第49話

 決闘当日を迎え、体育館の名を冠した闘技場は、その形状通りの用途で使われることになった。


 観客席にはクラスメイト達が座るだけで、規模に対して人入りがあまりに疎らだ。これが興業なら大赤字だが、今から行われるのはただの決闘。ただの殺し合いだ。

 法律で認められた権利の行使であり、見慣れずとも珍しくはないアクシデント。


 まだ皺も無い制服に身を包んだ平民と、仕立てのいい服を着慣れている貴族。

 決闘に臨むには不釣り合いな二人が中央に向かい合い、片手を掲げて宣誓文を読み上げる。


 「私カリスト・フォン・ライウスは、自らの主義と主張が王国法および神の教えに何ら逆らわず、また貴族として誇りあるものであると、ここに宣誓する」

 「私フィリップ・カーターは、その主張が仁義にもとるものであるとし、自らの主張こそ王国法と神の教えに従うものであると訴えるものである」


 あらかじめカリストの手配した立会人が、二人の宣誓を受け厳かに宣言する。


 「ならば両名に並び立つ未来は無く、王国法貴族章第5項に基づく決闘権の行使と実行を、ここに認可する」


 きちんとした決闘を行う場合、挑む側は宮廷への届け出が必要となる。

 決闘が正しく行われているか、正当性のある決闘か、その他諸々の決闘にまつわる事項を精査し監督する、貴族院決闘管理局なるものが存在するらしい。立会人はそこから派遣されてくる。


 一般的には戦闘経験を積んだ魔術師か騎士がその役割を負い、不正があった際には当事者を鎮圧することもある。のだが──


 「で、では、介添人は宣誓を……」


 そろそろ決闘が始まろうかという頃になり、時間の経過とともに不機嫌さを増して押し黙ったルキアに慄いていては、仕事も満足にこなせまい。


 「……あの、サークリス様?」

 「──何か?」


 何かありましたか? ではなく、何か文句でもあるんですか? 後ろに隠れているのはそんな険のある言葉だろうな、と察せられる声色だ。

 フィリップは既にカリストと向かい合い、ルキアの方に振り向いてはいけないと言われている。


 「その、カーター氏の介添人として宣誓して頂く必要が……」


 見ていて気の毒なほどの萎縮ぶりには苦笑の一つも浮かべたいところだが、眼前で覚悟の決まった真剣極まる表情をされては、そうもいかない。


 「──悪く思うな。彼女と、この国の為だ」

 「…………」


 カリストは囁くが、フィリップは何も答えない。

 答えを欲してもいなかったということは、それきり目を閉じたカリストの態度で分かる。


 「私ルキア・フォン・サークリスは、フィリップ・カーターの介添人として、彼と意志を同じくして戦うことを、ここに誓います」


 王国法への誓いも無く、神への誓いも無く、それは定型文からはかけ離れていたが、立会人の彼はそれを気に掛ける余裕すらなかった。


 「で、では、三者の誓いにより、この決闘の正当性を認めるものとします。両者、構え──」


 カリストとフィリップの両者が弾かれたように距離を取り、自分が想定した倍の距離が開く。

 その位置こそ決闘開始の地点であり、今後、立会人が開戦を宣言するまで接近も後退も許されない。相対距離を保ったままじりじりと円を描くように移動し、少しでも相手の魔術照準を狂わせる努力をする。


 研ぎ澄まされた集中力は時間を何十倍にも引き延ばして知覚させるというが、武術の訓練を積んでいないフィリップの集中力が見せるのは、精々が数倍に伸びた世界。

 通常であれば魔術の照準や魔術式の演算に使われるこの準備時間を、フィリップは半ば無意識に過去の回想に使っていた。


 走馬灯、ではない。

 死期に際した自分の歴史の回顧に何の意味も無いからではなく、フィリップの意識、理性、価値観その他のフィリップを構成するあらゆる要素が、いまこの瞬間を死期と認識していない。


