第60話

 予定より一日遅れてダンジョンに到着したフィリップたちは、その近くに停められた馬車を見て思い思いの表情を浮かべた。

 ルキアが苛立ちと不快感を露わにしているのに、フィリップが無関心なのが対照的だ。


 別に、カリストたちに先着されたところで問題にはならない。試験は「制限期間内で最奥部に到達できたか否か」を問うもの。異なるグループが同じ目的地だったとしても、先着順で点数が決まったりはしない。

 グループ同士で被りがあった場合は、互いに協力したり利用したりしてもいいと学校側から通達されている。ちなみに妨害行為は禁止だ。


 「先客がいるみたいですけど、僕たちは僕たちのペースで、落ち着いて行きましょう」


 リチャードが落ち着いた声でそう言うが、ルキアの纏う剣呑な空気は晴れない。

 

 二着だったことが許せない、というより、カリストの存在に我慢ならないらしい。

 ルキアが最初に馬車に気付いていたらまず馬車を消し去り、その後ダンジョンも同じく極太の光線に穿たれて消滅していた──まさかそんなことはしないだろうが、そう思わせるだけの迫力はあった。


 「先に攻略してる班がいるなら、僕らは楽に進めそうですね」


 フィリップが冗談めかしてそう言うと、空気を変えようという意図は伝わったのか、ルキアが細く長く息を吐く。流石は最高位魔術師の精神力と言うべきか、その一動作だけで苛立ちを払ったらしい。

 フィリップに向けた笑顔に曇りは無く、先ほどまでのひりついた空気が嘘のようだ。


 「そうね。でも、ちゃんと警戒しながら進むのよ? はぐれたり転んだりしないようにね」

 「あはは、気を付けます」


 いくら領域外魔術が消費魔力の少ない魔術体系だといっても、フィリップの魔力量は一般人のそれ──純魔術師とは比較にならないほど少ない。1人で戦えばそう遠くないうちに魔力が枯渇し、ただの貧弱な子供になる。まぁ死ぬか死なないかで言えば、確実に死なない。フィリップは、という但し書きは付くが。


 緊張と弛緩のバランスが取れた所で、ダンジョンに踏み込む。

 迷宮型ダンジョンの例に漏れず、魔物や罠ではなくその構造自体が一番の障害だと思われるが、果たして。



 一時間ほどダンジョンを彷徨い歩いていると、3つほどの機械式罠にかかった。といっても、実害が出る前にルキアとシルヴィアによって適切に対処されたし、魔術式罠に至ってはルキアが支配し、魔物に対して逆用していたくらいだ。

 設置型魔術はこういうことになるのよ、とは、ユリアに向けた言である。


 魔物は大半が先客によって掃討されており、彼らが通らなかったと思しき道の魔物もゴブリンやスケルトンといった雑魚ばかり。

 『萎縮』も『深淵の息』も通じないスケルトンは強敵だったが、それはフィリップ対策が万全というだけで、魔物として弱いことに変わりはない。ルキアが出るまでもなく、普通にリチャードが切り伏せた。


 いやースケルトンは強敵でしたね! などと冗談を飛ばしつつ、着々と進む。

 残念ながらウケなかったのは、その分ゴブリンが見るも無惨な死を遂げたからだろうか。


 休憩も挟みつつ、かなりのハイペースで迷宮を踏破していく。罠も魔物も大した障害では無かったし、その余裕は迷路の攻略に大きく貢献した。

 このペースなら今日中に最奥部に到達できそうだし、そもそも試験を課した学校側も、ダンジョン内で夜を明かすことは想定していないはずだ。


 同調されたり諫められたりしつつ、迷宮を進む。快調に踏破したかと思えば行き止まりで、大幅に道を戻ったりしなければいけないのも、ここまで余裕があればスパイス程度だ。飽きなくてちょうどいい。


 そんな弛緩した空気を漂わせたまま、フィリップたちはに到着した。


 そこに広がる異常は、曲がり角を曲がる前からフィリップたちに伝わっていた。

 漂ってくるのは鉄と、内臓と、糞尿と、肉の腐った匂いの混じり合った悪臭だ。目に入らずとも何があるのか、おおよその見当が付く。


 「ぉぇ……」


 堪えきれず、フィリップが嘔吐する。


 人間どうぞくの死体に感じる恐怖──捕食者の存在に怯える心も、社会性動物として仲間の死に覚えるべき無念も、何も無い。首を切られた死体から噴き上がる血液を見ても「汚いなぁ」くらいの感想だし、ぐちゃぐちゃに潰れた悪魔の死骸を見た時だって「気持ち悪いなぁ」としか思わなかった。


