第48話

 そろそろクラブや教師から苦情が来るのではないかという頻度で貸切にしている、闘技場のような体育館。


 並んだ標的人形の総数は六体、三つの種類がある。


 木製の最も安価で、最も耐性の弱い人形が二つ。

 金属製の、値段も耐性もそれなりの人形が三つ。

 そして、既に胴体に大穴が空いている最高級の錬金術製の標的人形が一つ。


 ルキアにかかれば指の一弾きで薙ぎ倒せる的たちだが、木製の人形でも素人の中級魔術くらいなら抵抗するらしい。

 体育館の片隅に見るも無残な状態で転がった、かつては人型だった炭の破片を見た後では、そんなカタログスペックに対する信憑性も薄いが。あれはルキアが試し打ちした初級魔術の『サンダー・ボール』一発でああなった。


 フィリップもそれくらいできるのではないか、と。ほんの数分前まではそんな期待を抱いていたのだが──


 がっくりと膝を折り、「何も……何もできない……」と諦観を口から垂れ流すフィリップの姿を見て、その期待に沿う結果が得られたのだと思う者は一人もいないだろう。


 フィリップが習得した二つの魔術のうちの一つを試してみたのだが、結果は失敗だ。


 強すぎるとか、弱すぎるとか、誰かが発狂するとか、そういう以前の問題だ。

 魔術を詠唱し、魔力を失う感覚と、代償の支払いをすっ飛ばすいつも通りの過程を踏み──魔術は


 クトゥグアの時と同じだが、今回は何かを呼ぶ類の魔術ではないはず。


 ということは、つまり。


 「無能だ……ただの無能だ……」


 クトゥグアの召喚に失敗し続けた時と同等の落ち込み具合を晒し、もはや何もしたくないと体を丸める。


 意気消沈は疲労時に顕著に表れる症状だが、魔力欠乏でも同様だ。

 連日の授業と魔術訓練と、質のいい食事と睡眠。元々魔力量や回復速度に劣るフィリップだ。消費と回復のサイクルはギリギリのバランスを保っていたのだろう。


 そこに、昨日の魔術書の閲覧と睡眠不足だ。破綻してしまうのも当然といえる。

 

 だが──今はそんな自己分析と自己理解より、いい薬がある。


 「フィリップ、おいで」


 ルキアに抱き起こされ、そのまま柔らかく甘やかに抱擁される。


 石鹸と紅茶の匂いの奥に、形容しがたい甘くとろけるような香りを感じる。

 柔らかな胸元の感触が、頭を撫でる手から感じる深い愛情が、仕立てのいい私服の触り心地が、彼女から感じる全てが、心地よい。


 「おやすみなさい。少し眠って、また頑張りましょう」


 卑下と諦めでどろどろに濁った心を溶かすような囁き。

 この一週間の魔術訓練で恒例となりつつあった膝枕へと誘導され──フィリップはそのまま、意識を手放した。




 ◇




 数時間後。

 フィリップは眠りに落ちる以前数分のことをすっぽりと忘却し、少し薄れた倦怠感の中で目を覚ました。


 仰視視点でルキアの顔を見るのはここ数日で慣れていたが、また魔力欠乏を起こしていたのかと思うと情けなくなる。


 「すみません、また……」

 「大丈夫よ。もう起きられる?」


 言葉の上では質問しつつ、ルキアは目を凝らし、フィリップの体内を巡る魔力を視ていた。

 魔力の量や流れに異常も不足も無いことを確認し、その上で「起きれるか」と聞いている。それは要するに「起きる意志はあるか」という質問なので、フィリップは自分の体調をさほど気遣うことなく起きられる。


 「はい。ありがとうございます」


 立ち上がり、先ほどと変わらない位置に無傷のまま置かれている人形を見遣る。


 発動しなかったのではなく遅延発動なのではないかという淡い期待が立ち消えるが、そこまでの落胆は無い。


 フィリップが習得した魔術は二種。一つが駄目だったからと全てを投げ出すには、まだ時期尚早だ。


 「もう一つを試してみます」

 「……落ち着いて、集中して」


 右手で標的を照準し、脳に植え付けられた知識から詠唱文を探し当てる。

 現代魔術と比べて圧倒的に少ない量の魔力が失われ、その代わりとでも言うように正気度を削ろうとする。だが、たかが魔術がもたらす精神的影響など、外神の庇護を受けるフィリップには何の痛痒も無い。


 代償を踏み倒し、結果だけを傲慢に要求するフィリップの有様は、正しく魔術師然としていた。


 「──行きます。《萎縮シューヴリング》」


 何が起こる魔術なのかは、聞いたことの無い呪文に目を瞠るルキアだけでなく、行使したフィリップにも分からない。

 なんとなく語感的に威圧系、精神干渉系の魔術だと思っていたのだが、それは間違いだった。


 それはルキアの『粛清の光』のような荘厳さも、『明けの明星』の美しさも一切持ち合わせず、初級魔術のように炎や氷が弾丸や槍を形成するといった派手さも無い。


 始めに異常を知らせた感覚器は、鼻だった。

 鼻腔の奥にツンと突き刺さるような刺激臭が漂いはじめ、二人はほぼ同時に鼻と口を覆った。体育館に天蓋が無く、通気性が良くて助かったと笑える辺り、そこまで濃度の高い気体ではないようだ。

