第47話

 決闘が宣言された日から4日後の夜、フィリップはトランクをひっくり返していた。

 魔術の練習で何の成果も出せず、癇癪を起こして暴れていた──というわけではなく、ある物を探していたからだ。


 「無い……?」


 ナイ神父の魔術講義を受けると決めた時、セルジオとアガタにプレゼントしてもらったノート。

 王都以外では高級品である紙を100枚も綴じ、革の表紙を付けたクールな逸品だ。


 「不味いなぁ……」


 まだ半分も使っていなかったのだが、問題は「勿体ない」とか「貰いものなのに」とかそういう心情的なところにはない。


 あれはナイ神父の魔術講義の時に使ったもの。当然、講義の内容がびっしりと書き込まれている。

 ルキアの魔術訓練に行き詰まり、いよいよ領域外魔術に頼るしかないという段階になったので、何か突破口になるようなものを探して読み返そうと思ったのだが──無い。


 部屋が荒らされた形跡はないし、フィリップもあれを持ち出した覚えはない。

 となるとパッキングした時点で入っていなかったという説が出てくるのだが、荷物を用意したのはナイ神父だ。


 彼が初めから入れていないのだとしたら、何かしら目的があるはずだ。少なくとも必要物を入れ忘れるような間抜けではないし、フィリップがただ単に困るだけの嫌がらせはしないだろう。尤も、目的があればフィリップが困ろうが喜ぼうが関係なく、文字通りなんでもやるだろうが。


 「どうしよう……ん?」

 

 トランクの奥底に、幾つかの封筒を括った束がある。

 

 見覚えはないが、ナイ神父からの手紙だろうか。複数枚あるのはぱっと見て分かるが、それにしても分厚い。封筒の束どころかちょっとした本くらいの厚みがある。


 どう見ても不審だが、ナイ神父が入れたものなら、少なくともフィリップの不利益になるモノではないはずだ。少なくとも開けた瞬間に災厄が解き放たれるとか、フィリップの肉体年齢が50歳プラスされるとか、そういった代物ではないだろう。


 とりあえず束を解いてみると、それぞれの封筒には表題が書かれている。


 『トラブルに巻き込まれた時に開く』『逃げ出したいときに開く』『守るべき者の前でのみ開く』『大切な者を失くした時に開く』と読めるが、その全てがナイ神父の字だ。

 できれば読まずに処分したいところだが、試しに洗面台に流してみたところ、無傷の状態でトランクに戻っていた。この分だと燃やすとか破るとかも効かないだろうが、一応試しておこうか。


 そう思って立ち上がると、手中から紙束がばさばさと音を立てて落ちる。


 封筒を掴み損なったのかと思ったのは一瞬で、4通の封筒が未だ手中にあることは確認すればすぐに分かった。

 では落ちている黄ばんだ羊皮紙は一体、何なのか。考えるまでも無い。


 4通の封筒のうち、『トラブルに巻き込まれた時に開く』がひとりでに開き、その厚みを失くしていた。


 「ホントに勘弁してほしいんだけど……」


 王都であれば普通に手に入る錬成紙ではなく、質の悪い羊皮紙を使う理由が知れない。書きにくいし劣化は早いし、虫害を受けることもある。

 封筒はいったんトランクに置き、羊皮紙の束を取り上げる。


 「えーっと? 拝啓、父王の寵児フィリップ君──」



 ◇



 こんなクソ怪しい──失礼。中から何が出てくるかも判然とせず、危険か否かの判断さえつかないモノを自分の生活空間で開けるほどのトラブルに巻き込まれているらしいですね。

