第59話
当初の予定では、カリストはフィリップたちと同日か一日遅れでダンジョンに到着するはずだった。
カリストが遠慮したとかそういう話ではなく、彼の班員が用意した荷物の量と馬の疲労を考えた結果、そういう旅程になっただけだ。
しかし、目的地のダンジョンに着いた彼らの前に、フィリップたちの馬車は無かった。
ダンジョン内部に馬車を乗り入れたとは考えにくいし、まだ到着していないと考えるのが普通だろう。何かのトラブルで到着が遅れている、と考えるべきだ。
「やりましたね、ライウス様。俺たちが一番乗りです」
「そうだな。だが、1班は精鋭揃いだ。私たちの攻略速度次第では追い抜かれる。気を引き締めて行くぞ」
無邪気に喜ぶ班員に同調したい気持ちをこらえ、ゆるく諫める。
彼は確かに、と頷き、気持ちを切り替えるようにぺちぺちと自分の頬を叩いた。
我々Aクラス2班は、贔屓目無しに見てもかなり強い。
だが、1班はまさに隔絶した強さを誇っている。
世界最強の魔術師であるサークリス様、教皇庁の秘匿部隊『使徒』の一員と思しきカーター氏。
若干15歳にして近衛騎士団長を唸らせるほどの剣技を誇るルメール。サークリス様への憧れを原動力に魔術を研鑽してきたアルカス様。幼少期に見た火山への思い入れだけで一系統の魔術を半ば極めたという変人ベルト。
班員同士が正面から殺し合えば、確実にこちらが負ける。それは隔絶した強さの二人を除いて、5対3にしても同じだ。
それだけの差があるということは、当然、ダンジョン攻略の速度も大きく負けているということになる。同時にスタートすれば大差で負け、数時間程度のリードも簡単に詰められるだろう。彼らの遅れがどれほどのものか分からない以上、あまりのんびりもしていられない。
「馬は繋いだか? 餌の用意は? 荷物は持ったな?」
「えぇ、万全です!」
「いつでも行けます!」
班員たちは士気も高く、実力も申し分ない。
彼ら彼女らとであれば、と思わせてくれる。
「よし、攻略開始だ!」
出発時の勢いのままに、快調にダンジョンを踏破していく。
カリストやフィリップたちの攻略目標とされたのが迷宮型のダンジョンということもあり、最深部への進行速度はそう早いわけではない。
だが、出現する魔物は班員たちの連携、そして個人の高い実力によって難なく撃破されていく。
全員が純魔術師ということもあり、機械式の罠を発見する力は低い。だが魔術式の罠には絶対に引っかからずに進めているし、機械式罠も魔術によってどうとでも対処できた。
矢が飛んでくれば魔力障壁や風魔術で生成した乱気流の壁によって防ぎ、火炎放射は届く前に水魔術によって消し止め、落とし穴はその上に分厚い氷の床を張って凌いだ。
正解のルートが分かっていれば、半日ほどでゴールできるレベルだろう。
王都からはかなり離れた場所にあるダンジョンということもあり、不安もあったが、これくらいなら問題なくクリアできるだろう。
そして、カリストたちが順調に攻略できるということは、フィリップたちに大きくリードするということでもある。
フィリップたち1班が全く詰まらずにゴールできる強さを持っていたとしても、カリストたち2班も全く詰まらない難易度のダンジョンであれば、先に攻略を開始した2班が勝つのは自明の理だ。
「あとは、この迷路をクリアするだけだ」
「はい。だいぶ順調ですね!」
罠にも魔物にも脅かされず、絶好調と言った風情の班員たちが笑う。
だが、この迷路は本当に厄介だ。
カリストたちが同時に全力で魔術を撃ち込んでも破壊できない強度の壁は、4メートルほどの高さの天井までしっかりと繋がっている。
ショートカットも俯瞰しての正解探しも不可能。左手の法則が使えるかどうかも不明。こつこつマッピングしていくしかない。
「おっと、分岐点だ。視界内敵影無し、罠の気配無し。えーっと、前回の曲がり角から……何歩でした?」
「120歩、12マスだな」
「ありがとうございます。……よし、と」
方眼紙に辿ってきたルートを書き込んだ班員が、次はどうするのかとカリストに目線を向ける。
