第58話

 半月の淡い光が静かに照らす、夜の帳に覆われた平原。

 乱立する塩の柱は月光を反射して微かに輝き、遠くに揺らぐ焚火が温かな光を灯している。


 『粛清の光』の対象外だった死体を焼却する溶岩の赤々とした光が、それらの静かな光景を台無しにしていた。


 「ねぇ、ユリア。この『ラーヴァ・スポット』といい、さっきの『ヴォルカニック・マイン』といい、設置型魔術に拘りでもあるの?」

 「いえ、特には。でも、溶岩……というか、火山には憧れがあるんです! 子供の頃にですね──」


 賑やかに会話を弾ませている女性陣に、黙々と、しかし不愉快そうに剣に付着した血脂を拭っているリチャード。

 どうやらルキアだけでなく全員が実戦経験者らしく、明確な殺人行為に後悔や恐怖を抱いている者はいない。まぁ居たとしても、フィリップにカウンセリングの技能は無いのだが。


 「……さて、馬車を検めましょうか」

 「あ、そうですね」


 汚れの残りカスを『エンチャント・フレイム』で焼き払ったリチャードが面倒そうに言う。

 彼らは十中八九この辺りを縄張りとする盗賊なのだろうが、もしかしたらその財産が馬車に積まれているかもしれない。盗賊のモノは討伐者のモノ(法指定危険物等を除く)というのは常識だが、誰も金には困っていないし、何より馬車十台分もの大荷物を抱えていては旅程に差し障る。


 よほどのモノだけは回収して、残りは近所の町の衛兵にでも言いつけて放置しておけば、この辺りを管轄する領主が勝手に回収して勝手にサークリス家に貢いでくれるだろう──というのが、ルキアを含む貴族組の意見だったのだが。


 「これは、ちょっと放置しかねるというか……」

 「そうですね。奴隷……ですか」


 残念ながら、彼らは盗賊ではなく奴隷商だった。

 その財産は当然、奴隷──つまり、生きた人間である。


 馬車あたり一個の檻に一人の奴隷が入れられ、手枷と檻は鎖で繋がっている。


 そこらで拉致してきました、という風情ではない。

 既に体には鞭で打たれた傷跡が幾条にも刻まれ、首には奴隷であることを示す首輪が嵌っている。その目には生気が無く、困り顔で顔を見合わせるフィリップたちを見るや、即座に土下座の姿勢になった。


 助けに感謝する、という意味ではない。

 自分が商品で相手が客だと教え込まれ、決して口を開かず身じろぎもせず、ただ躾け通りの姿勢になっただけのこと。


 それを見て、リチャードの表情が怒りと悲哀に歪む。


 「ここで解放しても、多分……」


 野垂れ死にすることになる。積極的に死のうとするだけの人格さえ残っていないと思わせるような、目を覆いたくなるほどの損耗具合だ。

 この世の全てがどうでもよくなった、あるがままを受け入れる──流れに抗うだけの気力も失せた、ただ生きているだけの死体。それが10


 「どうします? これ」


 フィリップが「まぁ順当に近くの町まで持っていくよね?」というニュアンスで尋ねるが、フィリップよりも王国法に詳しいルキアとリチャードは答えかねる。


 帝国とは違い、王国に奴隷制は無い。

 つまり。法律上彼らを奴隷として扱うことは出来ないのだ。その扱いは拉致被害者でも不法入国者でも何でもいいが、少なくとも関係各所への報告義務が生じる。


 この辺りを管轄する領主を調べるのは面倒だし、宮廷に報告する──王都まで戻るのはもっと面倒だ。

 とはいえ見なかったことにするのは心が痛むし、どうしようか。


 そんな旨の悩みをルキアとリチャードに共有され、フィリップも共に頭を悩ませる。

 フィリップの頭に浮かんだ「全員殺せばいいのでは?」という最速の解決策は、浮かんだ瞬間に人間性の残りカスによって却下された。あまりにも非人間的すぎる。


 商品として見苦しく無いよう、給餌や排泄はきちんと管理されていたようだが、全員が粗末な麻製の筒型衣だ。衣服や資金を彼らの馬車から適当に見繕ったとしても、肝心の意志が死んでいるようでは、彼らが自力でどうこうできるとは思えない。

 せめて最寄りの町までは護送し、それなりの処置をしてあげたいと思うのが人情だ。


 フィリップに人情なんてものが残っているかは微妙だが、それはそれとして。


 「馬車が10台。僕らは5人です。護送するにしても、人数が足りません。それに──」


 ねぇ? と、手近な馬に水を向けると、ぷいと顔を背けられる。何が気に入らないのだろうか。


 森での一件が頭を過り、腕をすっと馬の鼻先に持っていく。

 やってから「噛まれるかもしれない」と怖くなったのだが、穏やかな気性の個体だったようで、鼻息も激しく嘶いて数歩下がるだけだった。


 なるほど、匂いか?

