第54話

 カリストが病院のベッドで目を覚ましたのは、決闘から4日後のことだった。

 窒息による失神は脳に深刻なダメージを与え、後遺症が発現する危険性もあった。幸いにして、身体機能にも脳機能にも異常は無い。


 だが──カリストの心には暗い靄がかかっている。


 見舞いに来てくれたクラスメイトや家族から、フィリップ・カーターが何者であるかは聞いた。

 挑む相手を間違えたとか、相手の力量を見誤ったとか、色々と言われた。それが慰めなのか責めなのかは、どうでもいい。


 事実として、カリストは挑み、負けた。

 フィリップが想定以上の演算速度を有し、未知の魔術を使い、一片の戦意も無いくせに殺すつもりで魔術を撃ってきた。そんなもの、何の言い訳にもならない。


 負けた理由の細分化は、言い訳を探すのと何ら変わりない。

 要は──カリストは弱かった。ただ弱かったがゆえに、負けたのだ。


 もう少し魔術の完成が早ければ。出の早い魔術を牽制として撃っていれば。勝負の結果は変わっていただろう。


 「──は」


 横たわったまま、笑いを漏らす。


 決闘を挑み、返り討ちに遭うなどという無様を晒した自らを嘲って──ではない。

 その笑みは自嘲ではあったが、その宛先はたったいま自覚した子供っぽさ、自分の幼稚さだ。


 結局のところ、カリストは


 ボコボコにされた。

 手も足も出ず、惨めに地面に転がされ、苦しみ悶えさせられた。しかも、自分が最も自信のある水属性の魔術で。


 反骨心が燃え上がる。

 。決闘は禁じられてしまったが、学院のカリキュラムには模擬戦もあるし、実践試験は野外でのダンジョン攻略らしい。速度を競うのも悪くない。


 殺し合いでもそれ以外でも、何でもいい。とにかく、負けたままではいられない。


 あぁ、本当に幼稚だ。だが──そんな自嘲も立ち消えるほど、悔しい。


 「彼は使徒かもしれない」と呟いていた父──ライウス伯爵の横顔を覚えている。


 教皇庁が『使徒』と呼ばれる特殊部隊を擁することは知っている。彼らが表には出ないような残虐で殺傷性の高い魔術を使うことも。

 まだ子供のようだが、子供というのはそれだけで警戒されにくい。暗殺や監視にはもってこいで──兵士として幼少期から教育するのも理に適っている。


 もしそれが本当なら、挑みかかるのは本当に愚かなことだ。だがそれでも、負けたままではいられない。


 貴族社会がどうとか、互いの立場がどうとか、そういうのは放っておこう。

 もう一度、いや何度でも、壁として立ちはだかってくれ。


 「あぁ──全く、度し難い」


 吐き捨てるような罵倒の宛先は、ここまで拘泥していた貴族の誇りをかなぐり捨て、ただ勝ちたいという思いだけに従おうとする自分自身だ。


 今度は邪魔者としてではなく、互いに互いを殺し得る好敵手として挑ませてほしい。


 カリストの考察が正しければ、フィリップの「最速」はあの魔術で間違いない。肺を水で満たし溺水させる恐ろしい魔術。

 あれは詠唱妨害として非常に優秀だし、窒息は大きなダメージになる。だが同時に、それ以外の影響は殆どない。


 水中呼吸の魔術を予め自身に掛けておき、カリストの実力でも詠唱を破棄できる中級程度の魔術を主体として戦えば正面からの打倒も可能だ。


 勿論、彼の手札があれだけであるはずもない。彼は未だ10歳とのことだが、カリストが魔術の訓練を始めたのは5歳のころ。フィリップも同じくらいだとして、訓練期間は5年程度か。

 魔術は一人で研鑽するより、誰かに教授され、誰かと切磋琢磨する方が上達が早く質も良いと言われている。


 カリストの実力的に、競争の相手はかなり少なかった。

 ルキアやヘレナ、第一王女のような超越者には遠く及ばず、かといってその他大勢の魔術師からは一歩抜きんでている。


 以前に一度だけ、ルキアと模擬戦をしたことがあるが──あれは今より酷い、敗北感を通り越して服従心すら呼び起こさせる大敗だった。勝ちたいとか競いたいとか、そんな戦意に類する感情全てを消し去ってしまうほどの、圧倒的な力量差だった。


