第57話

 食事を終え、テントに籠って身体を拭い、さてそろそろ見張りのローテーションを決めて眠ろうかという話になった頃。

 ふと、リチャードが剣呑な気配を纏った。


 ユリアとシルヴィアが怯え、戦闘慣れしていないフィリップですらその変容に気付くほどの切り替わり方だ。


 「囲まれました。おそらく、さっきの奴の仲間でしょう」


 端的ながら危機的状況であることを明確に伝える報告に、フィリップとルキアは同質の理由で「面倒だなぁ」という表情を浮かべる。

 ユリアが立ち上がりかけるのをシルヴィアが制し、その腕を掴んだままリチャードに問いかける。


 「商人に見せかけて実は盗賊だった、ということ?」

 「おそらくは。……どうしますか?」


 リチャードがあまりに真剣な表情でそう訊ねるものだから、フィリップはつい失笑を漏らしてしまった。


 「あー……なにか面白いことが?」


 ルキアとフィリップ本人を除く全員から怪訝そうな視線を向けられ、リチャードにそう問われて、フィリップは先の質問が何の冗談でもないことを理解した。


 「あぁ、いえ。……降伏する、という選択肢があるんですか?」

 「え? いえ、それはありませんが……例えば、包囲網の一部を切り開いて、馬車で逃げるとか」


 そう言われて、フィリップはなるほどと手を打って納得した。

 言われてみれば、それはそうだ。包囲しているということは、少なくとも相手は数で勝っているのだろう。それをというのは、普通に考えれば選択されない戦略だ。


 リチャードに言われるまで、フィリップは完全に「降伏か鏖殺か」という二択で考えていた。

 相手が10人だろうが10億人だろうが誤差と判ずるような価値観を持っていると、戦略的思考まで鈍っていけない。視座が高いくせに視野が狭いというか、価値観だけが外神で思考能力は矮小な人間のままというか。これもまだフィリップが人間であることの証明と、ポジティブに考えることにしよう。


 眠気混じりの頭でそんなことを考えていると、隣でルキアが退屈そうに口を開く。


 「敵なんでしょう? なら、全員殺せばいいじゃない」

 「ですよね!」


 ノータイムで同意したフィリップを除く全員が、正気を疑うような目で二人を見る。

 否定し辛い疑惑をかけてくれるな。フィリップもルキアも一度狂気に溺れているんだ。


 「私が全部やってもいいわよ?」


 塩の柱を乱立させようと右手を掲げたルキアだが、神罰執行に待ったがかかる。

 止めたのはフィリップだ。まぁ、フィリップ以外の制止が届くかは微妙だが。

 

 「待ってください。折角ですし、連携の練習に使いましょう」


 なるほど確かに、と頷くリチャードとシルヴィア。ユリアは苦笑いだが、異論はないようだ。


 「ですが、包囲されています。ダンジョン攻略時を想定した一方向を前方とした突破型の陣形では、後衛が……いえ、なんでもありません」


 リチャードが後衛に割り振られたルキアとユリアを見て、心配を取り下げる。

 片や世界最強、片や地雷使い。後衛という字面からは考えられないほど攻撃的な面子だった。そもそもルキア一人で確実に事足りるのだから。


 「馬車の数からの大まかな推測ですが、敵は60人前後です。包囲網が狭まりきる前に、円を描くように移動しつつ少数ずつ相手取りましょう」

 「いいですね。それで行きましょう」

 

 そうしないと、陣形も連携も無視した1対12になる。別にそれでも構わないが、連携の練習という主目的からは外れてしまう。


 「前衛……ルメール様が先陣を切り、僕とアルカス様がその援護、僕たちのキャパシティを超えた相手をサークリス様とベルトさんでカバー……で、いいんですよね?」

 「はい。あ、でも、進行方向などの決定は……」


 リチャードは意思決定を身分序列の低い自分が担っていいのかと、ルキア、シルヴィア、フィリップを順番に見遣る。

 フィリップに戦術知識はないし、別に構わないと頷く。シルヴィアはちらりとルキアの方を伺ったが、そのルキアが頷いたことでそれに倣う。


 この中で最も戦闘経験が豊富なのはルキアだろうが、戦術も戦略もまとめてねじ伏せる超火力型なので、司令塔には不向きだ。適性の有無や能力の有無ではなく、前線に立ってこそ真価を発揮するという意味で。


 「分かりました。精一杯、務めさせて頂きます」


 別にそこまで気負わずとも、何かあったらルキアがいるし、最悪全滅してもフィリップは死なないだろう。閉鎖空間でクトゥグアを召喚するという盛大且つ手の込んだ自殺でもしない限り。

 それもヨグ=ソトースが自殺(事故)を認めるのか、それとも阻止するのかで変わってくる。フィリップの自害を認めないのなら、それこそフィリップは無敵だ。まず死ぬことは無い。真なる闇や無名の霧レベルの存在が敵対してきたら話は別だが、その場合宇宙ごと滅ぶので気にする必要は無い。


