第61話

 2班メンバーの凄惨な死体を直視してしまったユリアとシルヴィアは、フィリップが嘔吐した辺りまで戻って自分たちも吐いていた。


 二人とも魔術戦の経験はそれなりに豊富だ。

 人間を溶岩で溺れさせ、落雷によって炭化させたことも一度や二度ではない。馬車に轢かれて潰れた動物だって、何度か見たことがある。


 だが、縦に潰れた人間など初めて見るに決まっているだろう。人体の構造上、縦方向の力にはそれなりに強いはずだ。


 人体とは思えない潰れ方、人間とは思えない死に様に精神を揺さぶられ、傷付いた心が肉体とダメージの分散を試みる。結果、胃の収縮という形でそれは叶えられ、乙女にあるまじき醜態を隠す羽目になっていた。


 二人の精神は一頻り胃の内容物を吐き戻して満足したらしく、同じようなタイミングで水魔術を使い、口や顔を洗い始めた。

 身だしなみを整え、顔を見合わせて気まずそうに笑う。吐瀉物を火属性魔術で焼却したら、後始末は終わりだ。


 「やっぱり、皆さん慣れてましたね……」

 「ルメール卿とサークリス様は従軍経験がおありだしね。……でも、カーターさんの反応は不思議だったわね」


 ユリアは確かに、と頷く。


 フィリップは曲がり角を曲がる前──凄惨な死体を直視する以前に、漂ってくる臭気に耐えきれず嘔吐していた。にもかかわらず、死体に対しては殆ど無反応だった。臭い対策に口元を覆うだけで、死体を検分する様子は医者や神官にも劣らず落ち着いたもの。死体──それも残酷な死に様には慣れているのに、死体が発する臭いには慣れていない? 何とも不思議な状態だ。


