第42話

 昼食を摂りに食堂へ向かうと、その場にいた生徒たちの視線が一斉に集中した。


 大人数から注目されることに慣れていないフィリップが思わず立ち止まるが、ルキアは慣れているのか気付いていないのか、急に立ち止まったフィリップに不思議そうな顔を向けた。


 「どうかした?」

 「え、あ、いえ、何でもないです……」


 ルキアが食堂へ向き直る瞬間に視線が散り、台本でもあるのかと聞きたくなるようなタイミングの良さに苦笑が浮かぶ。


 列に並び、ランチセットのトレイを受け取る。

 あらかじめ見繕っておいた空席に向かおうとすると、ルキアが逆方向へ足を向けた。


 「あそこ、空いてますよ?」

 「えぇ、そうね。でも、もっといい場所があるわ」


 先導して歩き出したルキアに付いて行くと、他の席からは見えない奥まった位置に、四人掛けのテーブルがぽつんと一セット設置されていた。

 校庭の見える窓際ということもあり、隔離された場所のくせに明るく開放感がある。さながら特等席──いや、事実、ルキアが普段から独占している特等席なのだろう。


 「確かに、いい場所ですね」


 ここだけ食堂というよりテラスのような感じだ。

 清涼さの中に儚い雰囲気が重なり、正面に掛けたルキアにはとても似合う。フィリップはおまけだ。


 「でしょう? 朝はここで待ち合せね。昼と夜は一緒に来ればいいから」

 「分かりました」


 男子寮と女子寮は別の棟だし、一緒に来るというのは現実的ではない。とはいえ朝の混み合う時間帯で互いを見つけるのは至難の業だ。髪色や存在感などで目立つルキアはともかく、容姿が平凡で、そのうえ背丈の低いフィリップは簡単に埋もれるだろう。

 こうして定位置を決めておけば合流しやすいし、ここは先客に取られることも無い。いいアイディアだ。


 昼間はずっと一緒にいる前提で話しているが、二人ともクラスが別になるという可能性については考えていない。

 ルキアは完全に『フィリップをAクラスにしろ』という自分の要求が通る前提で考えているし、フィリップはクラス分けのことなど何も考えていない。

 

 「食べ終わったら、今度は五元魔術式に挑戦してみましょうか。五元の示す五つの要素、覚えてる?」

 「発動位置、発動対象、遅延時間、残留時間、消費魔力の五変数……でしたっけ」

 「正解よ」


 フィリップの答えをさも当然のように採点し、ルキアはふと首を傾げる。


 ルキアが3歳か4歳のときに通過した場所だが、学院のカリキュラムでは何年生の単元だったか。

 ……まぁ、いいか。


 「代入するべき数値が増えれば増えるほど、魔術の持つ多様性も増えるわ。けれど、魔術式が複雑だから強い魔術とは一概に言えない」

 「そうですね」


 何がどうなっているのかまるで分らないほど複雑なうえ、解いても碌な結果にならないナイ神父の魔術式を思い出して頷く。


 こうして魔術に触れれば触れるほど、あのクルーシュチャ方程式の異常性が良く分かる。


魔術式はあくまで魔術の実行に必要な要素や行程を数式化した、いわばイメージだ。だがナイ神父オリジナルだというあれは、本当に単なる数式なのだ。そのくせ解けば魔術的な現象が起こるという、ちょっと何言ってるのか分からないシロモノである。


 「……ちょっと水を取ってきます」


 コップを持って立ち上がり、厨房の側へ向かう。

 ちらりと生徒たちの方を見ると、ほぼ全員がフィリップの方をじっと見つめていた。


 思わず振り返り、背後に何かあるのか確認するが、何の変哲もない壁があるばかりだ。少し進むと視線が追従してきて、フィリップの勘違いや自意識過剰ではないと分かる。

 服装を目視で、顔や髪形を手で触って確認するが、何もおかしなところは無い。


 じゃあ何だよ、怖いよ。

 思わず後退るフィリップの方に、一人の男子生徒が近付いて来た。


 「あの、ちょっといい……ですか?」

 「え、はい。何か……?」


 ぎこちないというか、どこか気後れしたように話しかけられ、フィリップも思わず素で対応してしまう。仕事だと思えばもう少しきちんと対応できたのだが。


 「あの、サークリス様とはどういったご関係で……?」


 食堂の空気が一気に緊張に包まれ、全員が息を呑んで耳を傾ける。

 それを感じ取ったフィリップは困惑しつつ、どう答えるべきかと考えた。


 「友人」というのは当たり障りのない答えのように思えるが、ルキアは公爵令嬢、フィリップはただの平民だ。彼女の立場を思えば、あまり褒められた答えではない。

 かといって、単なるオリエンテーションの担当と編入生というには仲がいい、か。何も考えていなかったが、ここは向こう3年間過ごす場所だ。ルキアのため、フィリップのため、迂闊な言動は避けるべきだろう。