 一撃で自分を殺せる相手の前に敵対者として立ち、その戦意をぶつけられてなお、一片の『死』も感じない。

 たかが人間風情に自分が殺されるビジョンが見えない。


 では、この脳裏に浮かぶ光景は何なのか。

 ルキアの協力を得て魔術を練習してきたこの一週間の、切り刻まれた一瞬が何度も何度もリフレインする。


 これは──そう、言うなればだ。


 これまでの練習を省みて、この場における最適解を選択するための回顧だ。


 目に浮かぶ、吹き飛ばし燃え尽きた町の一角。目に浮かぶ、ぼろぼろに炭化した標的人形。目に浮かぶ、制御を試みて悉く失敗し、蹲る自分。

 結局、《萎縮》は攻撃範囲の制御すらまともにできなかった。


 眼前敵の排除には使える。だが過剰だ。

 フィリップに課せられた制限は『一撃貰う前にカリストを倒す』という一つのみ。


 どろどろに溶かし、ぼろぼろに炭化させ、かつて人間だった萎びたモノにすることではない。

 殺し合いなら躊躇いなく使うと言ったが、元より、この決闘は殺し合いではない。いや厳密には、カリストとフィリップの戦いですらない。


 フィリップに掛かった制限の理由は、フィリップに致死性の攻撃が加えられた時点でヨグ=ソトースが『敵』を知覚し、その排除に動き出すからだ。

 故に、これはフィリップがカリストを倒すのが先か、副王がカリストに気付くのが先かというスピードレース。


 カリストを殺す必要性も、残酷な殺し方をする必要性も、かつて人間だった炭をクラスメイト達に見せる必要もない。


 ならば、賭けるしかないだろう。

 もう一つの呪文に。フィリップが習得しておきながら、終ぞ標的人形相手に効果を齎さなかった呪文に。


 どちらも邪神絡みでない点で一致し、『萎縮』は100%の確率で惨たらしい死を与える。だがもう一つの呪文は未だ未観測ゆえ、綺麗な攻撃である可能性が有意に存在する。


 「──始めッ!」


 号令が下り、意識の加速が頂点に達する。


 魔術式の演算を必要とせず、呪文詠唱の一工程で即座に発動できる領域外魔術は、発動速度の面で現代魔術に勝る。

 だが──カリストの才能は一級品だ。ルキアやヘレナといった最高レベルでこそないものの、その演算速度はフィリップの予想など平然と上回ってくる。


 「《深淵の息ブレス・オブ・ザ・ディープ》」


 フィリップの詠唱完了とカリストの詠唱開始はほぼ同時。ほんの一挙動しか要さないフィリップの魔術に、カリストが用意していた大魔術の演算速度が追い付いた。

 これで魔術が発動しなければ、カリストの攻撃魔術がフィリップへ殺到し──副王が介入する。


 結論から言って、賭けに勝ったのはフィリップだった。



 魔術式の演算が終了し、あとは起動詞の詠唱によって魔術が完成する。

 その時点でフィリップの死が決定づけられるほどの攻撃魔術を用意して──最後の、ただの詠唱が完了しない。


 カリストの口から出たのは訓練を重ね、今や手足と同等に使いこなせるほどに砥上げた攻撃魔術の起動詞ではなく、ごぼりという空気と水の音だった。


 始めは嘔吐かと思った。

 詠唱には口を、演算には脳を使う以上、その双方を大きく狂わせる嘔吐は妨害として手軽ながら最上級。圧縮空気弾を腹に食らいでもしたのだろうかと。

 取り敢えず吐き出してしまおうと、まずは魔力障壁を展開し、身を屈めて息を吸い、吸い──!?


 「ごぼッ……」


 息が、吸えない。身体が重い。まるで──


 蹲り、本能に従って胴体を頭より高くすると、気道を猛烈な勢いで逆流してくるものがある。

 開けた口のみならず、鼻からもツンと刺すような刺激と共に、大量の水があふれてくる。


 水が舌の上を通ったとき、ぴりぴりと強い塩の味がする。塩水、いや、海水か?


 吐いても吐いても、排出しても排出しても、肺を満たすのは海水ばかり。もう何秒、何分、呼吸も無く海水を吐き続けているのだろう。

 いや、息を吸い筋肉を動かして吐くのではなく、ただただ肺から溢れた水を垂れ流している。自分の意志ではどうにもできず、ただ苦しむことしかできないでいる。


 どうして呼吸困難に陥っている? 苦しんでいる? 無様に地面に蹲り、服を汚している? 地面を掻きむしる手の制御が効かず、爪が割れる。痛い、痛いが、それ以上に苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい苦しい苦しい苦しいくる


 ぶつん。と、意識が途切れる。


 全身の酸素循環が完全停止してから30秒。失神こそしたものの未だ死には至らないカリストの口からは、止まることなく海水がどくどくと溢れていた。




 ◇




 決闘を申し込まれた時点で、クラスの空気は半ばお通夜状態だった。

 せめてフィリップの最期が楽しいものであるようにと、みんな色々と絡んでくれたし、決闘に際して体育館の観覧席に来て、一言も発さずに見守ってくれていた。


 その視線には同情や口惜しさが滲んでいたのだが──今のこの沈黙は、全く質の違うものだった。


 どうしてフィリップが立ち、カリストが横たわっているのか。

 今の呪文は何なのか。ああも苦しませる必要はあったのか。


 責めるというよりは、眼前の異常に慄く視線。


 恐怖や嫌悪を色濃く浮かべたクラスメイトたちの視線を一身に受け──その全てを無視して、フィリップは顔を引き攣らせていた。


 『深淵の息』。『萎縮』ほどではないが、こっちもこっちで大概グロテスクだ。

 窒息死は死因の中でもかなり苦しい方だと何かで読んだが、習得した魔術が窒息死か脱水炭化死の二択とは。


 「そ、それまでッ! カリスト・フォン・ライウス氏の戦闘続行は困難とし、決闘の終結を宣言するッ!」


 勝者の宣言を忘れ、立会人が早口にそう告げる。

 フィリップに向ける視線は、早く魔術を解除しろという意味だろう。


 さて──ここで、魔術は既にフィリップの手を離れているという話があるのだが。


 『深淵の息』は非常に使い勝手のいい魔術だ。

 発動時間や消費魔力の少なさは他の領域外魔術と並んで高評価だが、何より、撃った直後には魔術師の制御を離れ、以降は継続的に相手に影響を与え続けるという優れた特性がある。


 要は純粋な連続投射型の攻撃魔術ではなく、相手の肺を基点とした設置型のデバフなのだ。


 で、だ。

 つまりそれは、フィリップの意志で解除できないということで。


 「制御不能です!」


 諸手を上げてそう叫ぶと、立会人が血相を変えてカリストに駆け寄り、物理的な救護処置を施していく。


 ちらりと振り返ると、未知の魔術を興味深そうに分析しているルキアと、絶句しているクラスメイト達の姿が見えた。


 ──────────────────────────────────────

 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 シナリオ3『魔術学院編入』 ノーマルエンド


 技能成長:【魔術理論】+1d10

 SAN値回復:1d6

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る