 月と星の香りとか、愛しき母の芳香とか、そういうアレか?


 思えば、この旅路を含め野生動物に襲われたことは一度も無い。黒山羊は除いて。何かしら野生動物に嫌われる匂いでも振りまいているのか。

 これはもしかしたら、向こう一生乗馬や御者を経験することは無いかもしれない。シャンタク鳥とかになら乗れるかもしれないが、たぶんアザトースの玉座に連れていかれる。


 「一応、サークリス様とアルカス様も馬を扱うことはできると思いますけど」


 奴隷を全員ケージから出し、馬車に詰め込んでも2台分は必要だ。

 フィリップたちが移動することを考えると全部で3台。まともに馬車を操れる技量を示したのはリチャードだけ。逆に手綱を握らせるなというレベルの実績があるフィリップとユリア。平民組が使えないのであれば、貴族たちに頼るしかない。


 「死体の処理、終わりましたよー。皆さん、何されて……んっ」


 肌に浮かぶ傷跡を見るまでもなく、粗末な衣装と首輪と檻という要素は彼ら彼女らの立場を明確に示す。

 ユリアが不快そうに顔を顰めたのは、奴隷たちを憐れんで──という訳では無さそうだ。商品として見苦しくないよう清潔に整えられてはいるが、どうにも薄汚く思えたのだろう。何歩か下がる。


 王国法で禁じられている以上、奴隷市場や奴隷そのものを見慣れることは無い。

 その反応も分からなくはないし、それが正常なのだろう。


 フィリップのように、を完全に同列に見られる人間はそう多くないはずだ。少なくとも、フィリップの人間性の残滓はユリアを奴隷たちより一段上に見ている。


 「これをどう処分するのか、という話をしていたんです。最寄りの町まで護送するにしても、御者が……ん?」


 その肌に刻まれた鞭の傷跡を見て、ふと思い至る。


 「別に、僕たちの誰かが御者をやる必要はないのでは? 彼らの中に、輓馬を扱う技能を持った人がいるかもしれません」

 「あぁ、確かに!」


 どうせ檻から出し首輪も外す予定だったので、彼らを解放するのに問題はない。

 ただ、その後彼らがフィリップたちに従ってくれるかどうか──正確には、言葉を理解するだけの自我が残っているかどうかは別だ。よく躾けられているが、やり過ぎなようにも思える。


 奴隷一人一人に「御者できる?」と聞いて回るのも手間だったので、とりあえず全員を解放して1か所に集めることにする。

 フィリップたちが客ではないとは分かるはずだが、誰一人逃げ出そうとはしなかった。


 他人に命じることに慣れている貴族組がてきぱきと奴隷たちを誘導し、横一列に並ばせる。

 早くも遅くもない足取りで動く奴隷たちからはやはり生気を感じず、ユリアが気色悪そうに数歩ほど離れた。


 並ばせてみると、女性5人、男性5人でちょうど半々。男性は一様に筋肉質で頑丈そうで、女性は身体だけでなく顔にも拘ったのだろうと思わせる綺麗な人ばかりだった。

 理想的な個体に徹底した教育を施した、理想の商品だったのだろう。なんでそれを持って王都の方角から来たのかは疑問だが。


 「この中で御者の経験がある者は?」


 リチャードの発した端的な問いに、男性が二人と女性が一人、ゆっくりと手を挙げる。

 フィリップたちの間に安堵の空気が流れる。彼らにはまだ意志の疎通が可能なだけの自我は残っているらしい。

 

 「よし。では、お前と、お前。適当な馬車を見繕い、仲間全員を4人ずつに分けて乗せろ。その後は私たちの馬車についてこい」


 指された奴隷たちが頭を下げる。

 無言なのは、彼らには「断る」という選択肢が初めから存在しないという躾けの賜物か。「畏まりました」とか「承りました」といった一言を添える必要も無い。主人にとって奴隷が命令に従うのは当たり前で、奴隷にとっては主人の命令に従うのが当たり前だからだ。


 フィリップたちが先んじて自分たちの馬車に戻り、奴隷たちが乗った馬車の前に付ける。

 キャラバン型という点では同じだが、人間用のケージを積んでいた関係上、奴隷たちの馬車の方が頑丈そうなのが面白い。


 「現状、お前たちの扱いは微妙だ。だが逃亡を企てた場合、悪意ある不法入国者として処断する。肝に銘じておけ」


 リチャードが釘を刺すが、それも「一応」の域を出ない。

 彼らにはもう、何かを考えるという機能が残っていない。結局、最寄りの町に着くまでも、着いてから衛兵に引き渡すまでも、彼らが自発的な行動を起こすことは無かった。


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