 「やっぱり──」


 ぼそりと呟いたユリアに、シルヴィアが鋭い目を向ける。

 牽制の意を多分に含んだ視線に慌てて口を押さえると、シルヴィアは呆れたように笑った。


 「カーターさんはいち平民、ただのクラスメイト。不本意だけど、そう接しなきゃ」

 「そ、そうですよね!」


 誤魔化すように笑い合っていると、ふと足音が耳に入る。

 フィリップたちのいる深部側ではなく、今さっき進んできた入り口側からだ。


 すわ魔物かと魔術を照準した二人だが、伸ばした腕はすぐに下ろされる。


 「ライウス卿!?」

 「ご無事だったんですね!」


 それぞれの言葉で驚愕を表す。


 幽鬼のような足取りでゆっくりと近づいてくるのは、確かに二人の知るカリスト・フォン・ライウスだった。


 覚束ない足元、病的な色の肌、虚ろな双眸。全てだ。自分を除く班員が全滅し、しかもあんなにも惨たらしい死に様とあっては。


 「よかった。心配してたんですよ! 何があったのかーって──」


 安堵からかにっこりと笑顔を浮かべたユリアが一歩、カリストに歩み寄る。


 その一歩が足音を立てると同時、シルヴィアに猛烈な悪寒が襲い掛かる。

 害意。殺意。悪意。その全てに似て、そのどれとも違う不可視の圧力が向けられている。反射的に魔力障壁を展開できたのは、入学以前に実家で受けた魔術戦訓練の賜物だ。


 ぞぷ、と。そんな微かな音が障壁で弾け、少し遅れて横の壁からも同じ音がする。

 壁に据えられた燭台の光を反射し、きらきらと輝いて散る水の飛沫。水刃生成と射出──初歩的な攻撃魔術だが、知識にあるそれとは発生速度も弾速も桁違いだった。


 「ッ……」


 思わず、自分の喉元に手を当てる。

 攻撃は確実に魔力障壁によって防いだはずだが、生きている実感が薄い。どこも痛まないが──視界が、こうも赤くては。


 「ユリア、大丈夫?」


 視界の端、背の小さくなったユリアに問いかけるが、返事は無い。

 カリストが次弾を放つ気配が無いのを確認して、少しだけ視線を向ける。


 「ユリア……!?」


 首から血を吹き上げていたユリアの身体が、力を失ってゆっくりと斃れ伏せるところだった。


 「ユリア!?」


 シルヴィアの叫び声に反応したのか、或いはかなり後方の壁まで飛んでいったユリアの頭部に気付いたのか、背後──フィリップたちがこちらへ駆けてくる足音が聞こえる。


 ユリアの死体に駆け寄りたいのをぐっと堪え、大きく下がる。

 シルヴィアの前にリチャードが立ち、隣にはフィリップが並ぶ。背中にはルキアがおり、そこに並ぶはずだったユリアはいない。


 「カリスト。これは、お前がやったのか……?」


 震え声のリチャードの問いに、カリストは答えない。

 答えるだけの自我が残っていないのだが、それに真っ先に思い至り警告すべき立場のフィリップは「まだ間に合うかな……?」と希望的観測などしている。


 人一人殺している時点でどう考えても間に合わないのだが、その人一人の命の価値を軽く捉えているがゆえの甘い考えだ。


 「ぅ……ぁ……」


 言葉というより唸り声に近い音を出し、ふらりと幽鬼のような足取りで一歩、リチャードの方へと踏み出した。


 「待て、止まれ!」


 リチャードが抜刀し、切っ先を突き付ける。

 その警戒に反応してか、カリストの身体はぴたりと静止した。


 蒼白な顔でリチャードを見つめ、か細い声で「ルメール……?」と呟く。それは友人に剣を向けられたことへの悲哀や絶望にも見えたが、リチャードの剣に震えは無い。


 「カリスト。両手を頭の後ろに組んで伏せるんだ。今すぐに」


 魔術師を無力化するには心許ない指示だが、今は魔力制限具など持ち合わせていない。せめて目視による魔術照準を阻害すると考えれば妥当なところだ。

 

 「ルメール……サークリス様……」


 虚ろな目がフィリップたちを順番になぞる。

 やがて視線はフィリップの「いけるか……? いや、無理か……?」という視線と合い。


 「外神の尖兵……フィリップ・カーター……!」


 という叫びと共に膨れ上がった敵意で答えを示した。


 「下がって!」


 リチャードが叫び、自身もバックステップでカリストから距離を取る。

 なんの攻撃準備動作もしていないにもかかわらず、カリストの周囲には4つの水刃が浮かんでいた。


 「《エンチャント・フレイム》ッ!」


 リチャードは炎を纏わせた剣を駆使し、飛来する水刃全てを斬り払い蒸発させる。


 水刃は4つでフィリップたちも4人だが、狙いは全てフィリップの頸に集中していた。

 それを看破し、リチャードが叫ぶ。


 「逃げてください、カーターさん! 狙われています!」


 まぁそうだろうな、と思いつつ、フィリップは深々と溜息を吐いた。


 カリストはいまフィリップに向かって「外神の尖兵」と言った。外なる神の存在を知らず、唯一神がこの世に存在するただ一柱の神であると信じる彼らからは、ふつう飛んでこない言葉だ。

 それに、フィリップを知る外神にしてみれば、フィリップは最大神格の寵愛を受けるだけのただのヒト。尖兵にしようなどという考えも浮かばない矮小な存在だし、そもそも彼らはこんな辺境の小さな星を侵略しようとは考えない。


 つまり、カリストにそんな考えを吹き込んだのは、地球の尺度で物を考える旧神か旧支配者。

 その他もろもろの要素を加味して、まず間違いなくアイホートの雛を植え付けられている。


 アイホートが直接敵対すれば即座にヨグ=ソトースかシュブ=ニグラス、或いはナイアーラトテップが介入してくるだろう。

 フィリップにアイホートの知識を与えたということは、彼らはそれをフィリップにとっての脅威であると正確に認識しているということだ。このレベルでようやくか、と文句を付けたいところではあるが。


