第39話

 国立魔術学院大図書館といえば、この世に存在するあらゆる書物を写本し蔵書していると言われるほど、蔵書数の多いことで有名だ。

 一般文芸から歴史書、兵法書に錬金術のレシピ本、歌劇の台本から魔術書まで、公的に出版されたあらゆる書物が納められている。


 その数は500万冊を超えると言われ、司書や学院長ですら、もはや何が何処にあるのかを正確に把握することは不可能だ。


 「おぉぉぉ……!」


 書棚の間を回り、開きっぱなしの口から感嘆を漏らし続ける。

 王都外で紙が貴重と言っても、羊皮紙で綴られたクオリティの低い本すら無いわけではなかった。フィリップもそれなりに本は読んでいたし、愛読書と呼べるものもあった。


 「す、すごい。ソロモン王の自伝、二版だ……こんな状態で……」


 何らかの魔術によって保護されているのだろう、経年劣化の具合はフィリップ個人の蔵書と同等か、それより少ないほどだ。

 現行版が300とか400とかその辺りなので、本が原型をとどめているだけで奇跡のような代物であるはずだが。


 震える手で本を元あった場所に戻し、興奮するフィリップを微笑ましそうに見つめていたルキアに向き直る。

 

 「すみません。行きましょう」

 「生徒証が発行されたら、貸し出しもできるわよ」

 「貸し出し!?」


 どちらかといえば図書館ではなく博物館に置かれているべき書物のはずだが、どういう管理だ。


 「すごい……学院すごい……」


 半ば放心状態でぶつぶつと呟きながら、ルキアに手を引かれて図書館を回る。

 書棚は同心円状に並んでおり、場所によってカテゴリが違うらしい。とりあえず神話の棚と冒険譚の棚は覚えておこうと気を張っていたが、残念ながらこの広大な書棚の森では、人間の記憶など大して役に立たないだろう。


 だが、少なくとも迷い込んで出られないということにはならないという安心感はある。

 それは円の中心部に重厚な金属の板が聳えており、威圧的な存在感を放っているからだ。


 「あれは何ですか?」


 金属製ながら、縦に6メートル以上ある大きな扉だ。図書館の中でもひときわ異彩を放っており、書棚と本が暖かさを齎すものだとしたら、それは冷たさを纏って対極にいた。


 扉といっても、何処かに繋がっているわけではなく、ただ空間にぽつんと聳えている。

 近付いてみると、精緻な装飾が施されているのが分かる。一部には文字も刻まれており、「神威と至高の智が我を創り、我が前に創られしものは無い」と読める。


 「禁書庫への門よ。一般生にアクセス権は無いから、入りたいときは私に言って」


 それは……駄目じゃないのか?

 まぁ禁書に指定される書物など碌なものじゃないだろう。読むだけで精神が摩耗するような劇物とか、解いたら精神の変容する魔術式とか、その手の遺物というか異物が混じっていないことを願うばかりだ。

 少なくともフィリップは入りたいとか、中の本を読みたいとは思わない。むしろ、その辺の書棚にある初級魔術の本の方がよほど興味をそそられる。


 非魔術師にとって、魔術は憧れだ。だが何も、天地万物を焼き払うような魔術が使いたいのではない。指先に火を灯し、腕の一振りで水を凍りつかせるくらいでいいのだ。

 領域外魔術なんて、火力が高いだけで調整の効かないそれこそ爆弾のようなものだ。強いと言えば強いが、あまりに稚拙な強さといえる。


 「堪能しきれていないとは思うけど、そろそろ次に行くわよ」

 「あ、はい。次は何処に?」

 「次は──」


 ルキアに手を引かれ、体育館、実験棟と回る。

 残念ながらどちらも個人で使用するには許可が必要で、中に入ることは出来なかった。


 外観だけで語るなら、闘技場然として物々しい雰囲気の体育館は何となく心惹かれるものがある。逆に異質なほど白い壁に、極限まで数を減らした窓、そしてそこに嵌った鉄格子から嫌な雰囲気を感じる実験棟には、なるべく近付きたくない。


 本校舎へ入り、保健室へ案内される。

 清潔に整えられた内装と、消毒液の香り。好き嫌いの分かれる雰囲気だろうが、フィリップは割と好きな空気だった。


 「あら、サークリス様。どうされましたか?」


 学校医らしき白衣の女性が立ち上がり、一礼する。

 あちらは職員でルキアは生徒のはずだが、やはり高位貴族相手では勝手が違うのだろうか。


 「この子の案内をしているだけよ」

 「フィリップ・カーターです。これからお世話になります」


 握手を交わすと、彼女はにっこりと人好きのする笑顔を浮かべた。


 「ステファン……よ。よろしくね」

 「? はい。よろしくお願いします」


 微妙な間がフルネームで名乗るのをやめたからだと気付き、ルキアが片眉を上げる。

 それは嫌悪や怒りによるものではなく、むしろ感心によるものだ。


 学校医ステファン・フォン・ボードは、その名前に冠する称号の通り、貴族だ。ついでに二つ名持ちなのだが、その二つの要素が持つ威圧感のせいで、保健室を利用する者は多くない。

 多少のけがや病気で訪れることはなく、相談事が持ち込まれたことは一度も無い。彼女が苦労して修得したカウンセラーとしての技能は故に一度も使われたことがない。大怪我は医者ではなく神官に診せた方が早いし、端的に言って、彼女は途方も無く暇だった。