 その様を見ているだけで箸が進みます。王国人の君にも分かりやすく言えば、上がった口角が下がりません。


 それはともかく、この封筒には問題解決における最上の手段を同封してあります。是非お役立てください。

 読書家の君には、きっと気に入って頂けると思います。


 魔王の寵児に「身の程を弁えろ」などと宣った愚昧に、君と彼らの間に存在する「隔絶」とやらを教授して差し上げましょう。

 誰を侮辱し、誰を敵に回したのかを、懇切丁寧に。


 読むときは机ではなく、ベッドやソファで、なるべく楽な姿勢で読むことをお勧めします。

 それなりの長編ですからね。


 では、お身体に気を付けて。よい週末を。



    ──ナイ神父



 ◇



 手紙を読み終え、フィリップはもう一度手紙を処分しようとした。

 今度は力尽くで破ろうと試みるが、質の粗悪な羊皮紙には裂け目一つ入らない。


 これを内ポケットに忍ばせておけば、弓矢くらいなら防いでくれるのではないだろうか。


 そう思った瞬間、読み終えた分の手紙と封筒が音も立てずに燃え上がり、一瞬のうちに燃え朽ちて消えた。


 溜息を零しつつ、地面に散乱した羊皮紙を拾い集める。

 さっと目を通した感じ、誰かの手記のようだ。見知らぬ土地の名前や人物の名前に混じり、大いなるダゴン、この世で最も偉大なるクトゥルーという表記も見られる。


 知識にある名前に苦笑しつつ、紙を繰る。


 「うわぁ……」


 前半はともかく後半は字体も文法も内容もぐちゃぐちゃで、これを書いた人物の行く末を否応なく想像させる。


 これのどこが「問題解決における最上の手段」なんだ。

 「つらいのは君だけじゃないんだよ。だから頑張れ」みたいな精神論なら、悪いがクトゥグアを呼ばせて貰う。焼けて死ね。


 瞳をどろりと濁しつつ、ベッドに腰掛ける。


 本腰を入れて読み始め──気付けば、フィリップはそのにのめり込んでいた。




 翌朝──


 目元にうっすらと隈を浮かべ、達成感と疲労感を悲壮感で洗い流して休日を迎えたフィリップは、内心の興奮を抑え込むのに必死だった。

 ルキアと向かい合って朝食を食べている、いまこの瞬間もだ。


 読み終えたとき、脳に植え付けられるような不自然さとともに魔術を二つほど習得したのだが、そんなことはどうでもいい。


 あの手記──読み終え、フィリップに魔術を授けた直後、役目を終え満足したように燃えて消えた手記。

 あれは素晴らしい物語だった。記憶を消してもう一度読みたい本ランキング、堂々の一位だ。


 誰かに盗まれたり、勝手に見られたりすると困るのは確かで、役目を終えた瞬間に焼却するのは正解だ。あのギミックも、ナイ神父としてはフィリップの手間を省いたくらいの認識なのかもしれない。事実、魔術の使えないフィリップではマッチを貰いに行くところからスタートだ。あれは時間の短縮としては素晴らしい。


 だが、せめて、せめてもう一度。クライマックスを読み、頭からもう一周──これでは二度か。ではもう二度、読んでから焼却したかった。


 「フィリップ? やっぱり体調が悪いんじゃない?」


 二度と読めない神作品を思って嘆息するフィリップに、つい先ほど、隈を見た時と同じ心配をするルキアに笑顔を向け、首を振る。


 「いえ、大丈夫です。昨日、最高に面白い物語を読んでいたので……少し寝不足で」


 下手糞な欠伸のフリで誤魔化されてくれたのか、それ以上は何も言ってこない。

 ただ注意深く観察するような目を向けている辺り、魔力欠乏気味だと判断したら直ちに訓練は中止、お昼寝タイムになることだろう。


 「……良かったなぁ」


 本当に、最高に面白かった。

 冒険譚や神話の類にはもともと目が無いが、フィリップの嗜好に非常によくマッチした、素晴らしい作品だった。


 惜しむらくは、たかだかクトゥルフ程度を「この世で最も偉大」だと認識する智慧の浅さか。三次元世界に存在が収まる時点で、あんなのはタコとなんら変わりない。ちょっとデカくてテレパシーの使えるタコだ。

 

 あとはまぁ、あれがノンフィクションで、あの素晴らしい文才を持った御仁はもはやこの世におらず、彼の作品をもう二度と読むことができないという点だ。

 これは惜しい。本当に惜しい。フィリップに文才があれば二次創作でもするところだ。


 「よっぽど面白い話だったのね。誰の、なんて言うタイトルの本?」 


 苦笑交じりに尋ねてきたルキアに、あれが如何に素晴らしい物語かを語って聞かせたい衝動が鎌首をもたげる。


 あれは本当に、本当にいい話だった──のだが、ルキアがこれ以上触れて、振れてしまうのはよろしくない。フィリップの精神衛生的にも、社会的にも、ルキア本人にとってもだ。


 「……ソロモン王の『わが生涯』です」

 「あぁ、例の二版第一刷?」

 「いえ、自前の…… え? あれ第一刷だったんですか?」


 本当になんでこんなところにあるんだ。王立博物館にでも寄付すべきだろう。

 いや、それはともかく。


 いま重要なのはあの素晴らしい物語ではなく、その副産物──フィリップの習得した魔術の方だ。


 十中八九、あれは領域外魔術に属するものだと考えて間違いないだろう。起動詞の暗記も魔術式の理解も要さず、ただ「あ、この魔術が使えるな」と分かるような感覚だけがあった。


 「あの、このあとの魔術訓練で、見て欲しいものがあるんです」

 「もちろん構わないけど……それって、もしかして魔術?」


 フィリップは神妙に頷き──ルキアは目を輝かせた。


 「凄いじゃない! どんな魔術を覚えたの? 汎用魔術? それとも攻撃魔術?」


 ルキアの質問を、フィリップは曖昧に笑って誤魔化す。


 現代魔術は「この魔術を覚えよう」と決め、起動詞を暗記し、魔術式を理解する。その後は繰り返し実践練習をして、魔術式の演算速度を実戦レベルまで高めるだけだ。

 故に、使いたい魔術、覚えたい魔術が先に来て、それを習得するという結果が伴う。


 しかし、領域外魔術は一部の例外を除き、「この魔術を覚えよう」と意図したものだけを習得するのは不可能に近い。

 先人の記した魔術書を読み解き、気付けば幾つかの魔術を覚えている。しかし、その魔術がどんな効果で、どれだけの代償を必要とするのかが分からないなんてこともある。


 フィリップのように、「まずはクトゥグアを召喚しましょう。呪文はこれ、消費魔力はこのくらいです」なんて、的確な教育を施せる先生がいる方が稀だ。


 今回はフィリップも魔術書を介して魔術を習得した。

 どんな魔術なのか、どんな効果なのか。その辺りは全く分からない。ただ、呪文の中に邪神や神話生物の名前が入っていないので、爆弾にならないのは確定している。


 素晴らしい。非常に素晴らしい。

 待ちに待った火力調整キットの導入だ。


 「その辺りも含めて、検証するのを手伝って頂きたいんです」


 フィリップの不思議な物言いに首を傾げつつ、ルキアは迷うことなく頷いた。



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