 聞くところによると、フィリップはそのルキアの教導を受けているらしい。

 そんな相手を侮った──そんなつもりはない。カリストは本気で、一撃で相手を殺すつもりだった。その上で負けたのだから、こうまで悔しい。


 差し当たり、期末試験の成績でも競ってみるか。


 口角を上げて思考を打ち切り、体力回復に専心すべくベッドへ身体を沈める。

 普段のカリストではありえない心情、ありえない思考だと、カリスト本人は自覚していなかった。



 ◇



 装飾の無い普通サイズのキャラバン型馬車と、輓馬として一般的なクラスの馬が一頭。

 王都内外を問わず、普通に生活していれば珍しくもないものだ。だが、それが全校生徒分──1グループあたり5人と考えて約200台もあれば、壮観という他無い。


 騎士団のパレードなどはもっと多いのだが、王都一年目のフィリップが目にした中では最上級だ。


 「おぉ……」


 感嘆など漏らしつつ、ずらりと並ぶ馬車の中から自分たちAクラス1班に割り当てられた物を探して歩く。

 ルキアとシルヴィアが既にその側にいるはずなのだが──フィリップはトイレに行っていたので一足遅くなった──、一際目立つはずのルキアの姿も見当たらない。


 しばらくきょろきょろしながら歩いていると、見覚えのある顔と目が合った。

 フィリップの視線を受け、話していた班員に断りを入れてからこちらへ歩いてくる。


 「カーターさん、少しお時間を頂けますか?」

 「……えぇ、勿論。お身体の方は大丈夫なんですか、ライウス様?」


 皮肉ではなく、と予防線を貼りつつ、馬車の間を縫って歩き出したカリストの先導に従う。


 カリストが学院に復帰したのは、期末試験の理論分野が終わり、実践分野の開始前日のことだった。

 理論分野が零点でも、実践分野が合格点なら進級に影響は無い。そしてカリストの実力であれば、一週間程度のブランクを加味しても実践試験をクリアできると判断し、後日の追試などの措置は辞退したそうだ。


 グループ分けの時点でカリストはフィリップとは別の班に組まれていた。

 しかし、彼らとルキア班の行き先──攻略対象のダンジョンは同じものだった。


 王都近郊にダンジョンが点在すると言っても、学生の試験で使える程度の難易度となると数は絞られる。試験ということでグループ毎の実力に見合ったものを選ぶとなれば、尚更だ。

 だからといって決闘までした二人を教員の目の届かない同じ場所に送るのはどうなのか、という指摘は生徒からも上がった。


 しかし、カリストとフィリップの双方が「構わない」と言ったことで、そのまま続行ということになった。


 「お陰様で、快復しましたよ。──あぁ、これも皮肉ではなく」


 同じ言葉を返し、ははは、と笑い合う。かなり空虚な、乾いた笑い声だったが。


 「貴方が何者であるか、おおよその見当は付きました。非礼を謝罪したいところですが……」

 「僕はただの平民ですよ」

 「──であるなら、私も頭を下げるわけにはいかないのです」

 

 食い気味に答えたフィリップに苦笑しつつ、カリストはそう言って肩を竦めた。

 ご尤も、とフィリップも同じジェスチャーを返す。


 決闘を挑むということは、その主張を貫き通すか、主張を貫いて死ぬかの二択だ。

 フィリップが彼を殺さなかった──正確には立会人が焦るあまり中断に近い形で終わらせたのだが──のは、決闘という伝統と文化、そして規則に照らせば褒められた行いではない。生き残ったのならもう一度挑む、というのが普通だからだ。無意味に何度も殺し合うより、一回で雌雄を決すべきである。