 「まぁ、気楽にいきましょう」


 伸びなどしつつそう言ったフィリップに、ユリアが諫めるような目を向ける。


 「カーターさん、相手は盗賊とはいえ、多数です。油断しすぎるのは……」

 「あ、そうですね。すみません」


 盗賊だろうが騎士だろうが、60人だろうが65億人だろうが大した差異じゃない。

 ないが、「連携の練習にしましょう」と言い出したのはフィリップだ。不真面目な態度は彼らの気に障るだろうし、何より不誠実だ。今のはフィリップが悪い。


 素直に頭を下げると、ユリアも「こちらこそ、生意気を言いました」と詫びる。

 礼儀としては正しいが、フィリップに向けるのは間違いだ。身分を訂正しても受け入れられないのは分かったので、もはや何も言わないが。


 「──包囲網が動き始めました。攻勢に出ます」

 「了解です」


 言うが早いか、リチャードが駆け出す。

 迷いのない足取りからはが最も手薄なのだと推察できるが、フィリップには何も感じ取れない。魔術師の知覚能力とは素晴らしいものだと羨ましくなるが、その嫉妬も意識して切り捨てる。

 

 リチャードの速度はフィリップに気遣ってか、フィリップが全力の7、8割で走れば追いかけられるものだ。

 そんな速度で走っていれば、襲撃者の側がその動きを察知するのも容易い。


 「敵襲ーッ!」


 一行を見つけた賊の一人が警告を発し、静かだった平原がにわかに騒ぎ立つ。

 包囲網が一気に動き出し、フィリップたちの方へと詰まってくるのが感じ取れた。


 普段の穏やかな態度からは想像もつかない鋭い殺気を纏い、敵意も露わに走ってくるリチャードを見れば、そう叫びたくなるのも分かるが、襲われているのはフィリップたちではなかったのか。


 だが、まぁ。

 どちらがかと考えれば、その叫びは間違っていない。


 彼らにとってフィリップたちは単なる獲物ではなく、死力を尽くすべき敵だ。死力を尽くしたところで、生還できる可能性は限りなく低いのだが。


 リチャードの身体が大きく前傾する。

 這うほどの踏み込みを発端に、地面すれすれを滑空するような歩法で距離を詰める。フィリップの全力疾走どころか動体視力が追い付くギリギリの速度は、敵に反射的な防御だけを許可する。


 「ひッ……!」


 賊が身体の前に剣を構え、身体を強張らせて目を閉じる。

 素人目にも分かる戦闘慣れしていない者の怯えだ。もしかしたら、盗賊になったばかりの元農民とかかもしれない。


 「《シャープネス》《デュラビリティ》《エンチャント・サンダー》ッ!」


 切れ味向上と耐久力向上の付与魔術。鞘に電流を纏わせ、抵抗を疑似的ながらゼロにするという変則的な使用法の属性付与。

 並の魔術師が研鑽の果てに辿り着く三種同時詠唱を事も無げに行使したリチャードは、一太刀の下に賊の構えた剣諸共にその首を撥ね飛ばした。


 剣を振っただけとは思えない、空気を切り裂く鋭い音が尾を引いて残る。


 「魔術師かッ──うわぁッ!?」


 血を吹き上げながら倒れる仲間を見て、驚愕と恐怖を叫び声として出力した──戦意への変換が遅かった者が、胴体を逆袈裟に切り裂かれて倒れる。

 今度はほぼ無抵抗、というか、抵抗が間に合っていなかった。あの地面を這う蛇のようにも、超低空を飛ぶ燕のようにも感じられる独特の歩法。距離と接近速度を誤認させる効果があるらしい。


