりと記憶していた。
◇
リチャードは視界を遮る土煙を風属性を付与した剣で斬り払い、虚ろな顔のまま立ち尽くしているカリストを確認した。
視線を固定したまま、ほんの僅かに注意を背後へと向ける。
「アルカス様、ご無事ですか?」
「えぇ、何とか」
リチャードの斜め後方に位置取り、集中力を高めるように数度の深呼吸を繰り返すシルヴィア。
瓦礫が掠ったのか、その右腕からは微かに流血している。
「素晴らしい判断でした。カーターさんもサークリス様も、きっとご無事です」
「ありがとう。でも、手荒だったわ。あとで謝らないと」
「ははっ。きっと笑って許してくれますよ」
シルヴィアの軽口にリチャードも笑顔を浮かべ、剣に纏わせた風の刃を解く。
「そういう訳だ、カリスト。そこを通してくれるな?」
親し気な口調も、だらりと下げた剣も、脱力した態度も、リチャードの見せる全てから敵意が失せる。
カリストは虚ろな表情のまま、ゆっくりと片手を挙げ──4つの水刃を生成した。
「だよな! 何があったのか知らないが!」
連続ではなく全く同時に射出された水刃の宛先は、リチャードとシルヴィアで2つずつ。リチャードは火属性を付与した剣で斬り払い、シルヴィアは魔力障壁でそれを防ぐ。
「寄生されてるのか? それとも、お前はもう死んでいて、気色の悪い中身が死体を操っているのか?」
リチャードの問いに、カリストが答える気配は無い。
ただ装置のように規則的に、4つの水刃を繰り返し撃ち込んでくる。
かなりの速度だが、リチャードの技量であれば何とか斬り払えるし、シルヴィアの防御も間に合う。
どちらが先に魔力切れになるか。そんな泥仕合を想定して動くべきなのだろう。だが、その仮定に従うには、まだ一つ重要な検証が欠けている。
「死んだら恨んでくれていいぞ──ッ!」
姿勢を下げ、倒れ込むように踏み込む。
人間は相手の顔を基準に相手の位置と速度を測るが、この姿勢では顔がかなり前に出る。これが縦軸、距離を誤認させる。
滑るような歩法はその応用。蛇のように身体を左右に揺らすことで、横軸にズレがあるように錯覚させる。本当に左右に移動しているのか、或いはそう見えるだけなのかを見極めるのは極めて難しい。
『近付かれた』と思った相手が取る行動は大別して三つ。防御、回避、迎撃だ。その全てにおいて非常に重要な「間」──タイミングと距離を狂わせるのが、リチャードの使う歩法『拍奪』の神髄。
防御しようと構えた相手の「型」を見て、それに応じた攻撃を選択することができる。
回避しようと動いた相手に追いついてから攻撃することができる。
迎撃しようとした相手の攻撃を透かし、その隙を突くことができる。
カリストが選択したのは、後方への回避と水刃による迎撃。
水刃は当たらない。リチャードが回避するまでもなく、その位置を誤認させられたカリストは正確に照準できていない。
回避は早い。リチャードが剣を振りかぶったタイミングでの回避では、その分の距離を詰められて当たってしまう。
「はぁッ!!」
不要な力みを声を出すことで散らし、必要十分なだけの力を剣に込める。
正確な角度で立てられた刃が肉を切り裂き、カリストの頭部と胴体が分かれる。
しかし──いや、やはり、というべきか。
カリストの胴体から噴き出たのは赤い血潮と虎落笛の如き音ではなく、白い触手と不快な湿った音だった。
触手は蠢きながら伸び上がり、頭部を確保して引き戻す。ダメ元で触手も斬り付けてみたが、軟体のくせに刃が通らなかった。
バックステップで距離を取り、青白い顔のシルヴィアの元まで下がる。
「やっぱり、泥仕合どころか、戦闘にもなりませんね」
「……そうみたいね。あれ、なんなのかしら?」
リチャードとシルヴィアが苦笑を交わす。
戦闘とは即ち、殺し合いだ。
その関係性は、互いが互いを殺し得ることを前提に構築される。つまり、一方が不死身なら、それは殺し合いではなく一方的な殺しにしかならない。
リチャードとシルヴィアにできる抵抗は、もはや自らの死期を遠ざけるだけの時間稼ぎくらいだ。
だが。
「カーターさんとサークリス様がダンジョンを出るまで、あとどのくらいでしょうか?」
「迂回路次第だけど、ダンジョンの規模的に……そうね、一、二時間?」
「良かった。それくらいなら耐えられますね」
笑顔すら浮かべて言葉を交わす二人に、絶望の気配は無い。
耳障りな音を立てながら首の癒着を完了したカリストは、談笑する二人に虚ろな目を向けた。
「──死が、怖くないのか?」
その一挙手一投足に注意を払っていなければ聞き落としてしまいそうな声量の問いに、リチャードは軽く笑って応える。
「怖いさ。けど、それは死なない理由にはならないだろ?」
その意を量りかねたのか、カリストからの返答は無い。
リチャードは失望も露わに嘆息した。
「分からない──分からなくなってしまったのか? お前だって、自分の命を天秤に乗せられるだけの信条があったはずだが」
以前に、カリストはフィリップに決闘を申し込み、ルキアをすら敵に回した。その先に待つのが自分の死であると分かっていても、それを取り下げたりはせず、自らの信条に基づいた行動を貫き通した。
結果としてフィリップが力の一端を示し、死は免れたが、抱いていた覚悟や決意に揺らぎは無かったはずだ。
強さのみを判断基準とするのなら、敗北したカリストに価値は無い。だが、あの在り方は、リチャードや他のクラスメイトにもある種の羨望を抱かせるほど貫徹したものだった。
