第51話

 人の気配に思考を妨げられたルキアが眼光を鋭くするのに先んじて、声をかけるべきかと所在なさげにしているクラスメイトに向き直る。


 「もしかして、同じグループの方々ですか?」


 しおりにはルキアとフィリップ以外にも3名の名前がある。

 フィリップ側の通路に並んだクラスメイトも3名。ちょうど合致する。


 並んでいた三人のうち、二人が女子生徒、一人が男子生徒だ。つまりグループはフィリップとルキアを入れて男子2:女子3。肩身の狭い旅路になりそうだ。


 男子生徒はフィリップと同じスタンダードな金髪碧眼だ。フィリップより高身長なのは当然として、クラス内では真ん中くらいか。あまり絡んだことは無いが、フィリップの決闘に際しては卑下ではなく同情の視線をくれたような覚えがある。


 女子生徒は片方が茶髪に翠眼という珍しい顔立ちで、もう片方は金髪に碧眼。茶髪の方は確か、ユリア・ベルトだったか。フィリップと同じ平民で、カリストに決闘を申し込まれた後はよく絡んでくれた。せめてその最期が楽しいものであるように、という気遣いは、幸いにして無駄になったが。


 「先ずは名乗って貰えるかしら?」


 ルキアは不機嫌そうに、半年近く同じクラスだったはずの彼らを誰何する。

 男子生徒とユリアが少し傷付いたような苦笑を浮かべ、金髪の女子生徒が靴音も高らかに一歩進み出た。


 スカートに触れるカーテシ──ではなく、気を付けの姿勢で直立不動となった。


 「はい! あの、シルヴィア・フォン・アルカスです! ルキフェリア・フォン・サークリス聖下と、フィリップ・カーター猊下と同じグループになれて、その、光栄至極に存じますっ!」


 最後には片手を胸に当て跪く、最敬礼の姿勢に────はい?


 絶句し、思わずルキアを見遣ると、彼女も予想外のことに怒りを忘れて瞠目していた。


 他のグループは既に教室を去っており、彼らだけが広い教室にぽつんと残っている。

 シルヴィアの感動は伽藍洞の教室に反響し、それがより一層フィリップとルキアの混乱を煽る。


 一秒、五秒、十秒と時間が過ぎる。


 「えーっと……」


 ぽつりと呟いたのは誰だったか。フィリップとルキアでないのは確かだから、ユリアか男子生徒のどちらかだろうが。

 二人は顔を見合わせ、男子生徒がすっと進み出て略式の立礼を取る。


 「リチャード・フォン・ルメールです。よろしくお願いします」

 「あ、ユリア・ベルトです。私も皆さんと同じグループになれて嬉しいです!」


 ユリアも続き、ぺこりと頭を下げる。


 ここまで、シルヴィアは微動だにしていない。


 「えっと、よろしくお願いします。ところでその、“猊下”というのは……?」


 もちろん、言葉の意味は知っている。

 『聖下』は教皇や聖人に対して付けられる敬称で、猊下と呼ばれるのは枢機卿──なるほど。訊くまでも無かった。そんな当たり前のことをここまで考えないと思い至らない辺り、凄まじく動揺していた。