十字に交差した通路はどの方向も同じに見える。何も手がかりが無ければ手あたり次第になるところだが、ここまでの足跡を記してきた地図がある。どちらが最深部に近く、どちらが外縁に向かうかくらいは判別できる。
尤も最深部に向いているからといって、行き止まりでないとは限らない。順番選びの指標くらいにしかならないが。
「こっちから行こう」
既に何度も、行っては戻りマップに記しという作業を繰り返している面々だ。
「こっちがゴールか!」という浅はかな期待は無く、しかしモチベーションは高い。
「了解です!」
意気揚々と歩を進めること十数分。行き止まりには突き当らず、こちらが正解だったのでは? と弛緩した空気が流れ始めた頃。カリストの足がぴたりと止まる。
ちょうど中列にいたカリストが止まれば、後ろは近く、前は少し遠くで同じように止まる。
「っと、どうしました?」
カリストにぶつかりそうになっていた班員が踏鞴を踏みつつ、軽く問いかける。
魔術罠の気配もなく、機械式罠の作動した様子もない。敵影があれば前衛が既に動いているだろうし、それも違う。
「あ、あぁ、いや……」
カリスト自身、足を止めた理由は判然としない。
だが、足は根が生えたように進もうとせず、背筋に氷の柱を突っ込まれたような悪寒と身体の震えを覚えていた。
息が出来ない。肺に海水が満ちている様子もなく、ただ単に、恐怖から来る呼吸困難に陥っている。
「あ、あれは、何だと思う?」
「え? 何って、小部屋でしょう? これまでにも何個かあったじゃないですか」
今度はお宝部屋か、はたまたモンスタールームか。そんな会話をしながら扉へ向かう班員たちを止めようと手を伸ばす。いや、伸ばしたつもりで、声を張ったつもりだった。
だが、過呼吸気味の浅く速い呼気を連続して吐き出しながら、手をだらりと下げたまま微かに震えていることしかできない。
迷宮型ダンジョンに自然生成される『扉』は、これまでにも何個かあった。その度に中を確認し、ゴミ同然の物が入った宝箱や、指の一弾きで壊滅させられる雑魚魔物の集団に苦笑してきた。
彼らが無警戒になるのも分かる。カリストだって、この身体の内部から無数の針が突き出してくるような、強烈なトラウマの刺激が無ければそうしていた。
外観は同じだ。迷宮の扉と同じサイズ、同じ素材、同じ意匠。同じ扉だ。
だが、それは違う。
中からは微かにフィリップの気配が──より正確には、フィリップにかけられた、あの恐るべき『深淵の息』と同質の気配がする。
「ぇあ」
「──ッ!?!?」
肌の粟立つような湿った音を立て、扉に手をかけていた班員が縦に潰れた。
気の抜けた断末魔から痛みは感じられず、即死であったことは間違いない。
カリストを除く残った3人が全員飛び退き──いや、一人、立ち尽くしている者がいる。
「お、おい。どうし──うわぁッ!?」
手を伸ばした仲間の前で、立ち尽くしていた班員が潰れる。
飛び散った血と肉とを浴び、絡まった足で下がろうとした班員が転倒する。
そのまま数秒硬直して、彼も同じ末路を辿った。
「ら、ライウス様、逃げ──」
ただ一人残った仲間がカリストの腕を引く。それに応える余裕は無かった。
眼前の光景とは関係なく、苦痛の記憶に基づく硬直に陥っていたカリストに、さらなる静止が上書きされる。
それは魔術的なものかもしれないし、カリスト自身の本能によるものかもしれない。恐怖ではなく、畏怖──自身と接触を試みているモノに対し、全身が「畏れよ」と叫んでいる。
『君はどうする?』
そんな、端的な問いが聞こえた。
耳朶を打っているのか、或いは脳に直接響いているのか。それは分からない。
少年とも少女とも取れる幼く中性的な、しかし、とても優しそうな声色だった。カリストへの害意など一片も無く、敵意の一かけらも感じさせない、聞き心地のよい声だ。
『私の下僕になる? なるのなら、力をあげるよ?』
ぎょろり、赤い瞳に見透かされる。
気付けば景色はダンジョン内部とは全く違う、荘厳で広大な地下聖堂へ変わっている。
幻覚、なのだろう。
足元はくたびれた絨毯のように見えるが、足から伝わる感触は先ほどと同じ硬い地面だ。吊るされた燭台に蝋燭は無く、しかし、青白い炎が灯っている。