 だが、それは別に悪臭に対して耐性をくれる要素ではない。臭いものは臭いのだ。


 「魔物の死骸……では、ないでしょうね」


 フィリップの背中を擦り、自身も顔を顰めながら、リチャードがそう断定する。


 普通、魔物は落命から数分で身体が消滅する。稀に身体の一部が残留することもあるが、普通は全身だ。それには当然、切断された部位や流れ出した血液も含まれる。

 つまり、こんな風に悪臭を垂れ流すことはあり得ないのだ。


 「様子を見てきます。カーターさんを……」

 「私が診ておくわ」


 反射的に胃が痙攣するような悪臭の源に、リチャードは服で口元を抑えただけの簡易的な防護で突っ込んでいく。

 戦闘経験の差なのだろうが、よくやるものだと感心すら覚える。


 ルキアに支えられ、水を貰って口を濯ぐ。

 発作的な嘔吐だったからか、こみ上げてくるものはもうない。


 リチャードはすぐに戻ってきたが、その顔は蒼白だった。


 「2班の奴らでした。……その、かなり不可解な死に様です」


 不可解な、とは、珍しい言い方だ。

 凄惨な、とか、残酷な、なら聞き覚えもあるのだが。


 不思議そうなフィリップに「持ち直しが早いですね」と苦笑の成分が多い心配を向けてから、リチャードは死骸の状況を端的に説明した。


 「崩落も無く圧死、ですか……」


 妙に覚えのあるワードに

 この精強なパーティにいて、こんなにも簡単なダンジョンで、副王の庇護を受けるフィリップが、だ。


 不味い。

 これは、非常に、不味い。


 皆に動かないよう伝え、曲がり角の先を目指す。

 警鐘を鳴らす智慧を無視して、その先の道にふらふらと歩を進める。慌てて班員が付いてくる足音を聞きながら、またか、と、薄く溜息を吐いた。


 まただ。また、フィリップには枷が付いている。


 このクソみたいな現状を打破したければ、さっさとダンジョンを飛び出して焼き払えばいい。クトゥグアの火力であれば、ほんの数秒の顕現で事を終えられる。幸いにして町からは遠く、通行人も限りなく少ない立地だ。他人を巻き込む心配は無い。


 だが、それにはルキアたちが邪魔だ。

 彼女たちの精神と肉体を傷付けずに、なんて繊細なオーダーは宛てるだけ無駄。外神には大きく劣る旧支配者にとってすら、人間への気遣いなど望むべくもない。


 「カーターさん、これを……」


 一人だけ、圧死ではなく首を切られて死んでいる骸がある。

 それもまた「不可解な」と評される所以なのだろう。


 「……一人、足りませんね」


 漂う臭気から嗅覚を守るため押さえた口元から、くぐもった声で会話するフィリップとリチャード。

 

 天井が落ちてきたような痕跡──罠の気配はない。崩落の跡もだ。

 扉すらないのっぺりした壁には、押し潰される際に噴き出した内容物が飛散している。大質量の襲撃があったことは間違いないが、襲撃者の痕跡は無い。


 そして。


 「ライウス様の死体がありません。まだ生きているはずです」


 負傷している可能性は高いが、この惨状では痕跡は判別できない。そこらじゅうに血と肉と内臓が、人のパーツが転がっている。


 ユリアとシルヴィアが口元を押さえて見えない場所まで駆けていき、ルキアですら顔を蒼白にするような惨状だ。

 ルキアにこの手のスプラッタ耐性が無いのはあの森で知っていたが、クリーンな殺し方──塩の柱に変えるか、跡形も残さないか──を常用してきたからだろうか。


 「何があったのか、早急に聞き出す必要があります。内容によってはこのダンジョンを熱消毒することになりますが……」

 「そ、それは、どういう──?」

 