 「クソ、《ファイアー・ラン──ごぼっ……!?」


 リチャードまで少し距離のあった賊が、攻撃魔術を詠唱しようと口を開く。

 しかし、出てきたのは声ではなく海水だった。


 「助かりました、カーター様」

 「いえ」


 魔術行使の予兆を見て咄嗟に詠唱を妨害できたのは、正直我ながら素晴らしいと思う。

 だが、男が使おうとしていたのは初級魔術だ。リチャードなら斬り落とせたと考えると、今の援護はフィリップの魔力を浪費しただけということになる。


 やはり、戦闘は難しい。


 「こ、こいつら、魔術学院の生徒か!?」

 「なんでこんなところに!? 野外訓練の時期はもうとっくに──クソ!」


 魔術師──いや、魔術を使える者が混じっているようだが、そう数が多いわけではないらしい。

 大多数は非魔術師。しかも戦闘経験の浅そうな者ばかり。なりたての賊か、寝込みを襲うばかりで正面戦闘をしたことがないのか。


 また一人、リチャードの刃によって命を落とす。

 まだ4人目、フィリップの魔術によって地上で溺れている者を除けば3人目でしかないというのに、賊は既に戦意を喪失し始めている。


 まぁ戦意の有無で言えば、フィリップの後ろで「今の判断は微妙だったわね」とか言っている、コーチングモードのルキアが一番戦意に欠けるのだが。


 「うわぁぁぁッ!!」


 フィリップたちの、けたたましい叫び声が上がる。

 何事かと振り返った者の中に、ルキアとユリアは含まれていなかった。


 吹き上がる火柱が夜闇を払う。その中に一瞬だけ見えた人影は、瞬きの後には灰も残さず燃え尽きていた。


 「あ、背後の警戒用に仕掛けておきました!」


 どうですか。ちゃんと役立ってるでしょう? すごい威力でしょう? と、自慢げに胸を張るユリア。

 あれが設置型反応起動魔術『ヴォルカニック・マイン』か。確かに、火柱──否、溶岩は5メートルくらいまで噴き上がっている。呑み込まれればひとたまりもない熱と勢いだろう。


 敷設位置を避けて動かれたら意味がないのは分かるが、それでも素晴らしい火力だ。あれぐらいでいいんだよ、あれぐらいで。


 「く、クソ、撤退だ! 撤退しろ!」


 誰かが叫び、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


 「逃がしません! 《ライトニング・フォール》!」


 片手を掲げたシルヴィアの詠唱に応じ、空から一条の稲妻が伸びる。ほんの一瞬の瞬きながら、内包する電流量も電圧も膨大だ。

 攻撃の意志を持った雷に打たれた賊が、身体の所々を黒く焦がして倒れる。


 魔術が呼ぶ雷は一撃で終わりのようだが、連続詠唱によって断続的に落雷が起こる。絶縁破壊の轟きは耳に痛いのだが、意識に影響を及ぼすレベルではない。より正確には、そのレベルの音は遮断されている。


 雷の直撃によって即死するか、その閃光と轟音で意識を奪われるかして、逃げ惑う賊は数を大幅に減らしていた。敷設された『ヴォルカニック・マイン』を踏み抜く不運な者もちらほらと見受けられる。


 それにしても。


 「なんか、既視感が……」


 片手を掲げた姿と、空から降り注ぐ光による攻撃。

 雷轟はともかく、瞼を閉じてなお網膜に焼き付くような強烈な光には覚えがある。


 ちらりとルキアの方を一瞥すると、かなり苦々しい表情を浮かべていた。

 フィリップの視線に気付くと、こちらへ歩いてくる。陣形は崩れるが、もはや戦闘は掃討段階に入っている。陣形を維持する必要もないだろう。


 「あの、サークリス様──」

 「《サンダー・スピア》ッ!」


 シルヴィアが指を弾き、詠唱する。

 雷の槍が形成され、逃げる賊の一人を背中から穿った。


 戦闘スタイルの模倣──というには、実力も結果もお粗末なものだ。どちらかといえば、戦闘時の外観の模倣。しかも劣化コピー。

 意味があるのかと聞かれれば、たぶんNOだ。


 「…………」

 

 もしそれに戦略的価値があるのなら、ルキアはこうも苦々しい表情にならないだろうから。


 「あれってやっぱり、サークリス様の真似ですよね?」

 「ッ………………」


 ルキアはたっぷり30秒は絶句して、ころころと表情を変えた──好意的な表情は一つも無かった──あと、がっくりと項垂れた。


 「フィリップ。よく見ててね?」


 フィリップの両肩を力なく掴み、言い聞かせて背中を向ける。

 そっと片腕を掲げ──


 「《粛清の光》」


 既に降伏した者も、未だ逃げようと走っている者も、既に馬車へ辿り着き鞭を振るおうとしていた者も、例外なく塩の柱へと化す神罰が執行された。

 光は音もなく、そして対象に悲鳴を上げさせる暇すら与えず、極めて静かに敵対者を掃討する。


 「流石、凄まじい攻撃範囲ですね!」

 

 ユリアが無邪気に褒めるが、ルキアの表情は硬い。


 「うーん……」


 フィリップが悩ましげに唸る。


 確かに、『粛清の光』と『ライトニング・フォール』は似ても似つかなかった。

 前者は触れた者を瞬時に塩の柱に変える光の連続照射。後者は一発の落雷を連続詠唱によって断続的に引き起こしているだけ。特殊攻撃と物理攻撃という差異もある。恐らくだが、シルヴィアの魔術は子世代や孫世代の黒山羊にすら通じない。


 落雷より静かで、遥かに速い光による攻撃。

 どちらが強いかを論じる必要もないほど、両者間には隔絶が存在する。


 だが、それはそれとして。


 「似てはいませんけど、やっぱり真似ですよね?」

 「…………」


 フィリップじゃなかったらその違いを身体に教え込んでいた、と。ルキアは後にそう語った。

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