第40話

 ルキアと手を繋いで歩きながら、フィリップは内心の焦りを表情に出さないように必死だった。


 魔術師が魔術を使うのは、健常な人間が走ったり、跳躍するようなものらしい。その速さや飛距離は才能や努力によって大きな個人差があるが、少なくとも全く走れないし跳べないという者はいないだろう。

 魔術師である以上、魔術の強さや詠唱速度に個人差はあれど、魔術が全く使えないということはない。


 だが、それは現代魔術の話だ。

 フィリップが使える召喚魔術は領域外魔術。出てくるモノはさておくとしても、その体系から全く違う。現代魔術の心得などなく、使える魔術はゼロ。最低限起動詞を覚えている魔術と言えば、ルキアの見せた『粛清の光』と『明けの明星』くらいだ。当然ながらあんな高等魔術を使える訳も無い。


 さてどうするかと頭を悩ませていたが、その時間も体育館に到着したことで終わる。

 内部も外観同様闘技場かスタジアムといった風情だが、体育の授業ではなく実戦を想定した魔術訓練に使われる施設なので、あながち間違ったレイアウトではない。


 ヘレナが倉庫らしき場所から金属製の人形を引き摺ってきて、フィリップの前にどさりと置く。人形と言っても精緻な人型ではなく、横棒の折れた十字架に近いフォルムだ。ずんぐりとした胴体は支え無しに自立可能ではあるが、強い衝撃を加えれば倒したり吹き飛ばしたりできるだろう。

 如何にも標的ですといった風情の人形を示し、ヘレナはさも当然のように言う。


 「錬金術製の対魔術標的人形よ。大抵の魔術には抵抗すると思うから、遠慮なく撃っちゃって!」


 ことここに至っても上手い誤魔化し方が思い浮かんでいなかったフィリップは、大人しく挙手して自己申告することにした。


 「あの……実は、普通の魔術を使ったことがなくて……どうしたらいいですか?」


 学院長は一言「ふむ」と納得したように頷き、ぐっと親指を立てた。


 「じゃあ、例の召喚魔術でもいいわ!」

 「いや、駄目でしょ」


 仮にも魔術学院の施設だ。二等地の民家より魔術防護が弱いということはないだろう。

 学院長もそれを加味した上で、二等地の一角を吹き飛ばすような魔術でも大丈夫だと言っているのだろうが、問題はそこではない。


 ちらりとルキアを見遣ると視線が合い、「どうしたの?」と首を傾げられる。

 それに答える余裕も無く、優雅な雰囲気を纏う黒いゴシック調のワンピースを一瞥し、次いで彼女も無価値と言った聖痕を見る。


 ルキアはシュブ=ニグラスの名を聞いただけでなった。

 召喚の呪文を黒山羊やカルトが用意していた祭壇や儀式場によって省略し、最後の一節、その名を讃える箇所を聞いただけでだ。名前が毒だと知ってはいたが、具体例を突き付けられるとより理解が深まる。


 あれは人前で詠唱していい魔術じゃない。いや、人前じゃなくても限りなく駄目なのだが。少なくとも余人の耳のある場所では避けた方がいい。


 「大丈夫よ。理論上、サークリスさんの魔術でも──」


 ジュッ、と、熱した鉄板に水滴を落としたような、一瞬の軽い蒸発音が鳴る。

 一挙動すら要さず行使されたルキアの魔術が夕日を収束させ、金属人形に大穴を開けていた。


 「私の魔術が、何か?」

 「…………高かったのに」


 真顔になった二人の間で右往左往しつつ、必死に頭を回転させる。ヤマンソは論外、クトゥグアも火力過多、かといって現代魔術は全く使えない。

 適度に火力があり、制御できる可能性があり、二人を発狂させることの無い解決策──。炎の精? いやいや、あれ単体を呼ぶ呪文なんて知らない。クトゥグアを呼び、それを介して使役することは出来るだろうが、そもそもクトゥグアを呼ぶのがあまりにハイリスクだ。


 「いえあの、アレは制御に難があるというか……いろいろ問題があって……」

 

 ごにょごにょと言い訳するフィリップを安心させるように、ヘレナは肩に手を置いて笑いかける。


 「大丈夫。いざとなったら、私たちが止めるから」


 いや、無理だろう。

 何が出てくるかはフィリップ自身すら分からない、クトゥグアかヤマンソの二面コイントス。クトゥグアが出ればフィリップが制御することも可能かもしれないが、ヤマンソに関してはたぶん無理だ。