 さておき、アイホートはおそらく、それを知っているか警戒している。少なくともフィリップの背後に外神が存在することは気付いているのだろう。だから、フィリップに隔意を持った人間に雛を植え付けるなんて遠回りな方法で、フィリップを排除しようとしている。


 ということは、つまり。

 今のカリストは『外神の尖兵』を相手取ることを想定した量の雛を仕込まれている可能性が高い。


 なら、下がったり降伏勧告したりしている余裕はない。


 「《深淵の息ブレス・オブ・ザ・ディープ》!」


 最速で無力化し、最速で王都へ戻り、マザーかナイ神父に診せれば、或いは。

 

 何の前触れもなく、そして一切の躊躇なく殺傷性の高い魔術を行使した──フィリップの手札の中ではいちばん穏当な魔術なのだが──フィリップに驚きつつ、リチャードも剣を構える。

 動きの無いまま数秒が経ち──口の端から海水を零しながら、カリストが水刃を生成した。


 「馬鹿な、呼吸を──ッ!!」


 言い終える前に水刃が射出されるが、リチャードはそれを難なく斬り払う。


 呼吸不能どころか既に完全溺水状態のはずだが、苦悶の表情すら見受けられない。


 「《サンダー・スピア》!」


 驚愕のあまり硬直してしまったフィリップと、防御に回ったリチャードの隙を埋めるように、シルヴィアの攻撃魔術が飛ぶ。

 無詠唱でもないのに指を弾いており、ルキアが何とも言えない顔を向けていた。


 生成された雷の槍は4つ。

 両腕と両足を狙ってはいるが、4つも当たれば普通に心臓が止まるレベルの電流量だろう。


 落雷ではなく生成した雷の射出なため、速度は魔術の練度に依存する。使い込んでいるだけあって目視は困難な速度だが、カリストも一級の才を持つ魔術師だ。魔力障壁を生成し、全て防ぎ切る。


 「クソ! 恨め、カリスト!」


 リチャードが障壁の側面へと回り込み、剣を振るう。動きは見えているだろうが、地面を這うような歩法が速度と距離を誤認させる。防御は間に合わない。

 剣の鋭さ、リチャードの技量、付与された魔術全てが高度なものだからか、その斬撃はほとんど無音だった。

 

 カリストの右腕が宙を舞う。

 痛みを感じていないのか、顔は虚ろだ。血を吹き出すはずの肩口が静かなことに無意識に違和感を覚え、皆の視線が集まる。刹那──血でも肉でも骨でもない、真っ白な触手が無数に飛び出した。


 「ッ!?」


 リチャードが大きく後退し、フィリップたちの元まで戻る。


 肩から伸びた触手は空中で腕に絡みつくと、そのまま腕を引き戻し、聞くに堪えない不快な音を立てながら癒着させた。

 カリストは虚ろな顔のまま、右腕が独立したように蠕動する。まるで調子を確かめているかのような動作だが、その可動範囲と動きは人間のそれではない。


 くっついたばかりの腕を照準補助に使い、お返しとばかり、カリストが水刃を生成する。

 それは今までのものとは違い、4つを1つに纏めたような大きな一振りだった。


 「クソ!」


 リチャードは咄嗟に斬り払って蒸発させられるサイズではないと判断し、それを剣身に滑らせて逸らして凌いだ。


 フィリップが思わず声を漏らすほどの技巧だが、逸らした先が不味かった。


 手癖のままに上方へ逸らした水刃は天井を深々と切り裂き──みしり、と、嫌な音が響く。


 「ッ! サークリス様っ!」


 シルヴィアがルキアを呼び、突き飛ばす。


 思わぬ衝撃に何の抵抗もできず、シルヴィアの意図を正確に汲んで動いていたルキアに抱き留められる。


 その眼前で天井が崩落し、視界は立ち込める土煙で遮られた。


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