第53話

 教会を出ると、フィリップの行く先を遮るような人だかりが目に付いた。

 つい先ほど抜かした、ナイ神父への拝謁待ちの列だ。それが今は横並びになり、壁を作っている。


 「ちょっと失礼」と手刀を切って通り抜けようとして──当然の如く、その腕を掴まれた。


 掴んでいるのは中年の女性だが、フィリップより体格がいい。腕に力を込めてみるが、簡単には放してくれそうになかった。


 「ちょっと君、神父様とどういう関係なの!?」

 「そうよ! 私だって何度も通ってるのに、顔パスには程遠いんだから!」


 まぁそうだよね、そういう反応になるよね、と。諦め交じりの納得に落ちた時だった。

 ぱし、と。軽い音を立てて、フィリップの腕を掴んでいた手が払われる。


 フィリップと女性が同質の驚きを浮かべ、距離を離す。


 その間に銀色の影が滑り込み、フィリップを庇うように立ちふさがる。


 「悪いけど、そこを通して頂けるかしら?」


 悪いとは微塵も思っていない、いっそ嘲るような──その実、眼前の人間に一片の価値も認めていない、冷たい声色だった。

 初めて会った時を思い出すが、あの時は魔術を照準されていた。彼女たちへの対応はまだマシな方だ。


 なんだこいつ。と、フィリップを捕まえていた婦人がルキアを睨み──その双眸の奥で輝く、世界最強の証に目を留める。

 

 「君……い、いえ、貴女は……!?」


 愕然と、畏怖を通り越して恐怖すら浮かべて呟く。

 群衆が一斉に距離を取ろうと下がり、後ろの方で状況を理解していなかった者から苦情の声が上がる。ルキアに視線を固定したままそれを押しのけ、とにかく距離を取ろうと足を動かすものだから、転ぶ者もちらほら見受けられる。


 あぁ、これが正解なんだ、と。今更ながら聖痕者に敵意を向けられた一般人の正しい反応を理解したフィリップ。

 野生の熊にでも出会ったような反応を示す人々。


 「そういうこと。お分かり頂けたのなら、退いて頂戴」


 これ見よがしに溜息など吐きつつ、ルキアが一歩を踏み出す。

 ナイ神父ファンクラブはそれだけで解散した。……いや、ファンという言い方は良くないか。狂信者ファナティックに堕ちきってはいないはずだし。


 「ありがとうございます。助かりました」

 「気にしないで。行きましょう」


 ルキアと手を繋ぎ、見慣れた道を歩く。

 向こう三年は見ないだろうと思っていた景色だが、心中に湧き上がるのは懐古ではなく鬱屈とした疲労感だ。

 本来の目的の半分も達成していないというのに、とても疲れた。


 大通りまで戻り、脳内地図を参照する。

 確か、ここから少し一等地側に行けば衛士団本部があったはずだ。


 「ここからは、僕が先導しますね」

 「えぇ、お願いね」


 フィリップもそう詳しいわけではないので近道などは教えられないが、通りにある美味い食事処くらいなら紹介できる。

 もう少し大通りから外れると、工場通りと呼ばれる鍛冶屋や石材加工場などが並ぶ男心くすぐるエリアがあるのだが、残念ながら女性受けがあまりよくない。


 門限を考えると寄り道の余裕はないし、お出かけの補填はまた後日にしようと決める。


 詰所へ行くと、入り口の横に立っていた門番役──彼らの配置はローテーション制だ──の衛士が手を振ってくれた。

 何か問題があったかと近づいていくと、彼が顔見知りであることに気が付いた。フィリップが拘留されていた時、看守役だった人だ。


 「カーター君、久しぶり。今日はどうしたの?」

 「お久しぶりです。ちょっと、学院の課題で質問したいことがあって……えっと、元冒険者の方で、手の空いている人がいたら紹介して欲しいんですけど」


 フィリップがそう言うと、彼は面食らったようにフィリップの顔をまじまじと見て、すぐににっこりと笑った。


 「お誂え向きに、君も知ってるジェイコブは冒険者上がりだよ。そして今日は昼番だ。受付に言ったら、案内してくれると思う」

 「昼番って、お仕事なんじゃ……?」

 「行けば分かるよ。じゃ、よい一日を」


 彼は少し崩した敬礼と共に会話を切り上げてしまった。

 えぇ……、と困惑を漏らし、諦めて詰所に入る。


 「こんにちは。どうされましたか?」と、受付を担当していた衛士に尋ねられる。素直に「昼番のジェイコブに質問がある」と言うと、意外にもすんなりと案内してくれた。

 

 『当番室』と書かれたプレート付きの扉を開けると、中には目を疑う光景が広がっていた。

 そこそこ広い部屋にはソファやテーブルが置かれ、調度品代わりに剥き出しの直剣が壁に掛かっている。居住性でいえばそんなに悪くなさそうだが、ソファには6人の衛士たち──彼らが昼番なのだろう──が一様にぐったりと座り込んでいた。


 彼らは静かな来客には気付かず、ぶつぶつと何事か呟いている。


 「……天変地異」

 「い……胃薬」

 「り……理不尽、は駄目か。……利息」

 「く……おい、また「く」か。……燻製」

 「既出。ちなみに燻製器も既出な」


 ──しりとりだ。

 衛士たちが死んだ顔で俯き、部屋の中だけ数倍の重力を感じさせるほどどんよりとした空気を纏い、しりとりをしている。


 どういう状況だこれは、とルキアと顔を見合わせる。

 案内してくれた受付役の衛士が、苦笑と共に説明してくれる。


 「昼番って、ホントにやることないんですよ。この部屋にいるのが仕事みたいなもので……部屋が臭くなるっていうんでトレーニングは禁止、カードゲームは確実に賭けになるんで自重。で、この有様です」