 カリストもそのつもりだったのだろうな、と。フィリップは苦い笑いを浮かべた。

 未知の魔術を行使したことで、フィリップ・カーター=枢機卿の親族説は強固なものになった。中には「いや、きっと教皇庁の尖兵か諜報員だよ」なんて言説を唱える者もいる。

 そんな中で「いや本人は平民って言ってるからもう一回挑みます」は許されないし、事実、ライウス伯爵家は許さなかった。


 とはいえ、本人が頑なに「いや平民です」と主張する以上、一方的に「枢機卿の親族に対して大変な失礼を──」なんて謝罪はできない。

 逆にクラスメイト達が呼ぶ「カーターさん」という呼び方も、基本的な礼儀だと言われてしまえば反論し辛い。


 「さておき、カーターさん。今回の試験、ひとつ競争をしませんか?」

 「競争ですか? 内容は?」


 フィリップの問いに、カリストは「何も」と両手を広げてみせた。


 「ただ、どちらが早いか、どちらが高得点かを競う。それだけです。何かを賭けるとか、そういうのは無しで」


 まるで普通のクラスメイトのような提案に、フィリップも苦笑を浮かべる。

 命を懸けた戦いを挑んできた彼と、本当に同一人物なのだろうか。


 「別に、構いませんよ」

 「ありがとうございます。……あぁ、見えましたね」


 すっとカリストが前方を指す。

 その指の先を追うと、馬車に荷物を積み込んでいるリチャードの姿が見えた。どうやらフィリップの班の馬車まで案内してくれたらしい。


 「ありが──」


 頭を下げ礼を言おうとしたとき、ぐい、とフィリップの腕が引かれ、カリストとの距離が空く。

 馬車に引っかかったような重さではなく、むしろフィリップを気遣う、抱擁するような引き寄せ方──抱き寄せ方だった。


 「…………」


 見上げるまでもなく、フィリップを背後から抱き締める感触には覚えがある。


 「──では、私はこれで。今回は負けませんよ」


 カリストは苦笑しつつ形式通りに一礼し、快活な笑みに似合う爽やかな挑発を残して去っていった。


 見上げると、フィリップを抱き締めたままカリストの背中を見つめる、ルキアの双眸に宿る剣呑な光が目に付いた。


 同質のものに覚えがある。

 マザーがナイ神父に時折向ける「殺してしまおうか」という視線だ。


 やばいかもしれない。そんなフィリップの危惧を察知したのか、或いは「今じゃなくていい」という結論を出したのか、ルキアの視線が外れる。

 赤い瞳を心配そうに潤ませて、腕の中のフィリップに向けた。


 「何を話していたの?」

 「……えっと」


 フィリップとカリストは、ただ案内してもらっただけ、なんて言い訳が通じる関係性ではない。それにカリストの去り際の言葉はルキアも聞いていただろう。

 下手な誤魔化しは逆効果だと、マザーという前例で学んでいる。


 「試験の成績で競争しようっていう話です」


 なるべく気楽そうに言うが、ルキアが怒っているのは「カリストが絡んできたこと」なので、宥める効果は無い。


 「そう。なら、勝たなくちゃね?」

 「……そうですね」


 別に勝ち負けはどうでもいいが、フィリップたちは元Aクラス冒険者に教導を受け、旅程や荷物を最適化している。

 似たようなことは他の班もやっているが、攻略速度で言えばルキアを擁する1班は他の追随を許さないだろう。着順は成績と関係ないが、1着は貰いだ。


 「間もなく出発します。各班、荷物の積み込みと搭乗を完了してください! 間もなく──」


 準備完了を促すヘレナの声を受け、馬車の傍で駄弁っていた生徒たちが動き出す。

 フィリップとルキアも馬車へ戻り、乗り込んだ。


 「お帰りなさい、サークリス様。カーターさん、荷物貰いますね」

 「お願いします」


 後部にいたシルヴィアに荷物を渡し、フィリップとルキアは並んで座る。

 フィリップの対面にユリア、ルキアの対面にシルヴィア、輓馬を扱えるのが彼だけだったので、リチャードは御者席だ。


 初めはフィリップとユリアの平民組がやると言っていたのだが、ユリアは操作センスが乏しく、全員一致で「一週間も乗っていられない」と言ったのでボツ。フィリップに至っては手綱を握った瞬間に馬が暴れ出したので論外。どうやら動物に好かれない気質らしい。


 ルキアとシルヴィアは乗馬の経験はあるものの、リチャードのルメール家が伯爵位なのに対して、サークリス家は公爵位、シルヴィアのアルカス家は侯爵位だ。しかも輓馬を扱った経験はないということで、この形に落ち着いた。


 馬車の中に男はフィリップ一人だ。

 肩身が狭いと苦笑しつつ、外に目を向ける。


 門に近い班から続々と出発しており、フィリップたちもじき順番が回ってくる。


 馬車の旅にはいい思い出が無いが、今回は楽しめそうだ。



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