 「いえ、なんでもありません。改めて、フィリップ・カーターです。枢機卿の親族だという話は全く根拠のない出鱈目──」


 いや、根拠はあるか。

 未知の魔術を使う教会関係者が途方もなく怪しいのは分かるし、それが以前に枢機卿の中にもいたカーターという名前と結びついたのも理解できる。


 そんなことを考えて言い淀んでしまったことで、ますます否定の信憑性が薄れるのだが。


 「──です。猊下とか様とか、敬称は不要です。普通に平民として、クラスメイトとして扱ってください」


 そう言われてもね、と三人は顔を見合わせる。

 もはや編入初日のように「なーんだ、勘違いだったのかー!」で済まされる程度の認識ではないらしい。


 「フィリップ・カーター猊下」

 「いえあの、普通に呼び捨てで……というか猊下はナシでってさっき……」

 「ではカーター様」

 「様も無しでって言いましたよ!」

 「……では、カーターさん」


 ここが最終防衛ラインです。これより先には通しません。

 そんな覚悟の籠った視線を向けるシルヴィアと、困った人だ、とでも言いたげな視線を向けるリチャード。


 フィリップを──雑に扱うということは、一神教を、延いては彼ら自身の信仰を雑に扱うということだ。

 彼らからしてみれば、フィリップが自分を平民だとことも耐え難いのだろうが、フィリップにとっては、謂れのない敬意を向けられることこそ耐え難い。


 この辺りで妥協すべきか。というか、これ以上は押し通せないと目を見れば分かる。


 「……はい、なんでしょうか、アルカス様」


 意趣返しという意図はなく、単に相手が貴族だからと遜る。……なるほど、敬意の有無ではなく社会への適合として、確かに「敬意を示す」のは必要なことだ。

 それが理解できたところで、フィリップは本当に枢機卿の親族ではないので固辞と否定は続けるが。


 「カーターさんの事情はお聞きしません。カーター卿の──枢機卿の周りを嗅ぎまわるのは、あまりに危険な行為ですから。ですが、その、一つだけ」


 向けられた敬意を当然のものと受け止めて返すあたり、シルヴィアも生まれついての貴種なのだろう。

 一瞥すればルキアは既にグループメンバーに興味を失くしたように、姿勢を戻してしおりを黙読している。聖下とか呼ばれていたが、彼女は聖人だ。フィリップとは違い「正しい」呼ばれ方だからか、唐突さに驚きこそすれど、そう気にはならなかったのだろう。


 「あの、投石教会の神父様とお知り合いというのは本当でしょうか!」


 『投石教会』というワードに過剰に反応したのは、フィリップではなくユリアの方が先だった。


 「えっ、そうなんですか!? あの超絶美形で有名な神父様と!?」


 「し」「ん」「ぷ」でだんだん濁っていくフィリップの瞳。

 帰りたいなぁ、と。諦めに満ちた笑顔を浮かべて、端的に首肯する。


 わぁ、と。女性二人が色めき立った。


 「紹介してくれませんか!?」

 「お目通りだけでも!」


 別に、フィリップがどうこうするまでもないだろう。投石教会はやや複雑な道の先にあるが、なにも迷宮の最奥というわけではない。何かのついでに行くような便利な立地ではないというだけで、行こうと思えば簡単に行ける。勝手に行って、勝手に会ってくればいい。


 そんな旨のことを伝えると、彼女たちは揃って首を横に振った。


 「ダメなんです。もう予約が来月までぎっちりで、キャンセル待ちの列も、いつも何十人も」

 「えぇ……?」


 何それ聞いてない。

 そんなことになっていたのなら──いや、彼らに下された命令はフィリップの守護だけで、彼らが何をやっているかの報告義務はない。ないのだが、まさか俗世と積極的に関わっていたとは予想外だ。


 「なのでお願いします! あ、いえ、勿論、問題が無ければ」


 問題の有無で言えば大ありだ。

 何が悲しくて積極的に邪神に会いに行かなくてはならないのか。


 いくら明日から試験準備期間──午後からは自由とはいえ、指定されたダンジョンについて調べ、最適な旅程と装備を計画する必要がある。

 二等地まで出掛け、行列に並ぶような余裕はない。どうせ二等地へ行くのなら、ダンジョン攻略経験の豊富な衛士──彼らは軍学校か魔術学院の成績上位卒業生か、元Aクラス冒険者だ──に攻略のコツでも聞いた方がよほど有意義だ。


 ……待てよ?


 「ナイ神父に紹介した後、すぐに別行動でもいいのなら」


 これだ。これなら邪神たちに絡む必要が無くなる。

 どうせ二等地まで出るのなら、衛士団だけでなくタベールナの方にも顔を見せておきたい。ついでに夕食も……寮の門限に間に合うだろうか。外泊許可を申請して泊まるとなると、流石に明日の授業に差し障る。

 

 「投石教会というと、二等地の教会ですよね? どうせなら、冒険者ギルドや衛士団本部へ行って、ダンジョン攻略について色々と訊いてみませんか?」


 イケメンに女性二人ほど興味の無いリチャードが、ちょうどフィリップの逃避計画と同じことを提案してくれる。

 これ幸いと「良いアイディアですね!」と乗っかり、ルキアの意向を確認するように一瞥する。


 「サークリス様はどうされますか?」

 「私は──そうね。神官様にご挨拶だけして、フィリップと一緒に行くわ」


 やっぱりそうなるよなぁ、と、内心辟易する。

 フィリップとしては、ルキアにはこれ以上邪神に関わってほしくないのだが──同時に、浅いながら確かな智慧をもっと高めて欲しいという思いもあり、その自己矛盾が苦しい。


 ぱち、と、内心の歓喜を表すように、ユリアが手を叩いて笑顔を浮かべる。


 「じゃあ、明日は二等地にお出かけですね! 私、馬車の申請を出しておきます!」


 三者三様のお出かけムードを漂わせる女性陣に、フィリップとリチャードは顔を見合わせて苦笑を浮かべた。

 

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