 あらゆる迷宮に自身の居城を連結する「扉」を生成する権能を持つ旧支配者、アイホート。

 もしもアレが介入してきたのなら、この場を早急に離れる必要がある。


 だが、それが正解なのかどうか、対邪神の専門家ではないフィリップには判断が付かないのだ。


 カリストを探し出し、アイホートの介入を確定させたうえで後腐れなくダンジョンを破壊するべきなのか。或いは、このダンジョンは既にアイホートに汚染されていると仮定して焼却すべきなのか。

 どの道、アイホートはこの場にはいないだろう。あれの本拠地はもっと大きな迷宮で、こんな片田舎の弱小ダンジョンではない。「扉」が繋がったか、アンテナの立った人間がいたか。そのどちらかだ。


 あれ自体の害悪性はそこまで高くない。強いことは強いが、正面戦闘であればクトゥグアに軍配が上がる。地球に棲み付いている時点で格が知れると言うものだが、アイホートはそれ本体より雛の方が厄介だ。


 雛を植え付けられた生物は、アイホートの意を汲んで動く下僕となる。その対価として、これまでとは比較にならない力を得られるのだ。それは物理的な腕力などもそうだし、魔力や再生力といったものも含まれる。生物として一つ上のステージに登ることができるのだ。


 そして──雛が十分に成長した時点で、は用済みとなる。


 体内を食い荒らして成長した雛は、宿主の全身を突き破って体外へ巣立つ。当然、全身を内側から食い破られた宿主は命を落とすことになる。


 雛の排除はあらゆる外科的・内科的医療では叶わず、治療系魔術でも不可能。

 唯一の対抗手段はそれ専用の領域外魔術『アイホートの雛の追放』。ちなみに、フィリップは未修得だ。


 だからこそ、不味い。


 アイホートが雛を植え付けるのに、その場にいる必要は無い。今この瞬間にも「扉」が繋がり、アイホートがテレパシーを介して接触してくるかもしれないのだ。

 フィリップはまぁ、大丈夫だろう。そんな遅効毒じみたモノを良性要素として素通りさせるほど、我らが副王は愚かではない。

 

 だが。ルキアやリチャードは別だ。

 彼らはただの人間であり、アイホートやその雛にとっては価値の高い、良質な魔力エサの詰まった相手だ。目を付けられる可能性は十分にあるし、フィリップでは対処できない。


 もちろん、王都まで戻ればマザーやナイ神父が処置してくれるだろう。だがそこまで肉体が持つかどうかが問題となる。

 良質な餌は良質な成長を齎す。少し考えれば分かることだ。一般人には数週間の猶予があるかもしれないが、最高級の魔術師では数日かもしれない。


 やはり、最優先はルキアたちをダンジョン外に出すことだろう。


 「ここを出ましょう。……筆記試験を落とした人は?」


 ひりつき始めた空気と、自分の中にある焦りを誤魔化すため、冗談を飛ばす。

 リチャードが苦笑して肩を竦め、ルキアは眩しそうに目を細めて、フィリップに応える。


 「大丈夫です。行きましょう」

 「えぇ、分かったわ。 ……筆記試験52点のフィリップ」

 「ちょっと、やめてくださいよ」

 

 ルキアの揶揄にフィリップがすかさず突っ込む。リチャードが微妙な顔で「僕は47点でした……」と呟いた。平均点は40点強、赤点は25点なので、二人とも普通にパスだ。

 ちなみにルキアは当然のように100点だった。彼女と一緒に、しかも教わりながらテスト勉強をしたはずなのだが。


 まぁ、空気はいい感じに弛緩した。このまま何事もなく出られればいいのだが、と。ぐちゃぐちゃの死体を見て離れた──話し声の届かない場所まで行った理由は察せられる──シルヴィアとユリアを迎えに行こうと歩き出し。


 ユリアたちがいるはずの交差路から猛烈な勢いで飛んできた「何か」が、湿った音を立てて眼前の壁に激突する。


 「うわっ!? びっくりした……」


 思わず身体を強張らせたフィリップの前にリチャードが飛び出し、剣を構える。


 「こ、れは……!?」


 愕然と漏らしたリチャードに釣られ、飛来した物体を見る。


 壁面に赤い液体を残し、地面に落ちて湿った音を再度響かせるそれ。


 「ユリア!?」


 交差した道、ユリアとシルヴィアがいるはずの道から、シルヴィアの叫び声が聞こえる。


 フィリップたちの眼前で、驚愕と恐怖の表情を浮かべたユリアの頭部がごろりと転がった。


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