 まさか毒ガスを発生させる呪文なのかと、また制御の利かなそうな気配に辟易とする。しかし、標的人形を見遣れば、すぐに違うと分かった。


 目視で異常を確認した時には、既に手遅れと言える惨状だった。

 ぱっと見た限り、人形は黒くなっていた。


 だが表面に色が付いたわけではなく、むしろ内部から染み出すような感じだ。

 ぼこぼこと泡立ちながら滴り落ちる、黒い液体。


 ショゴスか無形の落とし子でも彷彿とさせるようなグロテスクなそれに苦笑する。

 こんなものをかけられたら、さぞかし気分が悪いだろう。それがどういう攻撃になるのかは不明だが。


 また使えない魔術かと自嘲して一歩踏み出し──その肩を強く掴まれ、制止される。


 「ちょっと待って」


 鼻と口を覆ったまま、ルキアが慎重に近付き、ぼこぼこと泡立つ人形を観察する。


 いや、泡立っているのは人形ではなく──かつて人形だった黒い液体が、泡立っているのか。

 液体はかなりの速度で乾き、ぼろぼろの炭のようになった人形の残骸にこびりついている。


 この凄惨な光景には覚えがある。


 錬金術師が特殊な素材を溶かすのに使う、強酸性の溶媒──熱濃硫酸、だったか。あれに特有の、強烈な脱水作用と炭化。


 見た限り、今の魔術に酸の生成や投射といったプロセスは無かった。

 ただ唐突に、標的に対して脱水作用を引き起こし、炭化させ──その体積を三分の一以下までさせた。


 強いか弱いかで言えば間違いなく「強い」に分類される魔術だ。


 発動から効果の顕出までに時間があるように見えたが、生物相手なら体組織が内側から焼ける痛みにのたうち回り、反撃どころではないだろう。

 魔術師自身が持つ魔術抵抗を貫通するだけの力があるかどうかはともかく、内部からの破壊だ。防具は無効化できる。


 高威力実戦型。

 フィリップが望む系統の魔術を習得できたと、ルキアも我が事のように笑みを浮かべ──微妙な顔つきのフィリップを見て、首を傾げる。


 おめでとう、という祝福の代わりに、大丈夫? と心配を向ける。

 フィリップは微妙な表情のまま振り返り、苦い笑いを浮かべた。


 「これ、制御できる気がしないんですけど……」


 ずっと望んでいた、フィリップ自身の意志で制御可能な魔術──では、ない。

 

 魔術を行使したフィリップには漠然と、この魔術に必要な魔力と、魔力を削った場合どうなるのかが理解できた。

 それによるとこの『萎縮』の制御可能な要素は、攻撃範囲のみ。


 威力の制御は利かず、命中箇所は確実にこの人形と同じ末路を辿る。


 勿論、何もできないよりはマシだ。

 範囲の制御が出来れば、手足のみを攻撃して生かしつつ無力化することもできる。

 だが、再起不能だろう。命の懸かった決闘ならともかく、学院の授業で行う模擬戦などでは絶対に使えない。


 5段階評価で言えば3。100点満点のテストなら50点といったところ。可もなく不可もなく──そんな感じの魔術だった。


 「ついでに、グロテスク過ぎて、あまり人間相手に使いたくありません」


 、という前提を口にしなかったのは意図してのことだ。

 ヒトに対して一片の価値も感じないフィリップだ。殺人に対しても、惨たらしい死に対しても、自分がそれを引き起こすことに対しても、特に忌避感は無い。


 だが、ヒトは同族の死を嫌う。特に、理から外れた凄惨な死を。


 それを積極的に齎そうとするモノをどう扱うかは、想像に難くない。

 人類が滅ぼうが星が砕けようが死ぬことは無いフィリップだが、社会から弾き出されては平穏無事に快適な生活を送ることはできない。


 それは困る。

 故に、明後日の決闘までに威力の制御を習得するか、この『萎縮』を抜きにして戦う必要がある。


 だが──フィリップは漸く、「魔術をどう扱うか」という訓練を積む段階に来たのだ。

 今までの「魔術を習得できるか」というステップからは、一段上に登れた。


 モチベーションは最高だ。だが──コンディションがあまり良くない。

 数時間の昼寝程度では、魔力の回復が追い付かなかったらしい。酷く眠いし、身体も重い。


 ぼろぼろの炭になった人形を一瞥して、これを片付けたら部屋に戻ろうと決めた。


 

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