 「以前にサークリス様に助けて頂いたことがあって。恩人、と言えば、的確でしょうか」


 正誤で言えば限りなく誤に近い。

 森の一件はフィリップが彼女たちを巻き込んだというべきだが、こう言っておけば少なくともルキアの評判が下がることは無いだろう。


 フィリップの答えを受け、生徒たちの雰囲気が変わる。

 困惑が半分、安堵が半分といったところか。高い地位にあるルキアが平民と交わるのは善しとされないだろうし、安堵は分かる。が、その困惑はなんだ。


 「そ、そうですか。お時間をありがとうございました……」

 「あ、いえ、どういたしまして……」


 何故か慇懃で、そして態度がぎこちなかった生徒が一礼して去っていく。

 なんだ今の、と首を傾げて、当初の目的通り水を汲んで席に戻る。


 「遅かったわね?」

 「そうですか? ちょっと混んでましたけど」


 適当に誤魔化して食事を再開する。

 口裏を合わせようという発想どころか、数秒前の困惑のことなどすっかり忘れ、王都でも最高級の料理に舌鼓を打った。




 ◇




 魔術理論を学ぶ上で最も重要なのは、読解力でも記憶力でもない。

 残念なことに、魔術理論を伸ばす上での最適解は、実践だ。つまり、魔術式の構築と演算による魔術の行使。


 師がどれだけ「こういうものだ」と教え、知識でどれだけ「こういうものだ」と知っていても、自分で魔術を使ったときの納得感の有無は大きな差になる。

 百聞は一見に如かず、百見は一考に如かず。そして百考は一行に如かず。


 身の丈に合わない知識を与えられたフィリップは、それをよく知っていた。


 せめて簡単な初級魔法でも使えたら、予習の行き詰まりも晴れるはず。

 魔術理論の教師役を買って出てくれていたルキアにそう言うと、彼女は体育館を翌日まる一日貸し切りにしてくれた。


 恐るべきは聖人の発言力というべきか、或いは公爵家のか。最上級のカードを二枚も持ったルキアが一番のジョーカーだろう。


 「魔術を使ってみたいのよね?」

 「はい」


 ルキアはさっと思索し、指を二本立てた。


 「非魔術師である貴方が魔術を使う方法は概ね二つ。一つは勿論、努力すること。理論上、非魔術師が魔力操作能力を後天的に会得する確率は著しく低いけれど、ゼロではないわ。死ぬまでの間、死ぬほど努力すれば、もしかしたら上振れを引けるかも」


 人間の寿命、約60年から70年の間、身を削るような努力をして上振れを引けるかどうか。

 それで才能が開花したとしても、ルキアのような天才は数秒の研鑽も無くそれ以上の結果を出すし、それは一般の学院生でも同じことだ。


 残酷なまでの、才能による格差。

 努力ではどうにもならないからこそ、魔術師はこうして王都に囲い込まれ、優遇されているのだろうが。


 「もう一つは、熟達した魔術師に魔力操作を任せること。その人の魔力で、その人が魔術を使うけど、魔術式の演算と起動詞の暗唱は他の魔術師が行うの」


 ルキアはさも当然のように言い、フィリップは無知ゆえに「へー、魔術師ってすごいなぁ」と感心しているが、これは王国法では犯罪に当たる。


 魔術師が非魔術師を介して魔術を使うということは、その非魔術師を魔力タンク兼砲台として使うということだ。

 法施行以前には、魔術師が魔力操作を誤れば自爆してしまうような危険な魔術や、全魔力≒命を代償とするような大魔術・黒魔術の類を他人に使用させる者がいた。


 このままでは魔術師による非魔術師の家畜化、或いは道具化が始まると危惧した当時の国王がこれを禁じ、その手法を記した魔術書は全て王城の禁書庫へと封じられた。のだが──まさか後世の天才が、独力でその理論と手法を再現するとは思わなかったのだろう。