 巡回するでもなく、検問や見張りをするでもなく。

 ただ非常時の戦力として常駐を義務付けられた、誰かが割り当てられる悲しき暇人たち。それが昼番だという。


 「まぁ、そんなわけだから、ちょっと外の空気でも吸わせてやってください。……ジェイコブ先輩! お客さんですよ!」

 「……え? あ、あぁ、オーケー。今行く」


 身体を揺すられたジェイコブがぱちぱちと目を瞬かせ、「いま起きました」とばかり周囲を見回す。

 部屋の入口で苦笑を浮かべているフィリップに気付くと、不思議そうにしながらもソファを立った。


 とりあえず外に出ようということになり、詰所の前に据えられたベンチに座る。


 「で、どうしたんだ、フィリップ君? ……デートコースには些か武骨過ぎると思うけど」

 「違いますよ。学院でやる試験について、質問したいことがあって」

 「え? いや、俺は卒業生じゃないぞ……?」

 

 そうじゃなくて、と、試験の概要を説明する。

 黙って聞いていたジェイコブも、聞き終えると「なるほどね」と納得した様子を見せた。


 「確かに、ダンジョン攻略と旅程の構築なら、冒険者上がりの俺でも役に立てそうだ。なんでも聞いてくれ」


 どん、と、張った胸を叩いてみせるジェイコブ。


 「じゃあまず、持ち物について──」



 ◇




 翌日の放課後。

 フィリップたちは試験準備期間で空いた午後を利用し、本格的にダンジョン攻略の準備を始めることにした。


 フィリップはリチャードと共に、一等地の刃物屋に来ていた。

 真っ先に用意すべきは必須物、というジェイコブの助言を受けて、まずは医療品と武器・防具を揃えることになったからだ。


 武器も防具も純魔術師には不要なはずだが、生憎とグループには一名、非魔術師という意味での一般人が紛れ込んでいる。

 薪を切り揃えるのにいちいち魔術で鎌鼬など起こしていられないし、鉈の一本でもあればやれることの幅は広い。「鉈と剣とナイフは別物! 代用し辛い!」という先人の言葉もある。


 ジェイコブは「火打石は絶対に要るぞ」とも言っていたが、ほぼ無尽蔵の魔力を持つルキアがいれば魔術でどうとでもなる。

 逆に、彼女の魔術ではカバーできない方面──食料調達やけがの治療など──は道具でカバーするのがいいだろう。

 という旨を伝えたところ「サークリス様を火起こしなんて雑用に使うんですか!?」と猛反発を受けたのだが、当の本人が「いいんじゃない?」と言ったことで収束した。


 フィリップとリチャードの男子組が武器調達、ユリアとシルヴィアに半ば連行されていったルキアの女子三人は医療品調達という運びになり、今に至る。


 刃物に心惹かれるのは男子共通なのか、フィリップがナイフと鉈を購入した後も、リチャードはしきりに直剣を検分していた。

 その手際の良さと視線の鋭さに、思わず声をかける。


 「剣術の心得がおありなんですか?」

 「え? あぁ、えぇ、まぁ。少しだけ」


 ルキアも儀礼剣を一通り修めていると言っていたし、貴族とはそういうものなのだろうと軽く納得する。

 しかし、そんなほとんど無に近い関心は、続くリチャードの言葉で思考のキャパシティを埋め尽くすほどに成長する。


 「僕は攻撃魔術が得意ではないので。魔術剣をメインに──」

 「魔術剣!!」

 

 魔術剣は魔術で作り出した剣ではなく、魔術を付与した剣のみを指す言葉だ。

 剣による斬撃は純粋な物理攻撃だが、それでは威力が不足する場合や、相手に物理耐性がある場合などはエンチャントと呼ばれる系統の魔術を使い、威力を底上げする。


 威力や射程では純粋な剣に勝るものの、攻撃魔術には大きく劣る。

 召喚術と同じで、あまり強力とは言い難い魔術分野だ。


 それに、魔術剣の強みを十全に活かすには、剣術と魔術の双方を高度に極める必要がある。

 

 魔術に傾倒し、単なる木の枝を名剣へ昇華させるほどの魔術を付与したとしても、当たらなければ意味がない。

 剣技に傾倒し、空を舞う隼にすら命中させる超絶技巧を会得したとしても、物理装甲の前には無力だ。


 魔力枯渇は肉体能力や判断力を大きく低下させるため、先天的に高い魔力を持っていると言うのも重要だ。


 それだけの才と努力を積み重ねられるのなら、大人しくどちらかに注力した方が大成する。


 だが──そんなことはどうでもいい。

 魔術剣はカッコいい。


 フィリップが神話と並んで愛好する冒険譚にも、魔術剣士は数多く出てくる。

 100年前に魔王を封印したという勇者も、剣術と魔術を極めた魔術剣士だったらしい。


 いいなぁ! すごいなぁ! と目を輝かせるフィリップに、リチャードは怪訝そうな顔を向ける。


 「あー……そんなに良いモノでもありませんよ?」

 「かっこいいじゃないですか!」


 フィリップの使える魔術はカッコよさの欠片も無いどころか、使うタイミングすら非常に限られるものばかり。弱さではなく強さが原因なだけまだマシだが、それにしても限度がある。


 ちょっと見せてください! というお願いは、ここが店内で剣が売り物ということもあり、後日へ繰り越しとなった。


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