短絡的だったとは思うが、あの場の誰より貴族的で、忠誠心に篤かったのはカリストだった。
「お前は──」
吐き捨て、剣を構えたリチャードに代わり、カリストが口を開く。
気のせいでなければ、カリストの虚ろな瞳には僅かばかりの後悔が浮かんでいた。
「お前たちは、何を秤に乗せたんだ?」
リチャードとシルヴィアは顔を見合わせ、同時に答える。
「信仰だよ」
「信仰よ」
続きを促すように口を閉じたカリストに応じ、二人が順番に言葉を紡ぐ。
それは遺言のようでありながら、カリストに向けた説法のようでもあった。
「無様に逃げ出して死ぬのと、カーター猊下とサークリス聖下──神の寵愛を特に受けるお二人を助けて死ぬの。どちらが唯一神様の覚えがいいかと考えれば、自然な選択だろ?」
「サークリス聖下──ルキフェリア様なら、眼前の敵から逃げ出したり、仲間を見捨てたりしないわ。あの方はいつだって、美しい生き様を私たちに魅せてくださるもの」
「アルカス様、やっぱり聖人信仰派だったんですね」「やっぱりって何!?」「バレバレでしたよ。魔術とか」なんて笑い合う二人からは、本当に死への恐怖や絶望を感じられない。
それに羨望や嫉妬を抱くような人間性は、もはやカリストには残っていない。死は既にカリストの首元に刃を添え、それが離れ去ることは決してないと分かっていても。
「そうか。では、私の神とお前たちの神、どちらがより強大な「神」と称するに相応しい存在か──その身を以て知り尽くすといい」
憐れみを込めて、カリストが囁く。
その背中で乾いた音が弾け、湿ったものが蠕動する音が続く。
カリストが膝を突いて蹲る。
痛みか、あるいは衝撃が原因かは分からない。だが腕や首を切断されても表情一つ変えなかったあたり、きっと痛みなど感じないはずだ。
背中の肉が内側から破裂し、その傷口から湧いた触手が服を突き破ろうと蠢いているのが見える。その光景も、湿った蠕動音も、吐き気を催すほど気色が悪い。
ぶちぶちと、服以外のものも引きちぎりながら、無数の触手が飛び出す。
カリストの体内から出てきたはずだが、どう考えてもカリストの全身よりも触手の総体積が勝る。それらは複雑に絡み合い、やがてカリストの身長ほどもある一対の翼を形成した。
真っ白な翼を生やした姿は、きっと遠目には天使か何かに見えることだろう。
ずっと変わらない虚ろな表情を見て取れる距離まで近付けば、そんな高尚な存在でないことはすぐに分かるが。
「惨く死ね。矮小な神を信じる者よ」
触手で編まれた翼が広がる。ばさりという風を切る音よりも、湿った柔らかいもの同士がこすれ合う生物的な音の方が大きく、不愉快だ。
リチャードの身体が地面すれすれまで沈み込み、シルヴィアが雷の槍を生成する。
彼らは二人とも戦闘スタイルが攻撃に傾倒しており、受けに回るのは愚策になる。最も汎用的な防御手段である魔力障壁を含む、通常の魔術が苦手なリチャードは特にそうだ。
攪乱の歩法『拍奪』は、それを補う攻勢防御でもある。故に、リチャードは攻めかかるしかない。
「アルカス様、カバーをお願いします」
「任せて。それが中衛の役目だもの」
頼もしく言い切ったシルヴィアに、リチャードの口角が獰猛に吊り上がる。
「──心強い!」
不要な力みを叫んで散らし、動く。
滑るような一歩目、ずらす二歩目。カリストの放った水刃が想定通り、リチャードを透かすように通り過ぎる。三歩目は愚直に距離を詰め、四歩目でもう一度横軸をずらす。
「──ッ!!」
カリストが焦ったように翼を振り上げ、抉るように突き出してくる。リチャードの接近する速度が想定以上に早かった──いや、早く感じたのだろう。
翼型に織られた触手による刺突。その着弾点はリチャードの位置から一歩分斜め前だ。
だが──
「っと!」
リチャードが大きく後退する。
翼による攻撃は狙いこそ外れていたものの、攻撃範囲が水刃よりも広く、迂闊に攻められなかった。
翼を編み上げる触手の間に隙間を作り、翼の表面積を数倍に膨らませている。強度は落ちるだろうが、あの触手は刃を通さない以上、デメリットにはならない。
着弾地点の地面は大きく抉れており、人体に当たった場合の被害を容易に想像させる。
「正解だ……」
リチャードの動きを正確に予測できないのなら、大まかなアタリを付けるだけで当たるような攻撃をすればいい。
水刃の線攻撃が駄目なら、触手による面攻撃を選択する。相手によって最適な攻撃方法を選択し実行できる、優れた魔術師としては普通のことだ。
全く、羨ましい。
こちらは魔術剣以外に殆ど適性が無いというのに。
リチャードの羨望には構わず、カリストが両翼を引き絞る。
湿った音に混じり、筋繊維が軋むぎちぎちという音も届く。おそらく、正面から受け止めるどころか逸らすことも難しい重い攻撃が来る。
魔術師なら魔術で攻撃してこい、と言いたいところだが、今のカリストはもはや魔術師ではなく怪物だ。ならば、その乱雑ながら殺意に溢れた攻撃手段こそ相応しいというもの。
「アルカス様、お任せしても?」
「えぇ、勿論!」
限界まで引き絞られた翼が解き放たれる。
それはもはや触手で編まれた槍というより、視界を埋め尽くす真っ白な波と言った方が正確なほどだった。
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