 そしてどちらが出るにしろ、人間の魔術が通じる相手ではない。


 「えーっと……」


 仕方ない。なるべくコレはやりたくなかったのだが──


 「《接続招来:炎の精》」


 囁くような詠唱。

 現代魔術に精通した彼女たちが聞いたことも無い起動詞に目を瞠り、咄嗟に魔術防御を展開する。


 一秒、五秒と時間が経過し──何も起こらない。


 当然だ。

 領域外魔術に《接続招来:炎の精》などという魔術は存在しない。ありもしない魔術の、存在しない呪文を唱えたのだ。何かが起きたらフィリップが一番驚く。


 フィリップがとった手段、それは「でっち上げ」だ。

 適当な魔術をでっち上げ、当然のように失敗し、失敗しちゃったてへへ、で終わり。誰も発狂せず、何も壊さない、最良の手段と言える。


 もし万が一現代魔術に《接続招来》という起動詞を持つ魔術があったとしても、現代魔術の発動には起動詞の暗記詠唱だけでなく、魔術式の理解も必要だ。当然ながら、適当ぶっこいただけのフィリップがそれを発動させることは無い。


 「──失敗みたいです」


 駄目でしたえへへ、と。そんな感じの照れ笑いを模して顔に貼り付ける。

 通じるかどうかで言えば不明だが、自信の有無はと聞かれれば無いと答えるレベルの演技だった。


 「……そうみたいね。大丈夫よ、そういうことも珍しくないから」


 ヘレナはそう言いつつ、内心は穏やかではなかった。


 フィリップはいま一切の魔力操作をしていなかった。つまり魔術は失敗したのではなく、端から行使の意志が無かったということだ。

 学院長である自分にすら、或いは自分にだからこそ、魔術を秘匿した。それが彼の意志なのか、教皇庁の指示かは分からない。だがどちらにせよ、彼の魔術は秘匿されるべきものだということか。


 警戒心が渦巻き、それを倍する好奇心が鎌首をもたげる。


 好奇心は大切だ。

 それは人間がここまで文明を発展させるのに大きく寄与した要因であり、知性あるモノが持つ正当な権利であり、あらゆる知識の源であり、唯一神の定めた死という理をヘレナが捻じ曲げるに至った理由でもある。


 未知は怖い。

 100年前の魔王大戦、あれは未知の魔術と未知の攻撃のオンパレードだった。仲間が死に、街が滅び、国が潰れた。未知の魔術で、未知の攻撃で。どうすれば防げるのか、どうすれば躱せるのか、どうすれば守れたのか。天才魔術師と呼ばれ、聖痕を刻まれたヘレナは、未知の洗礼を受け、未知を恐れた。


 だから──未知を、失くそうと思った。


 「──あの、学院長?」

 「あぁ、失礼。大体分かったから、今日は帰ってくれて結構よ。また月曜日にね!」


 親しみやすい笑顔を浮かべ、サムズアップしてみせる。

 フィリップは安堵したような溜息を吐き、一礼して去っていった。


 「……一緒に帰らないのかい?」


 終始フィリップに熱い視線を送っていたルキアを揶揄うが、返ってきたのは見定めるような視線だった。


 それを叱りつけるべきか、ヘレナは判断しかねる。


 ヘレナの実家マルケル家は侯爵位だが、ルキアの実家サークリス家は公爵位。侯爵位の中でも下の方のマルケル家と国内最高位貴族では、出店の焼き鳥と一等地のレストランで出てくるソテーくらいの差がある。


 だが、ヘレナは聖人だ。爵位のような俗世の立場には縛られない地位にある。それはルキアも同じで、しかも彼女は二属性の聖痕を刻まれている。聖痕の数と偉さに関係はないが、単に一属性の頂点と異なる二属性の頂点では重みが違う。しかも光属性と闇属性──唯一神が世界で初めに創造した『光』と、それ以前より存在していた原初の『闇』。自然六属性と並んで表される中で、格別に強力だと言われる二属性のハイブリッド。


 公的な立場に何か差があると言われるわけではないが、魔術師の中では常識だった。


 そして表向き、魔術学院の中ではあらゆる公的権力が失効するとされている。

 教師と生徒。その関係性だけが存在し、生徒間に存在する上下関係は先輩後輩と、あとは生徒会くらいのもの。爵位による区別、貴族と平民の差別を失くし、ただ魔術の才のみによって自らを誇れと。ヘレナがまだ学生であった時分からの習わしだ。


 だが、その風習も廃れて久しい。

 一応入学時や始業式などで周知してはいるが、効果のほどは微妙だ。


 一部の逸材、ルキアや第一王女のような規格外の魔術師ほど、この規則を守る傾向にある。彼女たちは国王──いや、この王国という体制そのものすら、己が魔術によって屈服させられるからだろうが。


 さておき、ヘレナは教師で、ルキアは生徒。ここはやはり不遜な目つきを咎めるべきかと息を吸って、


 「彼をAクラスに入れて。それだけよ」


 言うだけ言って、彼女はフィリップの後を追って出て行った。


 行き場を失くした息を吐き、空を仰ぐ。


 言われずとも、最上位クラスであるA組への編入は決定事項だ。これはルキアがどうこうではなく、衛士団から彼の引き起こした破壊の規模を聞いた時点で決定している。

 ルキアと、彼の背後にいる何者かも、それは分かっているだろう。


 その思い通りに動くのも癪だが、それが最も合理的な判断であることも確か。


 苛立ちを舌打ちに変えて晴らし、呟く。

 

 「教皇庁……何を考えているのやら」

 


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