 ──いや、医者は暇でいいのだが。


 せめて編入生には隔意を持たれないようにという意図だったのだが、ルキアは平民であるフィリップに対する配慮だと受け取った。


 「よろしくね。……ほんと、切実に。指切れたーとか、膝擦りむいたーとかでも全然来てくれていいから」

 「あ、はい……」


 なんで必死そうなのかと首を傾げつつ、保健室を出る。

 

 「最後は学院長室ね。滅多に来ることは無い場所だから、覚えなくてもいいわよ」

 「まぁ、そうですよね。何かしらの問題が起きない限り……」


 もともと要領はいい方だし、変なプライドがあるわけでもない。静かに大人しく、事なかれと生活するのに抵抗は無いし、呼び出しを食うこともないだろう。

 問題を起こしたからいまここにいて、問題を起こしたから隣にルキアがいるのだという都合の悪いことは忘れて、フィリップはそう楽観した。




 魔術学院学院長ヘレナ・フォン・マルケルは転生者だ。


 彼女は100年前、魔王討伐へ向かった勇者パーティの一員であり、風属性の聖痕者でもあった。

 苛烈を極めた戦いを生き残った彼女は、その生涯を賭して勇者の偉業を語り継いだ。そして自らの悲願であった魔術の極致へと至るため、その死に際して転生の魔術を行使した。


 ヘレナの知識は現代人のそれを遥かに凌ぎ、非常に高い魔術適性を持っている。中でも風属性は聖痕に至り、一度の死を経て、若返ってなおもその力に衰えが無いことを示していた。


 世界最強の一角である彼女は応接用のソファに掛け、対面に座った少年を値踏みするように見つめていた。


 魔術師にとって、外見から推察できる情報に大した意味は無い。無垢な少女が他人を支配する魔術を使い、よぼよぼの老翁が指の一弾きで大地震を起こす、そんな光景もありえるのだ。

 王都衛士団からの情報によると、少年は二等地を吹き飛ばした張本人だという。あの事件は魔術師の中では未熟者の失敗談としてそこそこ知られているが、その破壊の徹底ぶりには舌を巻いた。


 普通、召喚術師は錬金術製の建材によって構築された建造物を、跡形も残さず焼却するほどの火力は出せない。精々が家一軒を全壊させるくらいだ。それ以上となると天使や悪魔、或いは上位精霊や龍などの高位存在を使役する必要があるが、未熟な召喚術師は縁を繋ぐことも出来ないだろう。


 やはり──教皇庁の関係者か。


 衛士団長が重要人物として報告していた、投石教会に勤める二人の神官。彼らが教皇庁から派遣されたという裏付けは取れている。カーター少年が丁稚奉公に来たのは数か月前とのことだが、彼らの赴任は数年前。一見、何の関係も無いように見える。神官がカルトを嫌い積極的な行動に出たのも、カルトから救い出された子供が懐くのも、理解できる。


 だが、そこまでだ。

 基本的に教会の魔術、奇跡や秘蹟と呼ばれる類の魔術は門外不出だ。少し接点のある程度の少年に神父が魔術をレクチャーすることなど在り得ない。


 なんせ教皇庁は過去、聖人であるヘレナにすら魔術教導を許可しなかったほどだ。


 「君が例のカーター君ね。初めまして、学院長のヘレナ・マルケルよ」

 「フィリップ・カーターです。お世話になります」


 フィリップは聖痕者として広く知られる名前に反応した様子もなく、平然と握手に応じる。

 ヘレナの聖痕は右手の甲にあり、今は白い手袋によって隠されている。聖痕者に限らず聖人に──いや、余人に対する興味の薄いフィリップは、少なくとも即座に彼女が何者かに思い当たることは出来なかった。


 「その腕輪は、もう外してくれていいわ」


 一定値以上の魔力を吸収する腕輪。相手を過剰に傷付けることの無い、拘束具としてポピュラーなものだ。

 フィリップが外したそれを受け取ると、掌の上でぴしりと音を立てて真っ二つになる。規定量を大幅に上回る魔力を流し込まれたことによる自壊もまた、この腕輪を扱うのなら珍しくない光景だ。


 今まで壊れていなかったということは、フィリップの魔力量は一般人並み──つまり、魔術師としては下の下。やはり、あれだけの大破壊を起こせるような器ではない。彼がその尖兵あるいは諜報員である可能性も薄いだろう。


 となれば、警戒すべきは彼ではなく教皇庁だ。

 カーター少年を使って何をする気なのか、それを明らかにするか、少なくとも彼の安全を確保する必要がある。


 「──学長?」

 「あぁ、失礼。この時間って眠くなるのよね」


 夕刻の暖かな日が差す学長室、特に柔らかな椅子やソファは誤魔化し抜きで眠くなる。ルキアは不愉快そうな視線を向けるが、フィリップは苦笑するに留めた。


 「とりあえず、適性検査をしましょうか。この結果でクラスが決まるけど、気負わずね」


 検査と聞いて身体を強張らせたフィリップに安心させるような微笑を浮かべる。

 フィリップに対して何かをするとか、そういった工程は無い。むしろその逆。フィリップが魔術を使い、それをヘレナが検分するのだ。


 「ここじゃ手狭だし、体育館にでも行きましょうか」


 だったら初めから体育館で集合にしろよと言いたげな視線を向けてくるルキアを一瞥して、彼女の変化を祝福するように笑いかけた。



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