 「今から試すのはそれね。私が魔術を使うのをすぐ側で見て、感じて、コツを掴むの」

 「なるほど。よろしくお願いします!」


 フィリップが何をするわけでもないが、せめて感覚を研ぎ澄ますくらいはと気張る。

 それを微笑ましそうに眺めてから、ルキアはフィリップの背後へ回り込み、背中に手を当てる。


 「早速だけど、準備はいい?」

 「はい!」


 フィリップの背後、ルキアの存在感が数倍にも増す。

 その心拍、息遣い、微かな腕の震えまでもが察知できるほどに。


 奥へ、奥へ、フィリップという存在の深部へと、不可視の手が伸びてくるような感覚がある。

 ルキアの手はずっと背中に当てられたままのはずだが、フィリップは彼女に抱擁されているかのような錯覚に陥りそうだった。


 全身を、いや、存在の核を、柔らかく甘やかに愛撫されているような、快と不快との中間に浮かぶような奇妙な感覚だ。


 やがてその感覚も薄れ、フィリップの奥底へと延びていた手が引いていく。

 ルキアが背中からそっと手を放すのを感じて、フィリップは不思議そうに振り返る。


 魔術を行使したような感覚は無かったが、もしかして見落とした──いや、感じ落としたのだろうか。

 

 「これは……」


 困ったような、悲しむような、貼り付けた微笑を向けられ、フィリップの肩にも力が入る。

 ルキアは少しだけ黙考し、決心したように頷いた。


 「率直に言うわね? 貴方の魔力量だと、使える魔術は物凄く少ないわ。たぶん、中級魔術が限界だと思う」


 三秒、五秒、十秒と時間が経ち、ルキアはフィリップの、フィリップはルキアの言葉を待つ。


 「……え? それだけですか?」


 と、ルキアの言葉がそれで終わりだと気付いたフィリップが確認する。

 予想とは違う反応に、ルキアは首を傾げつつも頷く。


 多種多様な上級魔術を使いこなすルキアにしてみれば、フィリップの魔力量で切れるカードの少なさは絶望的なものとすら言える。

 だがフィリップにとって、現代魔術はそこまで重要ではない。勿論使えるに越したことは無いが、暖炉に火を灯し、コップの水を凍らせるくらいでいいのだ。魔術戦、正面から攻撃魔術を撃ち、防御魔術で相手の攻撃を防ぐといったレベルは求めていない。


 フィリップに現代魔術の才は無い。それはナイ神父のお墨付きだ。

 だが、現代魔術だけが魔術ではない。現代魔術と比べて多様性と汎用性に欠け、多大な代償と危険を伴い、ついでに味方や環境を含めた周囲に害を及ぼす領域外魔術。あれはしかし、最高火力という点では現代魔術に大きなアドバンテージがある。


 正気度減少無しに領域外魔術を行使でき、召喚した邪神が反逆あるいは暴走したとしても、フィリップにだけは害を及ぼさない。正確にはヨグ=ソトースの庇護によって害を及ぼせないのだが、それはさておき。

 領域外魔術のデメリットをほぼ全て無視できるという意味で、フィリップは非常に高い領域外魔術の適性を持つ。過剰な火力と周囲への汚染を無視できないという点で、これも中々切れないカードではあるが。


 対人・対神話生物を問わず、一対一の殺し合いになったとき、わざわざ現代魔術を使うことは想定していない。さっさとクトゥグアを召喚し、あとはよろしく。それで終わりだ。

 だが領域外魔術では、たとえば野営の時に火を熾したり、飲用水を作り出したりはできない。そういう汎用性と利便性を持つのは現代魔術だ。


 「初級魔術は、どんなことができるんですか?」

 「え? そうね…… 火球を作って撃ち出したり、氷の槍を射出したりとかかしら。光属性なら……」


 ルキアの片手に丁度収まるサイズの光の球が、もう片方の手には同サイズの雷を固めた球が浮かぶ。


 「こうして明かりを灯したり、電気を操作して弾丸にしたりできるわ。でも──」


 体育館の片隅に捨てられたように転がっていた、ルキアが昨日魔術で大穴を開けた標的人形が雷の弾丸に撃ち抜かれる。


 穴が二つに増えるかと思ったが、魔術はその表面で弾けて消えた。

 

 「威力は低いし、抵抗されることもあるし、あまり強くないわよ?」


 フィリップが求めているのは、火力面での単純な強さではなく、汎用性と利便性だ。

 氷室代わり、火打石代わりになればそれで十分。


 そう伝えると、ルキアは不思議そうにしつつも、フィリップがその域に至るまでは練習に付き合うと言ってくれた。


 「じゃあ、初級魔術を使ってみるわね? 集中して──」


 もう一度フィリップの背中に手を当て、魔力操作を始める。


 日曜日をまる一日費やして、フィリップが習得できた魔術はゼロだった。


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