「────」
声が出ない。
いや、出なくて良かった。もし出たとしても、意味のある言語ではなく単なる悲鳴だっただろうから。
カリストのほんの10メートル前に、それはいた。
水死体のように膨れた青白い巨躯と、それを支えるにはあまりに頼りない短い多脚。身体中に備わった無数の赤い眼球。
この世界に存在するどんな生物とも似つかないが、強いて挙げるのなら、その外見はヒドネラムと呼ばれるキノコに近い。集合体恐怖症の人間であれば見ただけで卒倒し、そうでなくとも気分を害するものだ。
知らず、神を罵倒する。
おお、神よ。どうしてこのように悍ましく、見るに堪えないモノをお創りになったのか。
『はは、さっきのヒトと同じ反応だね。……それで、どうする? 私に傅いて力を得る? それとも、君も潰れる?』
静かで、穏やかな問いだ。
有無を言わさぬ圧力も、言葉から想起される殺意も感じない。
本当に、カリストの答えなどどうでもいいし、ただ答えに応じた対応をするだけのことなのだろう。
考える。
眼前のソレが何であれ、善きモノではないだろう。そんな存在の下僕になど、誰が願ってなるものか。
だが──
『力が欲しいんだね? しかも──君は彼の敵なんだ? あぁ、私はすごく幸運だよ』
カリストの心底にある思いは、声に出すまでもなく汲み取られた。
『いいね、いいよ、いいだろう。力をあげる。その代わり──あの鬱陶しい外なる神の……なんだっけ? 寵児だか尖兵だか知らないけどさ、殺してきてよ』
どくん、と。腹の底で、自分ではない何かが拍動する。
快不快の範疇などとうに超えた、今すぐ腹を捌き内臓全てを引きずり出してもまだ心地よいと思えるような、いっそ感動的な異物感がある。
自分ではない何か。自分を蝕む何か。この世に在ってはいけない何かが、自分の内を這い回っている。
『もう行くといい。全く、無貌の君に目を付けられておいて、この私の下僕になれるなんて。君は本当に幸運だね?』
幼子に向けるような冷笑を最後に残し、その幻影は消え去った。
荘厳な地下聖堂は無味乾燥な迷宮に、くたびれたカーペットは潰れた班員の血と肉片に戻る。
優しさすら湛えた声は消え、カリストを呼び続ける仲間の声が戻る。
外界全ての連続性が断たれたことに酔いそうになる。だが、あれは幻覚ではない。
眼前に散らばった死骸と、腹の底で脈打つ異物がその証明だ。
「ライウス様? 顔色が……」
顔だけでなく全身の血色が悪いことは、自分の腕を見ればすぐに分かった。
肌は蒼白で、透けそうなほど病的な色だ。
血の気が失せ、代わりに血ではない何かを流し込まれたような色。アルビノや貧血では有り得ない、異常を表す色だ。
カリスト自身ですら、我が事ながら気味が悪いと顔を顰めるようなもの。班員が一歩、二歩と後退るのも無理はない。
その動きに反応して、カリストは片腕を振り──水の刃を形成する魔術を行使し、最後の班員の頸を刎ねた。
驚愕に目を見開いた顔が地面に落ち、湿った音と鈍い音が混じった、何とも不快な音を立てる。
何で殺したのだろう、と。カリストは倒れ伏す身体と噴き上がる血液を無感動に見つめながら、空転する頭で考える。
彼が憎かったわけでもなく、殺さなければならないという強迫観念があったわけでもない。ただ、そうするのが普通だと思ったから──いや、それも違う。人間が呼吸するのは普通だが、『そうするのが普通だから』呼吸をする者はいない。
それと同じ。カリストはただ、普通に殺した。殺そうと意識するまでもなく、人間が息を吸って吐き、飯を食い水を飲むように、普通に殺した。
これまで通りの自我、これまで通りの価値観など消え失せ、主より定められた使命だけが身体を動かす操り人形。
思考し肉体を動かしているのが、この主体が、雛の寄生したカリストなのか、カリストの肉に棲んでいる雛なのか。それすら判然としない。
「フィリップ・カーター……」
零した血涙は確かに赤く。しかし、それが信じられないほどの顔色のまま、カリストの身体はふらりふらりと迷宮を彷徨い始めた。
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